#27 リカントが解雇された理由
五十鈴達がカフェ・フロストへ戻ると、アルヴェアーレが出迎えてくれた。
店を出る時にダンデが「施錠はしなくても大丈夫ですよ」と言っていたので、フロスト内のどこかにはいたのだろう。カウンターに立って誰もいない店内を眺めていた彼女は、ドアが開くと共に「おかえり。ご苦労だったね」と労ってくれた。
しかし二人の後ろから、リカントが恐る恐る店に入って来たのを見て、彼女の片方の眉が上がる。アルヴェアーレと目が合ったリカントは、耳も尻尾もへにょりと下がり、恐縮しきった様子で縮こまっている。
先程までは、あれだけ強気な物言いをしていた彼が、借りてきた猫――もとい犬のように大人しくなっている。それを見ながらアルヴェアーレは「とりあえず報告を聞こうか」とカウンターを出て歩き出した。
彼女が向かった先はこの間の席だ。腰を下ろした彼女の向かい側に、五十鈴とダンデは並んで座る。しかしリカントは少し離れた場所で突っ立ったままだった。
所在なさげに立ちすくむ彼を、アルヴェアーレはちらりと一瞥したものの、特に何の声もかけずに「それでは話してくれ」と報告を促す。
(良いのかしら……)
五十鈴はそうは思ったものの、とにもかくにも事情を話さなければどうにもならない。リカントには助けてもらった恩があるし、その辺りをしっかりと伝えればアルヴェアーレの心証も良くなるだろう。
そう考えて、ダンデと一緒に今回の仕事の報告をする。アルヴェアーレは相槌を打ちながら、泰然と話を聞いてくれた。
最後まで話し終えると、アルヴェアーレは軽く頷いてようやくリカントの顔を正面から見る。
「なるほど、それでリカントが一緒だったというわけか」
「あ、あの、オーナー……」
彼女の口から自分の名前が出たとたん、リカントの耳がぴっと立つ。彼は物言いたげにアルヴェアーレを上目遣いに見て、その大きな口をもごもごと動かしていたが、どうにも二の句を継げないようで、結局俯いて黙ってしまった。
「……ねぇダンデさん。リカントさん、先ほどと様子が違いませんこと?」
「オーナーを前にすると、彼はいつもこうなんですよ」
五十鈴とダンデはこそこそと小声で言葉を交わす。店内の音楽に紛れて聞こえないように……と配慮した声色だったが、リカントの獣の耳にはどうやら届いてしまったらしい。彼は不愉快そうにじろりと五十鈴達を睨む。
「リカント」
「……!」
しかしその直後に、アルヴェアーレに咎めるように名を呼ばれ、リカントの元気はしゅるしゅると萎んでいった。
「アルヴェさん、お強いですわ……!」
「おや、ふふふ。いいね、褒められるのは気分が良い」
五十鈴が感心すると、アルヴェアーレは満更でもなさそうに笑う。
先程よりも表情が柔らかくなった彼女は、テーブルの上で膝をつくと、手を組みそこへ顎を乗せた。そして横目でリカントを見る。
「リカント、言いたいことがあるのなら、はっきりと言いなさい」
「…………っ」
アルヴェアーレに促されたリカントは、当惑して視線を彷徨わせる。
けれもすぐに、両手の拳をぐっと握って顎を上げ、
「も、もう一度……もう一度俺を雇って、ください」
そう言って、深く頭を下げた。
「君は自分がどうして解雇されたか、理解しているか?」
「客と喧嘩になったから……です」
アルヴェアーレの問いにリカントが答えると、それまで黙って聞いていたダンデが「おやおや」と口を挟んだ。
「ずいぶんとマイルドに言いますね。あれは喧嘩ではなく、あなたがほぼ一方的に殴って叩き潰したでしょうに。異形相手じゃなかったら大問題でしたよ」
「い、意外とアグレッシブですのね……!?」
予想外に物騒な内容に五十鈴は目を丸くした。
ただ――リカントは気分でそんなことをしなさそうだなとも同時に思う。彼は言葉遣いや態度こそぶっきらぼうだ。けれども異界でのことを思い出すと、リカントが理由なく暴力を振るう異形だとは五十鈴にはどうしても思えない。
「あの……訊いても大丈夫でしたら教えていただきたいのですが、一体何があったんですの?」
「……リカントが叩き潰した客は、オーナーを侮辱したのでございますよ。お嬢様に聞かせられないくらい、酷い言葉で」
するとダンデがそう教えてくれた。
紳士的な彼が「お客様」ではなく「客」と呼び捨てたあたり、よほどどうしようもない相手だったのだろう。
「ずいぶん失礼な方がいらっしゃいましたのね」
