【第十四章】男爵領へ
ダンバース男爵領は王都の北西・低湿地帯の手前に位置し、穀物が育ちにくい痩せた土地にある。湿地に続く街道は、領民の数もまばらで、細く荒れ果てていた。
路面の凹凸を拾って車輪の軋む馬車の中では、アラディアと侍女が他愛のない話に花を咲かせていた。目指すは最初の宿場町。夕方までには着ける算段だ。
午後の日差しを浴びて、輝く麦の若葉が風に揺れる。王都暮らしをしていると見ることのない風景を、アラディアは目を細めて車窓から眺める。
やがて馬に乗った男が近づいて来た。
男は灰色の隊服を身につけており、王都の騎士だ。武官が貴族の馬車と並んで走るなど尋常なことではない。
(街道で検問でもしているのかしら……)
訝しんでいるうちに、御者が馬車を止める。
護衛無しでの貴族女性の一人旅は珍しく、怪しまれることも多いと聞く。しかしアラディアに不安はない。こちらの手の内には、王太后様の身分証明書があるのだ。下級騎士など即刻黙らせる自信があった。
それでも少し身構えて馬車のそとに目をやると、白馬からひらりと降りる人影が見えた。白と金の隊服に、光に透けるアッシュブロンド。エルヴィン・ホールドハーストの姿があった。
アラディアと侍女は馬車を降り、礼をして近衛騎士隊長を迎える。
「突然、馬車をお止めして申し訳ありません、さぞ驚いたでしょう」
相変わらずエルヴィンの表情筋は仕事をしておらず、白磁器の人形を思わせた。だが彼のアカシック・レコードを大量に外部記憶領域へ保存しているアラディアは、心の動きを感じ取れる気がした。
「先日お借りしたハンカチのお礼に伯爵邸へ伺いましたが、すでにアラディア嬢は出立しており」
「失礼を承知で、追わせていただきました」
そう言うとエルヴィンは「お受け取りください」と、きれいにリボンがけされた箱を差し出す。
(この大きさこの重さ、ハンカチ5枚以上は入ってないかしら?!)
謝意の大きさもだが、それより困惑するのはその眼差しだ。
(……随分と懐かれたものね)
アラディアにはこの表情の乏しい青年が、人懐っこい大型犬のように感じられていた。
降霊術の日。泣きじゃくる彼が落ち着くまで、隣にいただけなのだけれど。(マスクレイヴ辺境伯と共にね)今はエルヴィンの澄んだ水色の瞳に、友愛めいた温かさを見て取れる。
「ところでレディ・アラディア。これからダンバース男爵家を訪問予定と聞きましたが……」
「そのとおりよ」
「この街道の先は悪路が続き、王都の結界も弱まります」
ん? なんだか聞き覚えのあるこのセリフ。
次の展開は、当然のように続いていく。
「女性だけの旅は危険を伴います。どうか私を護衛としてお連れください」
いやなんで、この白と黒の公爵たちは私についてこようとするのかしら。断る理由を探すアラディアをよそに、エルヴィンは傍らの従者に「王宮の騎士団にこれより3日の休暇を取ると伝えよ」と指示し、困惑させている。
「無理をお願いする自覚はあります」
「でも私は、レディ・アイリーンの育った地を見てみたいのです――」
あー本命はそっちかー。
そう言われては断りづらい。
切なげに目を伏せるエルヴィンは、未だ愛するものを失う怖さと戦っているのだ。アラディアはしばし葛藤した後、心を決めて頷く。
「いいわ、一緒に行きましょう」
「ただホールドハースト卿と同行と知られたら、私の体面が悪いの」
「絶対に、ホールドハースト公爵家嫡子・第三近衛騎士隊長、エルヴィン・ホールドハーストとバレないよう約束できる?」
爵位が上の騎士様に、随分不躾なお願いをしたものだけれど。エルヴィンは少しだけ口の端をほころばせて、承諾する。
そこからの行動は予想外だった。
