後日談2 王太子の初恋
エド様の公務での立ち居振る舞いは変わらない。今夜の夜会でも以前と同じ態度だった。仮面夫婦から普通の夫婦になったけれど、私にはその差が一つしかわからない。きっと周囲の人達は一つもわからないだろう。それでも私にわかる唯一の差は大きい。エド様が私に向ける笑顔が作り物でない事が心から嬉しい。
「本日はお疲れ様でした」
エド様は最近寝室に来るのが早い。仕事は以前より忙しくなったはずなのに不思議だ。先に待っていようと思うのだけれど、髪を乾かすのに時間がかかるせいか、どうしても一定の時間より早くは来られない。それに全身を見られると思うと、どうしても入浴に時間もかかってしまうし。
「ナタリーもお疲れ様」
ベッド上のエド様は掛布を捲った。私は軽く頭を下げてからベッドへと滑り込む。あの日から寝る前にベッドの中で話をするのが日課になっていた。枕をヘッドボードに立てかけて凭れながら色々な話をする。過ぎた五年は取り戻せなくても私はそれを埋めたくて、エド様も同じ気持ちではないかと思っている。
「ナタリーは私以外に愛した人はいる?」
突然の質問に私は首を横に振った。シェッドでは私に好意を向ける人などいなかったし、恋など出来る環境はなかった。だからこそ結婚式の時、教会の前で見たエド様の笑顔が眩しかったし、嘘でも優しくされたのが嬉しかった。
「それならナタリーにこうして触れた男性は私だけ?」
エド様は私の髪を弄ぶ。至近距離で見る端正な顔立ちは未だに慣れなくて、どうしても恥ずかしい。私は小さく頷くのが精一杯だった。
「この先も他の誰にも触らせてはいけないよ」
嬉しそうに微笑むエド様に私は再び頷いた。今日はいつも以上に空気が甘い気がする。何だろう? 何かあったのだろうか。
「最近ナタリーの事を誉める人が増えてきたね」
「そのような社交辞令、真に受けませんから大丈夫です」
「自分では気付き難いかもしれないけど、ナタリーは綺麗になった」
エド様は私の髪に口付ける。やはり空気が甘い。むず痒くて仕方がない。
「気のせいですよ」
「気のせいではない。私がこれだけ愛しているのだから当然だろう?」
エド様の自慢話だったの? 確かにエド様の愛しているという言葉は私を強くした。エド様に愛想を尽かされないように、エド様の隣にいる事が相応しいように振る舞おうと、今まで以上に思う。
エド様は私の髪から手を放すと頬に手を添え、ゆっくりと唇が重なる。次第に深くなっていく口付けに私はなけなしの力で抵抗する。エド様はつまらなさそうに私を見つめた。
「あの、ごめんなさい。今夜から暫く、その、難しいです」
エド様の視線から逃れるように俯いた。あの日言われたように、エド様は毎晩私を抱いてくれる。経験豊富なエド様に私は振り回されっぱなしだけれど、とても幸せな時間。
「その一週間は仕方がない」
エド様の察しの良さが何だか嫌だ。女性に対して詳しすぎる。
「申し訳ありません」
「気にしなくていい」
「そちらではなくて、そのすぐ身籠れなくて……」
アリスの時は一晩で授かったのに。王太子の正妻である以上、自分に課せられた最大の義務は男児を産む事。殿下はもう二十七歳なのだから、出来るだけ早く産まなければいけないのに。
「それこそ気にしなくていい。折角ナタリーとこうして抱き合えるようになったのだから、もう少しこのままでいい」
「しかし」
「私に抱かれるのは嫌?」
「いえ、とても嬉しいです」
エド様は微笑むと私を優しく抱きしめてくれた。
「ナタリーに子供を産んで欲しいとは思っているけれど、義務感は要らない。私はナタリーを抱きたくて抱いてるのであって、義務感は持っていない」
「それで宜しいのですか?」
「構わない。何年も抱き続ければその内授かるだろうし」
「な、何年?」
「私は君に執着していると言ったはずだ。簡単に飽きないから」
エド様は私の頭に口付ける。幸せなようで怖いような、不思議な感覚だけれど、私もエド様を抱きしめた。
エド様と向き合った日から二ヶ月が過ぎた。この二ヶ月でわかった事は、アリスを本当に大切に思ってくれている事、気に入らない人に対しての作り笑顔が微妙に違う事、スティーヴンとリアンを心から信用している事、それでいて貴族達の力関係が崩れないよう細心の注意を払っている事。
