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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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クファディーシ

執拗いアラームを止めて、薄目を開けてスマホを見ると9時を過ぎていた。

御嶽で音羽と邂逅し、そのまま強引に合流されてしまったのが昨日。

『じゃ、明日の8時くらいに合流ということで⋯』と那覇市内あたりで車から降ろそうとしたところ


がしっと後頭部を掴まれた。


『なに遠慮しているのかしら。私が合流してあげると言っているのよ?あなた達の拠点の古民家に案内なさい?』

俺にドスの効いた声で囁いたかと思いきや、くるりと奉に向き直った。

『あ、あのね⋯私、お料理出来てよ?自炊なんかしてないでしょ?』

更に縁ちゃんに向き直り、ぐっと顔を近づけて笑った。

『占いは興味あるかしら?⋯私、エキセントリックゾーンのナンバーワン占い師』

『え、やった!タロット占いとかですか?』

縁ちゃんがパッチリと瞳を開いて食いついた。⋯音羽の合流が決定した瞬間だった。


―――その後、縁ちゃんがスピ系の友達に連絡したところ、その子が音羽のファンで酷く羨ましがられたらしく、彼女らは完全に意気投合した。興が乗った音羽はタロット占いを連発し、縁ちゃんに地雷メイクを伝授し、俺に買い出しを申し付け、オリオンビールの宴が始まってしまったのだ⋯当然俺はつきあわされた。飲み会に慣れていない女子の無軌道な飲みに付き合わされるのは正直、本当にやばい。こういう子は加減というものを知らないのだ。グラスが空くたびにビールを注がれ、面白がって縁ちゃんが真似をし始め、最終的には地雷メイクの二人が先を争って俺のグラスを満たしまくる、地獄の宴と化していた。奉がいるうちはまだ大人しかったが『俺はもう寝る』と言い捨てて部屋に戻ってしまってからが特に地獄だった。⋯あいつらは男は無限に酒を飲める生き物だと思っているのだろうか。

「昨日はお楽しみでしたね!」

とっくに朝飯を終えたらしい蓮が上機嫌で襖を開けた。私、お料理出来てよ、というのは本当だったらしい。⋯いや、シンプルに女が増えた事が嬉しいのだ、この中学生は。

「楽しいと思ったのかお前は」

「今日は運転は無理そうですね!」

「⋯⋯無理だよ」

見て理解しろ。

「んー、残念ですね!じゃあ今日は墓参りにしますか!?」



じゃあ今日は?墓参り?なんだそれは何言ってんのか分からん。



「丁度いいんじゃねぇの?俺はもうゆっくりしたい」

先に朝食を終えて、本を読みながら寝そべっていた奉が気怠げに伸びをした。

「⋯行ってきたらどうだ、酔い醒ましに」

蓮は晴れやかに一笑すると、奉に向き直った。

「奉さんも来るんですよ」

「何故」

「ここの裏手だからです」

「だから何故」

「すぐでしょ?」

「⋯⋯何故」

「準備しといてくださいね!」

蓮の隣辺りから、女が囁くような声がした。⋯多分、隣に音羽がいる。嫌な予感がしてきた。

「そうだ、ビキ兄ィは早くご飯食べてください!」

⋯妙にハキハキ言うじゃねぇか。言わされているくせに。⋯そろそろ帰りたいな、俺。嫌々体を起こして布団から出ると、少し肌寒い気がした。⋯沖縄も寒くなるのだな、などと当たり前のことを考えながら、布団を畳んだ。




「⋯⋯裏手、とか、すぐとか、言ってなかったか」

蓬髪を更に乱して肩で息をしながら、奉が恨みを込めて呟いた。

「えー?まだ十分も歩いてないですよ!」

「歩く、じゃねぇよ。これは『登る』というんだ⋯ふざけんなよお前⋯」

中学生相手に悪態をついている。既に真っ直ぐ歩けず薮にもたれかかりながら歩くものだから、枝が髪に絡みまくって東北の山奥に棲む妖怪のようだ。夜中にエンカウントしたらダッシュで逃走する自信がある。

