第十八話
よく磨きあげられた大理石の廊下を歩きながら、所々置かれている壺や絵画などの美術品を鑑賞した。
征服した国々の宝物も飾っているのか、明らかにこの帝国の文化とは違ったものもあって面白い。
迷路のように入り組んだ廊下を進んでいると、魔界に来てまだ間もない頃を思い出す。
魔界の魔宮殿もホントに広くて、初めは一人で歩き回るとよく迷ったものだった。
挙げ句にうっかり開かずの扉を開けて、真っ暗闇の亜空間に放り出されちゃったり、死んだ人間の悲鳴が渦巻く怨念と呪咀だらけの部屋に入っちゃったり。
本当に大変だったなー。
迷うたびにアモン達が迎えに来てくれたりして、今ではいい思い出だ。
一年前のことを思い出して一人懐かしんでいると、前方から女性の一団がこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。
一団の先頭にいる女性はとても美しい人だった。
蜜色の豪奢な髪が光を弾いて輝き、透き通るような白い肌を際立たせ、澄んだ碧の瞳が宝石のように煌めいて人目を惹く。
顔の造作は普段ガッチリ美形に囲まれている私でさえ感心するほど美しく整っていた。
十数人の侍女を引きつれて、廊下の真ん中を堂々と歩くその姿は明らかに身分が高いと分かる貴人だったので、私は廊下の端に身を寄せた。
頭を下げ、一団が通り過ぎるのを待つ。
下げた視線の先で鮮やかな深紅のドレスの裾が見えた。
自分に自信がないと着こなせない色だよな、と考えている私の前を彼女達は何事もなく通り去って行った。
彼女が何者であるかも気になったが、それよりも気になったのが侍女達が抱えていた数冊の本だった。
もしかしたら近くに図書室のような場所があるのかもしれない。
本好きの身としてはぜひ探してみたい場所の一つだ。
一団が来た方向へ向かって歩くと、予想通り図書室が見付かった。
扉を開けて中へ入ると、誰もいないのかシンと静まり返っていた。
どの世界でも図書室の雰囲気って一緒だ。
ひんやりしていて、古い本の匂いがする。
壁という壁、棚という棚に本がぎっしりと詰められていて凄い蔵書の数だ。
並ぶ本の背表紙を指先でなぞりながら、奥へと進む。
微量ながら魔力を帯びた本もあって指先がくすぐったい。
本が遊んで、遊んでと囁いているようだった。
棚と棚の間を歩いていると、神子について書いてある本があった。
手にとって読んでみると今までに召喚された神子達の偉業が記されてあった。
本によると、初めて神子がこの地に召喚されたのは約一千年前。
偶然か、魔王サタンが異界に去った時期と一致している。
初代は女性ではなく男性だったようで、光の化身の如き勇者だったそうだ。
勇猛果敢に魔獣や悪魔を切り倒す様子が挿し絵と共に描かれている。
実物はあんなに美しい悪魔達が人間の絵では角の生えた醜く恐ろしげな姿で描かれているのを見て、思わずクスッと笑いが零れた。
「面白いか?その本」
耳元でボソッと囁かれて、かなり、いや死ぬほど驚いた。
振り返ると、男が高い背を屈めて私が持つ本を覗き込んでいた。
平然とした顔をしているが、普通に近づいたならこんなに接近される前に気付く。
わざと気配を消して近づいてきたのだ、この男は。
「・・・キマリス殿下」
「なんだ、俺の名を知っているのか」
男ーー、キマリスは悪びれた様子もなく私に目を向けた。
初めて間近で見た第二皇子は美形というよりは精悍な男前という言葉がピッタリな容姿をしていた。
玄人の女性達にモテそうな危険な男臭さがある。
そして、目の色が珍しいオッドアイ。
右目は他の兄弟達と同じ碧色だったが、左目は朱色だった。
「何故こちらに?」
「図書室にいるのだ。読書しに来たに決まっているだろう」
・・・本を読むようなタイプには見えないが。
本人の言う通り、本を読みに来たなら何故私に声をかけたんだろう。
「一度見かけたな、その時はまさかレイヴァンの婚約者だとは思わなかったが」
人づてにでも聞いたのかキマリスは私のことを知っていた。
しかも、前に控え室の窓から目を合わせたのが私だと気付いている。
かなり遠かったのに。
「名はなんと言う?」
「・・・ご存知なのでは?」
「お前の口から直接聞きたい」
面白がるようにキマリスが言う。
どうやら皇子殿下は私との会話を楽しみたいらしい。
「カナと申します」
「カナか。今日は城へ何しに来た?」
「神子様と討伐隊の方々に会いに来ました」
「ああ、連中に会ったか。揃いも揃って『お上品』な連中だったろう?」
「個性的で楽しい方達でした」
「成る程、そういう言い方もあるか」
楽しそうにクツクツとキマリスは笑った。
笑っていても、どこか獰猛な獣を思わせる人で、その力強い眼光が先程から私の目を見つめて離れない。
「珍しいものをつけているな」
