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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十回  李柳蝉 金梁橋に暴虎を打ち 曹刀鬼 山東への壮途に就くこと
98/139

東京

久しぶりに後書きがちょっと長くなってしまいました。


初稿では李柳蝉と親戚(李四娘)の関係が「(李柳蝉の)父方の親類」となっていましたが、正しくは「母方の親類」ですので訂正致しました。

 城内に入った李柳蝉は思わず目を(みは)る。


 人、人、人…


 およそ「常識」というものは、経験によって得た知識の集合体であるから、当人の育った環境によってある程度、左右されてしまうのは致し方ない。


 遠出と言えば精々清風鎮(せいふうちん)に出向く程度、これまで旅らしい旅もした事がない李柳蝉の常識では、住人が150にも満たない鄭家村の人口密度が「普通」なのであって、優にその100倍近い住人を抱えた清風鎮は、比類なき都会だった。

 まあ、鄭家村と清風鎮しか見た事がないのに、(はな)から「比類なき」もへったくれもあったもんじゃない、と言われればそれまでではあるのだが。


 無論、自分の常識が世間の常識でなかった事は、すでに李柳蝉の知るところである。

 彼女にとってこの旅は、正に「非常識」の連続だった。


 まずもって「城」というモノを初めて見た。

 清風鎮を囲っているのは木柵だし、鄭家村に至っては城壁はおろか、清風鎮のそれとですら比べるのも烏滸がましい、簡易な柵しかない。

 土造りの城壁にも驚かされたが、初めて石造りの城壁を見た時などは、旅の疲れも忘れ、ちょっとした感動を覚えたりしたものだ。


 そしてまた、旅の途中で立ち寄った各地の都市は、李柳蝉の知る常識とは規模が全く違った。

 殊に各府州の治所は、それぞれが清風鎮に勝る人口を抱え、堅牢な城壁を備え、城内の活況も清風鎮の賑わいなどとは比ぶべくもない。


 李柳蝉だって郭静なり、鄭延恵なり、燕順なりから、外の世界の話を聞いた事くらいはある。

 しかし『名を聞くは面を見るに如かず』(※1)ではないが、人の噂と同じで、話に聞くのと自分の目で見るのとでは、受ける印象が全然違うという事も往々にしてある。


 そうして僅かながらも見聞を広め、新たな知識も得て、大都市の何たるかを知ったつもりになっていた李柳蝉であったが、残念ながらその「つもり」は、正しくただの「つもり」だったようだ。


 李柳蝉が話に聞いて抱いていた「都」の印象とは──そして、この旅で見た他のどんな都市とも、今、目の前にある光景は、そもそもの次元からして全く違う(※2)。


 未だ李柳蝉がこの開封府城に足を踏み入れ、たったの数歩。そのたったの数歩は、あまりの雑踏と喧騒に圧倒され、李柳蝉がただただ息を呑むには、十分すぎるほど十分すぎた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「開封」という名の起源は古く、春秋期に(てい)の荘公がこの地に城を築いた際、一帯を「啓封」と名付けた事に由来している。

 後に前漢・景帝の(いみな)である「啓」を忌避して同義の「開」が宛てられ、以降「開封」の名が定着した。


 その後「梁州(りょうしゅう)」「汴州(べんしゅう)」と改称された時期もあるのだが、殊に「汴」は開封の異名、通称として長く親しまれ、開封はまた「汴京(べんけい)」「汴梁(べんりょう)」などとも呼ばれている。

 隋代に整備された大運河の通済渠が今「汴河」と称されているのも、無論、この開封を通過しているからだ。


 前朝の唐も末期になると、(こう)(そう)(おう)仙芝(せんし)の乱を初めとした騒乱によって長安が荒廃、続く五代の内、後唐(こうとう)洛陽(らくよう)を都としたが、その後唐を倒した後晋(こうしん)は開封を都とし、洛陽に対する東の(みやこ)、即ち「東京」と称される事となった。


