新しい風が吹いてきそうな予感です
冬里は結局、その日、私の部屋に泊まることになった。
どうしてかっていうと、今後の事を細かく話し合いたいからだって。
でもまあ、ホテルの方は規定の料金を払ってもらえれば、人数が増えても問題ないわよね。
で、問題、というより、ちょっとびっくりしたのが九条さんの反応。
お泊まりセット? を持って来てなかった冬里は、九条さんに連絡を入れてから、いちど自分の家に帰ってまたやってきたのだけれど。
「失礼します。伊織さま、これはどちらに? ここですか。かしこまりました。いや、良いお部屋ですな。秋さま、どうか紫水院をくれぐれもよろしくお願いします」
「は、はい…」
冬里に付き添ってやってきた九条さんは、なんだろう、やけに嬉しそうだ。ちょっと苦笑しながらその様子を見ていた冬里は、なだめるように言う。
「はいはい、ちゃんと由利香と同室だって確認できたよね? だったらもういいよね」
「あ、これは失礼しました。では邪魔者はもう消えましょうかな」
「うん、じゃあまた明日ね」
「はい、それではごゆっくり」
深々とお辞儀をして弾むような足取りで部屋を出て行った九条さんを、びっくりしながら見ていた私。
そして、隣の部屋のドアから、そぉーっと夏樹が顔を出す。
「あの…」
「夏樹、どうしたの?」
「いえ、九条さん、どうしちゃったんすか? なんかあんまりいつもと違うんで、声をかけられなかったんすよ」
すると、冬里がクスッと笑って言う。
「これで既成事実が出来ちゃったからね。僕はそこまで責任感のない人間じゃないもの」
「?」
「九条はね、由利香に僕の生涯の伴侶になって欲しいと思ってるから」
生涯の伴侶。夏樹と2人で顔を見合わせていた私は、その意味するところに気がついたとたん、また夏樹とビックリ二重奏をしたのだった。
「「ええーー!?」」
そのあと、冬里にくれぐれも九条さんの誤解をといてもらうよう、何度もお願いして、何とか「わかった」という言葉を聞き出すのに、ずいぶん時間がかかってしまった。
今回は、なぜか夏樹も一生懸命後押ししてくれたしね。鞍馬くんに私の事頼まれてたからかしら?
で、せっかくの団らん? なんだから、外に食べに行くのはやめようと、今日は夕食をルームサービスにしてもらう。
樫村さんたちの部屋に食事を運んでもらい、あれこれ話していると、自然に冬里が『はるぶすと』へ来る時期は、という流れになった。そこで冬里はまた驚く事を言い出す。
「シュウにはさ、ちょっと言ってあったんだけど、腕の良い料理人が3人もいるのに、あの規模の店じゃもったいないと思わない? だからもっと広いところへ移れば~? って提案したんだよね」
「えっ、シュウさんはいいって言ったんですか?」
「夏樹と由利香がいいって言えばってことだったよ。で、この間からさ、どこかない~? って聞いてたら、そんな急に言われても困るって言うから」
そこで冬里は、置いてあったデザート用のピックをすいと持ち上げる。
「あの辺の地図をプリントアウトして、目をつぶってピッと刺したんだよね。そしたらここがあたった、って、ああ、そういえば資料も持って来たんだっけ。ちょっと待ってて」
と、隣の部屋へ行って何やらファイルにはさまれた資料を持ってくる。そしてパソコンから印刷したらしい地図を広げてみせる。
「今の店より、すこし上流に上がったところだけど、ちょっと広めの空き地みたいなところに、ピンがバッチリささってたんだ。早速FAX送ったら、シュウってば、いつものごとくため息つきながらも、律儀に見に行ってくれたんだよねー」
「あんたねえ」
ちょうど★川の少し上流で、今の店よりは、ちょこっと道から引っ込んあたりに印がつけてあって、ココ!と矢印が入っている。
「そしたら、すごく雰囲気のいい一軒家が建っててさ、FOR SALEの看板が掛かってたんだって。前にも何かのお店をしていたようだけど、何の店だったかはわからないって」
そして、たぶん鞍馬くんが問い合わせたのか、ネットで引き出したのか、その家の資料も入っていた。なるほど、店をするには充分な広さの間取りだ。
