第1話『不当解雇されたので、より優良な企業(帝国)へ転職します』
眼下には、灯りの消えた祖国の王都が広がっていた。
本来ならば建国記念祭のフィナーレを飾るはずの夜景は、見る影もなく真っ暗だ。唯一、貧民街と病院施設だけが、私が設定した予備魔力回路によって淡い光を放っている。
「見事なまでのブラックアウトですね。魔力供給のランニングコストを計算できない経営陣が上に立つと、インフラはこうもあっさりと崩壊する。良い実例です」
「お嬢様、あまり身を乗り出されますと危険でございます」
帝国の紋章が刻まれた豪華な飛空艇のデッキで、私は夜風に銀髪を揺らしながら呟いた。後ろに控える執事のセバスが、すかさず最高級の飛竜の毛皮で作られたショールを私の肩にかけてくれる。
「ありがとう、セバス。それにしても、帝国の飛空艇は素晴らしいわね。魔力効率が祖国の旧式とは比べ物にならない。この静音性と巡航速度、燃費計算のデータだけでも金貨十万枚の価値があるわ」
「お気に召して何よりです。皇帝陛下も、お嬢様をお迎えするために最新鋭の特別機をご用意された甲斐があったというものでしょう」
そう、この飛空艇は乗り合いの客船ではない。隣国である『アウグスト帝国』の若き皇帝、レオンハルト・フォン・アウグスト陛下が、私個人のためだけに差し向けてくれた専用機だ。
祖国の王太子アルフォンスから婚約破棄(実質的な不当解雇)を言い渡されることは、数ヶ月前から私の計算上で「発生確率九十八パーセント」と弾き出されていた。
彼が自称聖女のミリアに入れ込み、公爵家からの融資を湯水のように浪費し始めた時点で、あの国は「不良債権」へと成り下がったのだ。
だから私は、次なる「優良な投資先」を探した。
圧倒的な経済力、軍事力、そして何より実力主義を掲げるアウグスト帝国。
私は帝国の内情を綿密にリサーチし、彼らが抱えている「ある財政的なボトルネック」を解決する事業計画書を作成して、匿名で皇帝直属の監査局へと送りつけたのだ。
結果は即日採用。
しかも、皇帝陛下直筆のスカウト状という破格のオファー付きだった。
「……見えてきましたよ、お嬢様。帝国の首都、ガルデアです」
セバスの声に顔を上げると、夜の帳の先に、眩いばかりの光の海が現れた。
規則正しく整備された区画、途切れることなく稼働する魔導街灯、夜空を彩る高層建築の数々。祖国とは比較にならない、圧倒的な資本と技術の結晶がそこにあった。
「なんて美しい……完璧なまでの都市計画。物流の動線に無駄が一切ないわ」
私は青い瞳を輝かせた。あの光の一つ一つが、莫大な利益を生み出す経済活動の証なのだ。有能な経営者として、これほど胸が躍る光景はない。
飛空艇は、帝城の最上層部にある皇族専用の巨大な発着場へと静かに滑り込んだ。
タラップが降り、私がデッキから足を踏み出すと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
真夜中だというのに、深紅の絨毯が敷き詰められ、両脇には銀の鎧に身を包んだ近衛騎士たちが一糸乱れぬ動きで敬礼をしている。
そして、その絨毯の先——。
「長旅をご苦労だったね、我が愛しの氷の令嬢」
夜の闇よりも深い漆黒の髪。そして、獲物を狙う猛禽を思わせる、鋭くも艶やかな黄金の瞳。
黒を基調とした皇帝の正装を完璧に着こなした長身の美丈夫が、優雅な足取りで私へと近づいてくる。
帝国皇帝、レオンハルト・フォン・アウグストその人だ。
私は慌ててカーテシー(淑女の礼)の姿勢をとろうとした。
「お出迎えいただき、光栄の至りに存じます。レオンハルト陛下——」
「堅苦しい挨拶は不要だ」
ぐい、と。
礼をするより早く、レオンハルト陛下の大きな手が私の腰を抱き寄せた。
彼の熱い体温と、微かに香る高価な香木の香りが私を包み込む。
「へ、陛下?」
「ずっと、この時を待っていた。君の事業計画書を見た時から、いや、もっと前からだ。あの狭く埃っぽい国で、君という稀代の宝石が価値のわからない愚者の元に置かれていることが、私には我慢ならなかった」
黄金の瞳が、熱を帯びて私を至近距離から見つめている。
吐息がかかるほどの距離感。これは、一体どういう状況だろうか。
私は頭の中で高速で計算式を組み立てた。
(なるほど。これは『超VIP待遇による強烈な引き留め工作』ですね。優秀な人材を他国に取られないよう、皇帝自ら親密さをアピールして帰属意識を高める。素晴らしいマネジメント手法です!)
私は彼の熱烈な視線を真っ直ぐに見返し、無表情のまま頷いた。
「過分な評価をいただき、恐縮です。ご提示いただいた『帝国財務卿』のポスト、および年俸と福利厚生の条件について、不服は一切ございません。本日から我が身は、帝国と陛下の利益のために捧げます」
私の言葉を聞いたレオンハルト陛下は、一瞬だけきょとんとし、それから喉の奥で低く笑った。
「くくっ……『利益のために捧げる』か。君らしい素晴らしい宣誓だ。だが、福利厚生の条件については、まだ全容を伝えていない」
「全容、ですか?」
「ああ。私の隣——つまり、この帝国の国庫だけでなく、私のプライベートな時間すらも管理する権利を与えよう。……まずは手始めに、今夜は私の寝所から一番近い特別室を用意してある。君の好きなだけ、私を『使って』くれて構わない」
レオンハルト陛下が、私の耳元で甘く囁く。
近衛騎士たちがわずかに動揺し、セバスが咳払いをするのが聞こえた。
だが、私の心には一片の動揺もなかった。
(寝所から一番近い部屋……つまり『24時間体制で決済のサインをもらえる直通ルート』の確保! さらには皇帝陛下を『使って(実務に駆り出して)』良いという許可! なんという圧倒的な裁量権! これなら決済待ちの無駄なタイムロスを完全にゼロにできる!)
「素晴らしいご提案です、陛下!」
私は思わず声のトーンを上げ、彼の胸に手を当てた。
「その権限、最大限に活用させていただきます! 早速ですが、明日提出予定の『帝国北部の魔石鉱山に関するコスト削減案』について、今夜のうちに決裁をいただいてもよろしいでしょうか? 徹夜になりますが、お付き合いいただけますね?」
ロマンチックな雰囲気を綺麗に粉砕した私の言葉に、レオンハルト陛下は今度こそ声を出して笑い始めた。
「はははっ! ああ、いいだろう。君が望むなら、朝までとことん付き合おうじゃないか。私の可愛い財務卿殿」
彼は私の手を取り、その甲に熱いキスを落とした。
少しだけ鼓動が早くなった気がしたが、それはきっと、これから始まる大事業への期待からくる興奮のせいだろう。
こうして、元婚約者に不当解雇された私は、帝国という超ホワイトな優良企業で、皇帝陛下という最高のビジネスパートナーを得たのだ。
「さて、エルゼ。君の初仕事だが……少し厄介な案件を頼みたい」
執務室への道のり、レオンハルト陛下が少しだけ目を細めて言った。
「帝国の財政を圧迫している、我が弟……第二皇子ルカの再建だ」
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次回お楽しみに。