 以来、この開封は目覚ましい勢いで発展を続けていく。


 人が集まれば物が要る。その需要に応えるための運河があるから物が集まり、物が集まればそれを商う者と欲する者がまた集まって、更に物の需要が高まっていく。


 そうして汴河のみならず、広済河と蔡河までもが城内に引き込まれ、つまり、宋の水運を担う漕運四河の内、三本までもがこの地に集まり、物資と人を際限なく誘引し続けた結果、今では実に100万を超える人々が府内に暮らす、巨大な都市となった。


 ついこの間まで、片田舎の長閑(のどか)な農村の風景を「普通」と思っていた李柳蝉にしてみれば、まるで異世界か何かに迷い込んだようなものである。

 まだほんの一端とはいえ、以前の常識に照らせば「異常」とも言える繁栄ぶりを目の当たりにした、李柳蝉の驚きは想像に難くない。


「柳蝉、ボーっとしてるとはぐれるわよ?」


 郭静の声に、李柳蝉はようやく我に返る。


「うん」


 振り返れば、もはやこの異世界へ立ち入った門の先に、元の世界はない(※3)。

 それでも、まるで名残を惜しむかのように、李柳蝉は暫しそちらを眺めていた。


「柳蝉」

「…うん」


 そして、全ての未練を断ち切るよう、また城内に視線を戻し、郭静の袖を掴んで付き従う。


 あまりキョロキョロしながら歩くのも、田舎者感丸出しで見栄えがよろしくないのは確かなのだが、それが分かっていて尚、李柳蝉の視線はあちこちへ飛び回らずにはいられなかった。


 通りの両側には商家がずらりと軒を連ね、酒家(しゅか)(居酒屋)もあれば茶店もあり、宿もあって勾欄(こうらん)(演芸場)もあって、とにかく通りのどこにも「同じ景色」というものがない。

 或いは通りに並ぶ露天からは、肉や魚の焼ける匂いが風に乗って鼻をくすぐり、目に鮮やかな色とりどりの料理は、長旅を乗り越えたばかりの臓腑をそそり、或いはまた、日もまだ高いというのに、どこからともなく酔いどれ達の罵声と怒声が響き、笛の音と共に女性達の歓声や笑声が飛んでくる。


 穏やかで長閑な景色と、雑多で喧騒に(まみ)れた景色の、いずれを好むかは人それぞれなのだから、別にどちらが好きでも、それをもって「つまらない奴」だの「落ち着きがない奴」だのと相手を嘲るのは全く馬鹿げているが、穏やかで長閑な景色に慣れていた李柳蝉に、そんな要素が微塵もないこの景色は、好きか嫌いかは別として、少なくとも刺激的ではあるようだ。


 初めて訪れた李柳蝉には知る由もないのだが、実はそれにも理由がある。開封府城の造りに関係しているのだ。


 新城東面に人流用として置かれた二つの門。

 北の含輝(がんき)門は俗に新曹門、南の朝陽(ちょうよう)門は俗に新宋門とも呼ばれるが、含輝門の北には新城北面の中央付近から南東に流れ下った広済河の水門、朝陽門の南には新城西面のほぼ中央から南東に流れ下った汴河の水門があり、人流用の両門はその二つの水門に挟まれる形で置かれている。


 改めて言うまでもない事だが、人流用の門は人の往来を目的としたものであるから、門だけそこに在っても意味がない。それではただ城壁をくり貫いて穴を開けただけだ。

 当然、含輝・朝陽両門からも、旅人を城内に導く通りが延び、どちらも大層な賑わいを見せている。


 ところが、朝陽門から続く汴河大街と名付けられた通りの方は、城の中ほどで城内を斜めに下る汴河に突き当たってしまうため、通りが一旦そこで途切れてしまうのだ。

 そこから少し汴河に沿って歩き、橋を渡って南に少し離れれば、麯院街(きょくいんがい)という新城西面の順天(じゅんてん)門へ至る通りがあって、こちらも負けず劣らずの賑わいを見せてはいるのだが、とにもかくにも南の大通りは二筋に分かたれてしまっている。


