第2話『最初の業務は、引きこもり皇子の再建ですか?』
負債……イヤですよね……
帝国に到着した翌朝。
皇帝陛下が直々に手配してくださった特別室の寝心地は最高だった。最高級の羽毛布団と、魔力で最適化された室温。しかし、有能な経営者である私が、そんな快適さに溺れて時間を無駄にするはずがない。
私は早朝四時に起床し、昨晩のうちに皇帝陛下から決済をもらった『北部魔石鉱山のコスト削減案』の実行プロセスを各部署に通達し終えていた。朝食前のウォーミングアップとしては上出来だ。
「おはよう、私の愛しい財務卿。昨夜はよく眠れたかな?」
帝城の最奥、皇帝専用の執務室。
朝陽を背に受けながら、レオンハルト陛下が優雅にコーヒーカップを傾けていた。淹れ立てのコーヒーの香りと、彼の放つ圧倒的なカリスマ性が空間を支配している。
「おはようございます、陛下。寝具の品質は申し分ありませんでした。お陰様で睡眠効率が二パーセント向上し、今朝の業務も滞りなく完了しております。……さて、昨夜おっしゃっていた『厄介な案件』の詳細をお伺いしても?」
私が単刀直入に切り出すと、レオンハルト陛下は苦笑しながら、分厚い革張りのファイルと一枚の羊皮紙をデスクの上に滑らせた。
「君のそういう一切ブレないところ、本当に好ましいよ。……これを見てくれ。我がアウグスト帝国の第二皇子、ルカ・フォン・アウグストの直近三カ月間の『経費報告書』だ」
私は羊皮紙を手に取り、そこに羅列された数字に目を通した。
数秒後、私の青い瞳は氷点下まで冷え切っていた。
「……陛下。これは、何かの冗談ですか?」
「残念ながら、すべて事実だ。ルカは歴代皇族の中でも桁違いの魔力量を持って生まれた天才だが、それゆえに周囲から恐れられ、自身も力を持て余して三年前に完全にグレてしまった。今では離宮の一角に引きこもり、近づく者には無差別に魔法をぶっ放す始末だ」
「私が伺いたいのは、殿下の非行の理由ではありません。この数字です」
私は羊皮紙を指先で弾いた。
「破壊された歴史的建造物の修繕費に金貨五千枚。威嚇魔法による近衛騎士の負傷手当および精神的苦痛への慰謝料、金貨二万枚。さらには意味もなく燃やされた高級家具の補充費……。たった三カ月で、小国の年間予算に匹敵する額が『無駄金』として計上されています。これは明確な『不良債権』です。なぜ損切りしないのですか?」
「手厳しいな。だが、私にとってたった一人の弟だ。それに、あいつの魔力は帝国にとっても貴重な財産のはずなんだが、誰もあいつの力を制御できなくてね。教師も護衛も、三日と持たずに逃げ出してしまう」
レオンハルト陛下が、挑戦的な黄金の瞳で私を見つめてくる。
「どうだろう、エルゼ。帝国の財政を預かる財務卿として、この『特大の不良債権』を黒字化する自信はあるかな?」
「愚問ですね」
私は即答した。そして、ファイルを小脇に抱え直す。
「有能な経営者にとって、ポテンシャルの高い不良債権ほど燃える『投資先』はありません。これだけの魔力量を生産的な事業に転用できれば、莫大な利益を生み出せます。……ご安心ください、陛下。私が責任をもって、殿下を『優良銘柄』へと叩き直してみせます」
「頼もしい言葉だ。期待しているよ、私のエルゼ」
レオンハルト陛下が満足げに微笑むのを背に受けながら、私は足早に執務室を後にした。ターゲットは離宮にいる引きこもり皇子。善は急げだ。
◇◇◇
ルカ皇子が引きこもっているという東の離宮は、美しい帝城の中でそこだけが異質な空間だった。
廊下の壁は焦げ、床の大理石はひび割れ、あちこちに魔法が暴走した生々しい爪痕が残っている。
「……ひどい有様ですね。これほどの器物損壊、私が監査に入っていれば即刻全額給与天引きの事案です」
「お、お待ちください、エルゼ様! これ以上近づくのは危険です!」
案内役の騎士が青ざめた顔で私を引き止めようとしたが、私は歩みを止めなかった。
重厚な扉の前に立つ。ノックなどという無駄な手続きは省き、私は扉を思い切り蹴り開けた。
「失礼いたします。第二皇子ルカ殿下ですね」
薄暗い部屋の中。
乱雑に散らかった書物や壊れた魔導具の山の中央に、上質なソファが置かれていた。そこに、だらしなく長い脚を投げ出して座っている少年がいた。
