ぼくらの異世界[11]
「じゃあ精油作りからはじめるわよ! 今日は水蒸気蒸留法を試すわ」
ホームセンターで購入した深鍋・ステンレス製のボウル・耐熱のガラス瓶などを次々に取り出してキッチンに向かう彼女に着いていく。
「その鍋で蒸留できるの?」
蒸留については詳しくないけれど、本に書かれていた方法や化学の実験を思い出す。
「これは瓶の煮沸用。手作りのものは雑菌が怖いから」
スミレさんはそう言って、深鍋にジャーーーと勢いよく水を注いでIHヒーターの上に置いた。電源を入れて加熱を開始する。
隣で見ていた僕の横を通り過ぎて、システムキッチンの向かい側へ。そしてキッチンカウンターのそばに置かれた段ボールと目線を合わせるように膝立ちになる。
「蒸留用のはね……これよ!」
ぎゅうううと段ボールを抱きしめたあと、慎重にガムテープを外し、スミレさんは中から銀色に光る縦長の鍋を取り出した。パスタを茹でる鍋みたいだなと思う。それよりちょっと縦幅が短い気もするけど。
両側についた取っ手を持って、キッチンまで蒸留用の鍋を持ってきて説明をしてくれた。
「少し前にホームセンターでオーダーメイドの蒸し器を注文させてもらったの。市販のだとサイズが物足りなくて……。でも、蓋はどうにもならなかったから学長経由で工学部の先生に実習室を貸してもらったのよ」
これオーダーメイドだったのか……。
「上蓋の掴みをカットして削って滑らかにするのは簡単だったんだけど、蒸気孔がやっかいでさー。掴みを逆向きにつけたほうが便利そうだなっていうのもあって、結局溶かして塞いで削ったんだ! 超綺麗でしょ! 自信作!」
ここに孔があったんだよねーと指を差しながら説明をしてくれる。まって。
「つくったの!?」
「溶接って面白いのねー。今回はアーク溶接だったんだけど、機会があったらノンガスもやってみたいな」
この割烹着ギャル、たくましすぎないか……?
溶接ってことは分厚い繋ぎに溶接面・手袋・長靴の素肌シャットダウンフルコースだぞ!? 常にどこかしらを露出しているイメージがあるので溶接するスミレさんの姿が全然思いつかなかった。
「ほんとは中央に少しだけ突起をつくると漏斗の役割になるらしいんだけど、そこまではできなかったの。ハァー、残念」
蓋を眺めるスミレさんの目は自分の子供を見るようだった。スミレさんがどんな目で自分の子供を見るのかは分からないけどね。
「じゃ、時は金なり! 早速、水蒸気蒸留法やってみよ!」
蒸留用の鍋に蒸し網のギリギリまで水を注ぎ、網の上に花屋で大量に仕入れたラベンダーを鍋に詰める。
「なんで真ん中開けてるの?」
「ボウルを置くためなんだけど……ボウル置いてから花を詰めるべきね、これは」
確かに、と僕は頷く。真ん中にボウルを置いて周りにぎゅうぎゅうとラベンダーを詰めた。
「とりあえずこんなものかな! じゃ、あとは蓋をして加熱して氷置いて一時間放置ね!」
一般的な蓋は上部が膨らんでいるけど、スミレさんが作った蓋は下部が膨らんでいる。なるほど……この形状なら、蒸されて発生した水蒸気は氷で冷やされた蓋によって水滴になって蓋に付着する。そのあと水滴はゆっくりと中央へ滑っていき、集まった重みで中央のボウルに落ちていくという仕組みのようだ。
二人で並んでじっと鍋を見つめていた。コポコポという音が聞こえてきたので、火力を強火から弱火にする。ゆっくり蒸すのがコツらしい。そして、昨日の午後からつくっていたらしい袋入りの大きな氷を冷凍庫から取り出して、蓋の上にどんと置く。
「よーっし、次は石鹸の試作! といきたいところなんだけど……お昼にしない? 朝早かったし、お詫びにお昼ごはん持ってきた」
「えっ」
さらりとなにを。
「言っとくけどかわいいお弁当とかじゃないから。期待とかすんなしぃー」
◇
スミレさんがつくってきてくれたお弁当はアルミホイルに包まれた真ん丸のおにぎりが四つだった。
どれも混ぜご飯でラインナップは鮭とごま・わかめ・刻んだきんぴら・塩昆布チーズ。スミレさんのおにぎりは随分小ぶりで、二つ合わせても僕のおにぎり一つ分になるかならいかくらいだった。
おいしくいただきながら、そういえば……と思い出す。蒸留用の鍋蓋の天面――へこんだほうに新しくつけたらしい掴みはほんの少し中央からズレていた。なんだかそれが……。
「何笑ってんの?」
両手で小さなおにぎりを持つ割烹着姿のスミレさんが訝し気に眉を顰める。
「ううん、すごくおいしいよ」
すごくかわいらしいなぁと思った。
◇
六十分蒸留したあと、水蒸気が水滴になって落ちきるまでさらに四十分。
水蒸気蒸留法はとても時間がかかる。なので、待っているあいだに石鹸の試作も行った。精油作りも実験みたいだなと思ったけど……石鹸のほうがもっと実験色が強かった。
苛性ソーダに精製水を混ぜ、そのあとオイルと合わせて二十分程かき混ぜて型に流し込む。言葉にすれば簡単だけど、苛性ソーダはアルカリ性の劇薬だし、そもそも異世界で苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を見つけること自体が大変だ。あと二十分混ぜ続けるのが結構キツイ。
石鹸自体も一晩寝かせたあと、風通しのよいところで一カ月は乾かさなければならないらしいので、世の悪役令嬢は本当に手間暇かけているんだなと身を以って知る。
――あれ、もしかして僕って今は悪役令嬢に仕える体のいい使用人ポジション……!?
