たったひとつの私の幸せ
立夏の夜。その字面とは全く別に、星空の下を歩く自分のマスターは、寒そうに身を縮めている。
「マスター、手でも繋ぎましょうか? 私、そこそこ温いですよ」
電池の関係で、人肌くらいの温もりはあるはずだ。人気のない夜道であるし、特に誰も見ていないだろうから。夜でさらに遠目ならば人間とアンディーはあまり区別が付かないですからね。
「――防寒着なら常に持ち歩いているはずだろ?」
「もちろん。そのためのアンディーですからね」
マスターの手荷物から防寒着まで諸々持ち歩いている私です。わざわざ手を繋ぐ必要なんて皆無です。
彼に上着を一枚渡す。本当なら羽織るのを手伝いたいところなのですが、マスターはいやがるので私のサービス精神には行き場がありません。
「うん。暖かい……かもしれない。ありがとう」
羽織ったばかりではまだ冷たいだろうに、マスターは簡単に嘘をつきます。
そして、単なる機械に感謝を捧げるのです。だからこそ、マスターは今回の一件で誤解を生んでしまったのでしょう。なんだか申し訳ないような、それでいて独占欲がくすぐられるような、複雑な気分です。
「手を繋ぎましょうか!」
「…………あれ?」
マスターの手を取って、歩き始める。とても冷たいはずの手なのに、私はこの手を『暖かい』と思う。矛盾している。未成熟なAIならば、ここで動作不良でも起こしかねません。
ですが、幸いなことに私のAIは巡の行動で鍛え上げられています。そんじょそこらのアンドロイドには負けません。
「なるほど。若葉、自らのAIを巧みに騙したな」
「なんのことでしょうか~?」
さっぱりわかりませんね。
「基本的に、人間に拒否されなければアンドロイドは行動を起こせる。あえておかしなことを行って俺につっこみをいれさせ、逃げ道をふさいだか!」
ええ。確かに、マスターは拒否はしませんでした。アンドロイドはその状況下なら行動できます。そういう風にできています。仮にマスターが『恥ずかしい』とでも言えば私は奥ゆかしく振る舞うしかなかったことでしょう。
「ふふ――でも、マスター。結局、今からでも拒めばすぐに私は行動を修正するんですけどね?」
「そこまでして手を繋ぎたかったんだ。なにか理由があるんだろう」
理由なんてありませんよ。いや、きっとあるんでしょうけれど、私自身『恥ずかしい』ので無いということにしておきましょう。
「今日の夕飯は、なにが良いですか?」
「カレー」
「先週も食べたじゃないですか」
「それがどうした」
「――いえ。そうですか。私のカレーが恋しいですか」
「うるさい」
む……。照れているんでしょうけど、そういわれると、私はオートでマナーモードに入っちゃうんですよ勘弁してくださいよ。声を出すことができなくなっちゃってるんですってば。
何かを伝えたいのにジェスチャーくらいしかできないなんて酷いです。
二分くらい、完全な静寂。ラジエーターの駆動音とマスターの呼吸音しか聞こえない。
「――ど、どうした若葉。いや、その――うん。若葉のカレーが食べたい。絢音のそれも美味しかったが、なんだかその分食べ慣れた若葉のカレーが食べたくなっちゃって……若葉の美味しいからさ。だから、黙ってないで、その……機嫌、なおしてくれ。俺はお前無しじゃ基本的に何もできないんだから!」
手を強く握られているから、ジェスチャーもまともにできない。
マスター! マナーモードです! マナーモード入っちゃってます! 普段と違って目が青くなってます! そこんところ気づいてください。
「ごめん。悪かった。頼む、機嫌をなおしてくれ」
高度なAIにはしっかり『機嫌』も存在するけれど、マスター相手に不機嫌になる何て滅多に無いのに……。マスター、私のことをちっともわかっていないんですから。
「わ、若葉」
半分涙目にならないでください。私も泣きたいです。冷却水の涙でも流して見せましょうか。
私は必死に『マナーモードに入っただけです!』とあいている左手だけで伝えようと頑張る。
そこは二年の付き合い。すぐに通じた。マスターは数瞬のうちに私が『マナーモード』に入ったことを察した。
「……………………。は、恥ずかしいから、このままずっとマナーモードじゃダメ?」
「…………」
「無言の圧力をやめてくれ!」
マナーモードに対して何を言ってるんですか。
マスターは結構、馬鹿ですよね。もちろん、アンドロイドはそんなことを思っても、一定条件下以外では口に出せないんですけれど。
「マナーモード、解除……」
