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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第六回  李柳蝉 蒼翠の麓に泪を揮い 小将軍 鄆城に義兄を訪うこと
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限度ってモンがあるでしょ?

 花栄と宋清が揃って屋敷に入れば、上を下への慌ただしさである。

 一足先に入った宋江が花栄の来訪を告げ、そのもてなしのために作男達が動き回っていた。


「だからこんな時間にいきなり訪ねるのは申し訳ないって言ったのに…」

「何、こんな事は慣れっこだから。気にしなくていいよ、大郎(花栄)」

「『慣れっこ』?」

「兄さんは県城で下宿住まいだからね。向こうじゃ客をもてなすのに、ちょっと手狭なのさ。だから特に大事なお客の時は実家(こっち)に招くんだよ」

「そう言ってくれるのは有り難いが…さすがにちょっと心苦しいな」


 バタバタと支度に掛かる作男達の合間を縫って花栄が広間に入ると、出迎えたのは満面の笑みを浮かべたこの屋敷の主・(そう)(ちゅう)


「おお、大郎。遠いところをよう来てくれたのぅ。達者そうで何よりだ」

「これは義父上。この度は約束もなく突然、訪問してしまって…御迷惑をお掛けします」

「何を言っておるか、遥々訪ねてくれたというに。迷惑な事などあるか」

「義父上もお元気そうで安心致しました」

「いやいや、(わし)も歳を取ってのぅ。さすがに土弄りが身体に堪えるようになってきたわぃ。校尉(花毅)とは一別以来、文だけのやり取りになってしまったが、お変わりはないかの?」

「ええ。義父上にくれぐれも宜しく、と。そうそう、義父上に文を預かって参りました」


 互いに礼を交わし、花栄が花毅からの手紙を宋忠に渡したところで主客分かれて席に着けば、計ったように宋清が酒を運んでくる。


「すまんなぁ、大郎。ほんに三郎(宋江)も気が利かんで…もう少し早くに使いを寄越しておれば、すっかり支度を整えておったものを」

「ホントだよね。すぐに用意するから、もうちょっとだけ待ってよ」

「いえいえ義父上、本当にお構いなく。既に県城で宋哥(宋江)から大層なもてなしを受けてきましたから」

「仕方ないでしょう、父上。俺も久しぶりに賢弟(花栄)と会って、話が弾んでしまったんですよ」


 作男達に細々とした指示をした宋江が広間に顔を出すと、四人は無事の再会を祝って盃を交わした。


「大郎はどのくらい鄆城(こっち)に居られんの?」

「そうだなぁ。父上からは、せめてこの間の一件が落ち着くまでは、青州を離れてるように言われたが…」

「『この間の一件』?」

「ああ、四郎(宋清)にはまだ話してなかったな」


 花栄が清風鎮での一件を事細かに話すと、それを聞いた宋忠と宋清は一様に顔を曇らせ、


「なるほどのぅ、そんな事が…校尉の御苦労が忍ばれるの」

「ええ。私がもう少ししっかりしていれば、父上の負担も少しは軽くなるんでしょうが…」

「別に大郎が責任を感じなきゃなんない話じゃなくない?じゃあ、青州から報せが来るまでは鄆城(こっち)に居るんだ」

「ああ、そうだな…あ、いや、しかし──」


 何かを思い立ったように言葉を継ごうとする花栄であったが…

 小将軍よ、それを言ったら今度は三人から袋叩きに遭うぞ?


「さすがにそれまで屋敷(ここ)で世話になるのは申し訳ないから、何処か適当に宿を──」

「大郎、何を益体もない事を言ってる!?『申し訳ない』も何もあるか、ここを自分の家と思って、報せが来るまでゆっくり羽根を伸ばせば良いではないか!」

「賢弟、馬鹿も休み休み言え!もし一晩でも他に宿を取ったら、その日を限りにお前の事は弟と思わんからな!?」

「大郎もつまんない事を言うねぇ。折角、数年ぶりに会えたってのに、何だってまたそんな水臭い事を…」


 ホラねww

 真面目を(こじ)らせてばかりいないで、少しは学習なさいな。


「何なら報せが来るまでと言わず、2、3年ここでゆっくりしてくか?うん、それがいいな。そうしろ、賢弟」

「何がいいんですか…いくら何でも──」

「兄さん、気持ちは分かるけどさ。大郎にだって務めがあるんだから、さすがにそれは無理でしょ」

「全く、お前はいつもいつもそうやって…少しは相手の都合も考えんか」

「父上、そうは言いますが…今度別れたら、次はいつ会えるか分かりませんよ?俺も賢弟もお上に仕える身なんですから」

「たかが押司如きを禁軍提轄と並べて語るでないわ。まあ、三郎の言う事にも一理はあるが」

「ま、何にもない所だけどさ、ただでさえ大郎は普段から忙しい身の上なんだし、(たま)にはこういうトコで時間の許す限り、のんびり過ごすのもいいもんだよ?遠慮なんて要らないからさ」

