第67話 最後の戦場へ
少女へと白い杖という牙をむき、己の身を顧みらない攻撃を仕掛ける。
少女のその小さな体を引き裂かないといわんばかりに激烈な力をもって、黒い地面を踏みにじり勢いよく飛翔する。
足の内側をめぐる血液の道である血管が、脈よりも速く収縮を行っているのが触れずとも分かる。
こんな感覚は今まで感じたことがない、確かに今まで何度も同じようなことは経験をしてきたのだろうけれど、記憶の土壌を深くまで掘り返してもこんな異質な感覚は見つからない。
「はぁっ……!!」
杖を空中へと旗のように掲げ、一目標の胴体がこの杖の間合いに入るよう、少しの調節を入れて一秒も掛けず振り下ろす。
黒色に染まった空中をを淡い白色にきらめく杖の刀身が、まるで滑るかのように下っていく。
この空間が特異的であるためか、必然的な靡くはずの冷たい風切り音が、私の耳に飛び込んでこない。
そんなことを考えながらも、杖はとどまることなく少女の体へと落ちる。
だがこの攻撃には一切期待していない、少女の行動パターンとかそういう問題ではない。
戦闘の素人ですら、相手が武器を握っていれば予想できる簡単なこと。
「おぉ……攻撃にキレってのがあるねぇ。でも、そんなので私に傷をつけらるなんて思っていないよね?」
私の腕を翼として空中をかけた白い杖は、すぐさま少女の持つ紫色の直剣に抱き着かれるかのように受け止められる。
普通の戦闘では攻撃が無効化されたといって、苦渋とはいかずとも苦難に陥るの必定と言っていい。
だが、魔術の専門家である魔術師の戦闘ではこの状況は一種の猶予だと表しても、まったくも過言ではない……いや、得て妙といってもいい。
なんといっても、この状況は魔術を発動するには十二分な時間だから。
その言葉を最後に唐突な有酸素運動により血がのぼる脳内で、魔術の発動に必要な文字列を可能な限り早く暗唱する。
‟空を、陸を、海を、星の心臓を食らい紡ぎすり合わせ、文明を焙り殺す劫火の宙石……1758‟
その最後の数字が読み上げられた瞬間、私の手の内側に街の明かりよりも明るい水色の光球が生まれる。
だがそれをとらえているのは発動者である私だけではない、目の前で減らず口をたたく少女だって同じように認識している。
「……っ、そう来るか」
白い杖から重みが消える
直感で、紫色の直剣が離れようしているのだと理解する。
だがそれはもはや遅い、使いつぶされた個人の手足となったような魔術は、兵器なんかよりも何倍も速い。
氷山のような水色をした光球は、籠から抜け出した鳥のように目にもとまらぬ速さで飛び出し、少女目掛けて無駄な動きをせずに飛んでいく。
淡い水色の一直線状の航跡を伸ばしながら、後ろへと振り返ることなく進んでいく。
「そんなつまらないもので、私に触れようと思わない……事だよ!」
向かってくる光球を迎撃しようとしているのか、彼女はそれに重ねるかのように悪趣味な紫色の魔法陣を展開させる。
少女の発動する魔術は私よりも圧倒的に上、アリと象なんかよりも幅の広い格差がある。
このまま衝突させようとしたところで、速射性に優れそこそこの攻撃力のある術式で殴り飛ばすようにはじき返すだろう。
「そんなことで、私の攻撃を防げると思うなよ……」
誰にも聞こえない、蝉の鳴き声が爆発音に聞こえるほど、小さな声で言葉を書き出す。
私も少女と同じように、その遠近では手のひら大に見えるくらい小さい、水色の光球に重ね合わせる。
弾かれるのならば、其れの裏をかけばいい。
‟二分≪ニブン≫„
魔術の発動をした時と同様に、心の中で縦読みに暗唱する。
それとつながるかのように、私の掌にも少女と同じように魔法陣が虚空から生まれる。
細部にまで目を落とせば、彼女とは全く形の違う魔法陣。
舞台に上った魔法陣は、新品の歯車のように美しい回転を始める。
其れからは電撃のようなものが浮かび上がり、目で見てもわかるほど魔術の発動直前であるという事が理解できる。
そして現れてから数十秒という時間も経っていないというのに、魔法陣は前兆もなく歯車のような回転を停止させる。
魔術の発動に失敗したというわけではない、むしろここまで早くできているのは上出来といってもいい。
私がそう胸の内で吐露すると同じく一切の予備動作もなく、一層明るい水色の光を発し始めた。
気を緩めれば発動者である私ですら、意識をつかみ取られてしまいそうなほどただただ美しい。
「まずは一つ、その悪辣な精神に一発叩き込んでやる!!」
そうやって、敵意をむき出しにした言葉を言い放つ。
宙に浮いている魔法陣と同色の光球は、少女の魔術が発動する直前に合わせて二つに分裂した。
一方、少女が発動した光線の形をもつ魔術は、其れの間を物凄いとでしか形容できない速度で駆け抜ける。
瞬くよりも早く二分された光球は、一つであった時よりも早く飛翔する。
見ているだけで発動者である私ですら、光球自体が殺意を持っているのかと疑ってしまうほどの異質な速度で飛んでいる。
目では追いつけない速度で駆動した其れは、少女の肉体に食らいつくかのように直撃した。
黒で構築されていた空間全体が、ほかの色が一点もない白色に照らされる。
自分の足すらも認識することができないため、予想の域を出ないものの……きっと出力を上昇させすぎたことによる、暴発か何かだろう。
でもそれが絶対であると語ることはできない、私が知らない現象が巻き起こされているかもしれない。
でも、攻撃が通じたのは確かだと思う。
思わず見上げてしまうような達成感が、全身を駆け巡る。
魔術が少女に当たったといことが引き金となった、どう精査しても要因が単純すぎる喜び。
少女に対して有効だったという事が判明したわけでもないのに、喉の奥から歓声が上がってしまうほどに嬉しい。
「やってやったぞ、これでどうだ……これでも、足りないとでもいうのかぁ……」
喉が極限まで渇き切ったような、ノイズが混同している声を漏らす。
