第3話 ヘレナの期待(アベルside)
それから俺は、毎晩のようにオルタナの森のあばら家に通った。
幽霊ジゼルのおしゃべりをたくさん聞いて、少しずつ彼女のことを理解した。
彼女の好きなことは、歌を歌うこと。
幽霊の体では物には触ることができても、生きているものには触れることができないらしい。鳥も動物も、彼女の体をすり抜けて行くだけだ。
食べ物も飲み物も口にできないジゼルは、いつも俺がお茶を飲む姿を、頬杖を付いてニコニコしながら見つめて来る。
最近になって、急に彼女の命を狙う者があばら家を訪ねるようになったと言っていた。剣や弓矢を持った屈強な騎士たちが代わる代わる襲って来るので、毎日怖い思いをしていたそうだ。
このことに関しては俺にも心当たりがあり過ぎて、何も言うことができなかった。
初めは落ちていた木片に火をつけて騎士たちを脅したそうだ。そこで一部の騎士達は恐れをなして引き返す。
日中誰もいない時を見計らって森に落ちていた石を集め、彼らが落としていった武器を拾い、襲撃に備えたらしい。
(こんなところでたった一人、怖い思いをして過ごしていたなんて)
このまま幽霊として過ごすのではなく、生まれ変わるという道はないのだろうか。
幽霊になったということは、よほど生前この世に思い残すことがあったのだろう。
もしも彼女の心を俺がもらえば、ジゼルはまた生まれ変わることができるだろうか。
こんなところで騎士たちの襲撃を恐れて暮らすよりも、新しく生まれ変わって幸せになって欲しい。毎晩彼女と一緒に過ごすうちに情が湧いてしまい、俺は彼女が生まれ変わって幸せになれるようにと願うようになっていた。
ジゼルから心を受け取れば、ジゼルにとっても俺にとっても良い結果になるはずだ。
ジゼルは生まれ変わって、人間として新しい人生を生きる。
そして俺は、彼女のサファイアを婚約指輪にして、ヘレナ嬢にプロポーズする。
それでいいじゃないか。
それじゃ駄目なのか?
◇
「アベル様!」
「……ヘレナ嬢」
今日もまた懲りずにオルタナの森へ向かうために馬の準備をしていた俺の前に、憧れの存在であるヘレナ嬢が現れた。
「アベル様。私のために毎晩オルタナの森の幽霊退治に出ていらっしゃると聞きました」
「はい」
それ以上何と返したら良いか分からず黙り込む俺の前で、ヘレナ嬢も目を伏せたまましばらく沈黙する。
「……あの、私」
「どうしました、ヘレナ嬢」
「私のことは、ヘレナとお呼びください。私、アベル様がサファイアを取って来て頂けるのを待っています」
「ヘレナ嬢……いえ、ヘレナ。それはどう言う……」
「言葉の通りです。他の誰でもない、アベル様がサファイアを手にされるのを待っています」
そう言うと、ヘレナは恥ずかしそうに顔を隠しながら小走りで去った。彼女の背中を見ながら、俺は唇を歪める。
嬉しい。
嬉しい……はずだ。
憧れのヘレナ・ノールズ嬢からの、「待っている」という言葉。
毎日の訓練や任務が終わってから、わざわざ森のあばら家に通っているのは何のためだ?
ヘレナに、プロポーズをするためだ。
その当のヘレナから、「サファイヤの指輪を待っている」と言われたのだ。これはヘレナが、俺からのプロポーズを待っているという意味だ。
(それなのになぜ、俺の心はこんなに冷えている?)
行き場のないモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、俺は今日も幽霊ジゼルのあばら家に向かった。日が落ちる頃にオルタナの森に入ったが、ほんのりとサファイヤ色に包まれているその家はすぐに見つけられる。あたりが闇に包まれる夜になっても、目印になってくれる。
まるで俺を、ジゼルの元に引き寄せようとするように。
「アベル様、いらっしゃいませ!」
扉を開けて、満面の笑みの彼女が飛び出してきた。
今日は何だかいつもと雰囲気が違う。
「あ、頭に……」
「ふふ、気付きましたか? 自分で作ってみたの!」
美しい金色の髪の上に、青や白の小花の花冠がちょこんとのっている。
湖のほとりに割いている花を摘んで、花冠を作ったらしい。
頬を染めて照れる彼女は何だか可愛らしい。彼女が幽霊になる前、まだ生きていた頃は、こうして無邪気に花冠を作って幸せに過ごしていたのだろうか。
「アベル様、どうかしら」
不安そうにこっちを見る彼女の顔には、「可愛いと言って!」とハッキリと書いてある。分かりやすいその表情に、俺はこらえきれずにクスクスと笑ってしまった。
「ジゼル、すごく可愛いよ。ドレスも花の色に合わせたらいいんじゃないかな。このサファイア色のオーラに良く似合うドレスを着てみたら」
「えっ、そう? ちょっと考えてみます」
いつものようにテーブルに着くと、彼女がいそいそといつもの木でできたカップを一人分運んで来る。
「はい、どうぞ。今日のお茶は特別なんです」
「特別? いつもの根菜のお茶ではないのか?」
「そうなの。見て!」
自慢気に彼女がカップの中を指差した。誘われるようにカップの中を覗き込むと、何やら白い塊がお茶に浮かんでいる。
「これは?」
「しばらく見ていて」
彼女に言われた通りじっとティーカップの中を覗き込んでいると、中にある白い塊がゆっくりと開いていく。
「これは花か……」
「そうなの! これは、お花のお茶なのよ。お湯に入れてしばらく待つとゆっくりと花が開くの。素敵でしょう? それにとっても良い香りがすると思うわ」
「飲むのがもったいないな」
俺がカップからお茶を飲むのを、いつものように頬杖をついて見守るジゼル。胸のあたりから、サファイア色の光が強く漏れ出している。
(もしも彼女が幽霊じゃなかったら……)
色んな思いが頭をよぎり、俺はカップを置いて首をブンブンと横に振る。
「どうしました? 美味しくなかった?」
「いや、美味しいし香りもいいよ。そう言えばジゼルは匂いは感じるのか?」
俺の質問に一瞬きょとんとした顔で動きを止め、顔を真っ赤にする。
「私は、臭いは分からないんです……」
「そうか」
それ以上は何も言えなかった。
こんなに良い花の香りも、彼女には分からないのだ。
やっぱり、彼女は幽霊なんだ。
彼女の幸せはどこにあるんだろう。
早く生まれ変わって欲しいと願う気持ちと、ずっとこのまま過ごしたいという気持ちが、俺の心の中で戦っていた。




