その3:2026年2月25日水曜日・G県N市新町交差点「BARアムリタ」②
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「こらこら、二人とも。溜め息は〜幸せが逃げるぞっ♪」
アイラとカレンが向き合ってため息をついたテーブルの上に、【ボゥオォン】と立ちこめる黒雲を吹き飛ばすように、天真爛漫な明るい笑顔が元気いっぱいの声とともに割って入った。
「はい、チーズの盛り合わせとポークソテーね。まったく、アイラちゃん。この時間からガッツリお肉って……いつものことだけど大丈夫? 胃に重くない?」
両手に持った皿をそっとテーブルへ置きながら、シンジュはニッと笑ってアイラに視線を向ける。また“いつものお約束”かと、アイラも同じようにニッと笑って返した。
「しっかり食べておかないとパワーが出ないからさ。いつかシンジュさんに勝てるように、な♪」
「おおー! アイラちゃん、頑張り屋さんだ。」
シンジュは腕を組み、ウンウンと満足げに頷く。そのやり取りを、カレンはどこか微笑ましそうに眺めていた。
「ありがとう、シンジュさん。いただきます。」
そう言ってカレンは、差し出されたチーズの盛り合わせに手を伸ばした。
◇◆◇
柴山シンジュ。
BARアムリタを営む柴山アオイのパートナーであり、バーメイドでもある。
とはいえ彼女は主に料理を担当しており、ここの常連であるアイラ、カレン共に日曜夜はここで夕食と酒を楽しむことを週課としている。黒のジャケットに白いシャツ、黒のネクタイという正統派の本格BARらしい制服を纏い、栗色のミディアムヘアと褐色の肌、そしていつも天真爛漫な笑顔で客を迎える可愛らしい女性である。
ただ――二人は見たことがないが、噂によれば、彼女は怒るととても怖いらしい。
もっとも、それ自体が滅多にないことなのだが。
「まあ、ため息を吐くと幸せが逃げるっていうのは迷信らしいけどね。本当は、ため息って体にいいって話もあるし。」
BARタイムにはまだ早いため、店内にはアイラとカレンの二人しかいない。シンジュはカウンターに立つアオイにふと何かサインを送ると、そのまま二人の掛けているテーブル席に腰を下ろし、まるで最初からそこにいたかのように自然に会話へ加わった。
「それで、二人にため息を吐かせる悪いやつの話、私にも聞かせてよ。」
「悪いやつって……というかさ、まだ何もわからないんだよなぁ。」
ふう、とアイラが思わず漏らしたため息。それを合図にするように、二人が追っている「G県N市連続電車飛込事故について」の話に、柴山シンジュという三人目のメンバーが加わることになった。
◇◆◇
二人から「G県N市連続電車飛込事故について」この一週間で調べたことを聞いたシンジュは、ふむ、と目を閉じ、眉間に軽く皺を寄せ、腕を組んで考える。
「依頼人が見た被害者の様子から、自分で飛び込んだとは思えないのは分かるけど……
人に押された証拠もない。それに違和感を感じてる、かぁ……」
アイラの「現地でも特に何も感じなかった」という話。
カレンの「どの方面から調べてもN市駅で特別変わった事故は出てこない」という話。
シンジュは、二年前にあったN市駅での女性の転落事故の事を二人に聞いたが、それは報道の通り「病気を患った女性が誤って転落した事故」であり、今回とは関係ないとカレンは言う。
「うーん、これは…………」
再び目を閉じ、眉間に皺を寄せ、腕を組んで考えるシンジュ。
その様子に、アイラとカレンは思わず息を呑んだ。
何か閃いたのか? と期待を寄せるように、二人はごくりと固唾をのむ。
その沈黙、約7.77455秒。
そして――シンジュがパッと目を開け、口を開いた。
「こまったねぇ。」
――進捗は、なかった。
◇◆◇
「ねえ、この事故って確か今年に入って三回起きていたよね。一番最近のが十三日の金曜日だったことは覚えているけど、他のは何日だったっけ?」
不意にシンジュがそう口にした。
アイラとカレンはすでに“日付の整理”については共有済みだったが、それを知らないシンジュには説明が必要だ。ここはカレンが、事故の起きた日を順に話し始めた。
「最初は1月9日の朝8時5分。2回目は1月23日の朝8時5分。3回目は2月13日の8時……」
カレンの言葉を聞きながら、シンジュはスマートフォンのカレンダーを開き、1月9日、1月23日、2月13日――と指でなぞっていく。
「ん? ……これって、2週間おきの金曜日じゃない。」
アイラとカレンはコクリと頷き、カレンが続ける。
「シンジュさんの言う通り、2週間おきの金曜日、8時5分の電車という共通点はあるのだけど……ただ、どの事故も報道の通り“転落事故”として処理されていて、依頼人・兵藤さんの言う違和感……つまり“何者かに押された”という証拠は、『こちら側』にも『あちら側』にも今のところ見当たらない。そんな感じね。」
「こちら側」と「あちら側」。
その言葉が何を意味するか、三人は当然理解している。
世の中にはいわゆる説明できない“暗黙の領域”があり、世間に公言はしていないが、このテーブルに座る三人は、いずれもそれが“見える人”だった。
そしてこの時、シンジュはスマートフォンの画面を見つめたまま、小さくつぶやいた。
「それじゃあ、次に事故が起きるかもしれない日は……2月27日の金曜日、8時5分。
ねえ、カレンちゃん、アイラちゃん。この日に張り込みしてみたら?」
「それだ!!!」「そっか!!」
0.1秒の差もない、ほぼ同時の声。規則性があるのなら、過去ではなく“これから”を押さえればいい。もしもの時でも事故を未然に防ぐこともできるし、現場で何が起きているのかを直接確かめることもできる。
「こまったねぇ」と言った直後の、何気ないシンジュのひと言。それがどうやら、二人の調査視点を“過去”から“未来”へと切り替えさせたようだった。
◇◆◇
その後の話は、とんとん拍子に進んだ。
2026年2月27日。
7時30分にアイラがN市駅へ入り、8時5分――事故が起きてきた時間帯に合わせて現場を見守り、もし同じような状況が起きたなら全力で阻止する。
もともとこれはアイラが受けた依頼であり、ここから先は彼女が一人で対応することになった。
そんな話がまとまったところで、カウンター内でグラスを丁寧に磨いていたBARアムリタの店主・柴山アオイが、三人の掛けるテーブル席に向かって、釘を刺すように優しい声をかけた。
「アイラ。わかっていると思うけど、何かを見つけたときは……くれぐれも、やり過ぎないように頼むよ。」
【シャラーン】と、店に訪れる女性客を虜にする“キラースマイル”を添えて放たれたその言葉に、アイラはビクッと体を震わせ、どこか引きつった笑顔でアオイを見返した。
「りょ、了解っす、アオイさん。」
バーテンダージャケットに身を包み、栗色の長髪を後ろで束ねた精悍な顔立ち。店を訪れる女性客たちの憧れ、そして聞き上手なことから男性客たちの良い相談役である、BARアムリタのマスター・柴山アオイが纏う“ただならぬ青いオーラ”に、アイラは完全にたじたじだった。
普段は勝ち気なアイラだが、実はBARアムリタを営むこの柴山夫妻には弱い。
その様子が久しぶりに見られたこともあり、カレンとシンジュは思わず声を上げて笑っていた。