「大丈夫?肩、貸してもよくってよ⋯?」

音羽がさりげなく⋯いや明確に俺を押しのけて奉の蓬髪に肩を寄せた。

「⋯⋯⋯なんだおまえその靴」

もう視線すら上げられない程衰弱した奉が、顔を伏せたまま呟いた。釣られて視線を落とすと、音羽の踵が高い編み上げブーツが視界に入った。

「マジだ⋯なんだこの靴」

こんな靴で、そのドレスでこの崖のような山道を登ってきたのか。ゴスロリの異様な登攀力よ。

「なに下僕、私の厳選されたブーツをディスるとはいい度胸をしているわ?」

「んん、音羽さんすごいよね。私、勝手に玄関にあったスニーカー借りちゃった」

んふ、と小さく笑ってスッと右足を上げてみせる。⋯相変わらず、綺麗な足をしてやがる。

「あ、俺の瞬足⋯」

「ごめん、君のだった?」

「いやいやいや、もう俺履けないし!置いていって忘れてたやつだし!いや全然!」

「ん、そうなんだ。ちょっと借りるねー」

少し肩をすくめて微笑むと、縁ちゃんは先頭に立って獣道を掻き分けた。蓮が食い入るように脚をガン見している事に気づいているのだろうか。⋯俺もか。

「あーあ、瞬足なんて履いて。いい?縁。オシャレは我慢よ?」

⋯静流拉致った時は冴えないパッツン前髪だった女子大生がオシャレを語っている。

「くっくっく⋯天狗や山伏もオシャレで我慢して一本歯の下駄履いてんのかねぇ⋯」

もう真っ直ぐ歩けないのに減らず口は止まらない。

「我慢もするだろ⋯修行なんだから」

「くっくっく⋯オシャレも修行も⋯似たような状況に落ち着くの意味わからん⋯くっくっく」

フィジカルがやられるとメンタルも連動しておかしくなる。⋯やはりこいつは洞窟の奥で本でも読みながら減らず口を叩いている姿が自然なのだ。

「⋯なんか、登るにつれて暗くなっていく、ような⋯」

いつしか足元に、琉球犬もついてきていた。⋯沖縄に居る間だけの付き合いなのに、随分と懐いてしまった。

「きのせいですよ」

「気のせいか?」

「いや、木です。木のせい。ほら、上」

蓮が顔を上げて指差す方を見上げると、柏のように広い葉を放射状に広げる枝が、頭上をすっぽりと覆っていることに気がついた。

「なにこれ」

この広い葉が光を遮っていたのか。本州では見ないタイプの木だ。俺の実家でも扱いがない。

「コバテイシです。こっちではクファディーサとか言われてんですけどー、ま、ただの木です。お墓にはよく植えられてるかな」

「クファディーサ⋯」

「硬い葉、くらいの意味っす」

「⋯へぇ」

背後でズタ袋が落ちるような音がした。振り向くとズタ袋⋯じゃねぇや奉が倒れていた。

「⋯⋯爺さんか」

「⋯⋯足が、引っかかった。根に」

一面に張り巡らされたコバテイシの根が⋯なんだこれ、根なのかこれ!?

「あーあ、コバテイシって根っこがヤバいんですよー」

板のような根が幹の下の方から、うねりながら地面を覆い尽くしている。ヤバいというより殺意を感じる。

「板根というらしいな。⋯くっそ、要らんものびっしり植えやがって」

「この根っこがヤバいんで、家の庭には絶対植えちゃダメな木と言われてます。葉っぱがデカいから日が差さなくなるのも地味に困るポイントですよねー。⋯でもなんか沖縄感ありますよね!⋯あ、着きました」


「古墳か?」と思った。


一際高い板根の向こうに、コンクリートが敷かれた広場が設えてあり、その奥に石造りの家屋のような⋯そうだ、これは墓だ。破風墓とかいう、一族郎党を納骨するタイプの墓だ。鬱蒼と茂るコバテイシの木陰が、陰鬱な気配を醸し出している。空港からの道中、破風墓はちらほら見かけたが、このサイズ感の墓は中々見ない。人が住んでいてもおかしくないくらいに巨大だ。蓮が慣れた足取りで板根を掻い潜ってコンクリートの広場に飛び乗った。