魔術の発動による反動か何かか、全身の力という力が段々と抜けていくのが触れずして理解できる。
倒れそうなくらいの代物ではないものの、直立するだけでも限界であるというのは間違いない。
だがこうしてはいられない、すぐさま攻防が可能な状態にしなければ、防げる攻撃にすらまったく対応することができない。
白い杖を司る右手の筋肉に最優先に体力を注ぐが、指先すらまったくと言って振動してくれない。
不完全な状態であってもいい、何が何でも動かさないと。
「……っ」
麻痺したかのように動かなかった体が、少しずつという速度でありながらも着実に動き出き始める。
それとほぼ同時刻に、時が止まっていたかのように動かなかった右腕の状態も回復し、不格好ながらも私が思った通りの動作を起こす。
骨が軋むような感覚が走る。
病み上がりしてまだ十数秒とてたっていないのが、この膨らむような痛みの原因なのか。
あのようなことをしておけば当然なのかもしれないが、それでも自身が不慣れすぎると感じてしまう。
「でも……まだましだ。だって、今まではあんなことをしてしまえば、治療するのに数十分とかかっていたんだから」
疑問を抱く自身に対し、詰問するように言葉をかける。
声が空気中へと無造作に消えていくと、右腕を空中へとかざすように動かす。
軋む痛みは先程のつまらないセリフでは、まったくと言っていいほど中和されていない。
今にでも全身に網のように張り巡らされた血管がはじけ、毛穴から血が噴き出してしまいそうだ。
「やっぱりか……でもいい。昔はこの程度のことで足を止めていたんだ」
自身を嘲笑する言葉を、誰にもこだましない音量で落とす。
なんの言葉も私の耳に飛び込んでこない、届いてきたのはただの静寂と体温を引き潰していく感じるほどでもない外気温だけ。
「……ああそうだ。そうだった、こんなことをしてる場合じゃない、次の攻撃に備えないと」
何の衝動も前触れもなく、抱いていた責務を思い出す。
試用するかのように空にかざしていた右腕を、刀を鞘へとしまうかのようにゆっくりと腰へと下ろす。
今度は力を用いず重力に従わせて下したゆえか、あの身の毛が逆立つような軋む痛みは降りかからない。
‟さて、どう出ようか。攻撃へと出たいところだが、視界一面は真っ白い光に覆われているし……„
心の中で今までの状況を整理し、だれもかれもいない作戦会議を始める。
現況で言うべきことではないのかもしれないが、先刻の戦いからずっと何かが不足しているような気がする。
魔術の発動速度とか攻撃力とかの、自己に要因がある問題じゃない。
なにか足りていない……例えば、一緒に行動をしてきた、まるで友人のような人物とか。
思いだそうと脳細胞に玉砕を命じる勢いで、集中し回転数を上げ思考する。
だが思い出せない、それを探ろうとするごとに思考力が鈍くなるようなよくわからない、言葉にすることのできない予感にさいなまれる。
‟いや、今はそんなことを考えている暇じゃない„
危うく、意識を逸らしてしまうところだった。
今はあの少女の討滅する方法を記すのに、全力を尽くさないといけない。
首を小さく左右へと振る。
少女の攻撃方法は現状判明しているのは、あのビームの形状をして攻撃と……あとは。
今や意識が完全に作戦会議へと思考していないのか、数秒をかけても既知なはずのもう一つの攻撃が思い浮かばない。
考えても浮かんでくるのはあの少女との間で起きた、紫色と水色が交差する魔術の戦闘の様子だけ。
少女に関する記憶にはまだ見逃しているところがあると考えても、脳細胞が演算するのは一人称視点の先刻の戦闘記録。
あてになるような情報は自分の中では、一片たりとも得ることができない。
「無駄足ってやつかな……」
あまりにも無残な成果に、独りよがりに呆れて言葉を漏らす。
もうこれ以上は何も考えることはしない、逆に思案するごとに脳の血管が膨らんで頭に痛みが走る。
今の私にできることは、何があるだろうか。
戦略を立てる資質など一つもない、この白い発光を打ち消す方法も持っていない。
二本足で立てているものの、先ほどのあの痛みに耐えながら踏み出すことなんてできやしない。
「星よ……」
何かできないかと想像力をめぐらせ、覚えている文章を詠唱しようとしたものの、実用性があるものは何もなかった。
動かしている口に停止の命令を送り、上下の唇をすり合わせるかのように開いた口を閉じる。
余っている時間を捨てるかのように、呆然と立ちすくむ。
別に何か現象が起きていないのにも関わらず、意味もなく小さく膨らんだ頬を釣り上げてしまう。
これ以上、打つ手がないという事実をこの両目で見てしまったから、笑ってしまったのだろう。
「戦えるかな……」
誰かに尋ねるかのように言葉を連ねる。
返ってくるのは無情にも寒気を呼び起こし、心臓の音が聞こえてしまうほどの果てなく広がっている静寂。
白一面のこの世界では、時が足を止めているかのように思えてしまうものの、心臓の脈拍が着実に流動する時間を刻んでいる。
「何をすればいいんだろう、何を……」
先程の戦闘と打って変わったかのように、耳には無音だけが響く。
かつて、水の中に投げ込まれた時よりも静かだった、思い返せばあの気泡の割れる音のほうが殺したいくらいうるさく聞こえていた。
何をするべきかなどわからない、今目の前に見えている白色の景色を切り落と……いや、それはできない。
両足で立つだけでも限界だと自身に言い聞かせていたくせに、往生際悪く足を動かすよりも困難な魔術の発動を図るとは。
なんとも、張り切れそうなくらい両方の口角を吊り上がってしまいそう。
「は……」
笑おうとしている。
誰に対してだろう、何に対してだろう、ただただ何かに対して意味不明な笑い声をあげようとしている。
「……だめだ。こんなこと、こんなの許せるわけがない。自分の弱さを、星の巫女としての自分の弱さを許せるわけがない。
