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1 人生に疲れた私の最後の願い

よろしくお願いします……

(今日もヘトヘトだ……)


仕事を終え、重たい身体を引きずるようにして家へ帰る。


私、坂元水姫――さかもとみき、五十五歳。


子供たちも無事に成人して社会人になり、親としての役目もようやくひと段落。


これからは少しくらい自分の好きなことをしてもいいんじゃない?


旅行に行ったり、美味しいものを食べたり。好きだった編み物をしながら、のんびりお茶を飲んだり。


そんなふうに、やっとこれから自分の人生が始まるんだと思っていた。


……だけど

人生って、なかなか思い通りにはいかないものらしい。


夫に癌が見つかった…


そこから私の生活は大きく変わった。

闘病生活が始まり、やがて自宅での介護が必要になった。仕事もある。家事もしなきゃいけない。病院への付き添いもあるし、薬の管理や食事の準備もある。


夜中に何度も起こされることもあった。


正直に言えば、病院に入院してくれたら少しは楽なのに、と思ったことだってある。


でも…


「家にいたい」


そう言われたら、仕方がない。

本人がそう望んでいるのだから、できるだけ叶えてあげたいと思った。


だから私は、いつものように「大丈夫」と言った。


大丈夫……


これくらいならできる。

まだ頑張れる…


昼間は仕事へ行き、帰れば家のことと介護。夜中に起こされ、ろくに眠れないまま朝になり、また仕事へ向かう。


そんな毎日が一年半ほど続いた頃、夫は亡くなった。


悲しい――もちろん悲しかった。

でも、その時の私は悲しむことさえ後回しにしていたような気がする。


お葬式があって、その後には山のような手続きが待っていた。役所へ行き、電話をかけ、書類を書いて、また別のところへ行く。


一つ終われば、また一つ。


子供たちに少しくらい頼ればよかったのかもしれない。


「手伝おうか?」


そう言ってくれたこともあった。

でも私は、いつものように笑って答えた。


「大丈夫、大丈夫。お母さん一人でできるから」


今思えば…

何がそんなに大丈夫だったんだろう。


別に、一人で全部やらなくてもよかったのに…


それでも私はずっと、誰かに頼るより自分でやってしまう方が楽だと思っていた。


自分が少しくらいしんどくても我慢すればいい。

あと少し頑張ればいい。

今日を乗り越えれば、明日は少し楽になる。


そう思って、ずっとやってきた。


そして今日、

ようやく最後の手続きが終わった。


「……終わったぁ」


車の運転席で、思わず声が漏れた。


長かった…

本当に、長かった。


これで明日は何もしなくていい。

久しぶりに目覚まし時計をかけずに眠れる。

家に帰ったらお風呂に入って、何か適当に食べて…


あとはもう、何もしない。


「やっと……ゆっくり眠れる」


赤信号で車を止めながら、ぽつりと呟いた。


その瞬間だった。


――ドンッ!!


遠くで、大きな音がした。


「え?」


顔を上げる。


そして………

一瞬、何が起きているのか分からなかった。


大きなダンプカーが、こちらへ向かってきていた。


「……え?」


信号は赤。


私の車は止まっている。


なのに、ダンプは止まらない。


ものすごい勢いで交差点へ入り、そのまま真っ直ぐこちらへ向かってくる。


(逃げなきゃ)


そう思った。


アクセル…


ハンドル…


何でもいい。動かなきゃ。

なのに……身体が動かなかった。

怖かったからなのか。

疲れすぎていたからなのか。


それとも………

もう考えることすらできなかったのか。


今となっては分からない。


ただ、迫ってくる大きな車を見ながら、私は不思議なくらい冷静だった。


「あぁ……もういいや」


自分でも驚くほど、静かな声だった。


「当たったら……痛いだろうなぁ」


ぼんやりとそんなことを考える。


怖くないわけじゃない。


死にたいわけでもない。


でも、


逃げなきゃと思う気持ちより先に、身体の奥から湧いてきたのは――


(疲れた…)


ただ、それだけだった。


「やることは……やったしね」


夫を見送った。

子供たちも、もう大人だ。

私がいなくても、きっと大丈夫。


……いや、

こんなことを言ったら怒られるかな。


「あとは……子供たちに任せても大丈夫かしら」


ダンプが迫ってくる。


私は目を閉じた。


「あぁ……なんだか疲れたよ」


静かだった。


最後くらい何も考えなくていいかな。


もう頑張らなくても、誰かのためじゃなくて自分のことだけ考えても……


そして

なぜかその時、ふと思った。


(もし……)


もしも

本当に、もしもだけど…

次にもう一度、生きることができるなら…


今度は………


もう少し、自分のために生きてもいいのかな。

頑張らなくても

大丈夫って言わなくても

誰かに頼ってもいい人生


それから――


(心から愛して……愛されてみたいなぁ)


夫を愛していなかったわけじゃない。


子供たちから愛されていなかったわけでもない。


私はちゃんと家族を愛していたし、きっと家族も私を愛してくれていた。


それでも、次があるのなら…

一人の女性として誰かに大切にされて、守られて、時には甘えて……


「あなたが大切だ」と言ってくれる人の隣で、生きてみたい。


(……なんにもいらない)


お金持ちじゃなくていい。

すごい人にならなくてもいい。

特別な力なんて、もちろんいらない。


ただ……


(今度の人生は……ひたすら愛されてみたいなぁ)


そんなことを考えた瞬間。


――ドォン!!


凄まじい衝撃音が響いた。

身体に、今まで感じたことのない痛みが走る。


そして……何も分からなくなった。


(ああ…私、死んじゃったんだ)


それが

坂元水姫、五十五歳。


私が前の人生で最後に考えたことだった。


だから――


まさか次に目を開けた時、目の前に、とんでもなく綺麗な女性が立っていて


「ようやくお会いできましたね」


なんて微笑まれることになるとは、この時の私は…

もちろん、知るはずもなかった。

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