#35 その扉をくぐる者は
百日草の花が咲いてから数日後、五十鈴はダンデと共に農協を訪れていた。
先日の苺を――というわけではない。二人は今日、カフェ・フロストの仕事のためにここへやって来た。
営業開始早々ではあったが、すでに駐車場は多くの車が停まっている。
苗を販売している場所も、農産物の販売を行う店舗の方も、すでに人であふれている。
年齢層は高めだが、そのほとんどは常連客のようで、慣れた手つきで底の浅い段ボールに野菜や果物の苗を入れてレジへに並んでいた。
「初めてお邪魔しましたけれど、人がいっぱいですの!」
「私も初めてでございますねぇ。苺の苗もどこかにあるでしょうか」
五十鈴とダンデは物珍しさにあちこちをきょろきょろと見て歩きながら、苗売り場を通り抜ける。そして建物の脇の道を通り、店の裏手にある従業員用の駐車スペースへと向かう。
表の賑やかな様子とは反対に、そこには人気はなく静かだった。
「恐らくこの辺りに……」
そう言ってダンデは周囲を見回す。
そして目を留めたのは、建物のそばに積まれている橙色のコンテナだ。ちょうどその辺りにノイズが走っている。
五十鈴とダンデは顔を見合わせるとノイズへ向かって歩く。
その途中でダンデが胸元から砂時計のペンダントを引っ張り出した。チェーンを指で摘まみながら近付けば、だんだんとノイズが強く濃くなり、目の前まで来ると何度か見た異界への扉が現れる。
ただその扉はいつもと様子が少々違っていた。
まるで電流が迸るかのように、白い光がばちばちと弾けているのだ。
触れただけで痛そうな見た目をしている扉を見て、五十鈴は大丈夫かしらと心配になってダンデを見上げる。
「だ、ダンデさん、いつもと違いますけれど……あれって大丈夫なんですの?」
「あまり……少々扉の具合が悪いようです」
問いかける五十鈴に、ダンデは少しだけ難しい顔をして答えてくれた。
なるほどと頷いて、五十鈴は顎に指を当てる。
「通る時に痛そうですわね……?」
「ふふ、ご安心くださいませ。人間には特に影響はありませんから。我々異形が通る際には、ちょっと痛いくらいですけれど……ですがまぁ、あの程度なら平気でございますよ。行きましょう、お嬢様」
「ダンデさんっ!?」
ダンデは何やら不穏なことを事も無げに言って、扉へと足を踏み入れる。
とたんにバチッと大きな音が響き渡った。
五十鈴はひえっと小さく悲鳴をあげる。しかしダンデはまるで気にした様子はない。すたすたと扉をくぐる彼を見て、五十鈴は慌ててその背中を追いかけた。
扉をくぐる時特有の眩い光の中でばちっと強い音は聞こえたものの、ダンデの言っていた通り五十鈴の体には痛みは走らない。五十鈴の傍では光が弾けることもなかった。
光が弾けているのはダンデの体だけだ。
「だ、ダンデさん、ご無理はしないでくださいまし!」
「はい! ふふ、ふふふ……五十鈴お嬢様に心配していただけるだけで、この程度の不具合なんて気になりませんとも!」
歩きながらダンデは自分で自分の体を抱きしめる。体をくねらせながら進む彼を見て、器用だな……と五十鈴は思った。
何やら胡乱の極みに見えるものの、さすがに言うべきではないだろうと五十鈴はお口にチャックしつつ、異界へと移動したのだった。
* * *
扉をくぐった直後に五十鈴の目に映ったのは、白い閃光に貫かれたダンデの姿だった。
「ダンデさんっ!?」
驚愕に目を見開いて叫ぶ五十鈴。こんな突然に攻撃を受けるなんて初めてのことだ。
ダンデは綿毛の頭から煙をぷすぷすと上げ、その場に立ちすくんでいる。着ている服だってボロボロになっていて、まるで無人島暮らしが板についた漂流者のようだ。
五十鈴はサーッと青ざめてダンデへ駆け寄る。
「いやぁ、なかなか痛かったですね!」
しかし彼はいつも通りの調子で明るく言って、くるりと振り返った。
だいぶ呑気な様子だが、彼の綿毛のような頭はあちこちが黒く焦げている。
「だ、だだだ、大丈夫ですの!?」
「ええ、問題ありませんよ」
そう言ってダンデは右手を軽く振った。
確かに穴が開いた執事服の隙間からは、健康そうな色の肌がちらりと見えているが、そのどこにも焦げどころか傷一つついているようには見えない。
ひとまず本当に大丈夫そうなのが分かって、五十鈴は胸を撫でおろした。
「く、口から心臓が飛び出るかと思いましたの……」
「大丈夫ですよ、お嬢様。その時は私がそっと戻しますから」
「現実に起こる想定ですの!?」
突然の物騒な展開に五十鈴は再び青ざめた。
ダンデの発言が冗談かどうかはともかくとして、そんな軽口が叩けるくらいには彼も元気そうだ。
「大丈夫なら良かったですわ……」
「ありがとうございます。ですが……やはりいつもより危険な相手だとは思いますので、お嬢様は私から離れないでくださいね」
ダンデは人差し指を立ててそう言った。これがもし人間の顔であったならば、にっこりと笑みを浮かべていそうな声色だ。
それからダンデは「さて」とつぶやき、周囲をぐるりと見渡した。
「入り口でこれだけ反応を見せたのですから、そろそろ……」
そうつぶやいた時、五十鈴達の頭上に大きな影が差した。
ハッとして顔を上げれば、血のように赤い空の中に、背に翼を生やした魚の異形が浮かんでいた。
トビウオを大きくしたら、ちょうどあんな雰囲気になるだろうか。
その黒い巨体から生える翼やヒレは透けていて、まるで絹の衣を纏っているかのように優雅に風に靡いている。その様子を見ていると、異形が水の中を泳いでいるかのような錯覚を五十鈴は覚えた。
「ほほ、何者かが罠にかかったと思うて見に来てやったら、美味しそうな人間までおるではないか」
魚の異形の口からは、どこか古風な口調の女性の声が発せられた。
異形はぎょろりとした目で五十鈴を見下ろす。
その視線から五十鈴を庇うように、ダンデが間に入る。
「私のお嬢様によこしまな目を向けないでいただけます?」
「……ああ、誰かと思うたら、貴様か異形狩り。まだ生きておったとは、ずいぶんと悪運の強い男じゃ」
魚の異形はころころと笑う。しかしその目は背筋がぞっとするくらい冷たい。
明確に放たれた殺気を感じ取って、思わず五十鈴の肩がびくりと跳ねた。
すると異形は面白いものを見たと言わんばかりに目を細める。
「おお、おお、かわいらしい反応じゃのう。これは実に食べ甲斐がある。しかし、まだまだ美味しくなりそうじゃのう……。もしや異形狩り、貴様も食べ頃を待っておるのか?」
「私はお嬢様の執事ですよ、そんなわけがないでしょう。確かに美味しそうだとは思いますが、私は――私達は人間の魂を食べないと誓っておりますのでね」
「これは妙なことを。そのような拷問を、自らに与えるなどと……まったく頭のおかしい奴らじゃ」
魚の異形はダンデの言葉を鼻で笑うと、嘲るようにそう言った。




