王太子妃の葛藤
翌朝、殿下は隣にいなかった。いつも私が目覚めた時にはいないので特に問題はない。しかし昨夜の事は一体どう捉えたらいいのだろう? 傷付けられると思っていたのに、いや痛みはあったような気もするけれど、途中からわからなくなってしまった。殿下の様子をしっかり見なければいけなかったのだろうけど、初めての事でそのような余裕はなかった。夢だったのではないかとさえ思うけれど、身体に違和感があるからそれはないはず。もし少しでも殿下のお役に立てたのなら嬉しい。
チャールズの葬儀はひっそりと行われた。公務もしていない病弱な第二王子の扱いはこんなものなのだろうか? それとも彼が国王の血を継いでいないとわかっていてのこの扱いなのか、葬儀に参加するのが初めての私にはわからないし、誰かに尋ねて不審がられても困るので大人しくしていた。
殿下は平生を取り戻しているように振る舞っていたけれど、まだ心の傷は癒えていなさそうだった。私達はあの夜以来寝室で顔を合わせない生活に戻っているけれど、それが私達の普通なのだから問題はない。役に立てたかと思ったけど、役立たずと判断されたから元に戻ったのだ。閨事の知識など私にあるはずがない。私に男児を産ませたいのなら、まずこの知識を教えておいてくれてもよかったのではないのだろうか? 結婚三年目で聞くのは不自然だから今からは無理だ。きっと二度目はない。あの夜の事は殿下の中ではなかった事になっているだろうし、私も心の奥底にしまおう。
しかし殿下が辛そうなのに何も出来ないのはやはり辛い。私は何故こんなにも役に立たないのだろう。私に出来る事はないか、ない頭を使わなくては。
今日はシルヴィとデネブが部屋にいない。あの二人は父の命令かわからないけれど、王宮内を歩くようになった。歩く場所に制限があるらしいのだが詳細は知らない。しかし未だにレヴィ語を話せない二人が王宮内を歩いた所で、わかる事などあるのだろうか? 父の考えている事も私にはわからない。だけど私は二人がいない時を見計らってやりたい事があったので、早速行動に移した。
「イネスさん、これをスティーヴンさんに持っていってくれませんか?」
私は手紙をしたためてイネスに差し出した。手紙を封筒に入れた後は封印をするのがレヴィでは普通のようだ。シェッドで手紙など書く事がなく知らなかった私に、スティーヴンは封印印章をくれた。貰った時は何の花かわからなかったけど、今は薔薇だと知っている。何故王妃殿下と同じ花を選んだのかは聞いていないがわかっている。どうしても私は王妃殿下と仲良くなってはいけないらしい。
「スティーヴン様に、ですか?」
「えぇ。殿下の事で内密にご相談があるのです。彼なら相談に乗ってくれると思いますので」
そう言うとイネスは頷いて持っていってくれた。いくらシルヴィとデネブが侍女の仕事をしていると言っても、所詮父からの指令を受けているに過ぎない。今でも私に子供を産ませようとしているが説得力は一切ない。言葉の端々に自分が産みたいという雰囲気が感じられる。しかしこの三年、殿下の女性との付き合いは変わらないのに誰も妊娠したとは言わない。子供が要らないのではなくて出来ないのかもしれないとも思うけど、そのような失礼な事は言えないし、こういう場合原因は女性に押し付けられるというのはどこの国でも変わらないだろう。
暫くしてスティーヴンが扉をノックして室内に入ってきた。イネスはどこに行ったのだろうと思いながら、彼にソファーに座るよう勧める。
「ナタリー様、あの手紙の内容は本気でしょうか?」
「そうですが、何かおかしかったでしょうか?」
チャールズが亡くなってから殿下の態度がおかしいのは、多分スティーヴンなら気付いていると思って手紙を書いたのだが、彼は少し怒っているような雰囲気がある。怒らせるような事は何も書いていない。ただ、殿下の心を癒せるような心優しき女性を探して欲しいとお願いしただけなのに。私の足りない頭ではそれ以上の事は考えられなかった。
「おかしいではありませんか。何故ナタリー様が私に殿下の側室を探すような事をお願いされるのですか」
「私では力不足だからです。私に遠慮をしないで側室を迎えるようにと殿下に進言して下さい」
「それは私の仕事の範疇ではありません。もし仮に殿下が側室を迎えたいと思っておられるのなら、ナタリー様に遠慮など致しません。殿下はそういう方です」
殿下が私に遠慮をする必要はないし、する気もない。先日までは私もそう思っていた。しかしあの夜、殿下は私に遠慮をした。それなのに私は殿下に暴言を吐いた。咎められなかったからこそ私はまだこの王宮に居られるのだろうけど、きっと私の顔なんて見たくないはずだ。その為にはあの寝室で寝る権利を別の女性に譲る必要がある。側室が誰もいないと私は寝室で寝なければいけないのだから。
「そういう女性、今まで御一人もいらっしゃらなかったのですか?」
「私が知る限りではいません」
スティーヴンはきっぱりと否定をした。結構長く仕えているはずなのに側室候補に気付かないのは信じられないから、そもそもいないと思った方が自然だ。だけどあれだけ不特定多数の女性と関わっているのに、一人もいないというのはおかしくないだろうか?