「…そうか?じゃあ、皆さんのお言葉に甘えて──」


 はぁ、と一つ溜め息を零した宋江は、


「賢弟、それがまず要らん!」

「はい?」

「父上も言ったろう。ここを自分の家だと思え、って。自分の家で(くつろ)ぐのに、何で『言葉に甘える』必要があるんだ?」

「それはそうでしょうけど、やはり親しき中にも礼儀は──」

「あーーっ!お前はまた、すぐそうやってああ言えばこう言う。歳を重ねて妹に似てきたか?」

「止めて下さいよ!?何で俺から妹に寄せてかなきゃなんないんですか!」

「兄さん、しょうがないよ。血を分けた兄妹なんだから。大郎?」

「何が『しょうがない』のか分からんが…何だ?」

「兄さんの見た目をイジるなら程々にね?」

「するか!」


 主客揃って弾けるほどに笑い合ったところで、作男達が煮込んだガチョウやアヒルやら、野菜やらを大皿に盛って運び入れてきた。

 それを皮切りに宴は一層盛り上がり、その日、屋敷では夜更けまで歓声が途絶える事はなかった。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「あー、参った…」


 数日後。


 屋敷の目と鼻の先にある畑には、立てた鍬の柄に両手を乗せ、その上に顎を乗せてげんなりとする花栄の姿があった。


「何、大郎。もう疲れたの?禁軍提轄の名が泣くよ?」

「そうじゃない」


 立ち上がり、ポンポンと腰を叩きながら冷やかしの言葉を投げ掛けた宋清に、花栄は僅かに鼻白んだ視線を返す。


 宋江らに勧められるがまま屋敷で世話になる花栄であったが、なにぶん片田舎の農村であるから、これといった娯楽がある訳でもなく、宋忠と互いの近況を語らってみたり、宋江と天下の好漢について意見を交わし、時には鎗棒の稽古を付けてみたりと日々を過ごしている。


 別に物見遊山が目的で訪ねた訳ではないのだから、それをとやかく言うつもりは花栄にない。

 参っているのは、そこに必ず酒が付いてくる事だ。


「毎日毎日、酒浸りだ。もてなしてくれる気持ちは有り難いんだが…」

「あぁ、そういう…でも、別に下戸って訳じゃないんだろ?」

「飲めない訳じゃないし、寧ろ飲める方だと思ってたんだが…どうやら、ただの『つもり』だったらしい」


 身体から酒が抜け切らない内に新たな酒を勧められ、花栄もまた「折角の気持ちを断るのは申し訳ない」とそれに応えるものだから、体調は日を追って下降の一途を辿り、さすがに今日は昼間の内だけでも、と誘いを断って宋清の畑仕事を手伝いにきたという訳だ。

 一応、この場にも酒は有るにはあるが、喉を湿らす程度の量である。


「そうか。よし、じゃあ俺がその『つもり』を取り除いてやろう」

「…?」

「二日酔いなんて迎え酒を流し込んじゃえばすぐに治るって。『つもり』を取っ払って『俺、酒ツエーー!』宣言したいんなら、とにかく飲み捲って五臓六腑を鍛えるに限るよ。どうせ夜になれば、また兄さんから勧められるんだし、今時分から飲んで身体を慣らしときなよ、付き合ってやるからさ。ここにある分だけで足りなきゃ、屋敷にあるったけ持ってこようか?」

