邂逅と開校(2)
「図りましたねスズランさん」
中へ通され磨いたばかりのテーブルについたロウバイは、ナスベリが淹れてくれるお茶を待つ間に問い質した。
「実は、先程の場面は予知で見えていました」
「なるほど……」
となるとこれはスズランの計略というより眼神アルトラインの導き。それでは悪巧みを叱り付けるわけにもいかない。信心深いロウバイは諦めて受け入れることとした。
「お待たせ~」
淹れたてのお茶を人数分、トレーに載せて運んで来るナスベリ。最初にロウバイ、次に子供達、そして友人二人の前に一つずつ置いて、最後にトレーごとテーブルに置き自分の席へ座る。
「いただきます」
カップを持ち上げ、一口飲んで喉を潤してから改めてナスベリを見るロウバイ。
対するナスベリは自分のお茶に手を付けず、気恥ずかしそうに縮こまっていた。
「……ふふ、何度も会っていたのに、久しぶりに会ったかのような感覚です」
「私もです」
「え? 二人とも知り合いだったの?」
驚くカタバミ。スズランが代わりに答える。
「ロウバイさんはアイビー社長の弟子だから」
「えっ!? そうだったの?」
「じゃあスズちゃんの姉弟子なのね」
納得顔で頷くレンゲ。
ロウバイも軽く頷き返す。
「そうなります。なのでオサカにあるビーナスベリー工房の本社にもよく顔を出していました」
「あー、それで」
カタバミはやっと理解できたと手を打つ。彼女とレンゲの共通の友人で幼馴染でもあるナスベリは、そのビーナスベリー工房の副社長なのだ。
「でもさっきの口ぶりだと、もっと昔からの知り合いなんじゃない?」
鋭く指摘するレンゲ。今度はナスベリが、うんと遠い目で呟いてから明かす。
「ほら、前に話したじゃない。母さんと父さんを探してる時、魔法使いの森で二人の魔女に助けてもらったって。それがアイビー社長とロウバイさんだったんだ」
とある事情から警察に追われていた少女時代のナスベリは、二人のおかげで自由の身となり、両親捜しの旅を続けることができた。
ロウバイも思い出す。師が当時のナスベリを気に入ったように、彼女もまた別れて以来、何度もその存在を気にかけていた。だからこそ再会を約束した彼女の変わり果てた姿にはショックを受けたものだ。
──旅の果て、凄惨な体験をしたナスベリは無意識に生み出してしまった魔法で自分の記憶を封じてしまった。
彼女を保護したアイビーは当然弟子にも助力を求めた。当時からロウバイは魔法と医術の二つの道で世界有数の実力者として知られていたのだ。
けれど、そんな彼女にもナスベリの心の傷を癒やし記憶を取り戻してやることは、どうしても叶わなかった。
「なによ、それなら早く言いなさいよ」
「いや、皆がロウバイさんと知り合うとは思わなくて。そもそもロウバイさんがこの村に引っ越してくるのも予想外だったし」
「それはそうよね」
和気あいあいと話す幼馴染の三人。カタバミとレンゲに挟まれたナスベリの笑顔にロウバイの肩から重荷が一つ下りる。
(本当に良かった……)
アイビーから彼女の記憶が回復した話は聞いていたものの、自分の魂をホムンクルス体に宿して復活させる計画はビーナスベリー工房内でも一部の社員にしか知らされておらず、参加メンバーの中にナスベリはいなかった。
復活後もすぐさまスズランとモモハルをイマリに連れて行く準備を始めたので、彼女の記憶回復後に顔を合わせたのは今日が初めてである。記憶回復前から数えても実に一年と三ヶ月ぶりだったはずだ。
「あのね、ナスベリさん」
急に切り出すノイチゴ。大人達が昔話で盛り上がってばかりなので、このままではいつまで経っても本題に入らないと危惧したのかもしれない。両手で頬杖をつき、若干ふてくされたような表情で続ける。
「ロウバイせんせー、がっこうがしたいんだって」
「学校?」
「はい、実はそのためにここへ来たのです。ナスベリさんがこちらのお屋敷の持ち主だと知っていれば関係無く挨拶に参りましたが」
言いつつ、ちらりとスズランへ目を走らせるロウバイ。少女はしてやったりと得意げに笑う。
予知能力でこうなることを知っていたという彼女は、だからモミジを校舎にする提案を渋り、自分がここを訪れるように誘導したのだろう。たしかに手の平の上で踊らされた。
──けれど、勝ち誇るのは早計というもの。
「実は、こちらのお屋敷を校舎としてお貸しいただけないかと思いまして」
「うちをですか? でも村にモミジさんが──」
「スズランさんの発案です。彼女は将来、この村により多くの子供が生まれるとお考えのようです」
「ん?」
ロウバイの言葉に引っかかりを覚えるスズラン。彼女が顔を上げた時、イマリの賢者はすでに次の一手を打ち込んでいた。
「将来的にはたくさんの子を産んで自らの手で教育したいとそう仰るので、彼女には助手としてわたくしの教育法を学んでいただくつもりです」
「ちょ!?」
立ち上がろうとしたスズランの体はしかし、いつの間にやら椅子に縛り付けられている。魔力の糸で。動こうとするまで全く気付けなかった。
「先程、学校で学ぶようなことはだいたい理解できていると言いましたね?」
「は、はい……」
何故か素直に認めてしまうスズラン。ロウバイのたおやかな笑みから、かつてない圧を感じる。
「であれば、あなたには教育する側へ回っていただきましょう。ただし、実力を計るため定期的に生徒達と同じテストや宿題を受けてもらいます。いいですね?」
「あの、それってつまり、結局は生徒としても扱われているのでは……」
「いいですね?」
「……はい」
やはり逆らえない。スズランは脂汗を流しつつ頷く。今ようやく、彼女は聖実の魔女の本領を思い知った。
そんな二人を見て緊張するカタバミとレンゲ。子供達すら固唾を呑む中、ナスベリのみなおも過去を懐かしむ。
「思い出すなあ……ホウキの乗り方を教わった時、私も何度も思ったっけ。蛇に睨まれた蛙って、こんな気持ちなんだろうなって」
「自由に使ってください」
ナスベリはあっさり結論付け、生家をロウバイの手に託した。
三人しか子供がいない今なら別にモミジを学校にしてもいいだろう。現に週二回やってくる巡回教師はそうしている。
ただ、いつかは子供が増えるかもしれないし人が住まない家は普通より早く朽ちていくものだ。自分はまだ当面、故郷で暮らすことはできない。だからその間、教育の場に用いつつ維持してもらえれば、むしろ大助かりである。
「ロウバイさんには恩もありますし」
「……恩ですか」
夜、積もる話もあるだろうと気を遣われ、二人だけでロウバイの現住居へ移った彼女達。
ロウバイは苦い想いを抱きつつ、それを胸のうちに仕舞い込む。
恨んでいないか?
