20.伝えるべき言葉
道行きは、不可解だった。
まず、見張りは普通に健在だった。何ということもなく、平然と新聞など読んでいる。男と相葉が眼前を通り過ぎても気付く様子がない。そしてそれは、他の独房に収容されている連中や、道中すれ違う人間たちにも同様だった。
……どういうことだ? どうして気付かない――いや。
まるで、見えていない。
そこに初めからいないものであるかのように、周囲の人々の視線が素通りしている。
しかしそれを問うても、氣境は「いいから黙ってついてこい」と言うばかりで取り合ってもらえない。
仕方なしにただついて行き、ようやくたどり着いたのは隣接するブロックの、取調室だった。
機関七課に捕縛された相葉が初めて入れられた部屋と、よく似た場所だ。
そしてそこには、先客がいた。
「――連れてきたぞ」
相葉を先に立たせながら、氣境は机の向こう、椅子に座る人物に言う。そして後は知らんとでも言うようにそっぽを向き、出入り口を塞ぐように戸によりかかった。
状況を把握できていない相葉は、何か罠でもあるのではないかと警戒しながら進み、先客の向かい側に立つ。とはいえ、警戒などするだけ無駄だとはわかっていたが――このふたりが、相葉の予想するような人物であるのなら。
『こんにちは』
澄んだ声で先客――女は言った。
『初めまして。あなたが相葉・瀬音さんですね?』
丁寧な物腰に、相葉は頷く。
「あんたが、ハルカって人か」
誰何に、女は頷く。
『ええ、私がハルカです。天城・遥風。わざわざここまで来てくださって有り難うございます』
「それはいい。それよりも――」
言いかけて、相葉は気が付いた。
おかしい。
先程からずっと、天城の口が全く動いていない。
『どうかしましたか?』
天城は小首を傾げる。しかし、やはり唇は微動だにしていない。わずかな笑みの形を描いたままだ。声ははっきり聞こえているというのに――いや、それも違う。
聞こえていない。
「あんた……何者だ」
慄きを隠せないまま、相葉は眼前で微笑む天城を見る。
『あなたの思っている通り、だと思いますよ?』
耳は、天城の声を感知していない。
まるで、脳内に直に響いているかのように、聴こえている。それは、つまり、
「超能力者……か」
『御明察』
鈴を転がすような声が、頭に響く。
華奢な女だった。若いが、正確な年の頃が判然としない。十代とも二十代ともとれる容姿だ。艶やかな黒髪は肩口ですっきりと切りそろえられており、目鼻立ちも整っている。
ただ、唇は笑みのまま動かず、弓を描く双眸も固く閉じられたままだった。
しかし、相葉の想定するところが正しければ、こんなか弱そうな女性ではあるが、
……超能力者たちの、リーダー。
『リーダーというのは、当たらずとも遠からず、ですね』
今度は口に出していないのに、天城は応じた。まるで思考を読んだかのようだ。はっとした相葉に気付いたのか、天城は口許を隠すように手を動かした。
『すみません、思わず……えっと、まずはその辺りから説明した方がよさそうですね』
両手を膝の上にそろえ、天城は浅く一礼する。
『御指摘の通り、私は超能力者です。能力は感応……というとわかりがいいでしょうか。認識に介入できるのです。ですからこうやって誰かに繋ぎ、会話をすることも、また思考を読み取ることもできます。私は生来五感を全て喪失しておりまして、この能力に大いに助けられています。能力があるから五感を喪失している、のかもしれませんが。攻撃性はありませんので、ご安心ください』
それから、と相葉の背後にいる氣境を示す。
『名前は聞いているかと思いますが、彼、氣境も超能力者です。私の護衛、というところですね。さすがに機関七課の本部へ私自ら赴くとなると、皆さん私ひとりでは出してもらえず。決して危害は加えないと約束します。……彼は愛想こそないですが、いい人ですよ』
背後から舌打ちが聞こえた。とてもそうは思えないのだが。
最後に、天城は再び自らの胸に手を当てる。
『先程も言いましたが、私は正確にはリーダーではありません。便宜上、皆さんをまとめる立場にあるだけです。暫定的な代表、と御理解ください』
暫定的な代表。それがどういう意味なのかははかりかねるが、ともあれおおよそのことは把握した。つまり、
「あんたのその能力で、機関七課にいる俺以外の認識に介入し、ここまで連れてきた、と?」
『そうなります。御理解が早くて助かります』
柔和に頷く天城。しかしそれならば、問わねばならない。
「なぜ……俺を連れてきた」
彼女の言を取らなくても、ここに超能力者が侵入することはこの上ないリスキーな行為だ。
『それについても含めて、私はあなたに伝えることがあって来たのです。――用件は、ふたつ』
時間に余裕があるわけでもないので手短に、と天城は続けた。
『まずひとつ――これが、私にとっては一番大切な用件なのですが』
「……何だ」
『先日は、有り難うございました』
言うなり天城は、深々と相葉へ向かって頭を下げた。突然のことに、相葉は戸惑う。
「な、何のことだ」
『白井さんを、看取ってくださいました』
頭を下げたまま、天城は言う。
白井・円佳。それは先の作戦で、相葉の目の前で死んだ少女の名だ。
『結果的に、白井さんは亡くなられてしまいましたが、あなたのお陰で人らしく』
化け物ではなく。