今まで意味もなく自分が嫌だからと言って、物事から尻尾を向けて……逃げようとしている自分が……許せない、許せるわけない」
右腕を上げる。
まだ軋むような痛みは残っている、脳が右腕を上げることに意義を祀るかのように痛みに助力を与えている。
確かにおろしたくはなるが、それを実行するのにはこの程度の痛みでは全く持って足りない。
「魔術……起動」
静寂の内側で花の蕾を咲かせるかのように、小さく言葉を放つ。
指先から、黒色の光があふれ始める。
いや光っているというよりも影を一点に収束させたかのような、よく説明することが難しい物象。
炎のように揺らめいていてもいなければ、泥のように力尽きるように地面に落ちているわけでもない。
ただその場にあふれ、何物にも拘束されることなく浮かんでいるだけ。
「久しぶりでもない、無限数ある星全ての性質を使う事なんて、凡庸な私にはできっこない。でも、こいつはそんなものよりも近くにあった」
黒影に焦点を集め、見つめながら声を漏らす。
「ああ……やっと見つけた。こいつを誰かにわからせる文章が」
説明すればこう。
月が自らをその莫大な重力で縛りつけている地球に映しえない、表裏の裏に存在する影以外まとっていない姿。
人間は率直に『月の裏面』とも表現している。
指先より零れ落ち目の前に現れ鎮座している黒い物体は、まさにそうとしか表すことしかできない。
「こういう煩わしい光を、唯一消去する方法は……」
これしかない。
そう決めた瞬間、腕の関節部に魔術を発動するときに毎度として現れる、魔法陣が今回も現れる。
今回の色はまた違い、指先からあふれ出ている物象と同じような、まるで絵の具で塗りたくったたような黒色の魔法陣。
「魔術拡張……」
言葉と同時に、影は布のように広がり始る。
その途端、布のように広がった影は数秒と立たずに私の背丈を優に超す大きさへと成長した。
成長しつくした影はとどまることも知らずといったように、周囲に広がっている白い光へと接近し始める。
それはまるで殺すべき標的を見つけた、血の気臭い殺人者としか言いようがない。
「食っていいぞ……そいつは、もう使えなくなっているからな」
自身の手で懐かせた狩猟動物に指示を出すかのように、空中で待機している影へと言葉をかける。
その瞬間、耳元でカチカチという軽石同士をぶつけ合わせたような音が聞こえた。
奇妙なことだが、私にとってはその奇怪な音はこのまばらに広がっている、黒い影が発しているような気がする。
「ああ、そうか。私の思った通りに、やってくれるんだな」
本当に発したかどうかはわからない、単純に脳が興奮状態になっているから、幻聴が聞こえただけかもしれない。
でもそれは別にどうでもいい、ただの勘違いであったとしても……味方として、動いているというだけがただただ喜ばしい。
「なら存分に、やってくれ」
空中で止まっていた黒い影は、跳ねるように白い光へと走る。
本来は聞こえない風切り音が聞こえてくるほどに、影の動きは激烈と言っていいほどに速い。
あれだけの威圧感を漂わせて置きながら、食らう時の姿は非常にという名を与えていいほどに美しい。
そうやって歴戦の騎士すら恐れおののいて逃亡するほどの、容赦のない補色が繰り広げられていく。
耳をつんざくような租借音は聞こえない、だけれど眼前には確かに黒い影が白い光を食らいつくしていく情景が浮かんでいる。
勢いは衰えることを知らず、貪り破壊力を増大させていく。
「そうだ。そうだ、やってしまえ」
黒い影に対して、助長させるような言葉を放つ。
影はそれを聞き受けたといわんばかりに、抵抗できずに弱体化していく白い光への攻撃を強めていく。
惨いなんて、口で軽々しく言えない状態へと変貌する。
横に目をやると、先ほど起こった時と同じように白い光は、影の勢力に包み込まれ消滅していく。
それでも光は逃げること一つとせずに、黒い影が自身らへの行動を許すかのように受け入れている。
「……あ、れ?」
そのまま流れに乗りアリをつぶすように滅ぼしていくかと思ったものの、ある一つのことにより状況が一変する。
黒い影が、先ほどまで順調といった速度で行っていた攻撃の手を、燃料が途切れた機械のように止めたのだった。
「どういうことだ?」
数秒たりとも呆れに傾くことなどなく、原因を追おうと疑問が絡み合った言葉を放つ。
だが欠点もなく完璧だと思っていた私の思考では、該当する原因を一粒も見つけることができない。
ただただ停止したまま、混乱だけが思考回路を駆け巡る。
「何があったんだ、どうしたんだ? なにか、躊躇うようなことでもあったのか?」
喉の奥が痛むほどの、大声を漏らす。
だが私の鼓膜に返ってくるのは高低のない、ただ真っ直ぐで先端の見えない常闇のような静寂だけ。
「おい、何か言えよ。おい!!」
必死になって、焦りを隠す気のない声を投げかける。
先程までなら私の声を聴けば少なからず、耳を貸してくれていた黒い影は微動を示すこともない。
緊迫の限界はまるで地面を這う蛇のように、着々と迫ってきている。
他の策を一切用意していな私にとっては、この黒い影は最終手段だという評価を下してもまったく行きすぎてはいない。
その豪語していた最終手段が解除方法が完全に不明な機能停止を起こしているというのは、即ち対処不可能な急死に直結するといってもいい。
「っく……そ」
右腕を固定したまま、気絶するようにうなだれる。
今考えていたことが当たってしまうかもしれないと考えると、どう幸先を自己に齎せられるよう手回しをすればいいわからない。
「魔術……」
言いかけるも唇に力を込めて、口元から忍びながら出ようとしていた言葉を止める。
もしここで新たに代わりとなる魔術を発動して意味があるのか、ここで黒い影に代わるものを選別したところで、この白い影を消滅させる力を持っているのか?