絞り出すような声と、審判を待つような表情で彼は告げた。多感な思春期男子としては、一瞬でも早く忘れてほしいような言葉をべらべらと話したあとだ。その心中を察することはできる。
「はい、マナーモード解除しました」
規定通りの言葉をすらすらと言いながら私はマスターに笑いかける。
「さ、マスター。カレーの材料を買って帰りましょうか」
それだけを告げた。
今更ですよ。マスターが私のようなただの機械を大事にしてくれていることなんて、わかっています。とても嬉しいんですから、それをからかうようなまねはできませんってば。
ゆるみそうな人工筋肉を調整するのでやっとですから。
「その、若葉。さっきの一連のアホな行動を忘れて貰えたりはしないだろうか――いや、恥の上塗りか。よし。カレーだ。気分を切り替えよう。みんな大好きなカレーが待っているんだから」
みんな大好き、ですか。『みんな』の中に彼が入ってくれているのならば、私はそれだけで満足ですね。
そういう風にできていますし、私はそういうアンドロイドのさがが、嫌いではありません。
「今日はリンゴでも入れてみましょうか」
「悪いが、いつも通りの味を頼む」
「……はい。いつも通りのレシピにします」
二年近くかけて作り上げた私の大切な記録。これだけは、何があっても守り抜きたいもの。
男を落とすにはまず胃袋をつかめとはよく言いますけれど、その点私は絢音さんよりも勝っていると思えます。
勝って、どうするのかは今でもわかりませんがね。
「いつも通りに若葉と一緒に出かけられるっていうのも、もしかしたら凄く幸せなことなのかもしれないな」
「あそこで引き分けていなければ、どうなっていたんですかね」
想像しようと思えば鮮明にそれを描けるはずなのに、私は到底それをできそうにないと思った。
存在するはずのない未来だからなのか、存在してほしくない未来だからなのか。今となってはどちらでも関係のない話ではありますがね。
「若葉」
「なんですか?」
「これからもよろしくな」
マスターははにかみながらそう言った。少しセンチな気分になっているのかもしれない。
――私はラジエーターを稼働させて、熱を持ちそうな自身の体を必死で冷やす。熱を持ちやすいデイブレイク社製の体はとっても不便です。素直に喜びたいんですがね。
いかんせん、恥ずかしくて。
響くラジエーター音を誤魔化したいから、という言い訳で、私は『心』のリミッターを解除する。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
小さな小さな事件。人間社会からしてみれば、存在しなくても差し支えがないとても小さな事件だ。せいぜいゲームルームとドーナツ屋の売り上げにごく小さな影響を与える程度の出来事。
それでも巡や絢音さん、私――きっと涼葉さんや『ちーちゃん』さんとそのアンドロイドにとっても大きな事件です。
機械も人間も忘れない数週間になったと思えます。
「マスター。私も――これからもよろしくおねがいしますね」
「ああ」
せっかくの良い雰囲気は、直後、絢音さんのメールで雲散霧消してしまうこととなった。
けれど、私は焦らない。
私は良くも悪くも、周りからどう見られようとも、常にマスターの隣にいるのだから。
それくらいでは、へこたれませんよ。
「今日は、あの小説の続きを読むんです。きっときっと、幸せになりますよ」
「そうか。ハッピーエンドだと良いな」
マスターの何気ない相づちに耳を傾けながら、私はスーパーを目指して歩いていく。
なぜかそんな普通なことが、法外な幸せであるかのように思えた。
法外な幸せは、今日も明日も続いていく。その幸せに慣れてしまうそのときまで。そして幸いなことに、アンドロイドには『慣れ』が存在しない。
繋いだ手を何かの拍子で離してしまわないように細心の注意を払いながら、私たちは暗い夜道を、二人で肩を寄せ合って歩いていく。設計思想の通りに、自分の持ち主をサポートして、その人のために生きていく。
これが、私にとってのたったひとつのしあわせ。
そのたったひとつのしあわせが、マスターにとってのしあわせであることを願いながら、私はカレーのレシピを思い起こすのだった。
ひとまず巡と若葉の話はここまでです。
アンドロイドとはなんなのかとか、人間の本質とか、そういったことにアプローチしながら変態マシンを弄くるお話でしたが、楽しんでいただけたなら幸いです。
反響次第では続編も書くかも?
とりあえず、楽しんでいただけた方はお気に入りやら評価やらを是非ともお願いしますっ!




