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Blood/Bullet/Parade  作者: FRIDAY
弐 Bless/Breach/Bastard
10/51

10.生き残れ

「今日の君の訓練はここまでだよね。この後予定は?」

「いや、ないけど」

 軽く水を口に含みながら首を振ると、そっか、と久坂くさかは破顔した。


「暇なんだね。それじゃあまた、私に勉強教えてよ」

「……いいけど」


 楽しそうに言う久坂にやや戸惑いながら、相葉は頷く。久坂にそれを頼まれるのは初めてではないが、まだ驚きを禁じ得ない。少し前まで普通に学生だった相葉にとっては、勉強は当たり前のもので、好むと好まざるとに関わらず従事しなくてはならないものであって、楽しいものでは全くなかったのだ。けれど、久坂にとってはそれが楽しいのだという。


 小学校すら卒業していない久坂は。

 勉強という行為がそれだけで、十分に娯楽足りえるのだ。


「今日は何を教えてもらおうかなー。前は何をやったんだっけ」

「えっと……算数。約分だったと思う」

 そうだったそうだった、と歌うように言いながら、久坂は先を歩く。その軽やかな上機嫌のまま、鼻唄を歌い始める。聞き覚えのない歌だった。

 久坂は相葉と同い年で、十七歳。その彼女が、小学校三年生から四年生相当の計算方法を知らない。そう――久坂はそのレベルから、勉強というものをしていない。


 四則計算はできる。それだけは必要になるから、さすがに自然と覚えたらしい。けれどそれ以上の計算は何もできない。方程式など論外だ。


 ただ、呑み込みは早いようで教えると何でもすぐに覚えた。純粋に勉強を楽しんでいるというのも一助となっているのであろう。読み書きもおおよそ問題なかったし、多少難解な漢字なども一度覚えれば忘れなかった。

 ただ、学校に通うことがなかったというだけだ。


 ……それはつまり。

 前を歩く久坂の背を見ながら、相葉は思う。

 ……それだけ幼い頃から、今に至るまで、ずっと戦い続けているということだ。


 それがどれほど過酷なことであるのかは、まだ一度も作戦に参加していない相葉には想像するしかないが……想像を絶することであるのは違いない。

 それが、どれほど異常なことなのか。


「――ん、場所空いてるね。それじゃあよろしくお願いします、先生」

 施設内にある休憩所のひとつに入って、テーブルとイスを確保すると早速久坂は催促してくる。勿論、教科書も何もない。教える内容は相葉が思いつく順だ。紙はテーブルに設置されている紙ナプキンを使う。ペンは先程久坂が記録を取るのに使っていたものだ。

「それじゃあ、まあ……前回の復習から」


 約分。他にも帯分数や通分などといった、小学校を卒業してからは全く見なくなった表現だ。遠くなっている記憶を必死に引っ張り出しながらたどたどしく説明するが、諸所間違っているような気がしなくもない。それでも久坂は、ふんふんと興味深げに聴いている。


 その横顔を見るともなしに見ながら、相葉は久坂がどのような人間なのかを思い出す。


 戦死率の非常に高い前線部隊において、二番目に長く生存している兵士。一年を生きながらえれば上等と言う前線兵士の中で、八年もの長きに渡り戦い続けている。

 彼女がそれだけ生き残っているというのは、勿論彼女の実力に依る――その辺りのことは、相葉も何人もの人間から聞いている。


 ダブルトリガー、あるいはミラージュトリガー。

 それが、七課内における久坂の通り名だ。


 前者のその所以は、久坂の武装にある。久坂は主に、二丁拳銃を好んで戦う。そして後者の通り名は――その戦闘スタイル。


 まるで蜃気楼のように捉えどころなく立ち回り、味方であっても平然とおとりにし、盾にする。相手が女であろうと子供であろうと容赦なく、躊躇ためらいなく、ありとあらゆる手を使って、殺す。

 一秒でも長く生き残り、ひとりでも多く敵をたおす。そのためだけに特化された戦い方に畏怖を込めて、そう呼ばれているのだという。

 けれど、


「あれ? おっかしいなー……どこが違うんだろ」

 目の前で、相葉にとっては何でもないような計算問題に悪戦苦闘している少女は、全くそんな戦闘狂には見えなかった。

 取り組んでいる内容はともかく、勉学に勤しむその姿勢は、年頃の少女にしか見えない。


「――ん、何だ、こんなところにいたのか」

 久坂が通分、というよりは九九に手間取ってうんうん唸っているところで、不意に背後から知った声がかかった。休憩室はそれなりに出入りも多いから、見かけた知り合いが声をかけてくることはよくあったが、今回声をかけてきたのは、


