別れと出会い (2)
それからの幾日間かは、本当に美しい日々だった。
晴れの日には、散歩や遠乗りを楽しみ、雨の日はポーカーや読書を楽しみ。
お屋敷には花が咲き乱れ、たまに本館の方から自慢の庭を愛でに人もやってくる。
リュシルはあの肖像画に描かれた当主夫人の子孫と言う事になっており、また、軍隊を率いての各地での活躍ぶりが取り沙汰されているので、本館の者にとっては、あこがれと尊敬の的であった。
本館の人間は、彼女がしばしの休暇で滞在しているものと思っている。
そんなある日、リュシルはランスを自分の部屋へ呼ぶ。
「ありがとう、ランス。そろそろ休暇も終わりだ。荷物を詰めてくれ。それが終わったら暇を取らせる。私は明日ここを出て行くから、お前はそれを待たずに家族の元へ帰れ。今までよくやってくれたな、お前はやはり最高の執事だ」
「…はい…」
このときランスは、リュシルに永遠の別れをする時が来たのだと悟った。
彼は胸の内に引きちぎられるような思いを抱えながらも、リュシルの身の回りのものをかいがいしく整理し終えると、
「リュシル様にお目にかかれたことは、生涯の誇りです」
と言う言葉を残して、取り乱すことなく屋敷を去って行ったのだった。
そしてその夜のこと。
シュウは、なぜだかいつもに増して、なかなか寝付けなかった。
このままベッドにいても仕方がなさそうなので、外の空気を吸おうとバルコニーの扉を開けて外へ出る。すると、隣のバルコニーにリュシルが出て来ていた。
「リュシル?」
リュシルはやっと来たなという顔で、チョイチョイとシュウを手招きした。
「え?」
「こちらへ飛び移れ。これくらいの距離、お前ならたやすいだろう?」
いとも簡単に言うリュシルに、シュウはまたあきれながらも、仕方がないので「少し下がっていてください」と断ってから、ヒョイと向こうのバルコニーに飛んだ。
パンパンと手をたたいて、リュシルは楽しそうだ。
「どうかしたのですか」
いぶかしげに聞くシュウに、さらっと答えるリュシル。
「ああ、夜明けを待たずに迎えがきたようだ」
「!」
空を見上げて言うリュシルを真似て上を見てみるが、シュウには何も見えない。
「私にしかわからない」
「はい」
「ここまで色々ありがとう。最後に会えたのがお前のようなヤツで良かった」
「リュシル…」
「でもな、」
と、またちょっとフフ、と微笑んで言う。
「私は消えてなくなるはずなんだが…。少しズルをしようと思う」
「…」
「お前の行く末が気になって仕方がない私としては、もう一度だけお前に会える機会を作る。それがいつか、どんな奴になるか、男か女か、じいさんかばあさんかもわからないがな。その時になれば必ず私だとわかるはずだ」
シュウはなぜリュシルがそんなことを言い出したのかわからず、けれど、彼女がもうすぐ消えてしまうという事実に焦りを感じて、珍しくきつい口調で言う。
「それより、そんな悠長なことを言っている場合ですか! 時間があるのなら本館の皆さん、いえ、兵士たちにも連絡を取って、お別れを」
「シュウ」
凜とした口調でたしなめられて、ハッと我に返るシュウ。
「もう、別れは充分してある。時間があるうちに私がしなければならないことは、これだ」
言うと、リュシルはシュウのあごに手をかけてこちらを向かせ、その唇に自分の唇を押しあてる。しばらくすると、シュウの中の何かがリュシルとシンクロするのがわかった。
それを感じたリュシルは、唇を離して満足そうに微笑んだ。
「リュシル…」
「いい気分だ…」
リュシルの身体が青白く温かく光る。そうして少しずつ、少しずつ、とけるように光が上へと上っていく。シュウはおもわずひざまづいてリュシルを見上げる。リュシルは綺麗に微笑んでシュウの髪に手をやり、本当にいとおしそうに、くしゃ、となでる。
とたんにシュウの瞳からはあとからあとから涙がこぼれ落ちだした。
