16-3 老年にさしかかろうという男性が出してはいけない、切ない小さな鳴をオレは聴いてしまう
この国の人間があまりに国防に無頓着なのは、世界一平和であるという驕りからくるものだが、自分たちが生み出したものが世界にどんな影響を与えているのかを、まるで知らないままでいる、という無神経さも兼ね備えている。
それは自分たちがあまりにも簡便に高品質なものを生み出してしまうからである。それまでの常識やルール、倫理観を無視して。
かつて政略兵器とは、綿織物を指した。
かつて政略兵器とは、ICや半導体を指した。
かつて政略兵器とは、家電製品を指した。
かって政略兵器とは、自動車を指した。
今、政略兵器とは、我々作家が生み出す創作物なのだという。
「世界は、この国にいる優れた創作者の作品を待っているのよ。とりわけファンタジー作品をね」
「――だったら……!」
吉原美奈子は俺を諭すように、人差し指を立て、唇に当てた。
「優れた、創作者のファンタジー作品、よ」言ってから、彼女は少し口角を上げた。
「……ハッ、なるほどね。それで暗黒便所先生というわけか。で、ゲライモはどんな戦果を上げたんですか?」
「フフ、勝ち負けがあるわけではないのよ。私たちはただ、真摯に作品に向かい、書き連ねるだけ。それに政略兵器のオペレーターは私一人だけでもない――ひょっとしたら彼女も、海原桐子先生あたりもやってらっしゃるかも」
「きりゅ……っ、いや……、他に誰がいるかは判らないんですか?」
「一応は国家機密だからね。未成年の君と私の場合は特別よ。それに徴用されるのはあらゆる想像創作分野、主には今は放映が禁止されているファンタジー系アニメ、SFロボットもの、ヒーローもの、魔法少女もの。小説ならラノベ全般、もちろん漫画も対象。立体物ならプラモデルや、フィギュア全般。それぞれの作品は政府下部組織の政略編集部分室によって取り扱われ、流通経路、翻訳等を含む編集、校閲、発売や出版のタイミングまでコントロールされている。
でもね、創作活動を強制されてるわけじゃないのよ。実際私は教職員として普通の高校教師をしていたわけだから、国家機関に属する特別なエージェントって訳ではないの。
――正直、疲れちゃったのよ。
出版が遅れると、ゲライモが発表されないことに苛立ちを覚えた海外のファンが、各地でデモを起こし、タチの悪いものは暴動にまで至る。結果、国際問題となる。上手くコントロールしているとはいえ、株価ですら思いのままに動かせる。
要するに、販売輸出規制で大衆心理を利用した人心誘導が、政略兵器の真髄。それほどまでに日本人が創る想像創作媒体は世界から求められているのよ。かつて政府が言い出した“受動的戦略”の“クールジャパン”どころではないのよ」
海外の人間は事あるごとにデモを起こしている、たまに暴動だって略奪だって起きている。何が原因なのか等、全く関心を寄せたことはなかったが、国内情勢が自国以外のアクションで左右させられるとしたら、まさにそれは“攻性の干渉兵器”といえる。
「いままで世界のオタク人口はある程度把握できていたのだけど、“隠れオタク”人口には着目しなかったのよ。だけどもいざ、創作媒体のネット購入が一般的になり、今までなら店舗に足を運ぶことすら躊躇して購入に踏み切れなかったマニア向けの商品が、国内外でも自由に流通させることが出来た途端、売り上げは急増した。それと同時に想像創作媒体業界は勢いを増し、乗算的に、オタク文化を世界に伝播させ、隠れオタクを増産させた」
もはやネットは世界を制しており、共産色の強い国なんかでは情報規制をかけていたりするようだが、オタクは自身の欲望のためなら易々と法を出し抜き、かいくぐり、あるいは破るだろう。そして手間と金銭に糸目をつけない。
そして、一度オタクになった者は、元には戻らない。この足下の金津園のように。
一度でも想像創作媒体に触れ、魅了された者は皆、原罪的中二病罹患者となる素質を備えた保菌者なのだ。
この現象に各国政府は対応を迫られた。自国民の人心が他国の政略的手段により掌握されているなどというのは看過しがたかったかもしれないが、情況を逆手にとりこれをして、人口の何割かの行動をおおよそ把握出来ると考えた国は、日本の“政略兵器”傘下に参入した。
無論、これを面白くないとする国は、想像創作媒体の流入を規制しようとしたし、オタ活を取り締まろうとした。だがオタクがそんなことでめげるような連中ではないことは、先に述べた通りだ。日本政府としては各国がどのように想像創作媒体を扱おうが、こちら側のコントロール、すなわち作家やメーカーのコントロールさえしていれば、他国の情勢に随時介入できた。
無論、今更書くようなことではないが、その割を食ったのは、日本国内にいる想像創作媒体を手がけてきた、波乗りが下手な作家やメーカー達だ。
「私は五年ほど前を境に、教職員として復帰した。国際情勢も大きくは動きをみせていなかったし、ゲライモのほうは教師をしながら書き溜めた分で、ボチボチ新刊を出せばいいと考えていた。問題のないペースで刊行していれば、波風も立たないと考えていた。
なにより、私はね、国重君。あなたたちに出会って気づかされた。