 対して北の大通り──つまり、二人が入城した含輝門から続く通りは、開封のほぼ中央を東西にまっすぐ、一直線に貫いている。

 言わば今、二人が歩いているのは、開封のメインストリートであって、開封の繁栄を最も色濃く表している通りなのだ。


「お祖母(ばあ)ちゃん、どこまで歩くの?」

内城(ないじょう)(※4)に入ったから、あと半分くらいかしらね」

「まだ半分…」

「内城を抜ければ、すぐの所よ」


 郭静の返答に、李柳蝉は辟易として溜め息を零す。


 外城(がいじょう)(※5)を貫く牛行街(ぎゅうこうがい)を抜け、旧城(きゅうじょう)(※6)の望春(ぼうしゅん)門を潜ると、通りの名は潘楼街(はんろうがい)に変わる。その名の由来は言わずもがな、宮城(きゅうじょう)(※7)の南東辻に建つ、開封で一、二の規模を競う酒楼、潘楼(※8)である。


 外城の賑わいも大層なものだったが、内城の賑わいは更に凄まじい。

 殊にこの辺りは多くの瓦市(がし)(繁華街、盛り場)が密集し、いよいよは李柳蝉も「自分が知らないだけで、今日は何かの祭りか節句を祝ってるんじゃないか」と勘繰ってしまったほどだ。


 城に入った時には、もの珍しさから辺り構わず興味を惹かれまくっていた李柳蝉も、さすがにこの頃にはもう、あまりの人の多さに人酔いと言うか何と言うか、ともかくげんなりとして黙々と郭静の後に続いていた。


 桑家瓦市(そうかがし)の横を抜け、左手に絢爛豪華な潘楼が現れると、その(はす)向かいには、大内(だいない)(※9)を守る宮城が北へ、そして西へと延びている。


 宮城に沿って更に西へ進むと、宮城が後方に去ろうかという辺りで、僅かに喧騒と人いきれ(・・・・)が落ち着いてきた。

 商家や酒楼なども無いではないが、周囲には寺院や衙門(がもん)(役所)もあり、人々を惹き付けるというよりは、そうした瓦市などへの通過点といったところだ。


 通りの人口密度が下がり、やれやれと一息ついた李柳蝉にも、再び周囲の光景を楽しむ余裕が戻る。と、正面には再び旧城が見えてきた。


 この開封には郭静達の親類が住んでいる。

 いや、住んでい()と言うより、住んでい()と言った方が正確か。

 郭静が以前この開封を訪ねて以来、一度も会った事がなく、郭静が夫を亡くしてからは手紙のやり取りなどもなくなっていた。よって、今もまだこの開封に住んでいるのか定かではない。


 姓を()、排行が四番目で、周囲からは四娘(しじょう)と呼ばれていた、と朧気ながらも郭静の記憶にある。


「郭静達の親類」ではあるのだが、李姓である事からも分かるように、血縁があるのは李柳蝉だけで、郭静とは血縁がない。郭静の亡き夫の縁者だ。


 とはいえ、親類と呼ぶにはあまりにも関係が薄い。何しろ郭静から見ても義父の兄弟の娘、つまり義理の従妹であって、李柳蝉からでは母方の高祖父の孫、曾祖父の兄弟の娘にあたる女性だ。


 親類の法事か何かだったか、もう顔を合わせた理由さえ郭静は忘れてしまったが、ともかく、なぜそんな親類と呼ぶのも憚られるような者を頼ったのかと言えば、理由は一つしかない。

 血縁がなかろうが、どれほど疎遠であろうが、鄭延恵達との縁を切った今、郭静には頼る相手が李四娘の他にいなかったのだ。


 内城を突っ切り、閶闔(しょうこう)門から再び外城に出ると、通りは閶闔門の通称にあやかった梁門(りょうもん)大街と名を変え、左手の州西瓦市を目当てに集う人々で再び活況を呈し始める。その州西瓦市の一角で、李四娘は夫と酒家を営んでいた。


