016 相対す
がたがたと大きな音を立てて引き戸が動く。
砂でも噛んだか歪みが出たか、なんにせよ修理を頼まねば使いづらくて仕方が無いな、などと考えながら夜須奈は開いた隙間に首を突っ込み室内を見回した。
「望、こんな所に居たんですか」
「砂を見ていた」
叺と呼ばれる藁製の袋に入った砂に触れながら望はそう答えた。
室内には口を綴じられた砂入りの叺が山と積み上げられ、搬出の時を待っている。
「……ようやくここまで漕ぎ付けられた。長かったですね」
夜須奈は感慨深げにそう呟いた。
晴れ女を匿い異常気象を引き起こし、川上村に賠償責任が課せられて一年。
肉親の情から判断を誤った村長の娘や居候がその立場を利用できる筈も無く、人を使うにも神力の予算割り当てを受けるにも少なからぬ苦労があった。
叺に入っているのは砂である。ただし、砂は砂でも純度八十%を超える砂鉄であった。
「手作りの炉から始めて……最初は色々と失敗もありましたね。
結果が出せないうちは遊んでいると見られて良い顔をされませんでしたし」
引き戸を開いて中に入り、叺の山を眺めながら夜須奈は言葉を続けた。
朔弥の死後、地下室から見つかった遺書に従い二十数冊の冊子が夜須奈に預けられた。
そこから得た知識を元に川の砂を浚って鉄を作り、小出し小出しに技術を明かして地道に信頼を回復し、鉄穴流しのような大がかりな事業を承認させる所まで一年でどうにか持ち込めた。
未だ製錬加工の技術は低く、容易に加工でき神力による強化が可能な青銅に鉄が優越する事を示せていない。
だが朔弥の知識を信じるなら、これこそが川上村と村が祀る神であるミズチの力を活かす武器になるはずだ。
「姉さんは、骨すら帰ってこなかった」
望の呟きを聞き、夜須奈は視線を地に落とした。
苦い記憶。
姉と慕った人を、為す術も無く死なせてしまった。
ほんの一年前の事だ。心の傷は、まだ癒えていない。
朔弥が居た頃の夜須奈には全能感があった。
特別な教育を施され、並の大人には為し得ぬ事でも自分だけは話が別だという自負があった。
二ヶ月。何かを成すには短く、何も為さぬには長すぎる時間。
じっくりと時間をかけて、夜須奈は絶望の味を身に刻む事になった。
望が弄んでいる砂に視線を移した。
黒い川砂。砕かれた岩の成れの果て。
比重選鉱によって不純物を除かれた純度の高い砂鉄。
これに炭を加え加熱すれば鉄を得る事が出来る。
「英雄になりたかった。妖怪を打ち倒す英雄に、道を切り拓く英雄に、大切な人を守れる英雄に。
この手で姉さんを守るつもりだった。……でも、私の手の中に残ったのはこれだけだ」
望が砂を掬い上げる。
指の隙間からざらざらと砂が流れ落ちた。
「小さな手だ。指の隙間から皆零れて行ってしまう」
「……充分に大きいですよ。男顔負けだ」
「それでも、たったこれだけの砂さえ手の内に留めておく事が出来ない。……足りない」
望はそう言うと砂を握り込み夜須奈に歩み寄った。
「釈迦掌上の孫悟空の話を覚えているか」
「ああ……確か、朔姉が話してくれた御伽話」
「何者をも取りこぼす事の無い大きな手。
ここからだ、夜須奈。賠償の資金源、村を発展させる原動力、それだけでは終わらせない。
夜須奈、私は力が欲しい。ここから始めよう。姉さんの遺したこれで、晴れ女を救う」
眼前に拳を出され夜須奈は後ずさった。
「……晴れ女を? どうやって」
出来る訳が無いと思いながらも、夜須奈の声は震えていた。
四代五代六代と、この先も晴れ女が生まれ続ける事を看過するわけにはいかぬとの思いがある。
己の無力さを思い知らされて尚、消す事の出来ない願いがある。
「神を育てる。村々を併呑し神の力を一点に集め、晴れ女の一人や二人養っても揺るぎもしない強大な神の力を獲得する。
国を作る。神の庇護の下誰もが幸せに暮らせる国を、この手で作って見せる」
晴れ女の救済。誰もが幸せに暮らせる世界。既に諦めたはずの夢だ。
