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20.1945年(春和元年)9月 東京

摂政宮(せっしょうのみや)殿下」



 ──1945年(春和元年)9月上旬、帝都・東京。



 摂政宮殿下、そう呼ばれた背広姿の男は、執務机に置かれた書類から顔を上げた。


 撫でつけられた艷やかな黒髪。

 柔らかな弧を描く眉。

 長い睫毛が影を落とす一重瞼の切れ長の目。

 黒曜石の瞳。

 細い鼻筋に薄い唇。

 色白の瓜実顔。


 立ち上がると、すらりと背が高い。


 涼やかな容貌は、千年前の絵巻物の、きらきらしい貴公子が現代に存在するなら、きっと彼のような男なのだろう、と想像を掻き立てる。


 摂政宮、久慈宮(くじのみや)惟仁(これひと)はそういった雅やかな男だった。


 そして、眉と目の形以外は、姪である女帝、陽宮はるのみや睦子(ちかこ)とよく似ていた。


丹羽宮(にわのみや)総理」


 対して、少し揶揄するように呼ばれたモーニングコートを纏う男も、久慈宮によく似た顔立ちだった。

 眉は少し太めで、睫毛は短く、瞼は奥二重。

 輪郭が少し長めで、顎やエラが角張っているが、鼻や口などは似通っている。


 似ているが、全体的にややのっぺりとした馬面なので、きらきらしい貴公子とは少し違う。


 だが、肌が日に焼けて浅黒い分、精悍な印象で、古の武官装束などがよく似合いそうな男だった。


 背格好もほぼ同じ。


 彼の名は丹羽宮(にわのみや)泰彦(やすひこ)


 七月から内閣総理大臣に就任した帝国憲政史上最年少で初の皇族首相だ。

 傍系宮家、丹羽宮家の当主で、三代前、御維新を成し遂げた偉大な帝、明知(めいち)大帝の皇女を母に持つ。


 先帝の弟宮である久慈宮とは従兄弟同士の間柄だった。


 久慈宮惟仁が三十四歳。

 丹羽宮泰彦が三十五歳。


 学年は一つ違うが、二人は幼少期から青年期を共に過ごした幼なじみであり、現在も親交が深い友人同士であった。


「ここは落ち着かなくてかなわん。散歩でもしながら話そう」


 スタスタと早足で、久慈宮は一人で部屋を出る。


「殿下っ!」


 摂政宮侍従長が呼び止めても、久慈宮は片手をヒラヒラさせて、立ち止まりはしない。


 侍従たちが諦めたようにため息をついた。


 明知帝の時代に建てられた宮殿は、空襲の火災の飛び火で焼け落ちたため、現在は宮内省庁舎の一室を、摂政の執務室として間借りしている状態だ。

 落ち着かないという理由も、自身の宮邸に執務室をあえて置かない理由も、丹羽宮は理解している。


 だが、摂政宮という立場にありながら側衛官も付けずにフラフラと逃亡することが常態化しているのは考えものだな、と思いながら後を追う。


 久慈宮は先帝の弟宮で、元より奔放な性格だ。


 今の状況は窮屈で仕方がないのだろう。


 重苦しい帝位は、姪で幼東宮の姉宮である睦子に押し付けることに成功したが、周囲から請われ、摂政という立場からは逃れられなかった。

 

 終戦工作に尽力し、上手く立ち回ったから、敗戦時の摂政という立場でも、今のところは功労者として連合国の覚えは悪くない。


 彼が戦争責任を問われることはほぼないだろう。


 だが、戦後処理とは非常に煩雑で手間がかかる。


 戦争は後始末を終えて、ようやく終わるものなのだ。


 そこにたどり着くまでは、まだ油断は出来ない。


 内戦や革命の火種は、国内で数多く、燻っている。


「こういう身分に生まれてしまったからには、やらなくてはならないことはあるが、なるべく面倒事は避けたいというのが人情というものじゃないか」

 

