#50 人の隣にいるために
「……五十鈴お嬢様?」
ぶつかった時の痛みで、ジンジンする鼻を押さえていた五十鈴は、頭上から降ってきた声に顔を上げる。
そこには探し人の姿があった。
「あっ、ダンデさん!」
見慣れたふわふわの綿毛頭を視界に捉えると、五十鈴はパッと笑顔になった。
しかしダンデの反応は反対だ。彼は手を差し出したまま、五十鈴を見下ろして困惑している。
「い、五十鈴お嬢様、なぜこちらに……!?」
「ダンデさんが誘拐されたと聞いて助けに来ましたの!」
五十鈴はにこっと笑うと、ダンデの手を借りて立ち上がる。
すると、ちょうどその時にダンデのもう片方の腕から、黒いふわふわした何かが顔を出した。仔犬だ。
「わん!」
「わんちゃん! あなたもご無事だったんですのね!」
「わふっ!」
仔犬は元気に返事をしてくれた。
ダンデと共にいなくなったことから、一緒だろうなとは思っていたが、どうやら予想は合っていたらしい。異形なのではと思う気持ちもあったが、こうしてダンデが一緒にいるのだから、以前はどうあれ今は大丈夫なのだろう。
そんな一人と一匹を見て、五十鈴はほっと胸を撫でおろした。
「うふふ、良かったですわ~」
「あ、ええ、はい……ええと、それで、お嬢様。どうやってこちらまで?」
「実はダンデさんのお兄様から招待状が届きましたのよ」
「招待状?」
「はいですの。ダンデさんのお誕生日会の招待状ですわ」
届いたメッセージカードを見せたかったが、カード自体はアルヴェアーレに渡したままだし、そもそも文字は飛び出してしまっている。
だから五十鈴は、ダンデの姿が消えたころからのことを順を追って説明した。
話すにつれてダンデはだんだんと落ち着いていく。
――のだが、一人でここにいる下りまでくると、とたんに彼は頭を抱えてしまった。
「オーナー、リカント、それこそ止めるべきでしょうに……! どう考えてもタイミングが悪いです……!」
「タイミング?」
「ええ、ああー……その、ですね、お嬢様」
「はい」
「私は……その……」
ダンデは言い辛そうにしている。
珍しく歯切れの悪い彼に五十鈴は、よほどの事情があるのだなと思いながら、じっと次の言葉を待った。
彼の顔を見上げていると、しばらくしてダンデは観念したかのように、
「……空腹なのです」
と、蚊の鳴くような声を出した。
「あ、先ほどシュラムさんも仰っていましたわ。そろそろお腹が減ってくるころだって。言葉のままの意味ではありませんのね?」
「……ええ。その、私は……というか、人間と共存する異形の私たちは、でございますが、魂を食べないように調整しているのでございます」
「調整ですの?」
「ええ。私たちにとって魂は、人間で言うところの普通の食事なので。そこから生存に必要なエネルギーを摂取しているのです」
その言葉に五十鈴は目を丸くする。
異形が魂を食べるのは五十鈴もよく知っているが、お菓子やお酒といった嗜好品のようなイメージを持っていた。だからそこまで必要なものだとは思っていなかったのだ。
「あらまぁ、そうなんですのね。でも、フロストの皆様はいつも普通にお食事をなさっていましたわ」
「それが調整でございます。魂の代わりに普通の食事でエネルギーを摂取出来るよう、特定の手段を用いて体を慣らす。そうして私たちは魂を食べなくても、こうして無事でいられるのです。……まぁ、だいぶ大変ですけれどね」
一瞬、ダンデが遠い目になったような気がした。綿毛頭には顔がついていないので、実際はどうか五十鈴には見えないが、そんな雰囲気を感じ取ったのである。
「皆様、努力家なのですね」
「おや、そう仰っていただけるのは光栄ですねぇ。ふふ」
ダンデはくすりと笑って、それから少しだけ声のトーンを落とし、
「……ですが力を使い果たす等で体が弱ると、強い飢えを感じるようになるのです。それに負けてしまえば、すべてが無駄になってしまう。飢えが我慢の限界となれば理性が吹き飛び、目についた魂を手あたり次第喰らってしまう」
そう言った。なるほど、と五十鈴は頷く。
「だからアルヴェさんとリカントさんは、あんなに怒ってらっしゃったのですね」
「……二人が?」
「ええ。とっても怖いお顔でしたわ!」
「そ、そう……ですか」
ダンデは照れたようにサッと顔を反らした。付き合いの長い仲間から、心配されたことが嬉しかったのだろう。五十鈴もつられてくすりと微笑む。
「つまりダンデさんはお腹が空いて大変とのことですわね」
「ええ。ですがご安心ください。このダンデ・ライオン、いくら五十鈴お嬢様が美味しそうな魂をお持ちでも、絶対に食べたりはいたしません!」
「わんっ!」
「あらまぁ」
堂々と宣言するダンデに、仔犬も「そうだそうだ!」と言わんばかりに元気に鳴いた。
五十鈴としては、もしもの時はダンデであればちょっとくらい齧られてもいいかなくらいには思っていたのだが、これは言わない方が良さそうだ。
「それなら……」
五十鈴は徐にスカートのポケットに手を突っ込んだ。そしてすぐに、かわいらしい包み紙の飴玉を三つ引っ張り出す。
「これをどうぞですの!」
「飴玉?」
首を傾げるダンデに、五十鈴は「ええ!」と明るく返事をする。
「最初に出会った時にダンデさんが仰っていたでしょう? 異形さんにはお金よりも飴玉の方が価値があるって」
「ああ……確かに言いましたね。もしかして、あの日から?」
「うふふ。こんなこともあろうかとって、言ってみたかったんですの」
飴玉が彼らにとってどんな価値を持つかは、五十鈴は知らない。
けれどもその時のダンデとの会話が印象的で、万が一食べられそうになったら、飴玉を出せば交渉くらいは可能かもと、携帯するようにしていたのだ。
「食事と言うには小さいですけれど、空腹を紛らわせるくらいはできますわ」
五十鈴は明るく言って、ダンデの手に飴玉を握らせる。
ダンデは少しばかり驚いた様子だったものの、手の中に納まった飴玉を見つめて、ややあって「ふふ」と微笑った。
「ありがとうございます、五十鈴お嬢様。いただきますね」
ダンデは片手で器用に包み紙を開けると、ひょいと口――は見えないものの、顔があったらその辺りだろう箇所に摘まんだ飴玉を押し当てる。すると薄桃色の飴玉は、綿毛に吸い込まれるようにすうと沈んでいった。
「甘くて、美味しい」
ダンデは感慨深そうにつぶやいた。どういう仕組みになっているか謎だが、ちゃんと食べられているらしい。
それならば良かったと五十鈴は思いながら、
「あとはアルヴェさんたちが待っているところまで、無事に帰るだけですわね」
と言ってくるりと後ろを振り返る。
そして、その先に広がる漆黒の闇が満ちた廊下を見て、
「……あら? わたくしが入った出入り口がありませんわ」
と、口をポカンと開けた。