「それよりもナタリー様、今は別の事を考えて頂けませんか?」
「別の事とは何でしょう?」
私にとって今一番大切なのは殿下の事なのだけれど。吐いた暴言は取り消せないので、出ていけと言われれば出ていく覚悟は決めたけれど、今の様子のままの殿下の傍を離れたくない。せめて殿下の心が癒えるのを確認してからがいい。
「シェッド帝国にて皇帝陛下の即位祝賀会が催されます」
「祖父が亡くなったのですか?」
「えぇ。本日使者がシェッド帝国より到着致しました。国王陛下の代理として殿下が参加されるはずですから、勿論ナタリー様にもご同行して頂く事になります」
私はもう二度とシェッドへ行かなくてもいいと思っていたのに、嬉しくもない父の皇帝即位を祝えというの? そんな気分にならない。しかしいくら私が信用されていないとはいえ、祖父が亡くなった事も知らせては貰えないのか。祖父に可愛がられた記憶はないけれど、私にルジョン教の聖書を与えてくれた事には感謝をしていたのに。
「その祝賀会はいつ頃になるかは伺っていますか?」
「移動日を考えるならばあまり出立までに時間はないと思います。馬車が山脈を越えられない以上、どうしても遠回りをする必要がありますから」
「まさか、その馬車に私と殿下が二人きりで乗るという事はありませんよね?」
「まさかも何もお二人だけになります。従者は同乗出来ません」
「それならば殿下だけの馬車にして下さい。多分シルヴィとデネブも同行しますよね? 私はそちらで構いませんから」
王宮内では夜会など夫婦一緒でいる必要がない限り、顔を合わせない生活をしている。それなのに私と同じ馬車で移動だなんて殿下があまりにも可哀想だ。
「手紙の内容から気になってはいたのですが、殿下に何かご不満でもあるのですか?」
「私に不満はありません。ですが殿下の事を思うならば側にいるべき女性は私ではない事くらい、スティーヴンさんもわかりますよね?」
「それは殿下が判断されるべき事であり、私が意見出来る内容ではありません」
スティーヴンはいつも表面的に逃げる。多分レスター家はシェッドと仲がいいのだから、私が男児を産む事を望んでいるのだろう。それなら私が殿下を避けるのは都合が悪いのだろうが、殿下の側近ならば殿下の気持ちを最優先して欲しい。
「それに殿下の公式の場での振る舞いは、ナタリー様が一番おわかりかと思います。馬車を別にされると思われますか?」
側近ならではの言葉に、私は返す言葉を見つけられなかった。公式の立場で出かける以上、殿下は私の良き夫を演じる。私も良き妻を演じなければならない。殿下の心が弱っている時に何て都合が悪いのだろう。祖父の亡くなった時期の悪さに文句を言いたいくらいだ。私に出来る事は殿下の心が癒えるのを邪魔しないように近付かない事だけなのに、それさえも許されないなんて。本当に役に立たない自分が憎い。