答、持っていない。
「だろうな……そんな都合がいいものを、持ち合わせてはいないだろうな」
独白を漏らす。
うなだれていた首を起こし、あの黒い影を見るよう指示を分泌する。
頭部に引き寄せられた視界に先ほどより少し瘦せて見える黒い影が、跳びいるように映りこむ。
「相変わらずこっちが目を合わせても、何もしてくれないんだな」
嫌味のように聞こえる声を漏らす。
別に影に不服があったからこんな物言いをしたわけじゃない、自分の中で猛威を振るう焦りを隠すたでもない。
ただ何か気晴らしになることを言おうと、頭の中の単語の辞典を漁って構築した何の意味も積もらせていない言葉。
「お前は今、何を考えているんだ? これ以上、身の節々を一切も動かしたくないということか?」
語尾に疑問符で飾り付けした、これまた意味のない問いかけを放つ。
何度も経験しているがこいつは声という声を一つも上げない、ただ私を見下ろすように空中を遊泳している。
漫画……というものでこの場面を執筆するのであれば、プカプカという羽毛のように柔らかい表現が的確だろう。
「どうしたものか、はぁ……」
思わず肺を小さく隆起させ、冷たい溜息を落とす。
数分前の空間を切りつけるような焦燥を含ませた声が、自分でも感知できるほど小さくなっていることに気付く。
「うーむ。影……石炭、石油、インク、黒……ブラック」
黒色に関連する言葉を、意味もなく声にし続ける。
連想した順に規律がこもった整合性もなく、とりあえずと言った感じで乱発させたように並べる。
「ブ……ラック」
頭に電撃が走ったかのように、言葉を止める。
一瞬とは言えないもののほぼそれに近しい速度で、幾度も触れてきたとある英文字が脳髄を駆け巡る。
「ブラックホール……」
思い出した英単語を口ずさむ。
何を思って何を指針に置いて、この短い言葉を思い出したかなど理由を語る必要もないほどに簡単。
「こいつの、代わりとして使えるかな……? もしくは、こいつの補強材としてでも……」
ブラックホールと自身の魔術の特性を結合させた途端、爆発したかのように次々と案が浮かび上がってくる。
まるで専門書に筆記されている内容を、読み漁っているときのように到底考えつかなかったことが、手に取るようにという具合で思いつく。
「星を再現させることが可能なこの魔術なら、いけるかもしれない……」
しかしその瞬間、ある一つの懸念が拝謁しろというかのように姿を現す。
それは今の私にそんな効果も負荷も未知数な魔術を使用して、果たして無事でいられるかという事。
確かにブラックホールを再現できれば、白い光に侵されたこの周辺を蛍程度の明かりも残すことなく砕くことができる。
「そうだな……」
自分に問いかけるように生み出した疑問に対し、答えを見出そうと思考の炉心機関を回す。
これまでの経験、これまでの実績、これまで使ってきた性能評価、書斎の本棚から必須な書籍を探し出すかのように……考える。
だが、答えは見つからない。
答えの落とし物である、少しのヒントすら見つからない。
「苦……そっ」
今までこんな目は何度も見てきたというのに、今回はどこか苦みのあるような悔しさ。
そんな言葉を口ずさむ間にもの思考を止めることなく考えるものの、何一つも思いつくことはできない。
悔しさを感じつつも頭の中では望んでいた希望は、割れ欠けのガラスを打ち砕かれるように簡単に消え失せた。
「この手は、諦めるほかないのだろうか……」
声に出してしまうほどに、絶望する。
誰かに聞こえないような小声に包んで言わず、周囲にこだましていると認識させる声で言葉を紡ぐ。
「いや……駄目だな、せっかく考案したんだ……これを捨て去るのは、自分を裏切るようなものだ」
意を決するという言葉が似合うほど、強い声色ではない。
それこそ魔術の発動によって自身の身が散ってしまうというような事実を認識してしまえば、倒れていく柱のように軽々とこの選択を折ってしまうだろう。
そうなれば────。
「……忘れろ」
次々と緩めることなく邪推を生み出していく、不安感に蓋をしようと言葉を発する。
だがそのような安い言葉では、一切たりとも抑えることなどできず変わらず私の思考に、悪い予感という名の先端が鋭く尖った杭を打っていく。
「ならどうすれば、こいつは動いてくれるんだ?」
自分の不出来さを憎むような文句を、適当に目標も定めず空間へと撃つ。
そして見えない空気の複雑な軌道に従って、どこかへと蜘蛛を散らしたように逃げるように消え去っていく。
「……誰かさえいれば、こういう時に誰かから救いを伸ばされるのかな」
四方八方の手段が塞がれてしまったせいか、魂の潤いが渇いたような声を漏らす。
自分がこの目で見ている天井のように広がっている黒い影が、少しずつ遠のいているように見える。
心身ともに疲労が積もってしまっている影響からか、厳格でも認識し始めているのではないかと疑い始める。
「違う……これは、違う……朽ちている。駄目だ止めないと」
それは焼き切れた精神が起こした、戯れのような幻覚ではなかった。
私でも予測することが不可能だった、黒い影がこの世界に留まることが可能な持続時間切れ始めている。
火山という古の大地が残した盃から溢れ始める溶岩のように、遅速ながらも着実に崩壊を始めている。
「魔術発動……! 頼むから……どうにか」
一心不乱に陥り単調な思考回路の処理すらもできなくなった思考は、自身の指揮下である肉体に魔術の発動を命じる。
何のためになどわからない。
魔術を発動したからと言って、遍く危急の事態の合間を縫うような神業をなすことなど不可能。
だが……これが何か価値あるものに至るという、砂鉄よりも小さな可能性があるのならばそれに運命≪ザイサン≫を賭けてもいいと思ったからだ。
「ダメか、これでもダメというのか貴様は」
暖炉に顔を埋めたかのような熱が頬に走り、理性が混濁しかけている中で言葉を発する。
端々から消えていく黒い影を一点に注視しながら、筋肉の内側を騎兵のように駆けて流し込んでいく。
患った病に悶える病人に対して、効能があるかどうかわからない対症療法を行うかのように魔力を投下し続ける。
「止まってくれるか……? これで」
焦燥が少し落ち着いた声を漏らす。
死に体となっていく影に対して上目遣いを使い見つめながら、自身の行動に価値があったのか確認しようとする。
「……っは」
息をのむといったような表現が最も正しいような、声にもならないものを喉奥から零す。
惨いことに黒い影の崩壊は、一行として止まっていない。
それでも目の前に現れたこの結果のほうが、寧ろ何倍と言っていいほどにマシだったと思える。
確かに影の崩壊は止まる気配を見せていないものの、目測であるが少しだけ遅くなっているようにも見える。
「まだましか……こいつが、か」
正直、真底から満足いく結果ではない。