「おいおい…」

「何だよ、兄さんの酒は無理してでも飲むクセに…俺の酒は飲めないってか?」

「勘弁してくれ」

「はは、ごめんごめん。冗談だよ、冗談」


 辟易とする花栄に、宋清は腰の鉄扇を右手で取り、ポンポンと首筋を叩きながら歩み寄る。


「いや、気持ちは本当に嬉しいんだ。ただ、さすがにこう毎日だとな…」

「ん~、でもなぁ」

「…?」

「いや、俺はそんなに飲める方じゃないけどさ、その俺から見ても、そこまで言うほどの量じゃなかったと思うけどなぁ。長旅で疲れが溜まってんじゃないの?」

「青州から鄆城(ここ)なんて大した距離でもないだろ。(かち)ならともかく、道中は馬だったんだし」

「他に何か思い当たる節は?」

「毎日の酒以外には無いよ」

「大郎に思い当たる節が無いんなら酒で決まり、か」

「大体、大した量じゃないと言うが、宋哥の絡み酒をお前だって見てただろ?」

「ん、バッチリ。御愁傷さま♪」


 よほど花栄と酒を酌み交わせるのが嬉しいのか、ここ数日の宋江のはしゃぎっぷりは、とにかく尋常ではなかった。花栄に勧めるのはもちろんの事、自身も浴びるほどに酒を飲み、最後は宋江がデロンデロンの前後不覚となったところでお開きとなるのだが、毎度毎度そこまで付き合わされる花栄の方は堪らない。


「ま、飲めないところに勧められる気持ちは分かるから、俺は兄さんみたいにムキんなって飲ませようとは思わないけどさ──」

「おい、ついさっき迎え酒を勧めてたのは何処の誰だ?」

「だからアレは冗談だって。けど、どれくらいが適量かなんて、人それぞれに違うしねぇ…丁度いい機会だから大郎も自分の適量を覚えたら?兄さんに勧められるがままじゃなくて、ちゃんと按排を考えて飲みなよ」

「簡単に言ってくれるがな…四郎からも宋哥に言ってやってくれよ」

「自分で言いな?俺が何言ったって、兄さんは聞いちゃくれないよ」

「俺から言って宋哥が聞き入れてくれると思──」

「思わないね」


 即答ww


 一縷の望みをバッサリと一刀両断され、溜め息と共に項垂れる花栄に、宋清はやれやれといった感じで声を掛ける。


「相変わらず真面目だなぁ、大郎は」

「…?それが俺の体調と何の関係があるんだよ」

「あのさ、この前兄さんと(ちょう)保正の話してたじゃん?」

「…??県城の東に在る…確か東渓村(とうけいそん)ってトコの保正の話だろ?姓名(なまえ)だけなら噂に聞いた事はあったが、まさかこの鄆城県に住んでて、しかも宋哥と義兄弟の契りを結んでたとはなぁ。で、それが?」

「兄さんが紹介するから、今度会いに行こうって話してたじゃん?」

「…???いや、だから?」

「えっ、まだ分かんない!?…うん、ヤバいねコレ。相当、酒で頭ヤられちゃってるわ」

「って、おい!」


 今度は宋清が溜め息を一つ零すと、


「えっとさ、会いに行く日にちまでは決めなかったんでしょ?」

「そうだよ?」

「落ち着いたらって話だったけど、大郎がこっちに来てそれなりに日も経つんだし、今夜辺り兄さんに『明日にでも行ってみませんか?』って話を持ち掛けてもいい頃合いじゃない?」

「ん、まあ…」

「初めて会うのに二日酔いで行ったら失礼でしょ?そしたら、今日の宴会を早く切り上げる理由が出来るじゃん」

「…なるほど!」

「大郎は保正の事、姓名(なまえ)を聞いた事ある程度にしか知らなかった訳だし、そもそも会いたいとも思ってなかったのかもしんないけどさ。方便も時と場合によっちゃ使いようだよ?」


 やや気が晴れたのか、暗い中にも僅かに笑みを湛えた花栄に、宋清は笑みを返して鉄扇を腰に挿し、再び土弄りを始めた。


「しかし、宋哥は大丈夫なのか?」

「兄さん?何が?」

「俺がここに来てからずっと付きっ切りで、一度も衙門に顔を出してないぞ?」

「ああ…ホーント、大郎は真面目だねぇ」


「仕方ない、一つ御教授進ぜよう」とばかりに宋清は立ち上がる。


 花栄と宋江では、国家に対する帰属意識というか、忠義の質がだいぶ違う。


 宋江らのような胥吏は衙門に勤めてはいるものの、その衙門の属する国なり県なりから俸給は出ていない。


 府州や県の高官のような官僚や、花栄ら武官は国家の禄を食んでいるのだから、国家に忠を尽くす動機がある。

 いや、動機と言うか、俸給は職務に対する正当な対価ではあるけれども、同時に生活の糧をそれによって得ているという、直接の恩が国家に対してあるのだから、忠勤はもはや義務と言っていい。恩も感じず、忠も尽くさずとあっては、そもそもそういった感情が欠落しているか、二心を抱いているか、そうでなければ単なる国家の穀潰しである。


