1.地球文明最後の十数分
残業の疲れに耐えて帰宅すると、築50年の借家に戦闘機が突き刺さっていた。
「夢かな」
ドッキリにしては悪質かつ大規模すぎる。
鋭角的な装甲は、大気圏を突破した直後であるかのように強烈な熱を放っている。
今にも燃えそうだし、戦闘機に直撃されて折れた柱や壁からはうっすらと煙が立ち上っている。
「ごごごめんなさい! こんなつもりじゃっ」
戦闘機の透明なキャノピー……にしては妙に大きなキャノピーが開く。
その戦闘機が、俺の知っている戦闘機より明らかに大きいことに気付いたのはこの瞬間だ。
キャノピーが開放された場所には2つの操縦席が横に並んでいて、右側の席に1人が座っていた。
体の線がはっきり見える金属服。
顔も体型もソシャゲのメインヒロインが務まるレベル。
正確には、それを完璧に2.5次元化した銀髪美少女だ。
「にゃ゛ー!? くさいー!?」
鼻を押さえて苦しみ、猫耳をぺたんとさせ、猫尻尾で装甲を叩いて熱さに悲鳴をあげる駄目っぷりは、美少女な見た目を台無しにしていた。
俺は無言でスマホを取り出して110番を入力する。
「ちょっと待って! ふにゃっ?」
操縦席から立ち上がった猫耳美少女がバランスを崩して戦闘機から転がり落ちる。
無意識に飛び出して助けようとした俺の目の前で、器用に両手両足を使って着地し、ふふんと得意げに笑う。
好奇心に輝く緑の瞳が、連日の残業で疲れた俺の心に焼き付いた。
☆
「言いたいことも聞きたいことも山ほどありますが」
市街地から立ち上る黒い煙が、建物火災で空に浮かび上がっている。
ひとつやふたつではない。
多数の救急車とパトカーがサイレンを鳴らしながら移動中だ。
「俺に何か用ですか?」
できる限り愛想よくしたつもりなのに、猫耳美少女は『びくり』と体を震わせた。
「あー」とか「うー」とか言うだけで言葉を返してくれなかったので、相手の言葉を待たずに会話を続ける。
「俺は、あなたに危害を加える気はありません」
この美少女が、ぶっ壊れた借家に突き刺さった戦闘機に乗ってやって来たのなら、俺は「危害を加えないでくれ」と懇願する立場だ。
法律や倫理は関係ない。
あれほど巨大で頑丈なものを動かせるという時点で、俺はもちろん警察もこの美少女に勝てないからだ。
「質問させてください。俺に何をさせたいのですか?」
対等の成人に対してではなく、世慣れぬ子供に対する態度になってきている自覚がある。
「う、うん! パイロットをしてもらいたいんだ! 僕の船のパイロット!」
安堵し、笑顔を浮かべ、そして勢いよく言う。
猫尻尾がぴんと伸びて、俺の視線がそっちへ誘導されそうになった。
「なるほど、パイロット」
俺は大げさに頷いて、話を聞いていることをアピールする。
これだけの美形なら成功体験を繰り返して自信家か傲慢になりそうなものなのに、まるで大学デビューや高校デビューをした直後の子供だ。
「雇用条件によってはやぶさかでは……んんっ、スカウトに応じるつもりです。スカウト、でいいんですよね?」
「うん!」
元気いっぱいに頷く。
痩せてはいるが少し不健康な痩せ方だなと、一瞬だけ場違いなことを考えた。
「雇用条件を書いている書類とかは、あるでしょうか」
「はい!」
棒のようなものが突き出される。
棒から微かな光が広がり、棒の上に板状の立体映像が表示される。
「ベリル(以下では甲と称す)は乙との間に……」
俺は声を出して読み始める。
ところどころ珍しい表現はあるが日本語として成立している。
「失礼。ベリルさん、でいいでしょうか」
ベリルは、まだ名乗っていないことに初めて気づいたようだ。
慌てて何度も頷いて肯定する。
俺は、呆れが表情に出ないよう、慎重に表情と言葉を選ぶ。
「俺は猿谷と言います。日本語、お上手ですね?」
「自動翻訳機でリアルタイム翻訳中なの!」
元気いっぱいに手と猫耳と猫尻尾を動かして主張してくる。
日常でなら眼福な光景なんだろうが、あちこちからサイレンの音や大規模火災の炎が見える状況では、楽しむ気持ちにはなれない。
それに、契約の内容も問題だ。
「ずいぶんとその……俺の立場が弱い契約に見えます」
「そ、そう? でも、この星って星間連合の保護対象から外されたよね? すっごく好条件だと思うよ!」
ベリルの表情にも目にも悪意の気配はない。
これが演技なら、武力で圧倒的に負けている俺には打つ手がない。
演技でないとしたら……それ以上にまずい。
宇宙戦闘機に乗る少女より、もっとヤバイ連中が敵ってことになる。
「ひょっとして知らなかった? この惑星、今から10分前……でいいのかな。とにかくほんの少し前に星間連合の保護対象じゃなくなったの」
「なるほど。教えて下さり感謝します」
俺は一言断ってからスマホで確認する。
ニュースサイトも、動画共有アプリも、政府の広報アカウントも速報と緊急ばかりだ。
内容はどれも混乱しているが、宇宙人や星系外という言葉が頻繁に出ている。
「もしかして、地球人は類人猿ポジションでしょうか?」
「類人猿が何かは知らないけど、捕獲して生体パーツに加工しても、倫理的に非難されることはあっても刑罰の対象にはならない扱いだよ。だから、パイロット適性が高い人を安く雇えるかなって……」