気づきたくなかった事実に目を背けていると、リリリリと控えめにタイマーが鳴った。蒸留が終わったらしい。
できたての石鹸予備軍を眺めていたスミレさんと共にキッチンに向かう。そして、ゆっくりと蓋を開けた。ぶわりとラベンダーの香りが濃くなる。蒸留をしている間もずっといい香りがしていたけど、それをはるかに超える強い香りだ。おそるおそる二人で鍋の中を覗くと、ボウルの中は半分ほど水が入っていた。これが多いのか少ないのかは、僕にはわからない。
スミレさんは鍋からボウルを取り出し、キッチンから出た。カウンターの上にボウルを置いてじぃっと表面を見つめている。そして、煮沸済みの茶色い小瓶とスポイトを使って表面をちょいちょいとつつき始めた。
「……」
邪魔をしないように後ろから見学する。
「…………こんなもんかぁ」
ミニタオルの上にスポイトを載せて、スミレさんが小瓶を持ったまま振り返った。
「見て、あれだけのラベンダーから取れた精油はこれだけ」
分かりやすいようにだろう。ふるふると目の前で小瓶を揺らしてくれた。中にはほんとにちょっぴり精油が入っている。2gにも満たないのではないのだろうか。
「現実はこうよねー。やってみなきゃ分からないってこういうこと」
コトリとカウンターに小瓶を置く。
「精油はこれだけ、でもフローラルウォーターはそれなりにできた。はじめてにしては上出来かなぁ」
そう言ってスミレさんはまた僕に背を向ける形で漏斗を使って透明なガラス瓶にボウルの水を流し込む。その背中はいつもより少し丸まっていた。
「……やっぱりショック?」
「んー、どうだろ……」
きゅきゅっと瓶の蓋を締める音。ボウルに漏斗を入れたカランという金属音。
しばらくしてスミレさんが振り向く。その顔は予想に反して楽しそうだった。
「当たり前だから大丈夫かも。だからこそ異世界がきらきらして見えるっていうか」
スミレさんは割烹着の袖を肘が見えるまで持ちあげて体の前で手を組む。そのままぐいーっと伸びをして脱力をしたあと、カウンターに軽く腰かけた。
「わりと現実って失敗ばっかり。うまくいかないことに悩んで、それでまた失敗して。自分じゃどうにもできないことなんてザラだしさ……あーあ、私は主人公になれないんだなぁって悔しくなる。悲しくなる。諦めたくなる」
足元を見ながら、とつとつと言葉を紡ぐスミレさんは「でも」と言いながら視線を上げた。薄紫色の瞳がきらりと輝く。
「異世界は失敗も全部ハッピーエンドに繋がるのよ」
むしろ必要かも、と口にしてスミレさんはハッと口元を抑える。
「学長が言ってたことってこれね」
「?」
「初めて研究テーマを伝えた時にさ『一つだけ大事なことを見落としているかもしれません』って言ってたでしょ。気づいちゃった。私の研究には失敗が組み込まれてなかったんだなー。理想ばかり詰め込んでた。やってみないと気づかないものね」
なるほど。言われてみればスミレさんの研究は領地再興についてチャート化した成功プランの作成だ。必ず成功すると仮定した場合はそれでもいいかもしれないが、果たして本当に必ず成功するのか。数多の失敗を考慮したうえで最善の再興プランを結果として出したほうがいい……けど。
「成功チャートの製作だけでも大変なのに、失敗を考慮したデータまで組み込んでたら本当に大変じゃない?」
僕は疑問を口にする。
「確かにそうだけど、私には優秀な使用人がいるから」
フフンともニヤリともとれる、それはそれはとっても楽しそうにスミレさんは笑った。
いや、ちょっとまって。
「じゃ、今日の締めに化粧水つくろ! 作業自体はすぐ終わるから!」
――やっぱり僕は使用人ポジションなのか?!




