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ぐ〜たらの神子・そのに

 シブヤ大図書館は毎日午後十八時に閉館する。閉館後に清掃等の作業が行われ職員達は一人また一人と帰って行く。三柱(みはしら)教総本山のお膝元でもあるこの都では規則正しい生活を送ることが求められており、深夜まで働いたりする職場は“ほとんど”無い。

 そんなごく一部の例外に従事しているコデマリは、椅子に座りながら眠い目を擦り上げ、ベッドに寝そべり読書中の主に問いかけた。

「シクラメン様、眠くありませんか?」

「ううん? ぜんぜん」

 いつもは途切れ途切れにゆっくりと喋る主が、今夜はやけにハキハキ回答する。何日か前からずっとこの調子。まったく、自分達専属メイド隊にとっては憂鬱な季節である。


 読書の秋。


 暑かった夏が過ぎ去り、気温が低下して過ごしやすくなるとシクラメンは途端に普段の姿が嘘のように活発になる。とはいっても運動をしたり食欲旺盛になったりするわけではない。彼女の小さな身体から湧き上がるエネルギーは全てが本を読むことに注ぎ込まれるのだ。せめて一割でも別のことに使ってくれれば助かるのに、この季節の主は本当に本を読むこと以外何もしなくなってしまう。放っといたら食事も風呂も忘れてひたすら没頭し続けるだろう。

 いやまあ、風呂に関してはいつもそうなのだけれど。

「では、眠くなったら言ってくださいね」

「わかった。でも、別にコデマリは先に寝ててもいい」

「いえ、そういうわけには……ちゃんと“お読み番”の仕事はいたします」

 お読み番とは、近くで誰かが本を読んでないと安眠できないシクラメンのため大昔から当番制で続けられている業務だ。日中なら来館者達がいるものの、夜間ではそういうわけにもいかない。だから毎日メイド隊の誰かが残って、彼女が眠る気になってくれたら枕元で読書するのである。

 本を読むだけの楽な仕事と思われるかもしれないが、なんせ生活の不規則な御方なのでこれが意外ときつい。時には全く眠ってくれず徹夜で付き添うこともある。無論その場合、帰ってから二日間休んでいいことになっている。

 今日は特に辛い。夜になっても心地良い気温が保たれていて、日中きっちり仮眠したというのに酷く眠い。コデマリはもう何度目になるかわからないあくびを懸命に噛み殺した。シクラメンはその程度の無作法、気にもしないだろう。だが自分自身は許せない性格なのである。そんな彼女を他のメイド達は要領が悪いとよくからかう。

(どうせ私は不器用で駆け落ちした男に逃げられた女ですよ)

 眠気のせいで昔のことを思い出した途端イライラして来た。あの馬鹿男、もしも戻って来ることがあったら絶対に黒焦げにしてやる。

 おっといけない、こんな悪感情を表に出さないようにしなくては。今の自分はこの世に三人しかいない神子(みこ)の一人をお世話するという崇高な使命に従事しているのだから。

 しかし、改めて見ても今夜の主は元気いっぱいだ。とても眠ってくれそうには見えない。もう三日は眠っていないはずなのに、どうしてこんなにも……。

「はっ!? ま、まさかシクラメン様、例の禁術を!?」

 一週間眠らずに済むが、代わりに一度寝たら一ヶ月は目覚めなくなるという危険な術の話を聞いたことがある。知らぬ間にそれを使われていたのではないかと危惧した。

 けれどもシクラメンは頭を振り、身を起こす。

「使ってない。秋はいつも読書欲が極限まで高まって眠くならないだけ。それより──」

「いかがなさいました?」

 熱心に読んでいた本から視線を外し、ドアの方を見つめる彼女。コデマリもただならぬ事態を察する。この御方が読書を中断するなど、いったい何が起きたというのか。

「誰か入って来た」

「え?」

「一階のトイレの窓から侵入者」

「ど、泥棒ですか!?」

 慌てて立ち上がるコデマリ。そんな場所からこんな深夜に閉館中の図書館へ入って来る人間がいるとしたら、それ以外には考えられない。不届き者め、主の手を煩わせるまでもなく自分達メイド隊が成敗してくれよう。