そこまで言ってから、ベリルは自分の言葉のまずさに気づいたように猫耳を伏せた。
「ご、ごめん。今の言い方、ひどかったよね。でも、僕も会社もお金がなくて……」
わたわたと弁解する様子は、とても頼りない。
冴えない男に力と女が与えられたのではなく、地獄に落ちた人間に蜘蛛の糸が垂らされた状況ってわけか。
今の職場からは転職するつもりはあったが、まさかこんな形になるとはな。
俺は契約書を隅から隅まで読む。
隙のない文面と、人の良さと甘さと表現の雑さが目立つ文章が混じっている。
前者だけなら今の職場など比較にならないレベルの暗黒職場、後者もあるから将来が不安になる不安定な立場ってところか。
「スカウトに応じます」
『拇印』と表示されていた場所に親指を突き出すと、契約書全体が一度発光してから消える。
2本に割れた棒のうちの1本を、ベリルが丁寧な手つきで差し出してきたので、俺も丁寧な所作を心がけて受け取る。
実家の家族には、今すぐ避難するよう電話で伝えた。
職場には退職のメールを送って、俺の準備は終わった。
家族とはじっくり話をしたかったが、この状況では声を聞けただけでも幸運だ。
「じゃあ急ごう! 急がないと惑星に閉じ込められて生体パーツに改造されちゃうよ!」
言い方は軽いのに、俺を宇宙戦闘機へ引っ張るベリルの手には、冗談では済まない焦りがあった。
「まさか、あそこまで登るんですか」
運動不足と体力低下の自覚のある俺が、引きつった笑みを浮かべた。
☆
「だーっ!?」
「にゃー!?」
厳重なシートベルトと一緒に座席へ押し付けられる。
両翼に取り付けられた合計4つのエンジンは、巨大な出力で地表から雲の上まで機体を運んだ。
逆噴射でだ。
「パイロットなんて素質だけでできるものじゃないと思いますがね!」
俺が座る操縦席の周囲は、イメージとしては地球の戦闘機に近い。
ただし、計器もデータの表示も直感的に理解しやすい。
技術水準が星間航行が可能なレベルで、パイロットは使い捨ての低練度労働者を想定しているような印象だ。
「AIはそう言ってたの! それより前見て、前っ!」
「そちらは後ろですよ」
慣性制御を実行中。
自動操縦を実行中。
そう表示されていたので自動操縦の表示に触れると、異様なほど簡単に操縦を任せる範囲を指定できた。
機体の……宇宙戦闘機の加速を一時的に停止。
2つのエンジンを小さく吹かして向きだけを変えて、今度は4つのエンジンでの加速を開始する。
操縦桿もフットペダルも動かさない。
俺の眼球の向きと焦点、そしておそらくは思考を読み取り、宇宙戦闘機側が4つのエンジンの出力調整を実行。
流体力学を無視したデザインの機体の向きを小刻みに変えて、いにしえのUFOデザインの機体を迂回し大気圏を抜けた。
人類と自然を過酷な宇宙から守っていた大気と大地が下に広がっている。
文字通りの意味で果てのない宇宙が、反対側に広がっている。
「すっげ」
俺の口調が崩れる。
鮮烈な光景が、今日までのブラック労働を忘れさせる。
複数分野で人類の上澄みな超エリートたちが、宇宙飛行士を目指す気持ちが少しだけ分かった気がした。
「えっと、サルタニさん……ちゃん?」
「サルでいいですよ、ベリル社長」
緩んでいたネクタイを締め直す。
宇宙戦闘機……手元の画面に『ぐれーとベリルちゃん号』と表示されているデータに目を通す。
能力の絶対値にはあまり意味はない。
重要なのは、この宇宙でこの宇宙戦闘機が、どの程度の強さかということだ。
データが更新され、内容が詳しくなる。
得意分野は速度と航続距離。
高速艦に匹敵する速度と、隣接星系まで無補給で飛べる航続距離は、宇宙戦闘機としては破格だ。
苦手分野は積載量。
乗組員ふたりで隣接星系まで飛ぶと、ほとんど荷物を運べない。
……傭兵でもするつもりだろうか。
「ベリル運送へようこそ! よろしくね、サルくん!」
「運送業ですか。よろしくお願いします、ベリル社長」
銀髪猫耳美少女と握手するという状況なのに、俺の脳内には『転職失敗』という四文字が点滅していた。
だが、眼下に広がる光景を見れば、そんな愚痴も引っ込んだ。
いにしえのデザインのUFOだけでなく、海洋船舶に近いデザインの宇宙船や、無骨な砲塔を船体から生やした宇宙船など、多種多様な宇宙からの来訪者たちが次々に地球へ降下していく。
あと数分脱出が遅れていたら、俺も間違いなく狩られる側だった。
「社長。成り上がりましょう」
ベリル社長は、自分の商売がこのままでは確実に失敗することも、俺や俺の故郷が過酷な状況にあることも、おそらく頭では分かっている。
だが、まだ実感として理解できているわけではない。
それでも、今地球に降下している連中よりはずっとマシだ。
「うん? うん!」
未熟な社長と人権すら持たないパイロットの、成り上がり立志伝が始まった。
◆ BERYL THE GREAT
船体:1 / 跳躍:3 / 航続:2 / 装甲:0 / 居住:1 / 船倉:0 / 兵装:1
ここまでお読みいただきありがとうございます!
限界サラリーマンだった主人公と、猫耳零細社長の旅の始まりです!
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