憂鬱な移動 歯痒い思い
私は殿下と二人で馬車に乗り、シェッド帝国へと向かう事になった。
「私の実家の事で、お忙しいのに時間を割いてもらい申し訳ありません」
殿下は毎晩遅くまで仕事をしている。それなのにシェッドへの往復の為に、約一ヶ月公務を休む事になる。戻ってから激務になるに違いないと思うと申し訳なさすぎる。
「これも公務だから気にしなくていい。私がいない間はリアンとグレンが、仕事をある程度してくれるはずだから」
今回の移動に同行している殿下の側近はスティーヴンだけである。私もイネスは留守番でシルヴィとデネブが同行しているが、こちらは侍女ではなくただの帰郷である。殿下は笑顔だがやはりいつもの笑顔と違う。チャールズの葬儀では会話を交わさなかったのであの夜以来三週間ぶりの会話だが、私はきちんと何事もなかったように振る舞えているだろうか?
「ただ、移動時間を使って読書をしたいのだけれどいいかな?」
馬車は四人乗りである。荷物は別の馬車に積んであるにもかかわらず、殿下の横に荷物が置いてあるのは何だろうと思っていたけれど本だったのか。
「どうぞ。殿下が集中出来るようにもう一言も話しませんから」
いくら公務の為同じ馬車に乗らなければいけないと言っても、誰も中を覗かないので仮面夫婦をする必要はない。時間を有効活用する所は流石殿下だ。
私は母へのお土産しかこの馬車には積んでいない。シルヴィとデネブに勝手に持っていかれないように隠したかったのだ。レヴィに来てサマンサが帝国語を教える日に毎回色々なお菓子を持ってきてくれたが、その中で美味しくて日持ちのする金平糖を是非母に持って帰りたかった。相談したらサマンサは嫌そうな顔一つせずに、瓶詰の物を用意してイネスに渡してくれた。私はそれをひざ掛けに包んで持ってきた。サマンサは本当にいい子だ。シルヴィとデネブにわからないようにと配慮までしてくれて、しかも私の旅行用にと二瓶用意してくれるなんて、あの子は絶対いいお嫁さんになる。殿下が異母妹なのに可愛がっているのも無理はない。私も出来たら可愛がりたい。嫌われたくないからしないけど。
私は窓の外の景色に視線を移した。母に会えるのは楽しみだけれど、それ以外が憂鬱過ぎるせいか最近身体が重い。お腹も痛いし頭痛もする。でも体調不良だから殿下だけ行って下さいとは言えないし、景色でも見て気分を変えよう。三年前とは景色が違うかもしれない。レヴィ国内ならきっと楽しいはずだ。
殿下と特に会話もしないまま移動四日目の午後、シェッド帝国へ入国した。やはり国が変わると空気も景色も違う。三年前よりも少し荒れたような雰囲気がするのは気のせいだろうか? そして馬車の揺れが酷い。街道の整備が出来ていないのだろうか?
駄目、吐きそう。どうしよう。ここで吐いたら殿下に迷惑をかけてしまう。でも気持ち悪い。もう少し揺れを抑えて欲しい。
吐くのを我慢していたので私の顔は歪んでいたと思う。それを殿下は察してくれて馬車を止めてくれた。私は殿下に一礼だけして馬車を飛び下りた。もう我慢出来ないけど殿下の前では嫌だ。街道沿いの茂みに座り込んで不快なものを吐き出した。殿下ごめんなさい。王太子妃らしくない行いで。あぁ、馬車の揺れくらい耐えられない自分が情けない。
「大丈夫?」
殿下が後ろから声を掛けてくれた。多分私が見られたくないと思っているのをわかっていて後ろにいるのだ。そういう優しい所、演技と思いきれなくて私はいつも勘違いしそうになる。
「申し訳ありません。耐えきれなくて」
「気分が悪いものは仕方がない。馬車は苦手?」
「嫁ぐ時も気分はよくありませんでしたが、ここまでではありませんでした」
きっと三年間王宮でいい暮らしをしたから、こんな揺れにも耐えられなくなってしまったのだ。私はもう王宮以外で暮らせないくらい、駄目な人間になってしまったのかもしれない。馬車を降りたというのに全然気分が良くならないもの。もしくはシェッドに入ったせいで身体が拒否反応をしているのかもしれない。
御者が水筒を差し出してくれた。私はお礼を言って受け取り口をゆすぐ。それでも気分は優れない。ここはまだ国境近く。聞いた予定だと帝都まであと七日はかかるはず。このような事なら最初から体調不良と言っておけばよかった。あと七日もこの旅を続ける自信がない。
「立てる? 馬車は動かさないから中で座った方がいいと思う」