「具志堅の門中墓ですねー、晴明祭の時に、この広場にブルーシート敷いて宴会とかします」

「墓で!?」

縁ちゃんが少し嫌そうに目を見開いた。

「昔ってここで生の遺体を干してたんじゃないの?」

「シルヒラシのことでしょ?破風墓の中ですよ!第一、洗骨とかやってた時代にコンクリートはありませんって!⋯今年も晴明祭やったんじゃないかな、草が刈りこまれてる」

「一族郎党が、この崖を登って来たのか⋯?」

奉はまだ肩で息をしている。

「迂回路がありますから!車でも来れますよ」

「⋯⋯⋯そっちでいいじゃねぇか⋯⋯⋯」

「裏手ですよ?ちょっと登るだけだし時間が勿体ないっす」

「⋯⋯⋯くっそ」

がくりと崩れ落ちるように、奉がコンクリートの広間に座り込んだ。やはり、年下の男が相手だと調子が出ないようだ。

「大きいっしょ。この規模の門中墓はそんなにはありませんよ!伯父さんは100人以上は入ってるって言ってました」

「へぇ⋯」

嫌なことを聞いた。⋯が、不思議と嫌な気配がない。音羽も同じことを考えたようだ。

「浮かばれていない御霊はいないわ⋯100人も納められているのに、皆穏やかに亡くなったのね」



「そりゃそうですよ。若いうちに死んだり自殺や事故で死んだ人は入れませんから!」



一陣の生臭い風が、コバテイシの梢を揺らす。僅かな木漏れ日が鬼火のように揺らめいた。こういう匂いの風が吹くと雨が降ること多いよな、と呑気な感想が頭をよぎった。

「門中墓は清浄な場所なんで、変な死に方をした人は不浄ってことで入れて貰えないんす。だから個別に墓を作ったり、門中墓の近くの山中に埋められたり」

「⋯⋯⋯おい」

「大丈夫、門中の連中は埋葬場所は把握してます!踏んだりしてませんよ!多分!」


―――なんて雑なんだ具志堅家の連中は。


「で、今日はお墓参りなの?」

一番後ろからついてきていた縁ちゃんが、シャツについた枯葉を払いながら聞いた。

「やー、なんだっけ⋯占いです!人気占い師、音羽さんの!」


は?占い?


タロット占いをするのか、ここで?

思わず振り返ると、コンクリートの広間にはいつしか漆黒のシートが敷かれ、黒い衝立が置かれ⋯その中央には黒いドレスの裾を広げて音羽が座っていた。⋯奇妙に敷物と一体化している。

「えっと⋯え?」

「大きな破風墓ね。お世辞抜きに、とても清浄な空気。これはもう、御嶽に近いくらい」

厳かに目を開け、タロットカードを慣れた手つきでシャッフルし始めた。

「この清浄な地で、自分の占いを試してみたい。そう思ったの」

そう言えば墓に行くと言われる前、音羽が蓮に耳打ちをしていた。これを企画していたのか⋯?そして音羽、君はこの大荷物をどうやって運び込んだんだ?⋯もしかして、俺が寝ている間に⋯?

「まずは縁。ここに座りなさい」

「え、え、私!?」

縁ちゃんが戸惑いながらも靴を脱いで黒い敷物に腰を下ろした。待ち構えたように、音羽はカードを手早く配置した。予定調和のように。⋯予定調和?

「⋯そう、なるほど⋯ペイジのカードが2枚も現れている。⋯分かったわ。貴方は」

すっとカードに手を添え、音羽が顔を上げた。

「⋯⋯年下の男と相性がいいわね」


おい、流れるような予定調和を見たぞ今。


「聖杯の4⋯なるほどね、これだけ明確に『年下』を示すカードが現れているのに、あなたは関心を持てていない。年上が好みなのかしら?悪くないけど、価値観って変わっていくわ。特にあなたくらいの歳の子はね」

痛感しているよ、元誘拐犯。

「だからね、年下ってだけで足切りするんじゃなくて、もう少し焦点をぼかしてみなさい。幸せは身近にあるものよ」

そわそわと縁ちゃんの視界の端を蠢く不気味な中学生と、占いによく似た予定調和の出来レースを終えてそそくさとカードをまとめる音羽と、突然の素早い展開に戸惑う女子高生。音羽と蓮の間に、何らかの企てがあったことがありありと分かる。そしてそれは不発に終わりそうな事も。⋯御嶽に近い神聖な場所で何やっているんだ彼らは。