イエ、とっくに気づいていたのに、気づかないふりをしていたのね。
小説はもっと自由に書きたいことを書くべきなんだって。
伝えたい言葉の波を滔々と生み出す大海たるべきであると。その波及力は船を揺らし、巌をも砕き、陸を浸食し、やがて渓谷を作り上げ、あるいは人を吞む。それらは突然起きるのではない、ずっと何年も何十年もかけて成されるもの。ましてや意図的に、企図的に人の手によって起こされるべきものではなく、結果として帰結するべきものだと悟った。
だけど、世界は私の好きにはさせてくれなかったわ」
「つまり……?」
「あなたのせいよ……処女貫徹、せ・ん・せ・い」
そう言いながら美奈子は、ヒールの踵をギュウ、とオットマンの尻に突き刺した。穴に入ったのかどうかなど知りたくもないが、老年にさしかかろうという男性が出してはいけない、切ない小さな鳴をオレは聴いてしまう。
「あなたとネカフェで遭遇したとき、私は最新刊のその先を執筆していた」
「エエ、そうでしたね……それを、俺が消した」
「ここ十数年ゲライモは同盟諸国の御用達でね、日本で最新刊が一般刊行されたあと、続刊の原稿がまとまり次第、同盟国の編集部に送られる。日本での続刊を待って任意タイミングで、翻訳版の発刊を許してきた。つまり“傘下”の同盟国には他国に先駆けゲライモが手元に届き、次の戦略が練られたのよ」
「同時に政府高官の中にも一定以上隠れ愛読者はいたようでね、物語の続きを、自国民を差し置いて一番に読めることを、彼らは非常に喜んだわ。それが汚職の種になってるなんて日本人は想像もしないでしょうけど。
何でも一番が好きな国のとある大統領はこうのたまったそうよ、『創作世界への旅は火星探索よりもエキサイティングだ』とね。物語の力とはそれほどまでなのよ、創作をする全ての人にきかせてあげたい言葉ね」
「はン、火星探査してる国なんて一国しか――で、その俺のせいで、今回それが、果たせなくなった?」
「おそらくだけども。洋上に展開していたイージス艦と空母を引き上げさせたのも、それに対する不満の表明だったのかも。もしくは閣下の個人的な嫌がらせか」
まるで呆れたと言わんばかりに、彼女は芝居がかった動作で両腕を頭の後ろに回し、ソファの背もたれに身を預けた。呆れたいのはこんな荒唐無稽な話を、総理官邸で聴かされているオレのほうだ。
それに加えこの情況。
相変わらず金津園は靴を舐めるオットマンだったが、網タイツにピンヒールの美奈子に踏まれて、愉悦の表情を浮かべる貧相なハゲチョロリンの姿は、実に整合性がとれており、あまりに美しかった。
「ま、そっちは同盟国だし別の方向から関係修復することになると思うけど、問題はいわゆるあっちのほうね」
「はあ? あっちって、なんですか……何の話だよこれ、俺がここにいる意味あるのか?」
「フ……ここまで来ておいて、今が無意味だと思って? あなたの作品を求めているのが何処の国の大統領か、国家主席か将軍か指導者か、それを教えることは出来ないし、私だって知らない」
吉原美奈子は口では半分笑いながら、そこから紡ぎ出されたはずの声は緊張を纏い、瞳は井戸の底のように、わずかな光の中で潤んでいた。
「っ……意味があるなら、聞かせて欲しいですねッ! あなたは、そんなどこのどいつだかわからない奴らのために創作をしてきたっていうのですか。小説は兵器なんかじゃないッ!」
思わせぶりな言葉に終始し、話が進まないいらだちのせいで、唾液でベタベタになったスニーカーの足でオットマンの顔面を蹴り飛ばしてしまった。
勢いのまま 俺と美奈子は立ち上がり、真正面で向かい合っていた。その足下には俺達二人に踏まれる金津園官房長官が至福の表情を浮かべている。
その様子を見てなお、俺を見つめたまま表情を緩めない美奈子に、ただ不安を感じた。一体俺は何のためにここに連れてこられたのか、この話の出口がどこにあるのか。
「認めたくなどないけれども……もっと書けと、そう言っているのよ」
怖かった。
怖くて、逃げ出したくて、こんな状況は嘘だと思いたくて、長い夢から覚める合図のように密やかな抵抗となって、それは、ようやく喉の奥からひねり出すことで、声になった。
「だから! あんたはさっきから何を言ってるんだ! 俺は小説を政治の道具になんてさせないぞッ!」
その次の瞬間、美奈子の唇は俺の耳たぶに触れるほど近くにあった。
俺と美奈子の身体は重なるようにしてそこにあった。
そして、吐息のように俺の耳朶を掠めたのは、
「あなたがこの国を救うのよ、国重君……いいえ、処女貫徹先生」
次の瞬間、俺は柔らかな彼女の身体に包まれていた。鼻腔に抜けてゆくのは、ただずっと憧れていたあなたの髪の香りだ。
触手のように絡みつく、彼女のしなやかな手指は淫猥に俺の背を締め付ける。
「ゴメンナサイ……あなたたちを巻き込むまいと、私は、大人として、教師として、作家として頑張ってきたつもりだった……今更何を言っても、信じては貰えないと思うけども」
美奈子の心から言葉が漏れ出したせいだろうか、俺の肩口がじんわりと生温かく濡れてゆくのを感じていた。それはとても長い時間に感じられたのだ。