(諦めたはずだというのに)
望の語る言葉を聞いて、夜須奈は身の内の無力感がほどけるように消えてゆくのを感じた。
「夜須奈、私に力を貸してくれ」
答えようとするも、言葉が出ない。
夜須奈は望の手を取る事で自らの意思を示した。
─────
「力を貸すどころか」
頭を使う仕事を片っ端から投げて寄越されるとは思わなかった、と夜須奈は苦笑した。
信頼は嬉しいが、分不相応な立場だと夜須奈は思う。
内治はともかく外交では度々失敗をしてしまっている。
無力感は既に無いが、全能感も無い。
日々何かを失敗し、自分より優れた人間と交流し、夜須奈は多少は自分を客観視出来るようになっていた。
「何か言ったか?」
「いえ、何でも」
己より優れた人間といえば、今神域の霧を挟んで相対している草壁郷の郷長もそうだ。
夜須奈は自分は政治外交の実務に向いていないと思っている。軍師にも適性は無い。
一人椅子に座って頭を働かせるような仕事に於いてはそれなりの成果が出せるが、人が関わると能力が落ちる。読み合いと、アドリブに弱い。
半月前の交渉も、何から何まで郷長にコントロールされてしまったような感触がある。
事前に得ていた情報と、雷神及び郷長の反応に大きな食い違いがあった。
「草壁は何をして来るでしょうか」
謀略の類で勝てる気のしない郷長と、己の師と同等の知識を持つと考えられる晴れ女。
謀り事にまつわる能力や知識の多寡がそのまま戦術を考案し兵を指揮する能力に繋がる訳では無い。
それでも、強敵に違いあるまいとの予感が夜須奈にはあった。
「何をして来ようがやる事は変わらん。寄って、斬る」
夜須奈は頭を抱えた。
何度言っても最後には大将自ら突撃をかます脳筋王に近頃は諦めに似た感情を抱いている。
「私の指揮で勝てそうになかったら、でお願いしますよ」
「ああ」
頼もしいといえば頼もしい。
草壁郷相手では多少戦力差があっても安心できるものでは無いが、一沙軍の英雄達が敗れたとしても一沙には一沙王が居る。
英雄達を従える、一軍に匹敵する飛び切りの英雄が。
英雄達がある程度相手の力を削いでくれれば、あとは一沙王が居ればきっとどうにかなる。
それでも、一沙王は王将だ。
王将に単騎で突っ込まれては困る。王将が討たれればそこで戦いは終わりなのだ。
「霧が晴れる」
「そうですね」
一沙軍と連合軍を隔てていた霧が薄れ、連合軍の陣容が明らかになった。
銅鑼が鳴れば戦が始まる。
夜須奈は戦術と陣形に修正を加えるべく連合軍の陣を観察し始めた。
「地形は小山を背にした平野……。
登録されている英雄のほぼ全てを平野部に布陣させ、本陣は山の中腹、崖の上か」
大将である草壁郷の郷長は祈祷師だ。
祈祷師は直接的な戦闘能力に関しては英雄に劣るが、神力で有利な領域を作り上げ守りを固めるには向いている。
英雄部隊に組み込まれていない祈祷師達と共に陣を張れば、一沙の英雄部隊も易々とは郷長を討ち取れない。
「それにしてもほぼ全てとは強気ですね」
「うちと同じ布陣だな」
「うちの大将はあなたですからね。護衛が必要無いから攻撃に全戦力を注ぎ込める。
でも向こうはそうじゃないはずなのに」
易々とは討ち取れない。だが、それだけだ。
祈祷師自体には英雄に対抗できるだけの攻撃能力が無い。自軍の英雄と連携する事無しには英雄を返り討ちにする事は叶わない。
英雄四人と祈祷師一人で一班と成す英雄部隊、それが二つも本陣に到達すれば勝負が決まると見て良いだろう。
大将が英雄なら、本陣を襲撃されても救援が来るまで逃げ続ければいい。陣地を襲われ祈祷師達が殺されれば通信手段を失い不利にはなるが、大将が討たれない限り負けではないのだから。
しかし祈祷師には英雄から逃げ切れるような機動力は無い。本陣に残った英雄も、祈祷師を背負っていてはそう長く逃げられるものでもあるまい。
