51.餞の唄
白。
それが、目を開いたとき初めに見えた色だった。
次いで影。その縁取りで、見えていた白が天井だったと知る。
音。ピ、という高い音が定期的に聞こえる。
それから、風の通るような音も。その音は近く、どうやら自分の口元から響いている。
呼吸器だ。
そこまで認識するに至って、ようやく自分の置かれた状況を把握した。どこかは知らないが、病室。
だが、ここに至るまでの記憶がない。途切れた最後の瞬間から、今ここに連続しない。
その点にわずかな動揺を自覚したとき、新たな音が聞こえた。
滑る音。スライドドアが開いて、誰かが入ってくる。その誰かは迷わずこちらまで歩いてくる。視界にはまだ入らないが、気配から探るまでもなく音でわかる。
誰かが自分の横たわるベッドの傍に、座った。
「――筧さん」
かかってきた声には覚えがある。忘れようはずもない。
「相葉、か」
出した自分の声は、思っていたよりも掠れていた。だがそんなことを気にしている場合でもない。手足どころか首すらも満足に動かせないため視線だけをそちらへ向けるが、どうにも霞んでしまっていて、相葉を明確に捉えることができない。
「どう、なった。ここは」
輪郭が揺らいで見える相葉に問う。少しずつだが、目が慣れてきたのだろう、細部が見え始めている。
その視界の中で、相葉は淡々と言った。
「あの戦争は終わった。機関七課は壊滅。超能力者も、今は何も行動を起こしていない」
「……どれだけ、経った」
「三ヶ月だ」
相葉の口から告げられた時間に、軽い衝撃が走る。三ヶ月もの間、自分は眠っていたのか――だが、その驚きを感じた後で、もっと根本的な疑念に戻る。
「私は、どうして生きている」
戦場の真ん中で満身創痍に、自分は倒れた。救援の間に合う距離ではなかったし、それでなくとも命の助かるような怪我ではなかったはずだ。ぎりぎりまで引き延ばしていただけで、致命傷だってあったはず。
けれど、相葉は筧の内心に反してあっさりと答えた。
「間に合ったんだ」
それでは答えになっていない、と筧が言い募る前に、相葉は続けて、
「金木を取り逃がした氣境が、途中で倒れている筧さんを見つけて運んでくれた。氣境も相当やられていたらしいんだが、筧さんほどじゃなかったんだな。先月に退院している。――この病院も大丈夫だ。機関七課の手もかかっていない」
「……機関七課の手が伸びていないからと言って」
「別の――信用できる組織に関連のある病院だ」
相葉は言葉を濁したが、筧にはすぐにそれがどこか察せられた。
「超能力者の関係、か?」
相葉は答えない。だがその沈黙が答えだ。
そうか、と応じて、筧は枕に頭を沈める。
「お前は、無事だったんだな。それは何よりだ。久坂はどうした。それに、北山総長は」
「死んだ。北山総長も……久坂も」
「……そうか」
衝撃は、思いのほか少なかった。北山が死んだということだけではない。
久坂が死んだ。
そのことに関しても。
むしろ、久坂までもが死んで、どうして自分は生きているんだという、寂しさのような情さえ芽生えた――自分だけ死に遅れた、と。
「機関七課は壊滅した、と言ったな。なら、戦いは終わりか」
違うだろうな、と思いながら問う。ようやく目鼻を判別できるようにまで回復した視界の中で、見える相葉の目を見れば、わかる。
いや、とやはり相葉は首を振った。
「岸田も死んだ。けれど、岸田は死ぬ前に、超能力者についての情報を世界中の同類組織へ渡したと言っていた。勿論、日本国内にも、だ。今、その組織を洗い出している」
「……洗い出して、どうする」
「滅ぼす」
きっぱりと、相葉は言った。聞いたことがないほど、決然と。
「七課のような組織だけじゃない。超能力者の過激的な組織も、すべからく潰す。片っ端から潰して回る。誰も、争おうと思う奴がいなくなるまで」
「何のために、そうまでする」
問う。相葉の目をまっすぐに見据えて。
「それは、悲惨な道だ。今まで七課で通ってきたよりもずっと惨たらしい、修羅の道だ。――そんなところに、どうして望んで入ろうとする。もう、もとの日常に戻っていくことだってできるはずだ」