家の写真も載っているけど、コピーで白黒のため、はっきりとはわからない。
「へえー」
夏樹はなんだか興味深く、家の資料を眺めている。私はちょっと気になったので聞いてみた。
「でも、そこに店を移しちゃったら通勤が大変になるわね」
「なに言ってるの? こんな広い家なんだから、改装して店の2階に住むんだよ」
「え、そうなの?」
だったら、私はもうお店の手伝いにも行けなくなっちゃうな。と、思ったのだけど。
「もちろん由利香もそこに一緒に住むんだからね」
「え?」
「だからって会社を辞めなくても良いし、もちろん由利香がそうしたいって言えば、全面的に『はるぶすと』に就職もできるし。ああ、僕のお嫁さんになるって言う手もあるしね」
「こらっ」
こぶしを作って冬里をポカンとする真似をして。
そうなんだ。いつの間にそんなこと考えて行動してたのよ、まったく。
鞍馬くんたら、おくびにも出さないんだから。
「とはいってもね、まだ2人で遊んでるような段階だからね。シュウが言うには、自分から話ししたらさ、由利香も夏樹も、シュウが決めたことなら大丈夫って、きっと意見も言わずに賛成するだろうから、僕に話ししろってね」
あー、そうよね。
鞍馬くんが、こういう事を考えてるんだって振ってきたら、夏樹も私も深く考えもせずに、ほいほいついて行っちゃうわよね。
でも、それじゃあ、おのおのが納得した事じゃないからダメだろうと、回りくどいけど冬里に話を頼んだのだろう。まさに適材適所ね。
「わかったわ。2人の思いを受け止めて、よーく考えてみるわね」
「俺は、それでいいです」
すると夏樹はあっさりと、きっぱりと言い切った。
「え、夏樹。せっかくだからよく考えて」
「これは俺の予想なんすけど、広い店にするって事は、そして冬里が来るって事は、ディナーも出すつもりなんすよね?」
冬里はちょっと笑って、うん、と頷く。
あ、そうなんだ。
「ただ、ディナーは完全予約制の、1日何組か限定で、と、おおまかには考えてる」
「はい、それでも、いまよりもっと料理の勉強も出来るし、たくさんの人に喜んでもらえるなら、俺はそっちのが良いです」
私は目を丸くして夏樹を見やる。ずっとあのままの『はるぶすと』がいいと言いだすと思ってたんだけど。
どっちにしても変化を受け入れるのは良い傾向。なんだかんだ言っても前向きな夏樹ね。弟が日々成長してくれて、姉は嬉しいわ~。
で、私たちのやりとりを、頼もしそうに黙って聞いていた樫村さんにも意見を聞こうとして、ふと良いことを思いつく。
「ねえ、そんなに広い家なら、いっそのこと樫村さんも一緒に住むって言うのは?」
我ながらいいアイデア! と、1人悦に入ってたんだけど、3人は微妙に顔を見合わせている。そして、樫村さんは笑いながら言い出した。
「ありがとう、由利香。だけどな、俺は色んなところで顔が売れちまってるから、しばらくは、誰も知らないような小さな国の、誰も知らないような小さな町か村で、」
「はい?」
「教育を受けられないような子どもに、勉強や、それ以外にも色んな事を教えて行こうと思ってる」
すると、パチンと指を鳴らして夏樹が嬉しそうに言う。
「さっすがハル兄! 考えることが立派です」
「で、それはどのくらい?」
「あ? ああ、50年か100年か。で、ほとぼりが冷めた頃に、また新人研修のような仕事を探すさ」
あらら、じゃあ樫村さんとはまたしばらく音信不通になりそうね。残念だわ。
ちょっとがっくりして時計を見ると、午前0時をまわる頃だった。
話は尽きないけれどそろそろにしようか、と、そこで終止符を打って、私は冬里と2人、隣の部屋へ引き上げた。
自分のベッドを寝やすいように整えていると、
「あれえ、一緒のベッドに寝るんじゃないの?」
などと不埒な事を言う冬里。
私はきっちり無視して? 「おやすみ」と、早々にベッドに潜り込んだ。
けれど、しばらくして私がこらえきれずにぶぶっと吹き出したのをきっかけに、冬里も可笑しそうに吹き出し、お互いに布団の中でたわいもない話を続けていたのだが、2人ともほとんど同時に眠りについてしまったようだった。