(本陣に引き込む為の罠、か? ここを攻めろと言わんばかりだ)
神が敗れれば、敵方の神の参戦により人の戦でもほぼ確実に負ける。
人の戦で勝てば、神の戦はそこで中断され人の戦の勝敗がそのまま戦争の勝敗となる。
自軍の神が敵軍の神に劣るなら、迅速に人の戦で勝利を納めるより他に勝ち筋は無い。
神の戦は神力の差が勝敗に与える影響が大きく、下馬評を覆す事が稀であるからだ。
そうした事情から、実力で劣る側の軍がやけとも取れる程の攻めの姿勢をとる事は珍しくは無い。
攻撃に全戦力を注ぎ込む連合の布陣も奇妙という程の事は無い。
(だが、何かある)
郷長と、晴れ女が居る。
何も無いという事はあるまいと、夜須奈は警戒を強めた。
─────
「ヤマツミ様、その体どうしたんですか」
「山本殿、それはこっちの台詞よ。はよう変じぬと戦が始まるぞ」
見上げる程の巨大な猪。
およそ五十メートル程の体高を持つそれが、今孝洋の目の前に居る。
「変じろと言われましても」
可愛らしいうりぼうが何故こんな事になったのか。
神の戦についてある程度の知識を得てはいたものの、実際に目にして孝洋は少なからぬショックを受けていた。
瓜のような縞模様は健在だが、体型は成獣のそれだ。
「む、でかくなれんのか」
「ええ、まあ」
「つくづく変わった神よな。土地は持たぬし物は知らぬし……」
「ははは」
「それでも、神力はある。……会うた時には感じなかったように思うがの」
(何故かは知らんが確かに神力はある。無ければ人の戦に参加しようもあったものを)
何がきっかけでどのような理屈でそうなったかは解らないが、雷神騒動の翌日から体に違和感を覚え、気付けば要同様に神力が身の内から湧き出る体質になっていた。
初めはごく少量、はっきりとわかる程に量が増えたのは戦をすると決まってしばらく経ってからだ。
孝洋にも雷神を名乗った事が影響しているだろう事はわかる。
しかしただ名乗っただけで神になれる程出鱈目な世界ではあるまい。人型の神が他に見当たらない事からも、何か珍しい事が起きたものと推測された。
(神力と言っても要やヤマツミ様に比べれば本当に申し訳程度の、何の役にも立ちそうにない量でしか無いが)
増えて尚孝洋の神力の量は平常時のヤマツミの十分の一にも満たない。
決戦にあたり連合に属する神々から神力の使用権を委託された今のヤマツミに比べれば、百八十分の一といったところだろうか。
今のヤマツミより更に強大なはずのミズチと戦うにあたって、役に立つとは思えない量だ。
「自分より大きい相手と戦うのは慣れてますから、これでいきますよ」
「……まあ、多少大きくなった所で焼け石に水か。その神力の量ではな」
ヤマツミはやれやれとでも言うように首を振った。
その巨体から受ける印象に反し、動きにキレがある。
首を振るのにあわせてブオンブオンと轟音が鳴り、突風が吹き荒れた。
「私が主体で戦うから補助を頼む。力はともかく山本殿の妙な術には期待している」
「ええ、さっさと倒して加勢に行きましょう」
「ははは、威勢が良いな。良い事だ」
話す内に霧が薄れ始めた。もうすぐ戦が始まるという合図だ。
しかし、薄れた霧の向こうにはただただ白い壁があるばかりで敵の姿が見えない。
「この壁が消えたら開始という事でしょうか」
「壁?」
「いや、目の前のこの白い……」
「……上を見ると良い」
ヤマツミの言葉に従い視線を上に向ける。
霧で視界が悪くはっきりとは確認出来ないが、壁に見えた何かは段丘状になっているようだ。
そのまま最上段まで目で追うと、何やら赤い光が見えた。
ピラピラと動く紐のような物も見える。
「蛇、か?」
白い山にしか見えなかったが、よく見れば山体が光を受けて煌めいている。
霧が晴れ、それが鱗である事がはっきり見て取れた。
頭頂部までの高さがゆうに五百メートルはある、とぐろを巻いた白蛇。
一沙国の主神ミズチの、戦争時の姿である。