 殊に花栄は自身のみならず、父の花毅も武官として国の禄を食んでいて、それはつまり、こうして成長した花栄の血肉は、(ひとえ)に国家の禄によって形成されていると言っても過言ではないのだから、誰にも増して国に忠を尽くすべきであるし、また花栄自身もそう思っている。


 だから花栄は、例えば体調を崩して任に堪えられないと一度退官し、復調の折に再び任官されるといった、退()()きならない理由もなしに職場を離れる事を嫌う。


 今が正にそうだ。


 実務的にも、たとえ花栄一人の事とはいえ、人手が必要な中で清風鎮を離れた以上、周囲には相応の負担を強いていて、そうした心苦しさも無論あるにはあるのだが、それより何より、禄を払う国家に対する背信のような感覚に捉われ、嫌悪感や罪悪感にも似た感情が禁じ得ないでいる。


 対して、胥吏にそんな感情はない。

 勤めを休んだところで、精々自分の仕事が滞る事に責任を感じるくらいなもので、それとて感じればマシな方だ。まして宋江など先祖代々この宋家村で田畑を守って暮らしてきたのだから、直接的に国や県から何かを得ていた事はない。

 不忠なのではない。それが普通なのだ。お上の禄など食んでいないのだから。


 ちなみにダジャレでも何でもない。

 ないったらない。


 それでいて宋江が忠義の士と持て囃されているのは、単に「民は国家に従うべく、尽くすべき存在である」という概念的な思想の体現者である事と、広義の恩恵にまで殊更に痛み入る宋江の個人的な性格に依っているだけである。胥吏である事とは全く関係がない。


 広い視点で見れば、日々の生活が平穏無事であるのは治安の維持があってこそだし、宋江らのように代々同じ地で営農していたという事は、灌漑などの個人では手に負えないような代物の整備も必要であって、そういった間接的なお上の恩恵ならば、ほぼ全ての民が大なり小なり受けてはいる。

 しかし、考えようによっては、それらは民を統べる国家としての、それこそ義務のようなものであって、その国に住まう民なら誰しもが受けて然るべき類いのものなのだから、そこに恩を感じなくとも別段珍しくもなければ、非難されるような事でもない。


 要するに、そこに痛み入る宋江は珍しい部類に入るのであって、それこそが宋江の宋江たる所以でもあって、傍から見れば「宋江は何とも殊勝な心の持ち主で、それはそれはさだめし忠義の心も篤いのであろうなぁ」となる訳だ。


 いずれにせよ、宋江にとってそんな事は些細極まりない話である。(ほとばし)るLOVEみを隠し切れない、(はな)から隠すつもりもない義弟と共に過ごせる時間を思えば、長々と勤めを休むくらいの事など屁でもない。


 そんな感じで、一から滔々と宋清の説明を聞いた花栄は呆れ顔というより諦め顔だ。


「勤めを早退した時点で何となく予想はしてたが…」

「今更、隠してもしょうがないから一応、言っとくけどさ。大郎が来た次の日、兄さん県城に使いを出してたよ」

「使い?何の?」

「いや、分かるでしょ?こんだけ休んでて県から何のお咎めも無いんだから」

「…マジかぁ」

「まあ、でも大郎の気持ちも分かるけどね。何ならそれとなく勤めに戻るよう勧めてみたら?」

「俺から言って──」

「思わないね」


 バッサリwwww


「とはいえ、兄さんは加減を知らないからなー。大郎の事になると特にね。この前も言ったけどさ、別に嫌なら嫌って遠慮なく断ってくれればいいんだよ?」

「だから、別に『嫌だ』とは言ってないだろ?」

「じゃあ、諦めて兄さんの気が済むまで付き合うしかないね。身体を壊さない程度にさ」

「はぁ…」


 今日何度目かの深い溜め息と共に、花栄は再び鍬に頭を預ける。


 その夜の酒宴も、全くもって盛大なものだった。

 卓の上には所狭しと料理が並び、いっそ数年ぶりに花栄と再会した数日前よりも豪勢ではあるまいか、といった按排である。


 引き()った笑みを浮かべながらも、花栄は昼間のアドバイスを実践し、宋清の助けも借りながら、一人突き抜けたテンションではしゃぎまくる宋江の酒を予定通りやんわり断って、どうにか早めに床に就く事ができた。


 翌日──


 花栄は倒れた。

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