#14 魂の大事なところ
「大事な……ところ?」
五十鈴はダンデの言った言葉の意味が良く分からず訊き返す。すると彼は「ええ」と穏やかな声で頷いた。
「お嬢様、あなたのお名前は何ですか?」
「わたくしは……藤原五十鈴ですわ」
「ご年齢とご職業は? あとご趣味は?」
「十七歳の高校二年生ですの。趣味は……コンビニエンスストアの期間限定のスイーツ探し……って、何のお話ですの!?」
「ふふ、よろしい!」
まるでお見合いでもしているかのような質問に、五十鈴は思わずツッコミを入れた。するとダンデから褒められてしまう。何がよろしいのかサッパリだが、彼の声はとても明るかった。
「そこまでちゃんと分かっているのならば、お嬢様は大丈夫でございますよ。何よりもお名前をしっかり言えることが大事なのです」
「名前が?」
「そうですとも。名前というのね、魂の核なのです。それさえ忘れていなければ、例えどれだけ異形に魂食べられようとも、必ず元に戻ります」
「そう……なんですの?」
「そうなんです。ですので――……終わらせて、さっさと帰りましょう」
ダンデは手に持ったサーベルの切っ先を果歩へと向ける。彼女は大きく抉れた腕から黒い煙をあげながらも、相変わらずの笑みを顔に張り付けていた。
「あはは、同感! 私もお腹すいたからぁ、さっさと終わらせちゃう!」
「おや、最後だけは話が合いますね!」
ダンデと果歩はお互いにそう言うと、同時に床を蹴った。サーベルの放つ淡い緑の光と、鬼のような腕に纏う禍々しい炎が、何度も何度もぶつかり合い火花を散らす。その速さは五十鈴の目では追えない。けれども弾けた光の軌跡のおかげで、何となく様子は伝わってきた。
固唾をのんで見守る五十鈴の目には、緑の光が――ダンデの方が優勢に映る。彼は一度、わざと果歩に攻撃を弾かせて距離を取ると、タンッ、と軽やかに床を蹴って、再び一気に距離を詰めた。果歩の懐に飛び込むように接近したダンデは、下から上へサーベルを振り上げる。ギラリと光る刃が果歩の顔を真っ二つに切り飛ばした。
「あーあ、最悪」
果歩は悲鳴をあげることなく、心底面白くなさそうにそうつぶやいて、どさりとその場に倒れる。間もなくその体は、これまでの異形と同じように塵となり、空気に溶けるように消えて行った。ダンデは果歩の体が完全に消滅するのを確認してから、小さく息を吐くと、五十鈴の方へくるりと向き直る。
「お待たせいたしました、五十鈴お嬢様。大丈夫でしたか?」
「あ、はい……」
「……大丈夫ではなさそうですね」
ダンデはサーベルを消すと、五十鈴の方へとゆっくりと歩いて来た。
「今の異形……果歩さんでしたか。彼女とは長い付き合いなのですか?」
「えっと、高校に入た時に知り合いましたから……まだ一年ちょっとでしょうか」
「なるほど。そこから目を点けられていましたか。でしたら、ずいぶん我慢が効いたようだ」
「あの……」
五十鈴は訊こうか訊くまいか迷って視線を彷徨わせ、
「元の世界へ帰っても、果歩さんはもう、いませんの?」
意を決して言葉を紡いだ。するとダンデは首を静かに頷く。
「ええ、いません。というより、初めからいないと思いますよ」
「初めから?」
「はい」
「そ、そんなはずありませんわ。だってわたくし、果歩さんと一緒にお弁当を食べたり、遊んだり、学校の行事に参加もしましたのよ?」
「そこは、クラスメイトの方々に聞いてみると良いでしょう。果歩さんという方がいたかどうかを」
「…………」
どこか憐れむように言われて、五十鈴はそれ以上何も言えなくなってしまった。ダンデの言う通りだったなら、自分は今までどうやって学校生活を送ってきたのだろう。
(誰もいない空間に話しかけていたとか……?)
想像したら何とも危ない状態である。五十鈴は違う意味で頭を抱えたくなってきた。
「…………何だか色々と、とんでもないですわ」
「そうですね。ですが、恐らくこれでもう、襲いかかってくる者はいないでしょう。この付近では異形の気配がなくなりましたから」
ダンデは周囲へ視線を走らせたあと、胸に手を当てる。
「帰りましょうか、お嬢様」
そしてそう続けた。五十鈴は彼を見上げて、そのふわふわとした異形の頭を視界に入れながら「ええ、帰りましょう」と頷いた。
気になることは多い。けれども、それらは全部元の世界へ帰ってから考えれば良い話だ。だから五十鈴はダンデと並んで、蜃気楼のように揺らめく扉へと近付く。
「さて」
歩きながらダンデはペンダントの砂時計を手のひらに乗せた。すると砂時計の中に入った塵が、扉に近付くにつれてだんだんと色を失い、透明になって行く。残ったものはさながら水晶の欠片のように美しかった。そうして二人が扉の前まで来た時、それがゆっくりと開き始める。
あっ、と五十鈴は一瞬、後ずさりかけた。するとダンデが「心配しないで、大丈夫です」と優しく言って、先に扉をくぐる。大丈夫、と五十鈴は口の中で繰り返すと、ダンデに置いて行かれないように急いで扉を駆け抜けた。
強い光が視界を覆う。思わず五十鈴は目をぎゅっと瞑った。
そうして瞼の後ろに眩しさを感じなくなった時、恐る恐る目を開ければ、そこは先ほどと同じ校舎の屋上のようだった。
「ここは……」
五十鈴は一瞬同じ場所かと心配になったが、周囲を見回してそうではないなと理解した。空の色がまるで違うのだ。五十鈴の頭上に広がる夕焼け空は、異界にあった鮮烈な赤ではなく、穏やかな橙色。それにあちこちから生徒や烏の声もちゃんと聞こえている。
元の世界へ帰ってくることが出来たのだ。五十鈴は安堵のため息を零して、その場にへなへなと座り込んだ。
「い、一生分の体験をした気分ですわ……」
「ふふ、お疲れ様でした」
「ダンデさんもありがとうございま……え?」
五十鈴がお礼を言いながら、ダンデの声がした方へ顔を向ける。するとそこには異形頭の紳士はおらず、代わりに白くふわふわした毛並みの猫が、ちょこんと座っていた。
「…………」
「おや、お嬢様。どうしましたか?」
「……猫」
「はい、猫でございますね」
「……何故?」
ダンデと同じ声のする猫を凝視しながら、五十鈴は首を傾げて問いかける。
「何故と申されましても……あの姿では目立つではありませんか」
するとダンデからは何を言っているのかと、怪訝そうな目を向けられてしまった。それは確かにそうだが、そういう話ではない。あまりにも色々なことが起こり過ぎて麻痺しかけた思考で、五十鈴は「解せぬ」と半眼になった。
「……ふふっ」
しかし、何だかおかしくなってきて、五十鈴はくすくすと笑い出す。そうしていると涙まで出てきてしまって、五十鈴は「あらまぁ」とつぶやいた。
「困りましたわ」
笑ってしまうのに、何だか寂しくて空しい。今まで感じたことのない複雑な感情が、胸の奥から競り上がってきて、五十鈴はぽろぽろと涙を零しながらしばらく肩を震わせて笑っていた。その間、ダンデは何も言わずにそっと傍で寄り添って、五十鈴が落ち着くのを静かに待っていてくれたのだった。




