第二話 体質・共犯
手伝いと言っても教材を運んだりするのが関の山ですが、それでも大抵十分くらいはかかります。そうこうするうち教室に戻ると、だいぶ人が増えているものです。直哉の周りには散々人がたかります。けれど、直哉はニコニコと応対しながらも、友人を必ず会話の輪の中に入れて、二人の間でしかわからない話題などを、むしろわざと振舞ったりするのです。
どこまで人が良くできているのか、友人が、それは皆に伝わらないだろう、とたしなめると、直哉は、ああうっかり、と言わんばかりに苦笑いで謝ります。そこまでされて怒る人間はいません。二人は仲が良いんだねと、何度も何度も、周囲に確認させます。直哉は強かだと、そういう時に思います。
そういう、友人のために強かになっている、なんとも言えないタイミングの直哉の、全然隙のない表情にも、例外なく胸はざわつきます。授業もまだなのに、一日が始まってこれで三度目です。自分でも時折、怖くなります。
そうして授業が始まると、直哉はすぐに髪の毛で横顔を隠してしまい、そして呼ばれれば、あるいは、直哉自身が授業中に辺りを見回したりすれば、また、あの美しい目が、二重の、真っ白な瞼に覆われた、鋭くも濡れた目が現れて、何度でも見てはいけないものを見た気にさせられるからおかしなものです。
*****
恋をすると、こんなものなのでしょうか。少し度が過ぎている気がします。やはり自分がおかしいくらい恋愛体質なのではないかという気がしてきました。何を隠そう、母がそうなのです。母がと言うか、母の父親である祖父が、そしてその父親である曾祖父が、さらにそのご先祖様が大抵、どうも、そうらしいのです。
高校入学までは話半分に聞いていました。自分もそうなのだろうかと言ってみたこともありましたが、とんでもない、せっかくお前はそんなことがなさそうでよかったと思っているのに、と家族全員ものすごい慌てようでした。ちょっとやそっとの恋愛体質ではなく、毎度毎度思春期を迎えるたびに生きるか死ぬかの大騒ぎになる類のものであることが多いらしく、しかもその度合いが代を経るごとに強くなっていっているとのことでした。
いくらなんでも恋愛体質がDNAで決まるわけはないとは思いたいですが、確かに、直哉に対するこの思いは、どう考えても尋常ではありません。そもそもが尋常ではない上に、まだ出会って大した時間も経ってはいないのに、この有り様なのですから。
話す機会自体は実際のところ、他の人よりはあるはずですが、私自身が口数の多い方ではなく、またあまりに尋常でない想いに、この上話しかけたりして、距離を縮めようとも思えず、むざむざ棒に振っています。
けれどそれでも、私は幸せです。直哉がいてくれるだけで、直哉の美しさに打ちひしがれているだけで、本当に、どうしようもないほど心が満たされていくのがわかります。これが恋愛というものであるなら、どうして切ないだとか悲しいだとか、生きるの死ぬのの話になるでしょう。期待しすぎではないのかと思います。期待しすぎというよりは、贅沢とでもいうのでしょうか。
*****
五月初め、直哉は、部活の同級生の女子と交際を始めました。
その同級生の女子と言うのは、美人でも何でもなくて、周りの人間が意外がるのも仕方がありませんでした。私でも驚いたのです。不細工ではないけれど、いい子だけれど、それでも、なんということもない、少し純朴すぎるくらいの女の子―。
驚きはしましたが、別段どうという事もありません。私はそもそも伝えることがないし、伝える気がないのですから、嫉妬というものも起こりようはずもありません。言ってしまえば、もう失恋しているのです。ありもしない可能性を惜しむでもなし、むしろ、相手がとてもいい子であることに、新たな喜びを覚えました。あの子ならきっと、大丈夫です。あの友人のことといい、直哉にはきっと、人を見る目があるのでしょう。
そんな風に考えていた私は、大人のように悟ったふりをして、きっと、人の何倍も子供だったのだと思います。なんといっても、初恋なのです。初めて挑みかかる相手に、油断など、絶対にしてはならなかったのに。
*****
それは、魔物のような日差しが刻一刻ときつくなる頃でした。
その日の五時間目は体育で、外での野球でした。よりによって一番日差しの照る時間帯に誰もが辟易しましたが、直哉はいつもどおり、隙なく微笑んでいました。
しかし、どうしたことか、その腕や首が、徐々に赤くなっていくのです。初めは熱中症でも起こしたのかと思いましたが、風もありますし、飲み物も持ち込んでいいことになっていて、直哉も適宜水分はとっていました。それでは野球に熱中しすぎてという事でしょうか。まさか。直哉は陸上部です。それも優秀な選手であるはずです。たかだかちょっとやそっとの盗塁ごときで、息すら上がらないはずです。
にもかかわらず、どんどんどんどん、頬も耳もうなじも、みるみるうちに赤くなって、時折表情すら曇らせます。時間が経つほどに直哉は俯きました。髪の毛で表情を隠しているのです。歓声や応援、ヤジが飛べば、すぐに華やかな笑顔を浮かべて見せますが、苦しそうというより、何か猛烈な痛みを耐えるような表情に、ようやくピンときました。
日焼けです。直哉の肌はまごうことなくブルーベースの、それも相当にメラニン色素の薄い肌です。そういう肌はメラニンで紫外線から身を守ることができず、そのまま熱と光の刺激を受け、正真正銘火傷を負います。しかし、それくらいでは保健室にいきづらいのか、残り半分ほどになった授業時間をそのままやり過ごそうとしているようでした。痛々しくて見ていられません。しかし放っておくことは到底できず、何も出来ぬままおろおろと黙っているしかできません。
すると、あまりに熱心に彼を見ていた私が、つい視線を外すのを忘れているうちに、彼と目が合いました。私は常のごとくたじろぎましたが、今しかありません。無言で自分の腕や首をさすって、顎で彼を指しました。
直哉は少し驚いたように、目を見開いて、それから伏し目がちにうなずきました。
その痛みと疲労が剥き出しになった一瞬の無表情は、赤く色づいてしまった彼の肌といっしょに、じわりと、私の心臓の隅を、不穏に焦がしました。
バッターが良いヒットを打ちました。一塁にいる直哉は、勢いよく駆け出します。二塁が近くなった辺りで、守備がボールを拾って戻ってきました。相当に位置が近いので、誰もが二塁で止まるだろうと思った矢先、直哉がさらに速度を上げました。守備も気の強い運動部だったので、何か思うところがあったのか、相当強引に止めにかかりました。しかし、直哉には結局、追いつき切りませんでした。追いつき切りませんでしたが、直哉の体は急にバランスを崩して倒れ込みました。
「ごめん、ちょっと無茶した」
守備に直哉が詫びました。守備はうろたえています。倒れてから守備の体にぶつかったので、本来守備は悪くないのですが、幸い気づいていないようです。私は歩み寄って素早く守備と直哉の間にかがみました。直哉は無傷です。
私は、血が出ているから保健室に連れて行くと皆に告げました。
クラスメイトは騒ぎ守備は狼狽しましたが、直哉は翳りのない声で、心配かけてごめん、大丈夫だからと宥めました。そのまま私と校庭をつっきって校舎に向かいます。すっかりざわめきが遠くなった辺りで、苦笑いと一緒に、ありがとうと言われて、私はちょっと、返事ができませんでした。