そしていつしか、リュシルは完全に、空へととけていった――。
それから数百年。
日本へ来るのはこれで2度目だ。
シュウは、また京都に住んでも良かったのだが、今度は冬里にかき回されない生活もしてみたいと思い、滞在先をわざと京都から離れた★市にした。
適度に都会で適度に田舎。気候も安定していて住みやすそうだったからだ。
彼ら千年人は、個人の事情に一切関知しない口座が持てるある国に、代々引き継がれてきた多額の預金を持っている。そのため、どこへ行っても生活にかかわる資金に困ることはない。
そして今回、喫茶店というものに興味がわいたシュウは、あちこち物件を探してまわり、ようやく気に入った場所を見つけたばかりだった。
そんなある日。
いつもなら素通りするその銀行のロゴマークが、今日はやけに気になった。そして、そんな必要は一つもないのに、なぜかカウンターに行って、100%断られるとわかっている融資の相談をしている。
シュウは自分でも何がどうなっているのかわからないままにそこに座っていた。
その出来事は唐突にやってきた。
「いらっしゃいませ」
新しい客が入って来たようだ。
丁重に融資を断られたシュウは、椅子から立ち上がって、ゆっくりと振り向く。
見るともなく今入って来た女性と目があった、とたん…。
「久しぶりだな、シュウ」
ふわっと身体が浮いたと同時に、リュシルのなつかしい声がした。
「リュシル!」
同じように浮かびながら、驚くようにこちらを見ている見知らぬ女性に、リュシルが重なる。
「私とお前に適合する人物が現れるのに、ずいぶん時間がかかったようだな。しかもこの子はそれ以上に深くお前にかかわっているらしい」
「…はじめてお目にかかる方ですが」
「はは、あいかわらずリアクションの少ないヤツだ。せっかく会えたと言うのに」
楽しそうに笑うリュシルに、シュウは丁寧に頭を下げて言う。
「お久しぶりです。またお目にかかれるなんて、他の方に恨まれそうですね」
「ああ。けれどそれもこの一回限りだ。いや、待ってくれ…」
「?」
「この子とお前は、これからもシンクロする事がありそうだ。そしてそのたびに私の気配を感じてもらえそうだな」
「そんなことが…あるのでしょうか」
「あるんだよ」
リュシルは本当に楽しそうにシュウのそばへ来て、いつかのように髪をくしゃ、となでる。シュウは今回は涙を流すこともなく、ただ、胸に温かいものだけがあふれてきた。
どれほどそうしていたのだろうか。
リュシルがふいに遠くを見つめて言う。
「ああ、もう本当に行かなくては」
そして、もう一度シュウに向き直って話し出した。
「それから…」
「はい」
「この子は本当に気持ちのいい子なんだ。きっとお前を助けてくれるだろう。私たちとシンクロしたことで何かが残るはずだ、それを利用すればいい」
「そんなことは…」
「それがこの子のためにもなるんだよ」
そう言ってウインクすると、リュシルはすっとシュウから離れて行く。
「リュシル…」
「ありがとう。お前は不思議なヤツだからもう一度会いたくてズルしたんだが、なかなか面白い経験ができた。行く末ももう心配なさそうだ」
そのあとリュシルはゆらいで影のようになり、女性の中に吸い込まれるように消えていったのだった。
と同時に、浮かんでいた2人もすとんと身体が床に降りる。
くだんの女性は、まだぽかんとしてこちらを見ている。手前に行員の謝る姿が見えた。どうやら現実世界では、ひとつも時間が進んでいないようだ。
利用しろ、と言われたのだけど、やはり自分には出来そうもない。
シュウはいたたまれなくなって、その女性から目をそらすと、何度も頭を下げている行員に軽く会釈して外へ出ていった。
さてこれからどうしようと、その場にたたずんでいると、先ほどの女性が大慌てで銀行から出て来て、シュウに声をかけたのだった。
「あのっ、すみません!」
それが由利香とシュウの出会いだった――。