「……かけいさん」

「班長と呼べ」

 苦笑しながら相葉の頭を軽く叩き、久坂の手元を見下ろす。ん、と、

「算数か」

「そうなんだよーコヒメちゃん。これ解けなくて……解ける?」

「班長であるとかそれ以前に、私の名の読み方はコヒメではなくショウキなのだがな……お前も少しは上官を敬う姿勢を見せろ」


 それは相葉にとっても見慣れたやり取りであり、筧も毎度のこととして言うものの呼称についてはもはや諦めているようだった。

 ふむ、と筧は式を一瞥して頷く。


「約分すると五十四だな。分母は消える」

「え、そうなの」

 合ってる? とこちらを見る久坂に頷きを返すと、そんな、と久坂はテーブルに突っ伏する。


「コヒメちゃん、何でわかるのー? コヒメちゃんだって小学校行ってないでしょ」

「行ってないがな。世間そとで言う大学入試程度までの教養はある。訓練以外の時間にすることがなかったからな、情報課に頼んでいろいろ取り寄せてもらって、一通りのことは独学した」

「えー、それならどうして今まで私に教えてくれなかったのさ」

「お前は私が教えようとすると逃げるだろうが」

 そうだけど、と久坂は膨れる。コヒメちゃんは厳しいから、と。筧の厳しさは相葉も身をもって知っている。


 筧・小姫。相葉の配属された、というより拾われた班の班長。

 そして、前線部隊の中で最も古株である少女。


 久坂が同僚から、一緒に戦線に出ると死亡率が上がると恐れられるのに対し、筧は一緒に戦線に並ぶと生存率が上がると畏れられる。その所以ゆえんは、一重ひとえに彼女の実力だ。

 七課一班から七班までの誰よりも強いと言われる少女。その強さは、相葉はまだ一端しか垣間見てはいない。けれどもその立ち居振る舞いから、素人目でもただものではないことはよくわかった。


 何より特異なのは、彼女の用いる武装。

 彼女は銃器を使わない。

 それは相葉も見た――刀剣。

 今もその腰に下がっている長刀が、筧の武器だ。

 普段からそうして提げている。物騒この上ないが、常に身に着けていないと落ち着かない、というか体のバランスが悪くなるのだそうだ。


「……何か、用ですか」

 普段、筧を訓練室以外で見かけることは珍しい。訓練室か食堂。それ以外はほぼ自室で書類仕事をしているという、驚くほど禁欲的な生活なのだ。

 相葉の問いに、いや、と筧は軽く首を振った。


「用というほどではないのだがな。相葉が暇なら、ちょっと話をしようと思ったんだ。急ぎではないから、後でも構わないが」

「いや……」再び数式と睨み合いをしている久坂を見る。答えがわかっても自分で解けないと納得できないようだ。見上げた志ではある。「多分、大丈夫ですけど」

 そうなのか? という問いには、久坂が頷いた。

「いいよー、私はまだこれ解いてるから。時間かかるの?」

「すぐに終わるさ」

「そ。じゃあ行ってらっしゃい」


 こちらを見ないまま手を振る久坂を残して、相葉は筧について休憩室を出た。一応はもう数問置いてきたから、久坂本人が飽きないうちは格闘していることだろう。


「筧さん、話って」

「ここではまだ人が通る」


 短くそう返して、筧はつかつかと歩いていく。話の内容を想像もできない相葉は黙ってついていく他ない。

 やがてあまり人通りのない、且つ人目に付きにくい通路にまでやって来た筧は、おもむろに立ち止まると腕を組み、壁に背を預けるようにして立った。


「――訓練は順調か?」


 何かと思えば、筧の口から出てきたのはそんなありふれた問いだった。そんな話なら、別に先程の休憩室でしても問題なかったと思うのだが。ともあれ、相葉は頷く。

 そうか、と筧は言うが、その表情に笑みはない。


「お前が割り振られた訓練班の班長は、確か榊原さかきばらだったな」

 これにも頷く他ない。


 訓練班は、所属したばかりの新兵が入隊させられる班だ。これは基本的に班に関係なく所属する。同時期に入隊した新兵は相葉以外にもそれなりにいたようで、彼らと合同だ。ちなみに相葉だけは、筧の指示でそれ以外に久坂と射撃訓練、筧と武術訓練を受けている。いずれにしてもボロボロにしごかれているだけだが。