殿下が手を差し伸べてくれた。そこに手を添えると殿下が私を立たせるように引っ張ってくれた。思ったより力があり私はすんなりと立ち上がった。御者は土を掘っていた。それで隠してくれるのだろう。仕事を増やしてしまって申し訳なさすぎる。私は殿下に誘導されるように馬車の中に戻った。
「少しここで待っていて。後ろの馬車に事情を話してくるから」
「申し訳ありません」
殿下に何というお手間を取らせているのだろう。王太子妃として本当に情けない。大人しく馬車移動も出来ないなんて、私は役に立たない所か足を引っ張る事しか出来ないのかもしれない。
暫くして後続の馬車が私達の馬車を追い越していった。そして殿下が戻ってきて馬車の外から声を掛けた。
「ナタリー。今日の宿まで我慢は出来る? この辺では他に休めそうな所がないみたいだ」
殿下、そのように気を遣って頂かなくても大丈夫です。役立たずの妻だと罵って下さって結構です。と思ったけれど殿下が人を罵っている所など想像も出来ないし、気分が優れないままなのであまり話したくもない。力なく頷くのが精一杯だった。
殿下は御者になるべくゆっくり走るように伝えると、馬車の中に乗り込んできた。
「我慢はしなくていい。ここよりいい道がないらしいからゆっくり行こう」
「ありがとうございます」
殿下は複雑そうな表情で頷いた。いつもの作り笑顔ではなく、困惑しているようで期待しているような、表現がとにかく難しい。だけど困らせているのは間違いない。
予定より一時間以上遅れて宿に着いた。私は馬車を降りたにもかかわらず全然気分が良くならなくて、誰かが用意してくれた洗面器を枕元に置いてベッドに横になっていた。もう出すものはないはずなのに気持ち悪い。もしかして食中り? 一人だけ違うものは食べていないはずだけど運悪くあたったのかもしれない。
ノックをする音がして殿下が室内に入ってきた。手には水差しとグラス。シルヴィとデネブが私を見下しているとはいえ、殿下に何をやらせているの。
「お手を煩わせて申し訳ありません。大丈夫ですから」
「大丈夫という顔ではない。食欲もないのだろう? 水だけでも飲んだ方がいい」
殿下はグラスに水を注ぐと差し出した。私は起き上がってグラスを受け取り口に運ぶ。ひんやりしていて美味しい。
「食中りかもしれません。少ししたらよくなりますから」
「食中りだと思っているの?」
殿下が不審そうな顔をした。吐き気が収まらないなら食中り以外何があるの? シェッドに対する拒否反応の方が正解なの?
「とりあえず日程を変更しよう。スティーヴンには事情を話して、君の侍女達と先行して貰う事にしたから」
「それでは祝賀会に間に合わなくなります。殿下だけでも先に向かって下さい。私はここで待機でも大丈夫ですし」
この宿が何日連泊出来るかわからないけれど、体調が良くならなければ何日も殿下を引き止めてしまう。それでは申し訳ない。私が行かなくても、シルヴィとデネブが一緒に行けばそれできっと事足りるはず。だけど殿下の表情は怒っているみたいだった。
「私だけ先行する意味がない。今は余計な事を考えずに休んで。何か食べたい物があったら教えて。果物がいいと思うけど、この辺にある物は限られているみたいだ」
シェッドで果物なんて食べた記憶がない。勿論私に与えられなかっただけだとは思うけど、どれもレヴィで初めて食べたものだから、この辺で何が取れるかなんてわからない。苺なら食べられそう。でもサマンサの好物だからレヴィの特産品かも。
「私なら大丈夫です。昔は食べられない日もありましたから」
言いながら失敗したと思った。確かに昔は食事を与えられない日もあったけど、今から皇宮へ向かうのに恥晒しをしてどうする。殿下の表情が強張っているし絶対失言だ。
「昔は知らないけれど、今は王太子妃なのだから何か食べたいと言えば、従者は文句も言わずに探しに行く。私が行くわけではないのだから遠慮はいらない」
殿下はこういう事をさらりと言う。人を使うのは当たり前という感性は王太子なら普通なのだろう。しかし私はそう育っていない。私の我儘で誰かを走らせるのは抵抗がある。
「本当に大丈夫ですから。寝たら落ち着くと思います。お気遣いありがとうございます」
殿下は小さなため息を吐くと部屋を出ていった。殿下の望む振る舞いが出来ない自分が歯痒い。どうして私はもっと上手く立ち回れないのだろう。今も苺が食べたいと言えば丸く収まったかもしれないのに。
私はグラスの水を飲み干して、ベッドの脇机に置くと横になった。とにかく寝よう。寝たらきっとよくなる。




