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魔法無効化(マジックキャンセル)-3-

 トラウトの合図に明人は力が入ったものだが、すぐに脱力することになる。それは驚愕のためだ。


 ノルマンの周囲におびただしい数のオレンジ色が漂っていたからである。明人には野球場のナイター照明のようにも感じられ、相対していると熱量によってすでに汗ばんでくる。

 ジュゼッカのときと数的には変わらないのだが、観戦しているのと実際に目の前にいるのとではわけが違う。金髪の魔導師からも火球は発射されたことはあったが、そもそもの絶対数が違いすぎた。


これによって明人は出鼻をくじかれた形となり、同時に腰が砕ける思いだった。もっとも、ノルマンにそんなつもりはなかったのだが。


「ダメだ――――」


 瞬間的に、そう思った。そう思ったのとほぼ同時に、オレンジ色は単なる照明ではなく、敵を焼き尽くす鮮やかな波濤となってなだれ込んできた。明人には火球とは思われなかった。すさまじい熱を帯びた光が視界を埋め尽くし、世界を塗りつぶそうとするかのようだ。

お前の世界はもう終わりだ、とでも言わんばかりである。

 元々、ここは自分の世界ではないのだ。光量に耐え切れず、明人は目を瞑った。温かいものが体を通り過ぎて、


「うお!?」


 背後で轟音がした。結界の反発によって火球が全弾、炸裂したのだ。目を瞑っていた明人はむしろ、その音にびっくりして振り返った。

 死んだのか。あの量の魔法を浴びせられれば当然だ。あのオレンジ色の光はあの世へシフトするサインなのだ。しかし、なぜ結界がまだあるのだろう。


 周囲を見渡すと、ノルマンがいて、トラウトがいて、イザークがいて、ジュゼッカがいる。ノルマン以外は結界を隔てているため、薄い青に塗装されている。共通しているのは、皆、目を見開いていることだ。


「なにをしたのだ、なにを」


 金髪の魔導師が呻いている。ありうべからざる光景に、そうするしか術がなかった。ノルマンも、ジュゼッカでさえ同様であった。

 ただ一人、トラウトだけが面白そうな表情で目を輝かせている。


「魔法を相殺したのか?しかし、魔法を発動した形跡は……」

「(相殺などというやさしいものではあるまい。見立てに狂いはなさそうだ)」


 ノルマンの呟きに人知れず反論したトラウトは笑みを抑えきれない。彼には明人の「力」について心当たりがあった。もしそれが本当ならば、是が非でもアーキット・シーイングなる少年を味方につけなければならない。


「なんだ、脅しだったのか?」


 自分が五体満足ということは、単なる見せ掛けだけだったのだろう、としか明人には判断できない。それならそれで好都合だ、今度は走り出してしまえばよい。


「!」


 明人が向かって左方に走り出したのを見て、ノルマンは咄嗟に火球を発射した。無詠唱であり、ほとんどボールを投げつけたような感覚なのだが、その程度は明人にも避けられる。

 オレンジ色の光がぽつぽつと発生する。数を増やす前に距離を詰めなければならない。


「アーキット殿!逃げるばかりではいずれ捕まる!攻めるのです」

「マジかよ……」


 だが、一理ある。森のように遮蔽物がたくさんある場所なら、魔力の消耗を待つのも手だが、それも望めない状況なら、立ち向かってこそ活路を見出すべきだった。明人はノルマンに向かって突進する。

 数は充分ではないが、こちらに突進されては、発射せざるをえない。明人は剣の平を、ジュゼッカの見よう見まねで押し当てて火球をはじいた。要するに野球のバントの要領だ。やむを得ず避けられないもの以外は、自分の目線に剣を置いて、遮蔽物とすればよい。


 明人が急に積極的になったにあたっては、一度「死んだ」からであろう。覚悟して身を委ねたものが、どういうわけか一命を取り留めている。その幸運を逃す手はない。

 明人は足が速いというわけではないが、遅くはない。それに加えて、ジュゼッカのように鎧を着込んでいるわけではないから身軽なものだ。ノルマンがジュゼッカで見慣れてしまったということもあって、このアーキットという少年のスピードは著しく速く見えたのである。


 焦りは、魔導師の手元を狂わせる。コントロールが乱れて、避けるまでもない弾が増えたのだ。それでも、やはり数だけはどうにもできない。


「!!」


 コントロールが乱れるならば、散弾のように全方向に「照射」してしまえばよい。ノルマンの周囲から放射線状に発射された火球は、明人に直撃しなかったものが結界に衝突して再び結界内を明るく染め上げた。