そう言って、断りもなく私の手をとって人差し指をなぞる。
そこにはアスタロトから貰った翡翠の指輪があった。
「そのネックレスもだが、高純度の魔力が込められているのが見ていて分かる。魔道具としても宝石としてもかなり希少価値が高そうだ。レイヴァンからの贈り物か?」
「・・・そうです」
「そうか。こんなものを贈るぐらいだ、あのレイヴァンが女に夢中だと言う噂は本当らしいな」
一日、二日でもうそんなに噂が広まってるわけですか。
貴族ってよっぽど暇な人達なんだろうか。
キマリスは何故か私の手を掴んだまま話し続ける。
「国は東の方にあると聞いたが?」
「はい。遊牧して生活しておりました」
「ふうん。そのわりには手が荒れてないようだが。お前の手は平民の手ではないな」
・・・チッ。やはり付け焼き刃の身の上話ではボロが出るか。
キマリスの言う通り私の手は固くもないし、荒れてもない。
むしろベレッタ達が毎日手入れしてくれるからふっくらスベスベだ。
「お恥ずかしいですわ。殿下ならもっと美しい手の女性をご存知でしょうに。身に余ることですが、レイヴァン様が私につけて下さいました侍女らが毎日手入れしてくださるんです。確かに前よりは綺麗になりましたねぇ、私の手も」
ここはもう何としても最初の設定を貫き通すしかない。
恥ずかしげに笑いながらしらばっくれるとますますキマリスの獰猛な笑みが深くなった。
「・・・やはり、面白いな」
「殿下・・・?」
キマリスが私の手を離す。
ようやく離してくれたかと安堵した途端、今度は腰に手を回されてグッと引き寄せられた。
「・・・っ」
衝撃で手に持っていた本がバサッと落ちた。
地面にほとんど足が着かず、のけぞるような形でキマリスを見上げた。
息がかかるほどの距離で神秘的なオッドアイが私の目を鋭く射る。
「お前は、俺達とは『違う』な」
「・・・」
「レイヴァンを初めて見た時も思ったが・・・お前はそれ以上だ」
・・・この男は、私の『違和感』に気付いている。
前にアモンに聞いたことがあるのだが、たまにいるらしいのだ、どんなに魔力を封じて本性を隠しても何かが違うと気付いてしまう『勘』の鋭い人間が。
この男もその一人らしい。
キマリスのもう一つの手が私の頬をなぞった。
愛しい女を愛撫するような、そんな官能的な手つきだった。
・・・随分、エロい触り方をする。
やられっぱなしは気分が良くない。
私は頬を撫でるキマリスの手の上に、自分の手を重ねた。
「手、大きいですね」
顔をずらして、目の前にある武骨な手の平をくんと嗅いだ。
「・・・血の匂いがする」
この男に染み付いた、血の香り。
それが、私の頭を痺れさせ恍惚とさせてくれる。
決して屈しない、獅子のようなこの男を隷属させたらどんな気分になるだろう。
この美しいオッドアイを私のものにしたら。
そんな考えがよぎった途端、キマリスがバッと身体を離した。
「っ、・・・危ねぇ女だな」
キマリスが酔いを覚ますかのように仕切りに頭を振っている。
しまった、やりすぎたか。
「魔力も、女の色気もないくせに目だけで俺を誘惑しようとしやがって」
ちょっと、色気がないは余計でしょうがっ。
顔がひきつりそうになるのを我慢して、平然とした態度をとる。
「さて、何のことでしょう?そんな事より、これ以上のお戯れはご容赦下さい。人に見られたら誤解を招きますわ」
「ふん、そうだな。このへんで終わりにしよう。でないと、扉の前にいる今にも飛び込んできそうな男に殺されそうだ」
やっぱり、気付いてたか。
おどろおどろしい魔力が図書室の扉の方から流れて来てるもんね。
まったく、あの犬ときたら。少しは抑えろっつの。
床に落としてしまった本を拾い上げ、棚に戻そうとするとキマリスに止められた。
「その本はお前にやる。持っていけ、読書の邪魔して悪かったな」
「・・・よろしいのですか?」
「ああ、司書には俺から話しておく。なに、金を請求されたら払っとくさ。その代わり・・・」
キマリスが内緒話をするかのように私の耳元に顔を寄せて囁く。
「今度、俺とデートしよう」
読書を邪魔した詫びではなかったのか?
婚約者がいる女を堂々と誘うとは、この男も相当遊び慣れてるな。
だが、私が『普通』ではないと気付いているくせに、深くは追及して来ない態度に免じて妥協する事にした。
「・・・デートじゃなくて、王都観光なら」
「観光か。よし、王都で一番上手いメシ屋と名所に連れてってやろう」
いやに乗り気なキマリスに本の礼を言って、踵を返す。
数歩進んだ所で、背後から「ああ、それから」と声がかかった。
「もう一つ。カナ、俺の妹姫には気をつけるように」
振り返ると、キマリスがにこやかな笑顔で手をヒラヒラと振ってきた。
何を気を付けないといけないのかは教えてくれなさそうだ。
もう一度ペコッと頭を下げて、私は今度こそ図書室を後にした。