「んん~?⋯昨日の占いでは包容力のある大人びた人って言ってたのに?」

「年上とは言ってなくてよ。包容力がある大人びた年下、かもね」


おいもうおかしい。言っている事がおかしい。もうこの後の展開が読めた。


「よし、と。調子が掴めたわ!未来がとてもクリアに見える。今の私は最強⋯次は奉さん、お座りになって」

踵を返して逃げようとした奉の袖を、蓮が掴んだ。

「まあまあ、いいじゃないですか!」

奉は非力にも振りほどくことすら出来ず、ただ横移動をさせられて黒い敷物に座らされた。

「⋯⋯何なんだよ」

「貴方は昨日から一度も占わせて貰えていない。占ってみたかったの。この清浄な場所なら、雑音は入らない。⋯正確な占いが出来るわ。試させて、くれるよね?」

そういって音羽は、身を乗り出して少し首を傾げ、上目遣いで奉の顔を覗き込んだ。ちっ、と小さな舌打ちで僅かな抵抗をしたあと、奉は観念したように腕を組んだ。

「⋯⋯用が済んだら帰るぞ」

「ありがとう⋯より集中する為に、目隠しをするわ。私は本気の時、視界を封じるの」

やおらスカートのポケットから黒いレースのアイマスクを取り出し、目を被った。⋯目を閉じるだけじゃ駄目なのか?と言いかけたが面倒なので黙っておく。手元が見えない状況にも関わらず、慣れた手つきでカードを広げ、シャッフルし始めた。大したもんだ、さすがプロ⋯と感心していると、奉が音もなく立ち上がり、代わりに俺を座らせようとした。

「⋯んだよ、観念して占われろ」

「⋯駄目だ」

奉はぐいと俺の肩を押し下げ、羽織を俺に押し着せると声を押し殺して囁いた。

「この場所で、この占い師に俺を占わせてはいけない⋯」

めんどくせぇだけだろ、と言い返そうとして視線を上げて、思わず黙ってしまった。

「―――こいつに、神を占わせるな」

冗談を言ったり、面倒事を押し付ける時の目つきではない。⋯やむを得ず、音を立てないように腰を下ろした。

「貴方の、運命の人を占わせてもらいます」

アイマスクを外して、十字形に配列されたカードを凝視する。⋯俺と奉が入れ替わっている事には気がついていない。

「⋯⋯⋯これは!!」

感嘆の呻きが漏れた。⋯なんだよ、あまり特殊な結果を出さないでくれよ。

「貴方は運命の女性に出会っているわ⋯」

『運命の輪』とかいうカードを指し示し、隣に置かれた『女帝』というカードに指を滑らせ、声を震わせた。

「間違いない⋯出会ったのよ、運命の女⋯ファム・ファタールに!この旅で!どんな運命かは分からないわ、でも貴方はこの女性と生涯を共に!」

頬を紅潮させてガバっと顔を上げた瞬間、音羽の顔が衝撃とも怒りともつかない歪み方をした。

「⋯⋯あんた、何やってんの⋯⋯?」


⋯⋯そう、なりますよね。


「⋯⋯占われたくないんだと」

「ちょ⋯冗談じゃないわよ!?じゃあ最初からそう言ってよ!!ああぁあもう、なんなのファム・ファタールって!わ、私絶対違うからね!!大人しく今カノと添い遂げなさい!!」