 そして、訓練班の班長、つまり指導教官は榊原という、壮年の男だった。自衛隊出身だそうで、どうして機関七課に所属しているのかは不明だが、とにかく厳しかった。まさしく軍人だ。恐らく筧より一回り以上年上のはずだが、筧は彼を呼び捨てる。彼に限った話でもないが。


「まあ榊原に限った話でもないが……訓練兵は誰もが必ず覚えさせられる文言、戦闘における指針がある」

 言えるな? と促され、相葉は頷く。それこそ、まず第一に覚えさせられることだ。


「『自分が生き延びることを考えるな。敵を一匹でも多く仕留めることだけを思え。目の見えるうちは敵を狙え。心臓の動くうちは引き金を引け。ただでは死ぬな、道連れにしろ。ひとつの命で十を殺せ』――ですよね」

「そうだ」


 筧は頷く。その文言は訓練兵全員が一字一句間違えずに唱えられるようになるまで叩き込まれた言葉だ。唱えながら腕立て伏せなどやらされた。身体で覚えている。忘れるはずもない。ある種の洗脳、刷り込みだ。

 が、筧は続けて、驚くべきことを言った。

 その文言は、と。


「全て忘れろ」

「……はい?」


 相葉は目を見開く。榊原いわく、この文言は班長格に至るまで全員が骨に刻んだ指針であり、反することは許されない。それだけ徹底された言葉であるはずだ。

 それを、まさに班長である筧が忘れろと言う。

 言葉を失っている相葉に、筧は続ける。


「覚えていることは構わない。だが戦場では忘れろ。決して実践するな」

「……どうして」

「生き延びるんだろう」

 相葉の目をまっすぐに見据えて、筧は言う。


「最初から死ぬつもりで戦場に立つ者が生き延びられるわけがない。死ぬ覚悟をしている奴が真っ先に死んでいく。ひとりでも多くの敵を斃す。その覚悟はいい。だが自分の命を懸けるな。死にそうになったら全力で逃げろ。逃げて、隠れていろ。――そうすれば、私や他の誰かが片付けている」

「で、でもそれじゃあ」

「罰せられる、か?」


 面白がるように、筧は頷いた。自分が生き残ることに専心し、戦闘から逃げ出すものは銃殺だと、訓練兵は脅されるのだ。だが、筧はそれを鼻で笑った。


「罰せられなどしない。それにただ逃げるだけの者は死に急ぐ者と同じく、死ぬ。生きる意志をもって戦い、逃げ、隠れることのできる者だけが、生き残る――事実、私はそうやって生き延びてきた」

 久坂もそうだ、と筧は言う。

 自分が死ぬつもりなどなく、何が何でも生き残ろうという意志。


「――もうすぐ、新たな任務が発令される」


 これまでで一層声を低めて、筧は言った。それもそのはず、それは末端の一兵などにはそのときまで知らされない、極秘事項なのだ。筧は班長だから、班の編成などの都合から事前に知らされているというだけで。


「次の任務は前回よりも規模が大きくなる。全班の大多数が出動になるだろう。新兵も例外ではない。そして一度出動すれば、新兵と熟練兵とに関わらず――半数以上が死ぬ」

 半数。それでもかなり過少に見積もっている。ともすればごく一部しか生き残れない、そんな戦場なのだ。

 そう前置きした上で筧は、相葉の目をまっすぐに見据えて、言った。


「生き残れ」


 強く、言う。

「お前は生き残れ、相葉。何が何でも、だ。何なら敵のひとりも殺すことなく逃げ続けていたっていい。とにかく生き延びろ。どうせ誰も、敵と自分以外なんて見ていない。余裕があったら撃てばいい。見つかるのが怖ければ息を殺して隠れていろ。――いいな」


 有無を言わせぬ筧の迫力に、思わず相葉は頷いた。だがどうしても、訊かずにはいられない。


「……どうして俺に、そんなことを」

「うん?」


 話はこれまで、とばかりに立ち去りかけていた筧は、肩越しに振り返る。こんな話をしておきながらそう問われることを予想していなかったのか、ん、と頬を軽く掻きながら考えると、小さく笑った。


「お前が、不幸であるというそれ以外の理由でなくこの地獄に巻き込まれてしまったということへの手向けと――あとは個人的に、私がお前を気に入っているという、それだけのことだよ」


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