 人間は、咄嗟のことになるととにかく顔をかばうから、多分に漏れず、明人も剣で顔をかばった。それ以外の場所に関しては、直撃すると、煙と化したように微細な光の粒となって消えていった。


「すごい」


 と、ジュゼッカは感嘆の声をあげた。彼女には、鉄に魔力を通して防御とする自分の技のはるか上位互換のように思われた。さすがに、ツキミのお気に入りとなれば相応の実力が備わっているものなのだ。

 光の微粒子となって雲のように明人にまとわりついていた残留魔力が尾を引き、羽衣のようにさえ思わせながら、明人は突進した。ノルマンは一瞬だけその姿に見惚れたが、すぐに理性を回復させて火球を発射した。


「ぶはっっ」

「うっ」


 顔面に直撃だ。誰もが眉をしかめた。本来なら体を狙うものだが、狙いをつけずに闇雲に発射したのだろう。普通なら顔面大火傷で病院送りだが、明人には少し熱めのお湯を浴びせられたように感じられた。


「なんともない?」


 顔を拭いながら、明人は剣を振りかぶる。が、その動作は著しく鈍い。

 明人の脳裡に、ケレンの森での出来事がフラッシュバックしたのだ。金髪の魔導師の背後から襲いかかるジュゼッカ、鎖骨を撃砕されたイザーク。血の付いた剣。ある種の心理的外傷とでもいうべき、明人のショッキングな出来事として刻み込まれたのだった。


 動作を止めることができなかった。それはなにも高尚な理由からではなく、脱力して、剣の重さに耐えられなかったからだった。重さだけに任せた剣は、ノルマンの両手が掴み取ってねじり上げ、放り投げられてしまった。


 素手で相対した明人だが、心理的には剣を持っているときよりも幾分か楽であった。少なくとも、相手を殺すことはない。

 誰かを殴ったことはない。そうする必要のある生活を送ってはこなかった。だが、今はその必要があろう。


「トラウト様!」


 意を決して拳を握ったとき、黒髪の魔導師を呼ぶ声が込めた力を緩ませた。白髪の老年の男で、カイゼル家の執事であろうと思われる。息せき切って、ずいぶんと慌てた様子だ。


「なにごとだ」

「旦那様がお呼びです」

「父上が?」

「は。本日は御気分が優れるゆえ、久しぶりに乗馬の供をせよと」


 トラウトは舌打ちした。今日に、まさにこんなときに限って気分が優れるだと?


「いかに気分がよいからといって、病篤い身、乗馬は無理をさせてしまうだろうに」

「私もそう申し上げましたが、馬に触れられたいのはお変わりないようで」


 黒髪を掻き毟りながら、大きく息をついた。建前上、決闘の最中だからといって断るわけにはいかないのだ。憲兵の監察に置かれていない非公式であり、ことはカイゼル家の名誉に関わることであるにもかかわらず主人たるボウマンに断りも入れず、決闘の理由も正当なものではなく、なおかつ、貴族と平民という身分の格差がある。どれをとっても言い訳の余地がない。


「チャンスだ。ジュゼッカ、抜けよう」

「は、はい」


 それに異存はないが、やすやすと結界から出てこられると複雑な気分である。


「若君はどちらにおられるか、とたいそうお気にされている様子です」

「わかった。イザーク、すまんが」

「……」


 彼の心中を慮ると、金髪が逆立っているようにも見える。重傷を押して再戦を望み、いま半歩のところで勝ちを退けられ、またしても邪魔が入っては、抗議したくもなるだろう。

 しかし彼は意外にも冷静だった。


「……致しかたない。後日、改めて……おい、奴らはどこへいった」

「彼らなら、早々に退散しましたよ」


 ノルマンが示した先には、全力で走り去る黒髪の少年と金髪の女剣士の後ろ姿があった。


「またしても逃がしたのか」

「……いずれ決着の場は設ける。ひとつ借りだ、イザーク。それ、父上がいらしたぞ」


 馬車に乗って登場したカイゼル家の当主に、三人の若い貴族は急いで礼をとった。


「大丈夫かい、ジュゼッカ?」


 広大な魔法訓練場を抜けてアルザハの市街地に戻ってきた二人は、すでに満身創痍といった趣である。魔導師との決闘は体力と気力と魔力とを著しく消耗するのだ。


「はい。アーキット殿こそ、お疲れ様です。あなたの隠された力、しかとこの目に焼き付けました」

「か、隠された力?」

「結界をすり抜け、魔法を霧消してしまう。もしや、解除系の魔法に長けておいでなのでは」


 それならば、ツキミの屋敷に出入りできていたのも頷けるのである。魔導器から発生する結界は、先ほどの決闘で形成されたものとほぼ同質のものだ。それをすり抜けることができるのならば、屋敷にも簡単に入ることが出来る。彼自身が抜け道になっているとは露ほども思わなかった。