ヒステリックに怒鳴り散らかす音羽と俺の間に割って入るように、琉球犬がのろりと座り込んだ。⋯俺を守ってくれているのか。思わず背中を撫でてしまった。

「うん、うん。大丈夫だから」

情けないだろう、俺は。身代わりにされて、いいように使われて、挙句怒鳴られて。もっと頼れる飼い主を探せばいいのに、何故お前はこんな俺にここまで。

「あのー、気になったんですけどぉ」

蓮が犬の腹を覗き込んだ。



「こいつ、雌ですね?」



その瞬間、奉が弾けるようにくの字になって崩れ落ちた。

「ど、どうした奉」

「くっくっく⋯くくく⋯運命の女⋯」

「笑ってんのかよふざけんなよ」

心配して損した。

「ぶふぉっ⋯失礼、よ、良かったじゃない、運命のツガイに、その、出逢えて。お役に立てて幸いだわ⋯ププ」

お前も笑ってんじゃねぇよ。

「じゃ、どうします?ビキ兄ィのファム・ファタール」

「うるせぇよ畳み掛けるな」

「えー良かったじゃん、もう飼っちゃいなよー」

縁ちゃんは心底興味なさそうに携帯をポチポチしている。⋯破風墓の、いい写真が撮れたらしい。レポートのネタにでもするのだろう。

「もういい?帰ろうか」

俺はまだ眠い。それに連日のマジムン案件続きで疲れが蓄積している⋯蓮には申し訳ないが、今日はもう少し寝かせてもらいたい。

「あ、ちょっと待って!折角だからコバテイシの実を採って帰って家で食いましょう!」

「⋯⋯あれ食えるのかよ」

あまり旨そうには見えない黄色とも茶色ともつかない硬そうな実がそこかしこに散っているが⋯。

「種を炒って食べると旨いんです」

「イヤ。墓場の木の実とか食べない」

縁ちゃん絶対拒絶。

「あははは、沖縄は風葬ですよ」

「破風墓に入れない人は周りに埋めてるって言ったよね!」


どぅ、と腹を打つような重い風が叩きつけた。


風が吹いてきた方向を、無意識に振り返った。奉も、音羽も同じ方向を見ていた。『不浄』と言い切っていいものかどうかは分からないが、明らかに浮かばれていない者たちの気配がまとわりついてきた。音羽が眉をひそめて視線を落とす。

「そっちに埋められてるって分かったんですか?さすがです」

蓮が、事も無げに呟いて笑った。

「『視えない』奴でも分かるだろうよ。ほれ」

す⋯と、風上の斜め上を指でさす。奉が示しているのは、この広場から少し離れた場所に聳える、ひと際大きく育ったコバテイシの木だった。

「コバテイシが、どうかしたんですか」

「大きいな、あれだけ。異様に」

くっくっく⋯と喉を鳴らして笑い、奉がコンクリートの上に座り直した。音羽がさりげなく差し出した水のボトルを、さも当然のように受け取るとキャップを捻った。⋯苛ついたが見なかったことにする。

「蓮。お前は先程、あれを庭に植えてはいけない理由を『根っこと葉っぱがヤバいから』と言ったな」

「はぁ⋯違うんです?」

「半分正解。⋯現実問題としては完全正解といってもいい。だがまだ足りない。それでは何故、この樹木が墓地に多く植えられているのかの説明がつかない。コバテイシはな」


死臭や、生者の慟哭を糧に育つと言われているんだよ。


誰かの悲鳴のような風が耳朶を打った。

「人の嘆きや死臭を溜め込んで育った巨木が、立派な破風墓を見下ろしている⋯くっくっく、恨めしいだろうねぇ」

溜め込んだのは死臭だけではないのだろう。板根の元に葬られた死体は、破風墓に安置された死者を凌駕するほどに嘆きも死臭も、全てを吸い尽くされ⋯それは救いだったのだろうか、それとも。



「⋯でもあの辺に落ちてる実が一番旨いんだよなぁ」


zp

さりげない呟きが、俺にだけ聞こえる程度に漏れ聞こえて来た。

「お前、それ絶対女子に言うなよ」

「分かってますよぅ」

板根を乗り越えて危なっかしく駆け下りていく蓮を目で追いながら、初日に遭遇したウワークワーマジムンの事を思い出していた。かつて彼らは糞を与えて育てた豚や、死者の嘆きを吸って育った木の実を糧にしていた。豚の便所はマジムンを落とし、コバテイシは広い木陰を作って弔いに来た人を日差しから守る。



ここは生と死が密接に循環する混沌だ。



視えてしまう俺は、住んではいけない場所かもしれない。住む気はないけど。

さすがにもう帰りたいな、そして静流にこの話を⋯そう考えた瞬間、携帯が鳴った。着信は静流。何か通じあったような気がして、少し声が明るくなった。

「⋯静流?」

少しだけ足早に板根を乗り越えて、携帯を耳に当てた。数日前に話をしたのに、もう懐かしい。

『結貴君、玉群君を連れて、すぐに戻って!』

久しぶりに聞いた恋人の声は⋯切羽詰まっていた。

「どしたんすかビキ兄ィ、めっちゃ真顔ですやん」

俺も真顔になっていたらしい。

「⋯何があった?」

『大変なの⋯このままだと沢山の人が!』

あの人に殺される⋯と声を押し殺して彼女は泣いていた。

「何だ、あの人って誰だ!?」

『薬袋先生⋯あの人、逃げたの!』

「えぇ!?脳だぞ!?」

『うん、脳は動いてない。でも⋯逃げたの』

話が全然分からない。だが俺たちが居ない間に洒落にならない事態が進行してしまっていることは分かった。

「⋯分かった、今日の便で帰る。静流は安全な所に居てくれ。⋯奉の洞がいいだろう」

携帯を切って、後ろからついてきている奉を振り返った。⋯奉は。



満足そうに、口の端を釣り上げて笑っていた。



―――そうだ、俺は忘れていた。

この男を、あの地から離してはいけなかった。



この男は『塞ノ神』なのだ⋯⋯。


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