「総員警戒態せ──」

「ちがう」

「んぷっ!?」

 警笛を吹こうとした瞬間、シクラメンがその吹き口を魔力障壁で塞いでしまった。息が逆流して思いっ切り咳き込む。

「うえほっ! えほっ! なっ、なにをするんです!?」

「泥棒じゃない。でも放置するわけにもいかないから、コデマリだけついてきて」

 彼女はそう言うと、いつものようにベッドの端から転がり出て移動用魔力障壁に乗った。そしてアザラシのようにぐでーっとうつ伏せになったまま扉へ向かう。

「ま、まってくだ、さい、げほっ」

 コデマリも慌てて後に続いた。




「シクラメン様、どうかなさいましたか?」

「なんでもない、ご苦労様」

 夜間警備の兵士が珍しくこの時間に降りて来た彼女を見て何事かと驚く。それを手の平で制しスイーッと空中を移動していくシクラメン。コデマリも彼に頭を下げつつ小走りで追いかける。

 そんなことを三度繰り返して二人はとある一角へ辿り着いた。本棚の角から向こう側を覗き込み、ひそひそ囁き合う。

「ストック……!? どうしてあの子が」

「やっぱり……」

 闇の中、小さな魔法の灯りだけを頼りに熱心に調べ物をしているのは今日の日勤だったメイドの一人・ストック。ふわふわの金髪と青い瞳。歳はコデマリとほとんど変わらないのに童顔でばら色の頬が愛らしいと評判の娘。

 シクラメンは彼女だと予想していたらしい。理由を問うと「この季節には、たまにあること」とだけ回答された。どういう意味だろう?


「ストック」


 主はおもむろに姿を見せる。ストックは驚いて肩を跳ね上げた。同時にコデマリは気が付く。この一角だけ新たな結界で封鎖されたと。

「シ、シクラメン様……!? それにコデマリ先輩……!!」

「普通に喋ってもいい。音を遮断してある」

「あ、それで」

 てっきりストックをここから逃がさないための結界だと思った。

 さて、本来ならここでストックを詰問しなければならない。しかし、主が直接問い質すつもりのようなのでコデマリは黙って後ろに控える。

 主は空中を滑って怯えるストックの元まで行くと、そのふわふわの金髪に右手を置いて撫でてやった。

「よしよし、怖がらなくていい。咎めるつもりは無い」

「えっ?」

「シクラメン様、それは流石に」

 控えていると決めたばかりなのに、寛大すぎる沙汰が下りたのでつい口を挟む。深夜の図書館に不法侵入した犯人を無罪放免とするのは甘すぎだろう。

 けれど、シクラメンは頭を振った。

「大丈夫、あなた達の先輩にだって、この件を明るみにされると困る子は多い」

「そうなんですか?」

「もしや……」

 さっき主は「やっぱり」と言った。この季節にはたまにあることだとも。それはつまり、他のメイド達にも同じことをした者が大勢いたということでは?