「ナタリー、他事を考えるのは頂けないな」
それからエド様は独占欲が強い。寝室で私の意識がエド様から離れると、少し不機嫌になる。後ろから抱きしめているエド様が私のうなじを吸った。
「跡になりますからやめて頂けませんか?」
「別に構わないだろう? それで何を考えていた?」
エド様は私の顔を覗き込んだ。
「せっかくサマンサが誘ってくれたのに、断ってよかったのですか?」
私もエド様にいつまでも振り回されているわけにはいかない。罪にならない程度の嘘は覚えた。それにこれは気になっていたのだ。ケィティにあるクラウディア様の墓参りに一緒に行こうとサマンサに誘われたのに、エド様は公務を理由に断っていた。
「墓参りは家族で行くものだ。他人はいない方がいい」
「しかしエド様にとっても母であった方ではないのですか?」
私の問いにエド様は複雑そうな表情を浮かべた。
「クラウディア様は私の事を息子と思ってくれていた。しかし私はそう思っていなかった」
何を言いたいのかわからず私は首を傾げる。
「いつしかクラウディア様に恋をしていた。私の叶わなかった初恋だ」
私はどう反応していいのかわからなかった。そんな私をエド様は優しく抱きしめる。
「辛かったですよね」
「サマンサを身籠ったと聞いた時、今まで以上に父が嫌いになった」
その時エド様は十歳ですよね? 幾らなんでも早熟すぎませんか?
私の声に出さなかった疑問をエド様は汲み取ったのか、背後から笑い声が零れてきた。
「私には色々な教育が幼き頃より施されているから。それにクラウディア様が父しか見ていなかった事は、幼い私でもわかっていたし」
エド様の声が沈んだように感じた。私は抱きしめられているエド様の腕を抱きしめた。叶わない思いほど辛い事はない。しかも恋敵が父親なんて辛すぎる。
「この件はジョージとサマンサは知らない。ナタリーも他言無用でね」
「はい、あの、その後陛下の事は……」
エド様はもう一度私のうなじを吸った。跡が濃くなると困ると私は必死に抵抗したけれど、頭を固定されていて動かせなかった。髪を下せば見えないという問題ではない。イネスが髪を梳く時に反応して、それが恥ずかしいから本当にやめてほしい。
「ナタリーを愛おしく思うようになってから、父への無駄な対抗心は消えたよ。今は王太子として父を補佐出来ればいいと思っている」
エド様は国内の混乱を抑え、今まで以上に公務に励まれている。女性に声を掛ける事をやめたからか王太子に相応しくないという声は消え、今は誰もが認める王太子だ。元々エド様は何事にもそつがなくて欠点などないようにみえる。しいて言うなら私に執着している事が欠点だと思う。
「私はエド様が将来の国王陛下に相応しいと思います」
「その場合、ナタリーは王妃になるわけだけど覚悟は出来た?」
エド様が楽しそうに微笑みながら私の顔を覗く。正直まだ実感がわかないけれど、彼の側にいると決めたのだから、いずれ王妃になるしかない。相応しくないと言われないよう、これから努力し続けなければいけない。
「精一杯努力します」
私は微笑んだ。エド様も微笑むと優しく口付けをしてくれた。
「ところで何故サマンサは敬称なしなのに、私は様付なの?」
「サマンサの様付けをやめるのには五年もかかっていますから」
何故そんな所で対抗心燃やそうとするの。意味がわからない。サマンサとは嫁いできてずっと交流していた。エド様とこうして親しく話すようになったのはまだ二ヶ月なのに。
「仕方がない、それなら強制的に呼ばせよう」
エド様の手が私の太腿に伸びる。これはもう一回始める気だ。最中も決して呼び捨てにしているわけではなくて、強制的に途切れてしまうというか。ん? 強制的? エド様わざと?
「遅いですからもう寝ましょう」
私はエド様の手をやんわりと太腿から離そうとするも、私の力で動くはずもない。
「まだ遅くない」
エド様が満面の笑みを浮かべた。私はきっと一生この人に勝てない気がする。それでも私に帰る所はないし、仮にあったとしてもエド様の側を離れたくない。エド様がアリスと私を愛してくれるのは、きっと温かい家族に憧れているからだと思う。私も温かい家族にはとても憧れている。だから何人も子供を産んで、エド様が心から笑える温かい家庭を作っていきたい。