 ところが、記憶を頼りに郭静が小路を入ってみても、夫妻が営む酒家が見当たらない。

「道を間違えたか」と二人は一旦、大通りに戻り、一つ西の小路を入ってしばらく進む。


 見つからない。


「お祖母(ばあ)ちゃん…?」

「ん、うん、大丈夫よ。ちょっと昔の事だから…あそこで聞いてみるわね」


 休息がてら手近な茶店に入り、給仕に事情を話して尋ねようと思ったところで、郭静は肝心な事を失念していた事に気付く。


 李四娘の夫の姓名(なまえ)がどうしても思い出せない。


 いかに「親類」とはいえ、郭静にとっては数十年前に一度会ったきりの、夫の縁者のそのまた夫など、もはや立派な赤の他人だ。姓名を思い出せなかったからといって、それで不人情を詰られる筋合いもなければ、責任を感じるような事でもない。

 むしろ、顔も満足に思い出せない程度の付き合いでありながら、李四娘の姓と排行を覚えているだけでも大したものである。


 とはいえ、その目で直接、街並みを見れば、自力で店を探し当てられると思い込んでしまっていたため、こうして人に尋ねる時の事など、頭の片隅にもなかったのは迂闊だった。


 それの何が肝心なのかと言うと──


 李四娘が女手一つで店を切り盛りしていたのなら話は簡単だ。その酒家の姓は「李」であるし、酒家の名に姓を使っていなくても、店主は李四娘なのだから、それをそのまま尋ねればいい。


 だが、李四娘は夫と店を出していた。


 夫妻で店を営むのなら店主は夫であるから、酒家の姓は「李」ではない(※10)。唯一の手掛かりと言える「李四娘」というのも、店主ではなく、その妻の姓と排行だ。その姓はといえば、李姓の女性など世間にごまんといて、排行が四番目の女性も世の中にはごまんといる。

 誰彼構わず(いみな)を言い触らすような御時世ではないから、李四娘の(いみな)を忘れてしまった事が即、足跡を辿る可能性を下げるとも言い切れないが、だからといって(いみな)に手掛かりとしての価値が全くない訳でも当然ない。


 つまり、探している酒家の手掛かりがあまりにも少な過ぎるのだ。はっきり言って「無いに等しい」と言ってもいい。


 酒家の場所を尋ねれば、間違いなく「何という酒家ですか?」「店主の姓名は何と言いますか?」と返ってくるに決まっているが、では、郭静の方からどんな手掛かりを差し出せるのかといえば、精々「姓が李ではなく、店主の姓名も分からず、店主には李四娘という妻がいる」という、手掛かりと呼ぶにも烏滸がましいほどの、何ともぼんやりとしたものしかない。おまけに、その酒家がこの界隈に在ったと言い切れるのは、郭静が訪ねた数十年も前の話ときている。

 これでは、どれだけ親身になって答えたくても、聞かれた方だって答えようがない。


 案の定、目当ての酒家については何ほどの話も聞けず、一縷の望みを託して、李姓の酒家の場所を聞くだけ聞いて二人は茶店を出た。


 その後、話に聞いた酒家を何軒か訪ねてはみたものの、予想通りと言おうか李四娘とは縁も所縁もなく、その後も州西瓦市の中を闇雲に探し歩いた二人であったが、やはり目当ての酒家は見つからない。


 いつの世も都会というものは人を惹き付け、そうして人が集まれば集まるほど、人の入れ替わりも激しくなり、人の入れ替わりが激しくなれば、自然、他人への興味も薄くなっていく。

 たまたま尋ね聞いた者がまだ地縁浅く、瓦市の事情に疎かったものか、或いはそんな事など全く関係ないほど、(すこぶ)る昔に李四娘が引っ越してしまったものか、とにかく目ぼしい話を聞けないままに、瓦市の中をあちこちと歩き回った二人。