崩壊を止めるという事を成功としているのだから、一ミリでも影の肉体が削れているのであれば意味がない。
それでも今の私にとっては、これは及第点を越すほどの結果。
「本来ならば、こいつの崩壊を止めるべきだろうけど……でも、いいんだこれで」
生気が薄まった口ぶりと言葉。
死にかけの犬の吐息のほうが、まだ大きく聞こえるくらいに小さな声。
「じゃぁ……これはどうだ」
言葉に句読点がつくと同時に、影が伸びている指先に黒い魔法陣が現れる。
黒い影を召喚した時よりも、その身にまとうインクが淡く見えるほどの黒色は一層と濃くなっている。
周りを覆っている広大とも言い表せられる白い光が、まるで太陽を直視しているかのように眩しく見える。
「うえっ……」
その眩しさに気を許してしまった瞬間、後頭部に響くほどの吐き気を覚える。
瞼に加熱された油の雫が直撃したかのような、声を上げてしまうほどの熱さを感じた。
「痛いな……この野郎」
即席で仕立て上げた、一瞬で忘れてしまう恨み言を口走る。
だがそんなことにかまっている暇など存在しないと断言するように、別の出来事に吊り下げられていた意識の糸を引き戻し、目の前の事象へともう一度目を向ける。
「……あぁ、そうだな。お前は、そうでなくっちゃなぁ」
笑っている、言葉に自然と上手く笑いを織り交ぜている。
聞けば、どんな人間であっても納得できる……無邪気とは言えない、その笑い声の真相が。
黒い影は、かすかであるが蠢めいていたのだった。
まるで、深い眠りから覚めた赤子のように。
「動いてくれたんだな……嘆声を漏らす私を横目に、うたた寝でもしてたんじゃないのか、お前」
しかりつけているように聞こえるものの、一切の憤怒は感じられない。
それとは真逆に今にでも高く飛び上がってしまうのではないかという、端まで歓喜で埋め尽くされた声。
時間とともに消えるその瞬間まで、歓喜の声は大気の中を飛び続けた。
「やって、くれるんだよな」
自身なさげに一瞬だけ声を詰まらせるも、言うべきと自信をさとし残した言葉をすべて放つ。
城壁のように立ちふさがる白い光に、離さないといわんばかりに吸着していた黒い影は、体の一部を切り離した。
脳裏に何をしているんだという言葉が走るも、声にすることなく親のように見つめ続ける。
「どうしたんだ、何か嫌なことでもあったのか?」
切り離された一部は、まるで高所から段差を伝って降りる猫のように、私の目の前にやってくる。
そして何も意図がわかるような行動を起こすことなく、目の前に腰を下ろすかのようにとどまる。
「……」
何かしでかすのかと思っていた私にとっては、完全に予想外の行動。
どんな言葉をかけてやればいいのかと考えこみ、影との間に誰も干渉できないような静寂を作り出す。
「まさか、破壊することができないのか?」
考えついた言葉を落とす。
しかしその押しがあっても、影はさきほどの機敏な動きが幻だったかのように、一切として動かない。
「違うのか……?」
首の皮を引っ張るほどに、首をかしげる。
そしてまた一度、何をすればいいのだろうかという考察に意識を集中させる。
どうすればいいのか。
なにを言えば、こいつは返答を返してくれるのだろうか。
「……ん」
息継ぎと聞き違えてしまうような、声を漏らす。
別に私自身が出そうと思い出したわけではない、自分の意識とは隔絶した場所にいる無意識が出した原因不明の現象。
「なんなんだ。疲れているのかな……」
それに対して、特に工夫も凝らしていない問いをぶつける。
何も込めてはいない、ただなんでそんなことが身に起きてしまったのだろという、人間が本能的に持っている一種の反動。
……いや、そんなことを解明している余剰はない。
「すまない、そうだったな……で、お前は何か───っ」
そうあしらうような謝罪の文言を喉元から流しだしている最中、背中を妙な予感がかすめた。
まるで背中を縦に切りつけるような、容赦も情けも一切かけることなく全身に響き渡る感触。
「何……だ!」
全身にあの麻痺するような、感触の残り香を感じながらゆっくりと振り向く。
視界一面が白い光に塗りつくされている状態であっても、自分がその場で体を動かしているのが理解できる。
私の身を震えさせるほどの何かを放つモノの正体を、この目に収めてやろうという意気込みで駒を進める。
「遅れてすまない、どうやら少し派手にやっているみたいだね」
だが私が振り替えるよりも早く、そのモノは正体を明かす。
その瞬間、頭蓋に熱いような冷たいような経験則にはない感覚が、待ちわびていたと言っているかのように飛び込んでくる。
「……っつ。お前は……いや、君は」
私の目には映っていない、モノが声を漏らしている。
その鼓膜を突いたセリフに抗うかのようにして、その音声の発生源へと麻痺するような感触の消えた体を向ける。
自分の感覚の中では至極普通の速度で動かしているつもりであるが、なぜだか視界に映る景色は少しだけ遅く動いているように見えた。
「や……自己紹介は、要らないよね」
その珍妙な感触を肌身に味わいながら、振り向くと当然のように声の正体と目が合う。
熱された血液が流れている喉元の血管が、感じられないくらいに小さな弱弱しい鼓動を打つ。
「カンザ……キぃ」
落ち着いた口調で話す黒髪の青年に、前触れもなく浮かび上がった意味の分からない短文を放つ。
どこかで聞いたことがあるような、いやむしろ自分が今まで何度も零していたような気がする。
「ナナ……」
その短文に続く形で、うめき声にも似たようなものが漏れる。
読み終えると目前に立ち尽くしている青年の姿が、空間を仕切る白色の光よりも数段と際立って見える。
まだ肌を伝っている感触を横目に、目の前の青年へと視線の切っ先を落とす。
私の面持ちを気にするような顔で見つめてくる青年へと、歩もうとする。
両足を働かせようと太ももとふくらはぎに必要な力を込めた瞬間、それを察知したかのように青年が表情を変える。
「少し待て。そこから動いたら駄目だ、君には悪いものがついてる」
表情には似合わない口調で、私へと要求を投げかけてくる。
その言葉を耳にするや否や、なぜそのようなことをしなければならないのかと問いただすことなどなく、前へと踏み出そうとした足を止める。
理由はわからないが足の主柱である骨とその支柱である筋肉に、軋むような触感を感じた。
「……んん、どうしたんだ」
だがそんな違和感にもならないことからは意識を退け、青年の顔を見つめながら声を漏らす。
変らず顔からは厳格よりも重々しい予感と感情が、皺となって色濃く浮き上がっている。
「君の魔術はどうやら、この空間では利用できない……いや、ここに限らず君の魔術は使えなくなっている」
学者のような高低差の少ない声色で、私に憑いているとされるものの正体について語る。
なら、こいつが機能しなくなった原因にも明確すぎるといえるほどの、説明がつくのか?