ナスベリの記憶が戻ったなら、そう訊ねてみたいと何度も考えてきた。けれど、それはあまりに失礼な質問。目の前の魔女に対する侮辱に他ならない。
やはり彼女はロウバイの胸中を慮り、囲炉裏の火を見つめながら独り言のように呟く。
「……あの時、飛び方を教わったおかげで両親に追いつけた。追いついたことで辛い場面を見たのは確かだけれど、今はもう、後悔なんてしていない。
村の皆が教えてくれた。私は愛されていたんだって。だから二人の最期を見届けられたことを良かったと思ってる。本当に、あの時、あの場に立ち会えて良かった。間に合わなかったなら、それこそ私にとって一番悲しい結末だった」
ありがとう、そう言って顔を上げた彼女と真っ直ぐに視線を合わせ、ロウバイもついに確信する。
やはりそうだ。だから師は彼女を選んだ。
「見事、乗り越えましたね。今のあなたなら素直に認められます。アイビー様の後継者に相応しいと。私などより、他の誰より、あなたこそがそうなるべきです」
「でしょうか? 指名されてから結構経ちますけど、まだ自信を持てません……」
「大丈夫。あなたは多くの人に愛されています。この先、どんな苦難に見舞われようとも必ず誰かに助けてもらえる。あなたにはその資格がある」
「資格……ですか。それは、どうして?」
「あなたが、人を愛しているから」
──あの時、少女の頃のナスベリに感謝されたロウバイは、こう返した。
同じように誰かを助けてあげなさい。それが巡り巡って、またあなたの助けになる。
「あなたは、あの旅で多くのものを見たはずです。人の醜さ、浅ましさ、悲しい性の数々。なのにまだ人を信じ、愛せている。多くの人々のため尽くしている。それが答えです」
「なるほど……じゃあ、ロウバイさんもですね」
「ええ」
ここで謙遜するほど若くはない。自分達は外見こそ二十代だが年齢を固定しているだけ。ナスベリは三十を過ぎたし、自分など六十に近い。
この身もまたアイビーの志を継ぐ者。けれどビーナスベリー工房社長の座には彼女こそが相応しい。
(商人の娘でありながら、私は商売が下手ですしね)
──などと自嘲気味に考えているとナスベリが急に頭を下げた。かつての教え子としてでも工房の副社長としてでもなく、この村の未来を憂う一人として。
「あの子達のこと、よろしくお願いします」
「任されましょう」
自分の考えや価値観が絶対的に正しいとは思わない。けれど、人が人の世で生きていくために必ず覚えなければならない道徳や法は、たしかにある。
そこから外れた道に進まないよう導くのが教師の務め。ロウバイはそう信じている。
この命尽きるまで、懸命に。
(私の寿命が残り数年という事実は……まだ、彼女には黙っておきましょう)
いつかは話さねばならないのだが、せっかくの再会の夜。今夜くらいは秘するべきだと考えた。
それからさらに数日後、いよいよ授業が始まった。ココノ村に初の学校が誕生した記念ということで村中の大人達が教室に集まり参観している。
多くの視線の中、黒板の前に立ったロウバイの正面、三つ並んだ机の真ん中の席でスズランが立ち上がり、声を張り上げる。
「起立! 礼!」
「おはようございます!」
「ます!」
「着席!」
同時に頭を下げ、もう一度座る三人。半月ほど前までイマリで日常だった光景が早くも懐かしく感じられる。
今日からはまた、これが彼女の日常。ロウバイは軽く頷き、領主ホウキギの厚意で寄贈された新品の教科書を開いた。
「では、授業を始めます。皆さん、三ページ目を開いてください」
「美しい……」
衛兵隊代表として参加したノコンは、そんなロウバイの活き活きとした姿に思わず吐息を漏らす。
そしてこの瞬間、彼の想いは村全体が知るところとなった。