完全に戻ることはできないだろう。機関七課に所属することになったとき、相葉や筧の社会的パーソナルデータは一切を抹消されている。
それでも、手はあるはずなのに。
「……約束、したんだ」
そっと、相葉はそう答えた。約束。問い返す筧に、相葉は頷く。
「久坂と、約束した。久坂が生まれ変わってくるまでに、世界を変える。誰も争わない、超能力を持つ人間も持たない人間も争わない、殺し合わずに済む世界に変えてみせるって。だから俺はそのために、戦う」
きっぱりと相葉は言った。生まれ変わり、などという考えは筧には理解できるものではなかったが、それが相葉の戦う理由であることは確かだった。
生き残り、生き延びるという、筧が持っていた理由と同じだけ、大きなもの。
「……そうか」
それがわかっていたから、筧にはそうとしか応じられなかった。
「できるなら、私も助力したいところなのだがな……」
生き残ったからには、できることをする。戦いの中でしか生きられない命だ。ならばそこで全うするべき――そう思う。けれど、
「いや、いいんだよ。筧さん」
柔らかく、相葉は断った。その理由は、筧自身よくわかっている。
治療に三ヶ月もの期間を要し、なおも完治には程遠い怪我のこともある――けれども何より、筧は手足の一部を欠いていた。
左腕、右脚。
残っている左脚だって、満足に動くものではない。これでは戦うどころか、満足に生きることもままならないだろう。
それを悔しく思ってしまうのは、矜持だろうか。
「……行くのか」
問うまでもないとは思いながらも、問わずにはいられない。予想通りに、相葉は頷く。
「俺は、行く」
その答えを聞いて、ぼんやりとではあるが、筧は悟った。
相葉と生きて会うのは、これが最後なのかもしれない。
相葉はなおも戦場に生き、自分はもうそこに立っていることができない。
一度分かたれてしまえば……この道は、二度と交わらない。
「ならば、私にはお前を引き留める言葉はない」
精一杯に明朗と、筧は相葉へ向けて言う。
これがせめてもの餞だ。
「だが、決して忘れるな。生き残ることを、生き延びることを――死んでもいい、とは絶対に、思うな」
お前は、諦めてしまうにはまだ早過ぎるから。
「それがわかっているのなら――進め。振り向くな。進んでいる道が正しいのか、間違っているのかなどと悩むな、迷うな。私が保証する。お前の行く道はきっと正しくはない……だが、決して間違ってもいない、と」
だから、立ち止まるな。
「久坂の思いを背負っても、久坂の命までは背負い込むな。久坂は久坂の人生を全うした。だからお前も、お前の人生を生きろ」
以上だ。
わずかに息を切らせながらも、はっきりと言い切った筧を、相葉はどこか驚いたように見返していた。
けれどすぐに――破顔する。
「ああ。……有り難う、筧さん。覚えておく」
短く言って、立ち上がる。身を起こすこともできない筧は、見送ることしかできない。
だから最後に冗談として、
「また、戦場でまみえる日を楽しみにしているぞ」
「ああ、そのときはよろしく頼む」
視線が交差する。それを最後として、相葉は背を向けた。静かにドアを開け、出ていく。
振り向かない。
鼻唄が聴こえた。
誰の、と言えば、ひとりしかいない。
相葉だ。
それは、筧もよく知っている、しかし知らない歌だった。
久坂の歌だ。
彼女がよく歌っていて、誰も、久坂自身すらも正体を知らなかった歌。
それを、今は相葉が歌う。
……そうか。
筧は、その意味を悟る。
相葉の歌は、餞の歌。そして、
……受け継いだと、そういうことだな。
カラカラと軽い音を立てて、スライドドアが閉じていく。鼻唄が遠ざかっていく。その音を聞きながら、筧は静かに目を閉じた。
終わらない戦争の、終わり。
そして始まりの日。
その日を最後に、相葉の行方を知る者は誰もいない。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
またどこかで機会の御座いましたら、よろしくお願いします。