「では一つ聞きたいのだが、私の指先から伸びている影が微動だにしない理由は……そういうことなのか?」
具体気のない質問を走らせる。
すると彼は少し目を細めあからさまに私から視線を外し、この巨大な影を一点に見つめ始める。
その姿は先程の学者らしいものとは違って、歴史の真髄を追い求める探索者に近しいい。
「あぁ……詳細は異界幻像を使っても理解できないけど、たぶんそういうことなんじゃないのかな?」
私に目を当てることなく、青年は回答を吐露する。
その途端、背中に圧し掛かっていた岩のように重たい違和感が、土石流のように一気に消え去っていく。
「そういう事だったのか……」
なんという、容易に満ちた答え。
あれだけ解決策のないものだととらえていた出来事が、痕跡を残すことなくまるで無かったかのように氷解していく。
同じくして、出来事の解決が鍵であったかのように肉体を這いずり回っていた妙な感触が、時間とともに正常へと回復してっているのがわかる。
「だけど疑問だなぁ、なんで使用できないのに……君が其れを展開できているんだろうかねぇ」
青年が言葉を語る。
それが向けられていたのは私と、私が唯一展開している魔術である、視界の端に入れるだけでも平衡感覚が狂いそうになるほどの黒い影。
そう解釈し彼の声がしたほうへと顔を向ける。
「君の言っていることが定かであるのならば……確かに、私がこうやって発動して維持できているのは異常だ」
浅い相槌を打つかのように、彼へと言葉を返す。
まさか万に一つあるかどうかもわからないが、この影は私が展開しているわけではないのではないだろうか。
本末転倒な思案であるが、私自体が魔術を展開できていないのである以上そうとしか説明がつかない。
「なぁ、これって私自体が魔術を利用しているというよりも……こいつ自体が、半ば独立した状態で稼働しているというのは……どうだ?」
脳内で書き上げた考えを、余すことなく振り絞って告白する。
もちろん彼が先ほど私に対して明示した考えを、嫌になるほどにまで最大限に尊重しながら。
「その線は、あるな……異界幻像≪こいつ」が見逃している可能性だって、まったく少なくはないし」
予想外にも、肯定に近い返信。
彼を信じていないわけではないが、こうも易々と私の提案を受け入れてくれるとは思わなかった。
「だけれど、それを説明する方法は……」
声量を末尾に近づくごとに、少しずつ小さくしながら言葉を綴る。
自分の言っていることを、まったく信用していないというほどに、自信がないからだ。
「大丈夫だよ、言ってくれるだけで助かる」
「そうか……ありがとう」
一瞬よりもはやい速度で、全身の節々に至るまで安堵が走る。
すると青年は重くも軽くもない足音を響かせながら、立ちすくむ私のほうへと近寄ってくる。
だが別に声をかけ回答を求めるほどの、疑問を抱くことはない。
彼が何をするかどうかなど、わざわざ考えずともすでに私の中で答えが出ている。
「指先……触れるけどいいかな?」
耳元よりも少し遠くで、話しかけてくる。
唇同士が離れていく感覚を感じるほどの速度で唇を開き、自身の返答を口にする。
「あぁ、いい。問題ない」
その言葉を放った瞬間、彼の指先が影が出ている指に触れる。
暖かさなどの感覚などの分かるようなものは感じず、その代わりに少しの重みだけを感じる。
未だ指先に展開されてた、影と同じかそれ以上に黒い魔法陣に、上乗せするかのように白色の光が灯る。
「よし。これでいけるはず」
耳元に少し明るくなった、彼の言葉が聞こえる。
すると彼の魔術によって性質が変化したと思われる黒色の魔法陣が、蒸気によって動かされる歯車のように回転し始める。
先ほどもこの魔法陣が回転している光景は記憶に焼き付くほど見てはいたものの、今回の回転速度は桁が違う。
「すごいな……君が行使する、魔術の性能は……」
不要な言葉をすべて省き、率直な評価を述べる。
今まで魔術とともに人生を歩んできたが、ここまで自分の魔術が高性能に起動している瞬間は今までで見たことがない。
感動を全身で時間している間にも魔法陣の回転数は速度の上昇に合わせ、歯止めなく増大している。
それこそ、終わりが見えないくらいに。
「ありがとう……だけれど、そうやって言葉を交わせるのはこれが、活気を取り戻すまでだよ」
その言葉が消えようとした時、青年の指の重みを臨終させるように、もう一つの別の感覚が自身の指先に宿ったことを感じ取る。
「これは……」
口の中に溜まった息を、細かな血管に覆われている胃へと送り込む。
指先で活動を始めたそれの正体が何だと気づくのには、若干コンマ数秒をも置く必要ない。
「俺にはわからないけど、君が今意識を集中させている、ものの正体には勘づいているはずだ」
これは間違いなく、影自身が持っている生き物としての重み。
軽くもなく重いと言いつつも負担を感じるほどの、しつこく邪魔になるような重さではない。
丁度いいという値の中心に位置する、言葉をのんでしまうような何とも言えない感覚。
「その顔じゃ、そこまで気にするほどのもんじゃないみたいだね」
それに対して呆けるような表情になっていたのか、青年が私の顔に浮かんでいる特徴を述べる。
目の前に鏡がないので確認することはできないけれど、彼がそう言うのならばそうなのだろう。
「はは……そうかい。それは、いいことかもな」
何を言っているんだ。
目の前にて巻き起こっていることに、会話能力を失ってしまうぐらい集中してしまっている。
この意味の分からない言葉が彼に伝わっているとなれば、少しだけ顔が熱くなってしまう。
「いいね……それはいい」
だが願いは、その彼の少し高い声によって打ち砕かれる。
それでもなぜだか顔に発生した暖かいという領域を越した温度が、その一言によって瞬く間にして消え去っていく。
削れた平静を取り戻し、指先で眠気から覚めた獣のように動き始めている影に、視線を滑らせる。
「魔術……再発動」
まるで前々から練習していたかのように、詰まらせながらも流暢に口から言葉を漏らす。
すると少しだけ白色になっていた魔法陣が、次は最初に発動した時と同じく黒色へと変化する。
二転三転と変わっていく姿に、少しだけ疲れのようなものを悟る。
「大変な魔術だ……本当に」
笑いを付け足しながら、事前に用意していないセリフを発する。