「ストック、痩せる方法が知りたいなら私に訊きなさい」

「すみません!!」

 あっさり目的を見抜かれたストックは、その場で土下座して訊いてもいないのに犯行の動機を洗いざらい話し始めた。

 なんでも、近頃食欲旺盛なせいで体重が急激に増えてしまい、それで焦ってダイエットの方法を調べに来たらしい。

「昼に調べたらいいでしょう」

 呆れ返るコデマリ。するとストックは語気を強めて反論した。

「む、無理ですっ。昼は同僚の目が多すぎて、こんな恥ずかしいこと調べられません」

「だからといって職場に不法侵入など、本来なら許されることではありません」

「わ、わかっています……でも、このままだと……」

「このままだと?」

「彼に愛想をつかされてしまうかもっ」


 グサッ。その言葉はコデマリに刺さった。


「あっ──すっ、すいません先輩」

「よしなさい。私は気にしていません。だからその続きを言うのはよしなさい」

「はい……」

 再び委縮するストック。眉間にシワを寄せながら頭を振り、嫌な思い出を振り払うコデマリ。しばらくすると気を取り直し、改めて後輩を見つめる。

 なるほど、毎日のように見ているせいで気が付かなかったが、言われてみると夏の頃の彼女よりふくよかなフォルム。それでもまだ“健康的”の範疇だと思うが。

(まあ、気持ちはわかります……)

 自分も男がいた頃には己を磨くことに必死だった。少しでも彼に愛されたい、彼の気に入ってくれた自分を保ちたいと考えるのは当然のこと。

「ふう……しかたありません。シクラメン様が許すと仰る以上、今回に限っては私も不問にいたします」

「ありがとうございます……ううっ」

 せっかく許してやったというのに妬まし気な目を向けて来るストック。

「なんです?」

「先輩もシクラメン様も、いつもスリムで羨ましい……」

「私は努力しているんですよ、あなたもそうなさい」

「シクラメン様は?」

「太ったことない」


 理不尽だ。コデマリとストックは二人揃って嘆息した。

 代謝の良い永遠の十二歳児は首を傾げた。




 結局ストックは自身の体質に合った効果的なダイエット法を伝授された後、もう二度と同じことをしてはいけないとだけ釘を刺され、こっそり図書館の外に送り出された。今頃は家に帰って教わったばかりの体操でもしているだろう。遠方の出の場合は自分で住居を探すか寮に入るのだが、彼女はここシブヤに実家がある。

 すっかり眠気が飛んでしまった。代わりに空腹を覚えたコデマリは、お茶とお茶菓子を用意する。お茶はともかく、深夜にお菓子まで持って来た彼女を見てシクラメンが驚く。

「珍しい」

「メイド長には内緒にしてくださいね。半分差し上げますから」

「わかった」

 密約を交わし、二人並んで椅子に座りティータイムを始めた。汚したくないらしく食事中はシクラメンも本を閉じる。

 サクサクと音を立て、口の中に消えていく木の葉の形のクッキー。それを見ているうち、コデマリは以前聞いたとある噂を思い出す。

「そういえば、ご存知ですか?」

「ん?」

「魔法使いの森には季節に関係無く常に紅葉している“お化けカエデ”と呼ばれる大樹があるそうです。しかも、あの“最悪の魔女”が住み処にしていた木だとか」

「……」

「かの魔女の屋敷にしては、それはそれは美しい木だそうです。魔法使いの森にあるので屋敷の主に招かれないかぎり辿り着くことは叶わないでしょうが、一度は見てみたいものですね」

 言ってから、主は興味を持たないかもしれないなと思った。この大図書館から出ることさえ滅多に無いのだ。最悪の魔女の屋敷があるという大陸南東部までわざわざ紅葉を見に出向くとは思えない。

 しかし、直後の返答は意外なものだった。

「じゃあ、そのうち連れてってあげる」

「えっ? ですが──」

「大丈夫、魔法使いの森じゃなく、別の場所で見られる」

「はい?」

「もうすぐよ、もうしばらくしたら、見られるようになるから」


 ──主の言った言葉の意味は、この時には全くわからなかった。けれども秋が終わる頃、新聞を見て驚かされた。東北はタキア王国の小さな農村に“一年中紅葉しているカエデの大樹”が移植されたというのだ。

 誰の仕業かは書かれていなかったが、その木がどこから運ばれてきたのかくらい例の噂を知っていれば察しがつく。

 そして、さらにその翌年の秋にコデマリは知った。何故東北の村に“お化けカエデ”が植えられたのかを。


 最悪の魔女の娘、スズランという名の新たな神子の出現によって。

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