#30 神話の怪物のような
少女のかわいらしい口から、大変物騒な言葉が放たれた次の瞬間――彼女のおさげが触れてもいないのに解け、ぶわりと膨れ上がった。
その薄茶色の髪は、まるで意思を持った蛇のように蠢きながら長く伸び、そして質量を増し。重力などお構いなしの様子で宙に浮いた。
「め、メデューサっ!?」
ギリシア神話の有名な怪物の名前が五十鈴の頭に浮かぶ。厳密に言えば、少女の髪はまだ蛇ではない。しかしながらシルエットだけ見れば完全にそれだ。
五十鈴は「ひええっ!」と悲鳴をあげて、へっぴり腰で数歩後ずさる。
「あら、かわいい。そういう悲鳴、いいわね。新鮮で素敵よ」
少女はどこか妖艶な表情で、鈴を鳴らすようにころころと笑う。見た目のわりに妙に大人びているように感じられた。
――否、実際に『ような』ではないのだろう。
彼女の髪の異常な変化。こうもされれば五十鈴にだって、少女が何者であるか嫌でも理解出来た。
「あ、あなたも異形さんですのね?」
「ええ、そうよ。ふふ、異形さんだなんて、かわいい呼び方をしてくれるわね」
少女は楽しげにくすくすと笑う。
「というより、何をそんなに驚いているのかしら。ここの客が異形だなんて当たり前の話でしょう?」
少女はこてりと首を傾げ、あざとさすら感じさせるような上目遣いで五十鈴を見る。五十鈴は緊張感からごくりと唾を呑み込んで、口を開いた。
「や、やっぱり異形さんばかりいらっしゃいますのね……?」
「あら、知らなかったの?」
「あ、いえ、来てらっしゃるのは知っていましたけれど……その……」
五十鈴は言い辛そうに言葉を濁した。
カフェ・フロストにやって来る客が異形なのは、リカントが解雇された話からも聞いて知っている。しかし実際にどうかというのを、五十鈴はまだ自分の目で見たことがなかった。
何故ならカフェ・フロストは常に閑古鳥が鳴いているからだ。
「ああ……ここ、いつも暇そうだものね」
すると少女も何かを察したらしい。納得した様子でしみじみとそうつぶやく。
(いつも……?)
少女の口から出た言葉が五十鈴は気になった。『いつも』と言うならば、もしかしたら彼女はこの店の常連なのかもしれない。
それならば、きちんと説明すれば五十鈴がカフェ・フロストで提供される『ごはん』ではないことは理解してもらえるだろう。
ダンデたちが不在の今、五十鈴の身を守れるのは五十鈴しかいない。そう考えた彼女は、くっと顎を上げると、
「わたくし、ここで働いておりますの! ですからごはんではありませんわ!」
手を胸に当て、普段よりも大きな声でドンッと主張してみせた。
すると少女は驚いた様子で軽く目を瞠る。
「あら、そうなの? でも、ここはカフェよ? 飲食をする場所だわ」
「はいですの!」
「そこに美味しそうなごはんがいたら、店から提供されたものでしょう?」
「違いますの! わたくし、提供されるごはんではなく、ごはんを運ぶスタッフですの!」
「ごはんがごはんを運んでくれるのね」
「違いますの!」
五十鈴はくうっ悔しげに唸り、握った両手の拳をブンブン振る。話しがちっとも伝わらない。何を言っても少女の中で五十鈴は『ごはん』である。このままではまずい。
だが幸いなことに、他の異形と違って少女は、五十鈴に問答無用で襲い掛かってくることもなかった。状況としてはずいぶんマシだ。
良かった――いや良くない。安堵すべきなのか、より頭を抱えるべきなのか、五十鈴にもだんだん分からなくなってきた。
(何か、何か良いアイデアは……!)
命の灯が吹き消されそうになっているのを感じながら、五十鈴が思い悩んでいると、
「五十鈴お嬢様! あなたの執事ダンデ・ライオンがただいま――……」
ちょうどのタイミングでカフェ・フロストのドアが開いた。
同時に聞こえてくるダンデの元気な声と、涼やかなドアベルの響き。救世主の登場に五十鈴の表情がパアッと明るくなった。思わず「ダンデさんっ!」と五十鈴が名を呼んだ時、
「――戻りました」
次の瞬間には、五十鈴の目の前にはダンデの広い背があった。
見上げれば、外出するからと人の顔の幻影を纏ったその頭は、本来の異形のそれに戻っている。
「私のお嬢様に、一体何をしておいでで?」
ダンデは背中に五十鈴を庇い、地を這うような低い声で少女に訊ねる。
表情は見えない。声からも感情は感じられない。だが問い質すような淡々とした、どこか無機質な声は、彼の怒りの深さを現しているかのようだった。