「そ、そうなんだろうか。ははは」


 いまいち、要領を得ない表情で明人は言った。ジュゼッカにしてみれば奇妙な答えであるのだが、なんらかの理由により隠さねばならないのだろうと思って気にしないことにする。

 またしても勘違いが増えてしまった。なにが解除系の魔法だ。自分の与り知らぬところで妙な現象が起こっているようだが、ツキミといい、もう驚きもしないしうんざりもしない。とにかくツキミにさえ会ってしまえばそれでよいのだ。


「とにかく、時間が惜しい。庭園へ向かいましょう」

「……ちょっと待った」


 ジュゼッカについていこうとしたとき、明人の目についたのは本屋であった。

 この時代、書物を扱うのは大変珍しい。識字率はそれなりにあるものの、限られていて、しかも印刷技術など存在しないために、すべて手書きであるので、本といえば上流階級の嗜みであった。種類は、伝記物が多く、特にアルザラッハの大貴族や貴族たちに関するものが多い。これは、対外的にそれぞれの家を褒め称える内容がほとんどであり、歴史的価値としては怪しいと言わざるをえない。


中央部などの市場には王国に認められた書店が並んでいるが、こういった平民街にある場末の書店というものは、いわゆる自費出版のアングラ本なのだ。だから、好き勝手に書いていて、こういうところから噂や暗黙の了解的なものが広がったりもする。


 王国から認可を受けた書店、または大貴族にはお抱えの書き手がいるものだが、アルザラッハ王家に関わることは書くことを禁じられている。見つかれば憲兵に引きずられて縛り首だ。


 装丁は折り本が多く、伝統的な羊皮紙、パピルスでできている。フリーマーケットのように並べられていて、いわゆる現代的な本屋ではない。目を引いたのは表紙に書いてあるタイトルだ。


「聖域の勇者-魔女の烙印-」などと書かれている。


 明人の不思議なところの一つに、この世界の話している言葉を理解し、文字も読めるというものがある。明らかに日本語とは似ても似つかない文字だが、なにが書かれているのか、ニュアンスが理解できるのである。話している言葉は頭のなかで日本語に訳されて入ってくるし、こちらの話す言葉も相手には通じているようだ。もっとも、そうでなかったらよりいっそう途方に暮れているところだ。ただ、読むことも話すこともできるが、書くことはできない。


 明人は本を手に取った。ジュゼッカもなにごとかと覗いたが、すぐに顔をしかめてしまった。魔女、と書かれているが、それが誰を指しているのか必然的に判明してしまうのだ。


 内容は大まかにはこうであった。


 妹を手にかけたツキミは、高貴な血を浴びて魔力を高め、主神エレスを冒涜する。かくして日が陰ったアルザラッハは、しかしエレスの最後の力によってただ一角を聖域として守った。そこで生まれた主人公は、後にツキミを倒す聖域の勇者となる……


 物語小説のようだ。これは第一巻なので、ツキミの起こした「悪事」について書き連ねられている。


「(ツキミには妹がいた?いや、話の都合か)」


 この本の是非はともかく、真偽としてはどうなのであろうか。ジュゼッカに問いただしてもよいが、藪蛇になったときが怖い。その程度のことも知らないのか、となっては、言い訳できそうにない。

 他の本はこれと似たり寄ったりの伝記物や歴史本だ。ツキミの悪口雑言、誹謗中傷、悪意敵意に満ち溢れている。なかには、文章を校正、検閲する編集者でもいるのか、作者自身でも顧みたのか、罵倒する台詞を消した痕跡が見られるものもある。


「アーキット殿、行きましょう」


 低い声であった。抑圧された感情に腕を掴まれて、明人は早々に退散した。


「なにが魔女だ。知らぬ者は好き勝手言う」


 本屋からだいぶ離れてから、ジュゼッカは抑えていた怒りを露わにした。その場ですぐさま激しては、無用のトラブルを招くことになる。


「アーキット殿、悲しいがあれが現実です」


 ツキミが実際になにをしでかしたのかは、明人にはわからない。だが、現実問題として、個人が都合のいいようにツキミを悪役にし、貶しては貶め、蔑んでは見下している。そしてそれがこのアルザラッハの歴史であり、常識のようなのだ。真実がどこにあるのかはわからない。事実を真に受けて食い物にする者、真実を知り憤慨する者、前者と後者が多数派と少数派とに分かれているという現実だけがただあるのみだ。


「……早く会わないとな」


 それだけ言った。果たしてツキミが皆の言うとおり悪役なのか、会えば判然とするであろう。会えれば、の話だが。


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