言葉を言い終わった後にも、口角は筋肉に突き上げられたまま微動だにせず下がることはない。
そうであっても口から笑い声が出ることなどなければ、ただ意味のない無音が返ってくることもなかった。
「そう言いつつ、君は笑っているじゃないか。嬉しくてたまらないというほどにね……いや、顔がそう言っている」
真横で囁くというよりも、呼びかけるというような声量の声が聞こえる。
その声が語るのは私の心情をもっともに表している、格言と評しても何のさわりもない言葉。
「ああ、そうだよ。君の言う通り、私は金輪際とは言えないけれど。体がはじけ飛びそうなくらいに嬉しい気分だよ!」
自然と語尾の音量を大きくして言う。
あまりにもと表現できるくらいに嬉しすぎたのだから、こうなってしまうのはまったくもって仕方ない。
「さて。じゃあ、本格的に始めようか」
耳音で聞こえた言葉に、意識の一部を傾ける。
全身を俊足よりも早く駆け巡る多幸を痛くなるほどに感じながら、魔術の発動に集中する。
「再発動、開始!」
こちらも声を、吹き飛ぶほどに張り上げながら言う。
瞬間を置き去りにするほどの計測することのできない速度で、魔法陣が私の指示通りの動作を始める。
「さっきよりも、断然早いな……」
目の前にて動く魔法陣に対して言葉を手向ける。
すでに魔法陣は動いており、其れこそ残像をおも残さないほどに早く動いていたがそれを越すほどに早い。
「見てみろ。これを」
影が伸びている指に触れていた青年の指が、影があるほうへと羽ばたいていく。
其れに誘われるように指が動いていったほうへと目を向けると、そこには驚愕はせずとも目をくぎ付けにする光景があった。
「なんだ……これ」
口元から、声が滑り落ちる。
言葉をうまく包み込まずに言うとすれば、影が動いている。
いや、これは動いているというよりも無理やり鞭を打たれたかのように、動いているといってもいい。
「君の発動した魔術の、本来の姿だよ」
耳元で何かが聞こえていたような気がするが、何を言っていたかは記憶していない。
ただ目の前の状況に何とも言わず、見つめ続けることしかできない。
周囲一面に広がっている、白色の光をまるで貪るように食らっている。
獲物を見つけそれを湯量する獣という甘いたとえでは、この状況を語ることはできなかった。
自身を狂暴におぼれさせ、目の前にあるものすべてを分別することなく、狩りつくそうと暴れている。
「こいつが……こんなことをしているのか?」
起こっている現象を、まったく理解できなかった。
だから理解しようとただ口から、自分に勃発している現象を信じ込ませるような言葉を独白のように語ることしかできない。
「そうだよ、君にとっては少し残酷に見えるかもしれないけれどね」
少しどころじゃない。
先ほどまで全身を走っていた多幸感を塵一つ残さず殺してしまうくらいに、残酷すぎる情景だ。
その間にも、黒い影は目の前に広がっている白い光を、災害を思わせるくらいの激しさで猟奇的に破壊している。
空間の壁に留まることができず破片のように飛び散った白い光を、激烈な勢いで引きずりまわしている。
見るだけで喉から胸にかけて苦しくなるような光景であるが……確かに、この手法は合理的だと理解する。
「なるほど、そうか。私の扱い方は、間違っていたのだな」
最大限に嘆声を押し殺しながら、苦しみを感じていた喉元から言葉を押し出す。
こんな誰かが絵画と思いたい苦痛に満ちた文字通りの絶望を、目線に打ち付けながら声を漏らしている。
数秒前の私であれば、この世界≪けしき≫を異質を皮衣にした異常と断定していただろう。
「これが。本当の魔術というものか」
悟りきった口調で、言葉を綴る。
私の魔術には致命的な欠陥という、部面がある。
私の魔術の扱い方は常に躊躇い限界を越そうとする姿勢のない、まるで本力を感じられないものだった。
発動したん術を愛玩動物のように丁重な手癖で扱い、少したりとも無理やりに操ろうとしていなかった。
だからこうやって、黒い影の姿を見て尻込みしていた。
「今更、理解したよ。私の弱点を」
唇を動かし、感覚が薄くなっていた右腕に力を籠める。
肌の内側で催されている血管の収縮を惜しみなく感じながら、腕を持ち上げるように上空へと掲げる。
すると影も同じように荒れ狂いながら、上空へと翻る。
「だけど、捨てられないや……魔術の扱い方は二流以下でも、魔術を愛する観念は一流でありたいな」
そういいつつ、自身の指揮に隷属する右腕を地面へと叩き落すように、思いきって振り下げる。
感覚もないため適格な表現ではないかもしれないが、まるで地殻の大動脈である、プレートを振り下ろしているような気分になる。
そしてプレートという称賛を投げかけられた黒い影は、目の前に存在していた白い影をいともたやすく切り裂く。
「そうだよ……こうでなくっちゃ」
呼吸のように、自然と口から声が漏れる。
地面に顔を向けていた右腕を持ち上げるように、白い光に支配されているであろう天上へと腕を差し向ける。
音もまっとうな痛覚もないのに、腕の中が骨と肉が互いを殺しあっているように軋んでいるような気がする。
なんとも、雑把で繊細性もない詩的表現。
「でも結果に近づけているならばそれでいい。こうやって、破壊できているのであれば……なぁ!」
上空へと放逐されるように待機させていた腕を、右の方へとむけながらそのまま振り下ろす。
右半身側を遊星のように無軌道に飛び交い、無数の成分で構成されている大気を薙ぎ払う。
首を同じ方向に回し白い光が切り落とされる様を、目のあたりにしようとする。
案の定、白い光は食い殺されている。
静かに嬌声の音色をひな鳥の鳴き声程度にも響かせることなく、死んでいっているのが理解できる。
先程まで機能も能力も失い朽ちていた、極夜のように冷たく黒く……そして、一筋の閃光の瞬きも赦さない影にあしらわれることなく殺されている。
それでも一線の境を股にかけ追い越した私にとっては、眉唾一つ動かさないほどに惨く見えない。
「火力に低迷の兆しは、一片も見えないみたいだな……」
安心だというように、短い言葉を並べる。
それを理解しても笑いにまみれた声を上げることもなく、敵に攻撃の予兆とられるような無駄な動きは置かずに、次に刻む攻撃へと移行する。
「君……すまないが、少しだけでも出力を上昇させることは不可能か?」
