第2話
ルシオが来た次の日、フランソア侯爵家のシャルルという令嬢から私に挨拶がしたいから是非遊びに来てくれという招待をもらった。ギルの従妹にあたるそうで、幼い頃から仲が良いらしい。
シャルルの年は十歳とリヒトと近いので、私は彼も連れて行きたいとギルにお願いした。ギルは文書で、三人で行くと答えてくれた。
リヒトにシャルルから招待が来たこと、三人で行くことを告げる。
「ねぇ、リヒト。シャルルって子は、貴方と年が近いそうよ。友達を作る良い機会になるかも」
そう言うと、彼は読んでいた本から視線を外し、やけに暗い目で言った。
「友達とか……僕はバーバラ様さえいれば良いです」
ぶっきらぼうに言う彼の頭を私は優しく撫でながら聞いた。
「まだ婚約の事、怒っているの?」
リヒトは私とギルが交際を始める事は何も言わなかったが、婚約をすると言った時はひどく怒ったのだ。まだ早いじゃないかと。その時は私が宥めたからおさまったけど、彼のギルに対する嫉妬心は根深い。
「怒ってはいません。ただ納得していないだけで……」
「まだ婚約する時期は決まっていないし、リヒトが納得するまでは進めないよ。私だけいればいいっていうのも嬉しいけど、リヒトの為にはならない。貴方には可能性があるから、もっと広く世界を見て欲しいの」
私はそう言ってリヒトを抱き締める。彼には時間が必要だ。リヒトの心の整理がつくまで、私は籍を入れないつもりである。決して、リヒトを置いてきぼりにはしない。この気持ちが伝わるまで私は待つと決めた。
招待された日になり、三人でフランソア侯爵邸へと向かうと、出迎えてくれたのは白く長い髪に、透き通った水色の瞳を持つお人形のように可愛らしい少女だった。どことなく、リヒトに似ている気がする。
どうやら両親は旅行で居ないらしく、屋敷には彼女だけらしい。
「初めまして、私はバーバラ。この子はリヒト。お会いできて嬉しいわ」
貴族式の挨拶を交わすと、シャルルは妙に冷めた目で私を見る。
「どうぞ、待っていたわ」
彼女はくるりと踵を返すと、無言で私達を案内する。
もしかして人見知りなのだろうか。あまり歓迎されていないような気がするのは気のせいだろうか。なんて考えていると、シャルルが満面の笑みを浮かべてギルと楽しそうに会話をしている。やっぱり人見知りなのかも。
私が上の空だと気付いたのは、シャルルは無表情でこちらを見る。
「わたし、“水流古箏”を演奏できるの」
彼女は傍に控えていた侍女に指示すると、立派な箏を運ばせた。年季が入っているのに保存状態がとても良い。きっと大事にしているのだろう。
シャルルの細い指が箏の上をあちこち動き回る。その様子はまるで妖精が踊っているのかのような軽快さ。息をするように美しい音色を奏でるシャルルに、ギルは上手になったねと声を掛けた。彼に褒められて嬉しそうな顔をするシャルルは、大人びていてもやはり少女である。
「弦が多くて譜面も複雑だから演奏するのがとっても難しい楽器なのよ。水が流れるようにずっと手を動かさないといけないから水流古箏。バーバラには出来ないかしら?」
にやりと笑うシャルル。これは彼女からの挑戦状だ。私の事を呼び捨てにしたのは置いておくとして。立ち上がり、彼女に許可をもらう。
「弾いてみても良いかな?」
彼女は出来るわけがないだろうという顔で頷いた。顔に出やすいなぁ、この子。
私は彼女と同じように弦を弾く。確かに水流古箏は貴族令嬢でも演奏できる人は限られている。普通の令嬢はそこまで極めなくても、ある程度の楽器を嗜む程度に演奏出来れば良い。だが、私は幼少期より王妃教育を施されてきたので難しい楽器も習わされていた。
私が演奏できると知らなかったのか、シャルルは顔を真っ赤にして見ていた。透き通る水色の瞳に大粒の雫を浮かべて。
「わたしより上手じゃない……! 悔しいわ!」
まぁ王妃教育を受けて来たからね、とは言えず私は苦笑いを浮かべる。
「でも、その古箏がどれほど貴重なものかあんたに分かるかしら。そこらにある水流古箏とは格が違うなんてさすがに知らないわよね」
「楽器作りの神様と呼ばれたヴィヴィルデンテの作品でしょう。世界で五台しかないうちの一台だわ」
「見ただけで分かるなんて。しっかりと教育を受けた令嬢でもそこまで分からないのに」
うわ、ものすごく悔しそうな顔をしている。負けず嫌いなのかな。
でも、十歳でこんな難しい楽器を演奏できるなんてすごいと思う。専門の学院に行って習うくらいなのに。
「こんな価値のある楽器を十歳なのにとても上手に演奏できるのね。音楽の女神かと思うくらいだわ」
手放しで私はシャルルを褒めた。下心があったわけではなく、彼女には才能があると心の底から感じたからだ。
「えっ……ほんと? あんたは意外と良い人なのかもね」
「意外と?」
意外とはどういうことなのだろうか。意地悪そうに見えていたのだろうか。まぁ、小説の悪役ではあるからなぁ。
「バーバラ、庭を少し見て回りませんか? フランソア侯爵夫人は薔薇の栽培に力を入れていて、ここの薔薇園はとても美しいのですよ。シャルル、見て回っても良いですよね?」
「はい、ギル兄さま」
ギルが気を遣ったのか私を誘ってくれた。彼はリヒトに目配せしながら歩き出す。シャルルと話をするように促しているのだろう。私もリヒトの方を見て片目を閉じて見せた。
◆ ◆ ◆
シャルルとリヒトの二人だけになったことを確認すると、リヒトは冷たい視線をシャルルに向け、ぴしゃりと言い放った。
「バーバラ様に手を出したらただじゃおかないぞ」
すると、シャルルは鼻を鳴らし、見下すようにして言う。
「あんたはバーバラの何なの?」
二人の間に火花が散る。
「あの方は僕の恩人だ。どんな出自でも分け隔てなく接してくださる」
「ふうん。わたしの演奏技術の凄さを分かったのは、あの人くらいだから人柄はまぁ良いんじゃないの」
シャルルがそっぽを向いて答えると、リヒトは目を輝かせて言う。
「だろう、素晴らしいんだ! バーバラ様の凄さが分かるなんて君は優秀だな」
優秀だと褒められて嬉しいのか、シャルルの頬は緩む。
「あんたとは気が合うかもね」
シャルルとリヒトの間に歪で奇妙だが、絆が芽生え始めていた。