「ハワード、服を交換します。脱ぎなさい」
と、従者の階級のない灰色の隊服を奪い、着替えてみせた。
だが、腰まで伸ばした色素の薄い髪に、アクアマリンの瞳は雄弁に彼の身分を語っている。
「駄目だわ、首から上が高貴すぎる」
従者のハワードが首を何度も頷かせ同意する。
「首から上、ですか……初めて言われました」
声を沈ませるエルヴィンに、アラディアは「とりあえずこれを使って」と、魔法鞄から髪留めとストールを手渡す。
「宿場町に着いたら、平服と外套を買いましょう」
こうして三人となった一行は、男爵領への旅を再開した。
◇ ◇ ◇
二泊目の貴族宿にたどり着くと、翌日はいよいよ目的地への来訪となる。アラディアは魔法鳩で男爵に到着予定時間を知らせると、パーラーにエルヴィンを招き入れる。
「ごめんなさいホールドハースト卿、本来であれば貴賓室は爵位の高い貴公にお使いいただくのが道理なんだけど……」
エルヴィンに用意されたのは従者用の部屋で、硬い木のベッドが置かれた質素なものだった。
「昨日も申しましたが、今の自分は貴女の護衛の身」
「騎士の遠征で雑魚寝にも慣れております。お気遣い無きよう」
平民の服を着ていても、どこまでも紳士な態度だ。どこぞの誰かと大違いねと感心しつつ、アラディアは本題にはいった。
「ホールドハースト卿。今は互いを敬称で呼び合ってますが、流石に男爵夫妻は違和感を覚えるでしょう。これより先は、貴公に偽名を使っていただきたく存じます」
侍女のスーザンがセンターテーブルに紅茶を置く。淹れたての芳醇な香りがあたりに漂った。
エルヴィンは静かに頷くと、ティーカップに優しく手を添える。
「偽名ですか……」
少しの時間考え込んだエルヴィンは、微塵も表情を動かさずに切り出した。
「では、私のことはどうぞ『エル』とお呼びください」
アラディアは口に運んだ紅茶を吹き出しそうになった。
「そ、それはホールドハースト卿の愛称ではなくて?!」
「はい」
「あ、愛称呼びだなんて、あまりに不敬でないかしら」
あまりの衝撃に、呂律が上手く回らない。手も震えて、カップ&ソーサーがカタカタと情けない音を立てた。
「いえ、構いません。偽名では即座に反応する自信がないので」
無表情で飄々と語られて、なにやら背筋に冷たいものが走った。やはりだいぶ、この美貌の騎士に懐かれてる気がする。
「私は貴女を『マイ・ロード』と呼びましょう」
「では、騎士の誓いを――」
はいそこ!
急に片膝をつかない!
剣を床に突き立てない!
アラディアはあわててエルヴィンの奇行を止めにはいる。
彼は「一度誓いを立ててみたかった」と、とても残念そうだ。
「それは王族やお姫様にやってあげて……」
と、アラディアは深くため息をつく。
「とにかく、貴方は私の従者で護衛なの。私のことは『お嬢様』でおねがいします!」
懇願に近い訴えで、ようやくエルヴィンは納得してくれたようだ。
夜が深くなり始めた。
「それじゃ明日もお願いね、エル」
宿のドアから騎士を見送る。
「お任せください、お嬢様」
偽装は完璧になされたようだ。
寝室に戻るとアラディアは、こみ上げる笑いをこらえた。
高貴な身分でありながら、どこまでも真面目でちょっとズレたホールドハースト卿。彼が作り物のように表情を崩さない理由は、内面のうるさい思考回路と優しさから、自分を守る不器用な処世術なのだろう。
(今日は私のわがままに散々付き合わせちゃったし、ささやかなお礼をしないとね)
アラディアはベルを鳴らして侍女を呼ぶ。
「スーザン。宿の主人に、明日の朝食は卵焼きにするよう伝えてちょうだい」
さあ、明日はちゃんと魔女に戻らなくては。
アラディアはそう誓うと、眠りに落ちた。