「ええ、本当に。それでリカントも手が出たのでございます。その気持ちは理解出来ますが、問題はその後で……」
「まだ何かありましたの?」
「……店内がぐちゃぐちゃになるくらいの、酷い暴れようで」
ダンデがリカントの方へ顔を向けると、彼はばつの悪そうに顔を反らした。
ここまで聞いて五十鈴は、リカントが解雇された理由が、自分が思っていたものとは違うような気がしてきた。
「……もしかして、そちらが原因で解雇に?」
「その通りさ。客を叩きのめすくらいなら許したんだがなぁ……」
「そ、そちらも問題があるような気がしますけれど……」
「ふふ、平気さ。何せその客も異形だ。異形同士の喧嘩であれば、我々には日常茶飯事だよ」
アルヴェアーレは事も無げに言ってのけた。
五十鈴には少々不可解ではあったが、隣に座るダンデが言葉を補足することも、アルヴェアーレの発言を否定することもなかったので、そういうものなのだろう。
「本当に、あれは大変だったよ。うちの建物は特殊だから、修繕業者からもかなりの額を吹っ掛けられてな。まったく、同じ異形だからって足元を見て……」
「ええ。そのせいで私も、こつこつ集めてきた大切な執事コレクションを手放す羽目になりました……。くっ、フルオーダーでお願いした、純金製の懐中時計が……っ」
ダンデが胸を手で押さえ、体をぶるぶると震わせながら悲嘆に暮れる。泣いているのかもしれない。
「じ、事情は分かりましたわ。でも、それならなおのこと、働いて修繕費を返してもらった方が良かったんじゃありませんこと?」
「あれが三度目じゃなければ、私もそうしたんだがなぁ」
「さっ、三度目!?」
五十鈴が驚愕してリカントの方を向く。
すると彼は先ほどよりも項垂れて縮こまる。まるで雨に濡れた仔犬のように小さくなってしまった彼を見て、五十鈴は「ああ……」と何とも言えない気持ちが、つぶやきと共に口から零れ落ちた。異界で助けてもらった恩返しに少しでも力になれればと思ったが、これはさすがに擁護出来ないかもしれない。
「それは……解雇になってしまいますわね……」
失敗は悪いことではないと五十鈴は思っている。
アルヴェアーレも、リカントが店を壊したことに関しては頭を抱えていたが、そうなった経緯については、特に悪く考えていないようだった。
恐らくリカントが解雇となった理由は、客と喧嘩になったことでも、店を壊したことでもない。『繰り返した』からだ。
リカントは店を壊すほどの騒動を三度繰り返した。きっと三度とも、相手側が酷い態度を取ってはいたのだろう。そして彼はその度に怒りを露わにし暴れた。それを見たアルヴェアーレは、リカントに反省や改善の意思がないと判断し、解雇したのだろう。
失敗は悪ではない。失敗を繰り返したことに対して、何も思っていないような態度を取ったことが問題だったのだ。
そしてリカントは解雇されてようやく、そのことに気が付いたのではないか。
「次は……次はちゃんと、我慢します。本当に、我慢します、から。だから、どうか……」
――捨てないで。
縋るようにアルヴェアーレに向けられた目には、彼の切実な想いが込められているようだった。その姿を見た五十鈴は、何だか胸が締め付けられるような気持ちになる。
今のリカントは、過去のことで本当に反省しているようだった。それにぶっきらぼうではあったが、よく考えたら五十鈴に対しての文句も、裏を返せば「美味しそうな香りの人間が、異界へ行くなんて危ない」という心配からだったのではないだろうか。
そう思って五十鈴は口を開く。
「……あっ、あの、アルヴェさん! 確かにリカントさんはお口が悪かったですけれど、でもとても丁寧に私を守ってくださいましたの。ですから、あの、どうか……」
「お前……」
リカントが驚いたように目を見開いて五十鈴を見る。
そして彼はくっと顔を上げ、
「お願いします。もう同じことは繰り返しません。どうか……どうか俺にもう一度チャンスをください。オーナーのところで働きたいんです……!」
もう一度深く頭を下げた。
「…………」
アルヴェアーレはそんなリカントを、しばらく見つめた後、
「…………まったく。そういう目には、どうにも弱いな」
ふっと苦く笑いながら独白のようにそう言って「二度目はないぞ」と告げた。
とたんにリカントは顔を上げて、泣きそうにくしゃりと顔を歪め「はいっ!」と、嬉しそうな声で叫ぶように返事をしたのだった。