察知できる程度の大きさの存在感を失いかけていた青年に対し、告げ口をするかのように言葉をかける。
すると視界には見えなかったものの、青年が私の願いに応答しようと行動を起こしているのが、肌身で捉えることができた。
「了解。君の匙加減通りにできるかどうかは判らないけれど」
彼が自分自身を卑下するような言葉を放っているのが耳に触れたが、それに反応することなく目先の責務に注力する。
その言葉を鉄くずよりも灰色な心の中で靡かせた瞬間、盲目に暴れていた黒い影の体躯が先ほどよりも身軽になったかのように颯爽と動く。
恐らく、彼の手ほどきが効いたのだろう。
「この私程度での知識量では編み取る事ができないような、意味の分からない感覚は何なんだ……! なんて、きれいなんだ」
私も影のように、盲目に暴れ狂っている。
指先から苗木のように小さく生え、何時≪イツ≫の間にかを超えるスピードで成長した黒い影を行使する。
周囲の光はまるで超新星爆発のように砕け散り、その裏に隠した本来あるべき景色を露わにしていく。
少女との戦闘の際に、周りを取り囲んでいたあのブラックホールのように黒い世界が、垣間見えている。
「もう少しだ。あともう少しで……この偽物の世界が、崩れ去るんだ……!!」
思わず大声を上げる。
黒い蓋に覆われた天に向かってか、それとも今は見えなくなっているあの思い出もあまりない、朽ちてさびれた灰色の世界に向かってか。
それは、発言者である私にもわからない。
ただわかるのは一つだけ、それは私がこの白い虚空から逃げ出そうとする確固たる目論見があるという事。
その思いを滲むほどに噛みしめながら、目の前の障害を躊躇うことも涙一粒程度の容赦も掛けることなく破壊していく。
私の手によって裁断するように破壊された光のカケラが、重力の奔流に縄をかけられ地面へと墜落する。
「邪魔だ。失せろ」
黒い影に切り裂かれることなく残った断片たちを、威力を増強させて一層惨い手法を用いて壊す。
悲鳴のようにも聞こえる音もなく、ただ最初から決められていたかのように絶命を迎える。
「これで、さようならっ!」
そして、最後に残った切れ端を叩き落す。
周囲には最初に目にした黒い空間だけが、認識できない水平線より先にも広がっている。
一秒よりも前に行われていた惨劇がまるで一瞬にも満たない出来事であったかのように、ただ辺鄙でただ無機質でただ██≪じょうしきてき≫な世界が広がっている。
懐かしげも思うところもない、普通で感想を書けと言われても頭文字も書けないような殺風景な景色。
「戻ってきたんだな。あぁ、本当に味気もない世界だなぁ」
感想文一つも書けないと言っておきながら、私の意識に逆らって言葉が出る。
そして、まるで癖がついたかのように視線を横へと移動させ、青年がいるかどうかを確認する。
克明な説明もできないが、彼がいないというだけで何年も蓄積されてきたかのような、根源が不明な不安感が湧き上がってくるから。
「君、居るんだな。さっきまではいなかったのに、今回は平然と私の目線の先で平然と立っているんだな」
皮肉にならない言霊を口にする。
目の前にいる青年はそれに対して何も言うことなく、ただ彫刻を鑑賞するように私を見つめている。
彼と私の目線が正面で衝突しあっているものの、逸らすことなく互いを見つめあっている。
「おお。案外、すぐに帰ってこれるもんなんだねぇ」
すると左側のほうから、声が聞こえる。
まるで親しい友人に対して挨拶をするような、軽快すぎるほどとも取ることができる文言。
其れに返礼するように、その声の発生源へと視線を滑らせる。
「やっぱり、ここにいるのはお前だけか……」
視線の先には仁王立ちのような姿勢で、黒髪を靡かせている少女が立っている。
見えるや否や一寸ばかりの遅れも見えないほどの速度で、速達で文章を構築し生み出した答えを返す。
すると黒髪を揺らす少女は赤い唇の両端を静かに立たせ、こちらに対して微笑みを見せる。
「私と君と……そして、君の横にいる黒い髪の子だけだね」
ほくそ笑むという表現が最も似合う、表情を浮かべながら言葉を漏らす。
「さて……どうする。私に攻撃でもする? と、その前に一つ聞いておきたいことがあるんだけれど」
物騒な言葉を提示し、今にでも戦闘の気配を感じていたが一転して、こちらに疑問を投げかけるような言葉を並べる。
「なんだ……?」
そして、唇を動かし声を返す。
すると少女は表情をそのまま固定し一切と変えることなく、笑いの混じっていない声で言葉を放つ。
なんとも、耳の中の何かがうずくような声で。
「あの白い光の正体。誰が作り出したかわかる?」
もはや、答えを示唆しているような言葉を口にする。
誰が作り出したかなんてわざわざ大掛かりな考察とかを展開しなくとも、すぐに作り出すことができる。
「お前だろ。どうせ、回復とかの契機を手にするとかいう、簡単な理由だったんだろ?」
私が言葉を返そうとした瞬間、横にいる青年が先立って声を口から零す。
まるで撒かれた餌に誘導されるように彼の声のほうへと、一秒のズレもなく世界を映している両目を向ける。
いつの間≪アイダ≫にかは分からないが、私に向けられていた彼の視線は少女へと向けられていた。
「いやぁ。そうだよぉ」
無駄に耳触りの良い甘い口調で、こちらに対して言葉を口にする。
すぐに忘れてしまいそうな非常に短い言葉であったが、なぜだか深く根付くように頭の中に残っている。
「まぁ、答えがわかったところで……。君と私が、刃を交えない理由には一片もならないだろうし……じゃ私も‟逃げの手札„を完全に失ったところだから、真っ向からの真剣勝負といこうか」
少女はこれが幕引きだというかのように、自身の前の間に手を突き出す。
すると光の一切を受け付けない黒色の地面が紫色の淡く煌めき、その光の中から紫色の半透明にも見える剣が現れる。
「またそんな悪趣味な武器使うのか?」
嫌味を籠めて言葉を吐き出す。
「悪いねぇ、でもこれしか私にはないんだよ」
それに合わせるように、本心から口にしていると錯覚させる言葉を漏らす。
手にしている紫色の淡く光る直剣を見せつけ、彼女の中に宿っている戦意をこちらに垣間見させている。
「此処が私の死地となるか、君たちの死地となるか。それは、まだ見えない未来だけが知っている、さぁ存分に楽しもうよ」
第67話 終




