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「主人は仕事で居りませんので、私から伝えておきますね」
微笑んだ顔は更に美しい。女神とは、こういう人のことを言うのだろうな。声がとても心地いいし、一緒にいて落ち着く人だ。なんてことをベスが聴いたら、すごく怒りそうだ。
「はい。よろしくお願いします」
邸宅へ入ると、「ジョージは二階の自室にいます。リンゴを切ったら私も行きますね」と言い残し、ポズウェル夫人はキッチンへ行った。僕はそれを聴いて、二階へ上がった。
「ジョージ君。僕だよ、ブラッド。入ってもいいかな?」
そうノックした後に、ドアの外から問うと、中から「いいですよ!」と返事が返ってきた。僕がドアを開けて入ると彼は起きており、背にあるクッションにもたれかかっていた。
「やあ、ジョージ君。調子はどう?」
「はい! もう大丈夫ですよ! 一時期は死ぬんじゃないかって思いましたけど」
「熱は苦しいからね。僕も経験あるよ。今さ、ハリエットさんがリンゴを切ってくれているから。どう? 食べれそうかな?」
「はい。いただきます!」
すっかり元気そうなジョージ君に、僕も安心した。
「ハッサンも心配してたよ」
「何だか皆さんには心配かけてしまいましたね」
「心配するのは当たり前だよ。気にしないで、今はゆっくり休んで」
「はい。ありがとうございます」
彼がそう言ったところで、ハリエットさんがノック後に部屋へ入って来た。皿には、奇麗に切り分けられたリンゴが盛り付けてある。
「ああ、ハリエットさん。僕はこの辺で帰ります。ジョージ君、それじゃまたね」
「はい」
「何のお構いもしませんで」
「いえ。それでは失礼します」
僕は脱いだ帽子を手に言った。
*
それを目の当たりにした時、人は高揚するだろう。自分が住んでいる世界とは違う、その世界に。これまで見たことのない世界だからこそ、魅了される。
百八十度の角度が隔絶する世界は、特別なことではなく、人の拭い去れない痛みや苦しみとともに織り成され、他人に高揚感を与える。そうして、これまで味わったことのない狂った世界が、禁断の果実のように少しずつ人の心を食んでいく。心の片隅で、そう、無意識のように思いめぐらし、天井の揺れるランプからコンクリートで塗り固めた床へ視線を落とす。
聖なる肉体から流れ出た血は、最初こそ鮮やかな赤だったが、時間の経過と共に黒へと変化していった。




