平等に有害で、公平に迷惑
絵の額を跨いで中に入ると、いよいよ目がまわりそうな奇妙な空間になっていた。
部屋のどの辺も一つとして平行ではなく、同じ長さでは無い。
この小部屋には左と右の二つの出入り口があるのだが、そのどちらも平行ではない直線で形作られていて、目の錯覚が起こる様になっていた。
真見の眼鏡をかけていてさえ、これだけストレスを感じるのだから、外していたら何を見せられているか、わかったものではなかった。
俺が部屋に入ると、マネキンはポーズを変え、左手はポケットに、右手は挨拶をする様に宙に掲げた。
「うわ、形が変わったわ……狂気界って、どうしてこう、エログロ系なのかしら」
「エログロって何?」
「ダーリンには、どんな風に見えてるの?」
「目の前に、スーツを来たマネキン人形が立ってる。頭はテレビになってて、目が映ってこちらを見てるよ」
「ダーリンの弱点って、目なのね。周りからどう見られてるかって事、気にしすぎじゃない?」
「ああ、うん……その通りだよ。いつも、そう思ってる」
「はぁ……リザリィにはダーリンと同じぐらいの高さの男性のアレが雄々しく立ってる様に見えるわ。幹からも木の枝みたいに生えてて、ほんと最悪」
「部屋の中は内蔵みたいだし、扉は女性のアレみたいだし、セクハラもいい所よね。ハラスメントがこの世界のルールだから当たり前なんだけど」
「扉は無いけど、くぐる所はちゃんとした四角じゃないし、屋根も壁も斜めですごくイライラするんだ」
「リザリィにとってもダーリンにとっても、精神的によくないのは変わらないわね」
「左右に行けるみたいけど、どうする?」
「ダーリンに任せるわ。この世界のどこかに真結ちゃんが居るか、或いはこの世界を抜けた先に居るか……」
「とにかく、先へ進むしかないのよ、この宴の主催者が満足するまでね」
「宴?」
どちらへ行った方が良いかと、崩れた台形状の穴から除いて隣の様子を見る。
左右どちらにも歪んだ廊下が続いていて、見ていると目がまわる。
天井の高さと傾きが平行じゃないから、遠近感も掴めなかった。
リザリィが何かに襲われているのか、嫌な顔をしながら手で宙を払っていた。
「狂気界の住人達はね、『宴』と称して人間を捕らえて、自分達の世界に連れ帰ってしまうの」
「彼らにとって、これは歓迎パーティで、もしも人間の気が狂っちゃったら、それは仲間になったって事なのよ。狂った世界へようこそ。よ」
「悪意で人間を攻撃する訳じゃないから、平行世界の神々も口を出せないし、放っておいても彼らが他の世界を滅ぼそうとする事もないわ」
「平行十二世界にとって、この狂気界は平等に有害で、公平に迷惑な所」
「足を踏み入れたのは、こっちが先だから……でも呼ばれても居ない宴に参加したくはないよ。早く真結を連れ戻して帰ろう」
「右? 左? どっち? リザリィは女の子だから、男性器とか女性器とか、プルプルしてたり、ドロドロしてるのは見たくないし触りたくないのよ」
「それじゃ、左から行こう」
見る限りは左も右も大きな差は無いので、まずは左から行く事にした。
通路を進むと、どんどん先細りになっていき、やがて両手をついて四つん這いににならないと進めなくなる。
右手に扉が見えていて、その扉もまた、開けると右斜め上に開くというものだったが、扉の広さ自体は十分大きく、くぐり抜けて中に入る事が出来た。
「ふう……」
この部屋は奥行きが無限に続いている様に見える。
永遠に続く通路の、始まりの場所と行ってもいい。
目の前には一片が1メートルほどの立方体の鉄の箱が置かれていて、その箱から斜めに機械で作られた人形が飛び出している。
箱のあちこちには蓋があり、開けてみると、精密回路の基板や無数のスイッチ、大きなコンセントを差しこむ部分などがあった。