『人として、死ぬことができました――だから、私は是非ともその御礼を言わねばならないのです』
「そんなの……別に、いい」
助からなかった。助けられるとしても、相葉は助けることはできなかったのだ。
敵、なのだから。
だが、
「それについては――俺も、あんたに伝えなきゃいけないことがある」
え? と顔を上げた天城に、相葉は言う。
「『有り難う』、『楽しかった』。『ケーキ、作ってあげられなくて御免』――その、白井って人からの、伝言だ」
彼女が最後に遺した言葉だ。
相葉には、詳細の知れない言葉だ。だがやはり天城にはわかったようで、それを聞いた天城は、これまでほぼ全く表情を変えなかった天城は――つう、と頬に雫を伝えた。
「――! 遥風さん」
突然泣き始めた天城に、焦ったように氣境が動く気配がある。それをとどめるように手で制して、天城は静かに泣く。
『そうですか――白井さんが。ケーキ……そうでしたね』
両の目は固く閉じたまま、しかしとめどなくはらはらと涙しながら、つぶやくように天城は言った。
『――残念、です』
脳内に直接響くような声は、天城の感情を伝えてこない。
しかし、確かに、濡れていた。
『……すみません、みっともないところを。用件はそれだけではないのです』
数秒、俯き加減に沈黙した天城だったが、すぐに切り替えるように顔を上げた。
『私からあなたに、警告しなければならないことがあるのです』
「……警告?」
密通するよう脅しをかける、ということだろうか。しかし相葉の思考を読んだらしい天城は首を振る。
『内通を強いるようなことでは全くありません。それは我々にとっても危険なことですから。そうではなく――まずは、軽く我々について説明しましょう』
その言葉に、同じく聞こえているらしい氣境がまた動く気配があるが、いいのです、と天城は首を振った。
『我々超能力者は、既に御存知のことと思いますが、ある程度の集団を形成しています。――しかしそれは、決してつい最近のことではなく、随分前からのことでした』
それは、初耳だった。情報部が超能力者の組織化を察知したのはつい最近で、それがゆえに先の任務が発令されたはずだ。
『集団と言っても、ひとつではありません。多くはありませんが複数あり、私がまとめさせていただいている集団もそのひとつです。そしてこの集団には、大きく分けて二種類あります』
指を二本、天城は立てて見せる。
『まずひとつは、平たく言うところの穏健派――私が所属し、先日機関七課に襲撃されたのも、こちら側の集団です。これまでは私の能力で隠蔽してきていたのですが、機関七課の諜報は優秀なようです。どこからか情報が伝わってしまったようですね』
それについて、相葉は何も返すことはできない。それに構わず、天城はもう一本の指を示した。
『もう一方は、既に予想のついているところかと思いますが、過激派です――そして、こちらの方々が、今現在問題なのです』
つまり、と手を再び膝上にそろえて天城は続ける。
『彼らは以前から、機関七課、ひいては一般社会へ何らかのアプローチを仕掛け、自分たちの存在を認知させ、一定の地位を得たいと考えていました。特に過激なところでは、世の中の覇権を掌握しようと目論んでいる方もいます。彼らを、長いこと私たち穏健派でなだめ、押しとどめてきていたのですが――』
限界が来ました、と天城は言った。
『先日の襲撃が決め手になりました。あれで多数の死者が出たことで、穏健派からも過激派に転じる方が現れ、もはや我々では止めることができません。しかも彼らはどうやってかこの場所を知っていて、既に襲撃の準備を始めています。私はそれに先んじて、内密にここへ来たのです』
「……それは」
『まだもうひとつ、あるのです』
相葉を遮り、強い口調で天城は言う。
『これについては、情報元はお教えできないのですが――機関七課の上層部に不穏な動きがあるのです』
「機関七課に?」
相葉の言葉に、天城は頷いた。
『我々だけでなく、機関七課とて一枚岩ではないのでしょう。上層ではやはり慎重派と強硬派に割れていて、近々強硬派が大きな動きをする気配があるのです』
「あんたたちは、どうするんだ」
『私たち穏健派は、その戦乱に紛れて脱出します。……よくも悪くも、混乱に乗じるほかありません。そして来るべきときまで、潜伏します』
「……それを、俺に教えてどうする」
その強硬派とやらに対し、何か行動をしろというのだろうか。穏健派とやらの援助をしろとでも? だが、それも違う、と天城は強く首を振った。
『逃げてください』
決然とした口調で、まっすぐに天城は相葉へ言う。
『どうか、あなただけでも逃げてください。これから先、最悪の事態が想定されます。超能力者と機関七課との全面戦争。そして機関七課での内乱です。それがどれほど悲惨なものとなるか、想像だに出来ません――しかし、それだけ荒れている中であれば、あなたでも逃げ出すことはできるはずです。抜け出て、生き延びてください』
「……どうして」
問う。それが用件だと言うのなら、自ら危険を冒してまでそんな警告を。
生き延びろ、などと。
「どうして俺に言うんだ。俺だけに」
その問いに、天城はそれまでの強い勢いを緩め、ふ、と微笑んだ。
『御礼です』
天城は言う。
『白井さんを看取っていただいた、せめてもの、御礼ですよ――』