兄である皇帝陛下によく似た、しかし少し癖のある漆黒の髪。年齢は私と同じ十八歳のはずだが、少し幼さを残す整った顔立ちをしている。だが、その黄金の瞳には、ひねくれた反抗心と苛立ちが渦巻いていた。
「……あ? 誰だお前。僕の部屋に勝手に入ってくるな。死にたいのか?」
ルカ殿下が不機嫌そうに睨みつけてくる。
その瞬間、彼の周囲の空気がビリビリと震え、目に見えるほどの高密度な魔力が可視化して放たれた。
「消えろ」
短い言葉と共に、不可視の『風の刃』が私の顔面に向かって放たれた。
案内役の騎士が悲鳴を上げる。
しかし、私は瞬時にその魔法の出力、軌道、着弾地点を計算した。結果、回避行動は『無駄な労力』と判断し、瞬き一つせずにその場に立ち尽くした。
ヒュッ、という鋭い風切り音。
風の刃は私の銀髪の毛先を数ミリだけ掠め、背後の壁に深く突き刺さった。
「……っ!? お前、なんで避けない!?」
自分の威嚇魔法に全く動じない私を見て、ルカ殿下が初めて驚きの表情を見せた。ソファから身を乗り出し、目を丸くしている。
「避ける必要性を感じませんでしたので。軌道計算によれば、直撃コースから三センチずれていました。脅しのつもりでしょうが、魔力のコントロールが甘いですね」
「なっ……! ぼ、僕の魔法が甘いだと!? もう一度言って——」
「それよりも殿下」
私は彼の言葉を冷たく遮り、手に持っていた経費報告書をバサリと広げた。
「ただ今の壁への損壊行為により、修繕費として金貨三百枚が追加計上されました。ご存知ですか? あなたがこの三年間で帝国に与えた総損失額は、およそ金貨四百万枚に上ります。これは、帝国南部における農業支援プロジェクトを五つ立ち上げ、三万人の雇用を生み出せる金額です」
「は……? なんだお前、いきなり現れて金の話かよ。僕を誰だと思ってる! 帝国の第二皇子だぞ! 金なんていくらでも湧いてくるだろうが!」
「湧きません。金は天から降ってくるものではなく、領民の血税と適切な経済活動によって生み出されるものです。あなたのように、ただリソース(資金と魔力)を消費し、何の利益も生み出さない存在を、経済用語で何と呼ぶかご存知ですか?」
私は一歩、彼に近づいた。
氷のように冷たい視線で見下ろす。ルカ殿下が、気圧されたようにわずかに身を引いた。
「『ただの負債』です」
「っ……!! ゴ、ゴミ……!?」
「ええ。ですが、安心してください。私は昨日付けで帝国財務卿に就任した、エルゼ・フォン・ブラウベルトと申します。私の仕事は、あなたのような巨額の赤字部門を叩き直し、優良な黒字部門へと変革させること」
私はルカ殿下の目の前まで進み出ると、彼が放っている強大な魔力の波動を手で払いのけるようにして、その顔を覗き込んだ。
すごい魔力量だ。これほどの出力を無意識に維持できるなんて、まさに規格外。
私の脳内で、この魔力をインフラ事業に転用した場合の利益計算が高速で弾き出されていく。……素晴らしい。これは、莫大な富を生む最高の『投資先』だ!
「素晴らしい魔力です、殿下。これほどの熱量と出力があれば、王都の魔導給湯システムを三日で完全稼働させられますね。それをただの癇癪に使うなど、経営者として看過できないほどの機会損失です」
「き、機会……なんだって? お前、僕の魔法を怖がらないのか……?」
「怖い? なぜ私が『利益の源泉』を怖がる必要があるのですか?」
私は彼に向かって、最高に美しい(と自負している)営業スマイルを向けて宣告した。
「ルカ殿下。明日朝六時より、あなたの再建計画(スパルタ教育)をスタートします。あなたのその規格外の魔力、帝国のために一滴残らず絞り出させていただきますから、覚悟しておいてくださいね」
圧倒的な正論と、これまで向けられたことのない「投資対象としての熱い視線」に晒された第二皇子は、完全に言葉を失い、なぜか顔を真っ赤にして固まっていた。
よし、ヒアリングと現状認識のステップは完了だ。
私は頭の中で、明日のインフラ整備事業のスケジュールを組み直し始めた。
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次回お楽しみに。




