女王と牛
スズランとモモハルが神子に認定され、家族と共にメイジ大聖堂で暮らすようになってから十ヶ月後──
「里帰り、ですか?」
二人のことを気に入ったミヤギの女王ユリは“崩壊の呪い”への対策を話し合うという口実でちょくちょく大聖堂まで遊びに来ていた。
今はモモハルに剣の稽古をつけた直後である。中庭のベンチに座って汗を拭いていたら、スズラン達からボンの墓参りに行くことを告げられた。
「スズラン様とモモハル様の故郷というと、タキアのココノ村ですね」
「ええ、無事弟も生まれましたし、村の皆や亡くなったおじいちゃん達に顔を見せてあげたいとうちの両親が」
「なるほど、たしかにそれは大事です」
スズランの身の上については聞いている。最悪の魔女ヒメツルの実子で十年前、赤子の時にココノ村へ置き去りにされた。彼女を引き取った雑貨屋の夫婦はどちらも地震で家族を喪っており、そのため彼女に育ての親と生まれたばかりの弟以外の親類はいない。
(行方不明のヒメツルも一応は数えられるだろうが、生きているかどうかさえわからないそうだし……)
「というわけで、ボンの期間は私達はおりませんので」
「わかりました」
頷きつつ、ユリはちょっとした悪戯を思いつくのだった。
ボンの日、彼女は自分の家の墓参りを済ませてから変装して王城を抜け出す。
「陛下っ、女王陛下はどこへ行った!?」
「キバナもおらん! また逃げられたわっ!!」
「はっはっはっ、すまんな皆の衆」
彼女は愛馬キバナに跨がり北へ街道を駆けて行く。いきなり自分がココノ村に現れたらスズランとモモハルはびっくりするだろう。旅立ちの理由はそれだけ。
一応、変装はしてある。男装で傭兵風の身なり。ユリタロウという偽名まである。実はこの格好で時々悪党退治に勤しんでおり、城下町では結構な有名人。噂の世直し浪人ユリタロウとは自分の世を忍ぶ姿なのである。
ちなみにユリ本人は知らないが、民はユリタロウの正体が女王であることなどとっくの昔に知っている。銀髪で緋色の目。美しい顔立ちでめっぽう腕の立つ剣士など彼女以外にいるはずがない。本人は男装していつもの眼帯を外しただけで絶対にわからないだろうと思いこんでいるが、そんなことで騙せるのは赤ん坊だけだ。悪党退治をすると満足して城に帰って来るため、実はやられ役専門の偽悪党まであちこちに配備されていたりする。
つまるところミヤギは平和なのだ。
キバナの俊足であればミヤギからタキアまでも一日の旅程で済む。ボンは昨日だったが、久しぶりの帰郷だしスズラン達はまだゆっくりしているだろう。
「それにしても昨夜の宿は良かった」
温泉があり食事も美味かった。今度またあの街へ立ち寄ることがあれば利用したい。
(そういえば、ココノ村と言ったら……)
あの村の宿はカウレ発祥の地だったはず。昔、一度だけタキア王主催の晩餐会で食べたことのある料理。どうせココノ村へ行くなら、あれもまた食べてみたい。何度かカウレと名乗る料理を口にしたことはあるものの、どれも本物に比べると今一つだった。
(今もあのご老人が経営しているんだろうか……?)
件の晩餐会の時、カウレの味に惚れ込んだ彼女はタキア王に呼ばれ挨拶に出てきた料理人を引き抜こうとした。どうしても自分の国へ連れ帰りたく思い、ワガママを言って酷く迷惑をかけてしまった。言い訳になるが、まだ幼かったせいだ。
結局父にこっぴどく叱られ、その提案は取り下げた。あの時のタキア王と老人のホッとした顔を今でも覚えている。彼女はあの一件で、大陸七大国の王の娘という立場の重さをようやく理解した。
まあ、その割に女王となった今でも頻繁に城を抜け出しているわけだが、それは必要なことだと自分に言い聞かせている。子供の頃に想像したよりも王の仕事というのは退屈で息が詰まるものだった。そのくせ責任はやたらと重い。
(私は、まだうら若き乙女だというのに)
それもこれも父が早くに亡くなってしまったせいだ。なので昨日の墓参りでは「きっと行き遅れますからね」と恨みがましく良縁が無いことを報告しておいた。ちなみに彼女はクチナシと同い年で今年二十五歳になった。
結婚相手の理想は親戚でもあるイマリ王ルドベキアのような人。どこかにあんな感じの無骨で逞しい、それでいて誠実で豪胆な男性はいないものか。悔しいことに彼自身は既婚者。手が出せない。モモハルの師匠ノコンも良い線を言っているが、明らかにロウバイと相思相愛。横恋慕なんて真似は避けたい。そもそも、あのイマリの大輪の花が相手では分が悪い。
ああ、自分はいったいいつになったら結婚できるのだろう?