 尋ねても尋ねても収穫が得られないとなれば、意気も消沈しようというもので、トボトボと歩いている内に、二人はいつしか瓦市の西外れに出てしまった。

 含輝門を潜った時には影も形も見えなかった汴河が、気付けば少し南に離れた位置で、通りに沿うよう流れている。


「お祖母(ばあ)ちゃん…大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。今日はずっと歩きっ放しだったから。ちょっと疲れただけ」


 郭静の体調ももちろん心配ではあるのだが、李柳蝉の問いの意図はそれだけではない。


 宛てがあるはずだったこの見知らぬ地で、落ち着く先も定まらないままに、祖母と二人で生き抜いていけなければならないのではないかという不安。


 それに気付いたか否か、汴河沿いの木陰で腰を下ろして息をついていた郭静は、僅かに笑みを湛えて気丈に答えた。


「路銀もまだ少し余裕があるし、今日は早めに宿を取って休もうかね」

「…うん」

「大丈夫。街の人に聞いて回れば、明日にも見つかるわよ」

「うん。そうだね」


 努めて明るく言葉を返した李柳蝉は、ふと、背を向けていた汴河の方から異質なざわめきを聞く。


 二人の前途を示すかのように、空では早、日が傾き始めていた。

※1「名を聞くは面を見るに如かず」

『北史(列伝七十九 烈女伝 房愛親妻 崔氏)』。原文は『聞名不如見面』。百聞は一見にしかず。第八回「『看板に偽りなし』か否かは後に知る」後書き参照。

※2「この旅で見た~全く違う」

本文でも後述していますが、開封府は最盛期の人口が150万人を超えていたとも言われ、宋の他の都市どころか、世界の中でも当時、開封府に並ぶ人口の都市はなかったとされています。ただし、開封府は治所の祥符(しょうふ)県を含めて16県が所属しており、開封府城のみで150万人の人口を抱えていたという事ではないと思われます。

※3「門の先に元の世界はない」

城門防衛上の観点から、基本的に城門と甕門(甕城の門)を同一線上に配置する事はない。開封新城の場合、例外的に四面(東西南北)の正門のみ、城門と甕門が一直線に並んでいたが、李柳蝉達が通った門(含輝門)は側門(そくもん)(()門に対する()門。新城東面の正門は朝陽門)なので、城内から城門の外を覗いたところで、甕門を通して城外の景色が見えたりはしない。

※4「内城」

開封府城内で宮城(最も内側の城壁、※7)から旧城(中央の城壁、※6)までの区域。

※5「外城」

開封府城内で新城(最も外側の城壁)から旧城(中央の城壁、※6)までの区域。新城が建造されて、新たに「城内」となったエリア。

※6「旧城」

新城によって三重となった開封府城の城壁で、中央の城壁。新城建造前、城壁が二重だった頃の、外側の城壁にあたる。

※7「宮城」

「宮城」という建物ではなく「皇()などが在る区域(大内、※9)を守る()壁」。三重の開封府城の城壁の内、最も内側の城壁。

※8「潘楼」

名称だけだが『水滸伝』にも登場する酒楼。『水滸伝』には他に、開封随一と謳われた「樊楼(はんろう)」という酒楼が何度か登場するが、それとは別。

※9「大内」

開封城内で宮城(※7)の内側の区域。皇帝や皇后、側室の居所などがある。

※10「姓は『李』ではない」

中国には古くから同姓の者を一族と捉える概念があり、同姓の男女同士では婚姻を結ばない「同姓不婚」が制度として存在していました。制度が正式に廃止されるのは清朝末期で、作中の当時、制度が厳密に守られていたかどうかは定かではありませんが、この小説では「同姓不婚が守られていた」ものとしています。ちなみに『水滸伝』にも、記述があって夫婦共に姓が分かる限りで、同姓の夫婦は一組も登場しません。

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