機械の箱の裏側からは太いコードが伸びていて、壁にあるコンセントから抜かれていた。
まずはそのコードを辿って壁際まで行き、壁にあるコンセントにプラグを繋いでみた。
「どう? 動いた?」
「先っぽから、何か出てきてるわよ。あんまり言わせないでくれる?」
「だめだ……見えてる物が違うんだ……」
戻って機械の箱を見てみると、飛び出している機械人形の目に光が灯っていた。
これで通電はしているらしい。
この人形が動けば、何かが起こるのだろう。
それが何かはさっぱり分からないが……。
「あれは、腕かな?」
コンセントとは逆側の離れた所に機械の棒が落ちていた。
近寄ってみると、人形の腕だった。
持ち帰って、肩の接合部分にはめ込むと、ガチン、と音がして腕の中に電気が流れ、小さなランプが灯る。
機械人形の目が左右交互に点滅し出すと、取り付けた腕がゆっくりと回転を始めた。
近付いていたら危ないと思い、少し距離を取ると、リザリィも同じく数歩後ろにさがっていた。
それが正常な動作なのかどうか、全く判らないが、機械人形は片手を高速で振り回し続け、交互に光っていた両目がチカチカと目映く点滅を繰り返していた。
リザリィは我慢の限界を超えたらしく、目を背けていた。
やがて、腕の回転が最高速度に達したらしく、同じ速度で数秒回り続けた時、機械人形の目が同時に三度点滅した。
ゴガン!!
人形は、回していた腕で自分の胴体部分である機械の箱を突き破ると、そのまま停止してしまった。
取り付けた機械の腕がごろん、と床上に落ち、続いて突き破った箱の内部から、丸い球体が床上に転げ落ちてくる。
ハンドボールぐらいの大きさの黒い球体は、外側が透明になっていて、内部にコンピュータの基盤が何層にも重なっているのが見える。
「これだけみたい」
「あ、そう」
リザリィの顔は明らかにうんざりしていて、とても気の毒に見えた。
「はぁ……こんな嫌な物を見るぐらいなら、リザリィもトゥルーシーイングの眼鏡を持って来てもらったら良かったわぁ……なんだか精神的にうんざりよ」
「ごめん、リザリィ」
リザリィががっくりと肩をうなだれて部屋から出て行こうとするので、その頭を後ろから軽く撫でた。
こんな風に俺の方から彼女に触れる事も、今までに無い事だった。
「まっ、真結ちゃんを助けないといけないものね! 早く行きましょ!」
耳まで真っ赤になったリザリィが、そう言って先に部屋から出て行く。
そんな風に照れるとは思わなかったので、意外だった。
家に押しかけてきた時なんて、そのままベッドで襲われそうになったぐらいだが、思えばこのハイツにいる間、そんな風に誘ってきた事は無かった。
そもそもここの調査は俺と真結が頼まれたもので、リザリィは自分の好きにすると言ってついてきたのだが、それは俺達二人を誘惑するチャンスだからだと思っていた。
縫香さんも襟亜さんも、リザリィが自分から行く様に仕向け、リザリィもそれをわかった上で、自分から二人は自分が守ると言い出した。
リザリィと俺と真結との関係は、少しずつ変わってきている。
口先で誘惑してくるが、本心は俺をからかっているだけなのだろう。
真結を助けなくちゃ、というリザリィの言葉は、俺の気持ちをよく分かっていた。
もし真結を助けられなければ、俺は自分でもどうなってしまうかわからない。
嘆き、後悔し、落ち込み、絶望に呵まれる事だろう。
悪魔なら、そうなった俺を地獄へ連れて行くのも容易いだろうし、そんな状態になったら、俺は抗う事もしないだろう。
リザリィはそれを望んでいない。
もし、地獄へ俺と真結を誘う事になっても、それは今の仲良しの状態のままで、連れ帰るつもりなんだと思う。
「ちょっと、ダーリン? 早く行きましょうよ」
俺が考え込んでいると、リザリィが出口から顔を出して俺を急かした。
「うん、行こう」