 そう言いながら、久慈宮は宮内省庁舎から少し離れた庭園で伸びをする。


 武蔵野、と古くから呼ばれたこの土地の自然をそのまま生かした庭園は、雨上がりの朝露で濡れていて、草木の匂いが濃い。


 ざあ、と音を立て、秋の気配がする涼しい風が吹き抜けた。


陽宮(はるのみや)、いや、陛下は無事に脱出したか?」


 柔らかに聞く久慈宮に、丹羽宮は無表情で返答する。


「ああ。スマトラ島から中東方面へ向かう船に乗ったそうだ」

「そうか」

「連合国軍総司令部にいるフランス士官学校留学時代の同期を通じて、英国秘密情報部にも働きかけてある」

「見逃してくれるようにか?」

「まあ、大体そんなところだ。安全に運ぶ手助けをしてくれるそうだ」

「じゃあ、逃亡した陽宮が、占領統治下の民の不満という火の粉を被ってくれるな。私は一安心ということか。やれやれだな」


 こういう自分本位な発言を無邪気にするあたりが、帝位継承順位が第二位で、第一位の東宮が幼少でも、帝位を回避してしまう要因の一つであった。


 天真爛漫で失言が多い。


 頭は切れるのに、第二皇子として育ったが故に責任感が乏しい。

 そういった点で、終生帝位を全うするには少々難がある、というのが久慈宮惟仁という人物だった。


 そして、明日、東京湾に停泊中の米国軍艦で降伏文書の調印が行われる。

 米国軍を筆頭とする連合国軍総司令部による占領統治が始まるのだ。


「若く美しい女帝が潔く戦争責任を負って絞首台へのぼれば、悲劇の物語になってしまうとお前は言ったな?」


 肩をすくめる久慈宮に、丹羽宮は無慈悲に言う。


「ああ。女帝が悲劇の主人公になれば、占領統治を行う連合国と、それに従う政府や我々皇族にも恨みが向かう。女帝には国と民を見捨て、卑怯にも亡命を果たした裏切り者になってもらわねばならない」


 それを聞いた久慈宮は、曇り空を見上げ、薄笑いを浮かべる。


「陽宮には悪いけど、派手に恨まれてもらわないとねえ。私や東宮に民の同情を集めて、不満の矛先を逸らさないといけない、か」


 皮肉げに久慈宮は言う。

 また今にも雨粒が落ちてきそうな曇天をちらりと見上げた丹羽宮が、重々しく言葉を継ぐ。


「千年以上の歴史を持つこの国と皇統を守るために必要なことだ……反乱分子を抑え、連合国総司令部の占領統治に我ら皇族が『下る』のではなく『お墨付きを与える』ためには、外に共通の敵がいることが望ましい。正当な後継者ではない『帝位簒奪者』である女帝は、それにうってつけだ」


「そうだね。六條だけじゃ、足りないものな」

 

 ふっ、と久慈宮が笑う。


 丹羽宮は頷く。


「戦争責任自体は、亡命計画にいろいろと横槍を入れてくれた六條前首相に負ってもらう。何しろ継戦派で、開戦及び戦争遂行内閣の首相だ。誰も文句は言うまい。同情もしないさ。だからこそ、占領統治の不満をすべて注ぐには器が足りない」


 重々しく言葉を紡ぐ丹羽宮の苦々しい表情を、久慈宮が覗き込む。


「でも、お前、元婚約者を駒として利用するのは心が痛まないのか? 戦時中で時勢が悪いとお前が何年も待たされる間に、陽宮はすっかり見る者を惑わす傾国の美女に育ったが……女帝の位にのぼらせ、婚約破棄に追い込んだのは私だが、お前に未練はないのか?」


 未婚の女帝は男系で継承される皇統に混乱を生じさせないため、終生独身でなければならない。

 例外は、帝や東宮の后妃であった未亡人の皇女のみだ。

 どちらにせよ、女帝が位にのぼった後に夫を持つことは許されない。


 この国で千年以上前から受け継がれる慣習だ。


 丹羽宮はかつて、陽宮睦子の婚約者だった。


 婚約は慣習に従い、睦子の践祚と同時に破棄された。


 丹羽宮は久慈宮の問いに、瞬きを一つしてから、答える。


「首相の伴侶が傾国の美女では具合が悪い。それに首相を支える妻がいないのも具合が悪いので、有田侯爵の令嬢を迎えた。新婚だぞ? 平凡な女との結婚生活は悪くないぞ」


 丹羽宮は微笑を浮かべる。


 そして、ふと、思い出した。


 婚約が内定したときのこと。


 歳が十六も離れている上に、『顔が好みじゃない』と口に出さずとも表情がありありと物語っていた若く美しい皇女を、浅慮だと思うと同時に不憫に思った。


 だから落胆する彼女に提案した。


『若い愛人を囲っても構わない』と。


『私を愛する気さえないのね』


 それに静かに怒りを示した、十五歳の少女の、燃えるようなのに冷たい色を宿した黒曜石の瞳。


 その瞳に惹き込まれそうになったことを。


 ぐらりと、少しだけ目眩を覚えた、四年前の、あの日のことを、思い出した。


 彼女を愛することは、出来たと思う。


 だが、それは丹羽宮にとっては、過去のことだ。


 過去というよりは、訪れなかった未来、と言う方が正しい。


 政治的に彼女を利用することに、多少、良心の呵責はあれど、甘やかな感情は、もう持ち合わせてはいない。


「あの御方には存分に世界で踊っていただきましょう」


 丹羽宮は乾いた声で呟く。


「長く続くこの国の、新しい時代のために」


 雲は切れることがなく、日の光は差さない。


 一陣の風が吹き抜け、草木をざあ、と揺らす。


 遠くで遠雷が聞こえ、また、雨が降り出すことを知らせた。


続きます。

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― 新着の感想 ―
天真爛漫で失言が多い第二皇子どの、なんかどこかできし感が…いえなんでもないです。裏で動くわるい大人たちの思惑ひとつで(ひとつでは無いか)人生を狂わされている若い美女…しかも本人はその意味をちゃんと分か…
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