プロローグ【月夜の発見】
夜の街を、一本の箒が切り裂くように駆けていた。
満月を背に、黒いローブが大きくはためく。
夜風が顔を叩く程に速い。だが――
箒はわずかに揺れ、上下する高度。
軌道が安定しない。
乗り手の焦りが、そのまま表に出ている。
樋川萌花は唇を噛みしめながら、夜の街を見渡していた。
いない……どこなの……
この街に現れたはずの“魔物”の気配が、どうしても掴めない。
探らなければならないのに、意識が散る。
焦りが、思考を鈍らせていたその時。
「これ、萌花!落ち着かんか」
帽子の影から、老婆の声が響く。
大きな三角帽子――そのつばは広く、目深に被れば顔の上半分をすっぽりと隠す形になる。
その内側から、ひょいと顔を出したのは小さな灰色の猫。
子猫は、ため息交じりに言った。
「闇雲に飛び回っても意味はない。まずは止まれ」
「で、でもババ様、このままじゃ――」
反射的に言い返しかけて、言葉が詰まる。
街は静かだ。
けれど、そのどこかに“異物”が紛れ込んでいる。
それを放置すればどうなるか――考えたくもない。
「人間も魔物も互いに見えとらん。魔物の目が人間界に馴染むまではそう簡単に被害は出ん」
ババ様は落ち着いた声で続ける。
「じゃが、このまま見つけられなければ話は別じゃ。だからこそ、落ち着いて魔力を探れ」
ぐっと息を飲む。
未熟さは、自分が一番分かっている。
魔力の感知も、制御も、戦う力も――どれも足りていない。
それでも。
「……はい」
小さく頷き、箒の速度を落とす。
やがて空中で静止した。
目を閉じる。
呼吸を整え、意識を沈める。
雑音を切り離し、魔力の流れだけを探る。
すると、夜の街が、ぼんやりと頭の中に浮かび上がる。
その中に――
ひとつだけ、濁った“何か”があった。
煙のように揺らめく、異質な塊。
「……っ!」
目を開く。
「見つけたか?」
「はい!」
次の瞬間、箒を傾け。
一気に加速した。
屋根を越え、通りを越え、一直線にその気配へ向かう。
やがて、それは視界に現れた。
巨体。
家屋を見下ろすほどの大きさ。
四肢で地を踏みしめる異形。
黒く濁った体表と、不自然に発達した腕。
裂けた口から覗く牙。
「……魔物」
思わず、喉が鳴る。
恐怖が、背筋をなぞった。
「対象確認じゃな」
ババ様の声は変わらず静かだ。
「……はい」
返事をしながらも、手はわずかに震えていた。
――その時だった。
「……ん?」
ババ様が、視線を横に流す。
魔物の進行方向。
その先に――
人影があった。
「え……?」
萌花も気づく。
その人物は声を上げながら走っている。
いや、必死に、逃げている。
だが、その動きは明らかに異様だった。
見えている者の動き。
見えていなければ、ああはならない。
「うそ……」
思わず声が漏れる。
そして、次の瞬間。
「あ、赤城君!?」
口をついて出た名前に、自分で驚いた。
見間違えるはずがない。
同じクラスの男子。
「萌花の知り合いか?」
「は、はい……クラスメイトです……」
自分で言っていて不思議な感覚だった。
「赤城君って魔法界の人だったんだ……」
魔法が見える者。
だからこそその結論に至ったのだが――
「いや、あの子は間違いなく人間界の、ただの人間の様じゃ」
ババ様はジッと彼を見つめたまま否定した。
でも……
それならば尚更理解できない事があった。
「でも、確実に"見えてますよね"?」
「その様じゃの……」
空中に浮遊したまま、共にそのあり得ない状況に困惑していたが、ババ様が決断を下す。
「ともあれ、あの子は戦えん様じゃ。ならば目的は変わらず魔物の討伐じゃ、行くぞ」
そこまで言って、萌花の表情が一気に焦りへと変わる。
「ままま待ってください!……このまま行ったら……顔が……身バレしちゃいます!」
思わず帽子のつばを押さえる。
その仕草は、戦う前のものとは思えなかった。
「バカ者!」
即座に、ため息混じりの一言が飛ぶ。
「その帽子に不可視の魔法を仕込んである」
ババ様は呆れたように続ける。
「人間からはお前の顔など認識できんと何度も言うたであろうが!」
「で、でも……!」
なおも食い下がる萌花に、ババ様はぴしりと言い切った。
「それに万が一の場合はワシが記憶を処理する。お前は余計な心配をするな」
「うっ……」
言い返せない。
ぐっと言葉を飲み込む。
「分かったら早う行け!」
その催促の一言に萌花は。
「わ、分かりました!」
その言葉と共に、少年目掛けて一気に加速した。
こうして、ただの高校生である赤城遥は、
どこか危なっかしい魔法使いと共に――魔法の世界へ足を踏み入れることになる。