一瞬、脳裏にカゴシマ王の顔が浮かんだ。
「いやいや、それは無い」
あの戦争馬鹿だけは願い下げだ。
たしかにまだ独身だけれど。
「お、見えてきた」
長く緩やかな山道を登って行くと、ようやくタキア王国南部国境沿いの農村ココノ村が姿を現した。スズランとモモハルの故郷である。
「ふむ、田舎だな」
村の入口には衛兵が二人立っている。旅の傭兵だと告げると身体を検められた。神子が二人も帰郷しているのだから当然、警備は厳重にしなければならない。真面目な仕事ぶりに感心する。
ただ、いささか困ったことになった。真面目すぎて衛兵隊の詰所に連行されてしまったのだ。
「あ、隊長。旅の傭兵を名乗る怪しい女が」
「だから俺はもう隊長ではない」
詰所に入ってすぐの場所で椅子に腰掛け、隊員と話していた男が顔を上げる。
その男と目があった瞬間、ユリは「あっ」と言ってしまった。相手も信じられないものを見たように目を皿にする。
「ユリ様!?」
「ノ、ノコン殿。貴殿も来ていたのか」
しまった、よく考えたらスズラン達だけで帰郷しているはずが無い。護衛もいてしかるべきだと考えが及ばなかった。
「お前達、今すぐその方を解放しろ! ミヤギの女王陛下だ!!」
「ええっ!? じゃ、じゃあ七王!?」
ユリを捕まえた兵士達は慌てて手首の拘束を解き、その場に平伏する。
「申し訳ございません!」
「いやいや、無断で来た私が悪いのだから気にしないでくれ」
自身に非があるのに腹を立てるほど狭量ではない。
「もしや、スズラン君達に会いに?」
「ええ、驚かせようかと」
「なるほど、事情はわかりました」
はぁと嘆息するノコン。きっと呆れられているのだろう。
「では私が案内します。こちらへ」
「すみません、お忙しいところに」
「いえ、元部下達に挨拶して回っていただけです。モモハル君に引き続き指導を頼まれたとはいえ急に辞めることになりましたからな」
「ああ、そうでしたね」
人のことは言えないが、モモハルもまだ大きな権力を有する者の自覚が足りていないと見える。もっとも彼の場合、去年までこの村で普通の子供として育っていたのだから仕方あるまいが。
(その割にスズラン様はご自分の立場も良く弁えておられる……魔女としての才覚も並々ならぬという話だし、やはり我々とは頭の造りが違うのだろうか?)
そんなことを考えながらノコンに先導され村の中を歩いて行くと、中央の大樹の梢の下に差し掛かったあたりで坂の下からスズランの顔がせり上がってきた。
「おお、スズランさ……ま?」
手を上げたユリは、そのスズランが乗っているものを見て硬直する。
「え? あれっ!? ユリ様っ!!」
念願叶ってスズランは驚いてくれたが、こちらはさらに驚いている。
「う、牛!?」
なんとスズランは牛に乗って現れたのだ。しかも彼女の乗っている牛の後方にもさらに数頭が見事に列を組んで並んでいる。
(なんという統率力!)
ミヤギ軍は騎馬隊が主力。ユリ自身、馬の扱いには自信がある。そんな彼女のプライドにスズランの雄姿は火をつけた。乗りこなすのが馬であれ牛であれミヤギの王として負けられない。
「スズラン様! 私にもそれをやらせていただけないでしょうか!!」
「え? もしかして牛に乗りたいんですか? というか何故ユリ様がここに?」
「その説明は後ほど! とにかく、私も牛を乗りこなしてみとうございます!」
「何故!?」
困惑するスズランの返事を待たず、彼女を引っ掴んで牛の背から下ろすユリ。代わりに自分が颯爽と飛び乗る。
「とうっ」
「ユリ様! 危ないです!」
「どうしてこうなった!?」
呆気にとられていたスズランとノコンが止めようとする。しかし、その時にはすでに牛が暴れ出していた。
「うおっ!? おおおっ!! な、なんという暴れっぷり! 馬よりさらに力強い! こんなものをスズラン様は乗りこなしておられたのか!」
「いや、私は魔法で暗示をかけていただけです!」
「スズちゃん、なんの騒ぎじゃこれは!?」
「うちのベコさ乗っとる変な娘っ子は誰じゃ!? おいこら降りれ! ハナが怖がっとるでねえか! あたしゃスズちゃんに牛舎まで連れてってけれって頼んだんだぞ!!」
村人達も騒ぎに気付いて集まって来る。その目の前でとうとう牛の背から跳ね飛ばされ地面を転がるユリ。
「ぬああああっ!?」
「ユリ様!!」
心配して駆け寄るスズランとノコンに対し、しかしユリは高笑いで応じた。
「ハッハッハッ、これは難しい! 乗りこなし甲斐がある! 今しばし、しばしご覧あれスズラン様! 私は必ずやあの牛を手懐けてみせましょう!」
「だからさっきのは魔法で! 話を聞いてください!」
「ああっ、おめ、今度はタロに!?」
牛の見分けが付かず、今度は別の牛に跨がるユリ。
結局彼女が落ち着いたのは、見事牛の一頭を乗りこなすことに成功した後だった。
「いやはや、昨日は恥ずかしい様をお見せしてしまった」
翌日、ココノ村を後にしたユリは猛省する。ついつい対抗心を燃やしてしまったせいで赤っ恥をかいたことをだ。勝負事になるとどうしても熱くなってしまう。悪い癖だと自覚しながら、なかなか直せない。
あの後、目を離してはまずいと思われてしまったらしくスズランが終始ぴったりついてきて目を光らせていた。宿泊も宿屋でなく彼女の家に泊めてもらった。あんな騒ぎを起こしてしまったのに快くもてなしてもらえたため、一晩中恐縮しっぱなしだった。
「まあ、来て良かった。あそこは実に良い村だ。モモハル様がああも素直に育った理由がよくわかる」
それに勘違いから挑んだ牛乗りだったが、あれはあれで良い訓練になる。今度兵士達にやらせてみよう。あるいは猛牛を見事乗りこなせるかという度胸試しを興行化して新たな収入源にするか?
そんなことを考えているうち、行きで立ち寄った街がまた見えてきた。ココノ村に予定より長居してしまったため今日はもう遅い。またあの時の宿に泊まろうか。
そこまで考えて、やっと思い出す。
「あっ!?」
結局、カウレを食べ損ねた。




