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殿下の為に出来る事

 私は最近寝室に本を持ち込む事にしている。昼間はシルヴィやデネブがいて読書に集中出来ないというのもあるけれど、殿下が夜遅くまで仕事をしているのに私だけゆっくり寝るのも気が引ける。読むのは難しい話ではなくて最近貴族女性の間で流行っている恋愛小説だけれど、夜会で会話をする時に役に立つので馬鹿には出来ない。


 本を抱えて寝室の扉を開けた時、人影が見えて驚いた。すぐにそれが殿下だと気付いたけれど、時間はまだ午後九時半過ぎ。殿下が寝室に来る時間ではない。私は静かに扉を閉めると頭を下げた。


「申し訳ありません。殿下がいらっしゃるとは思いもよらず、ノックもせずに開けてしまいました」


 殿下はいないものだと思っているので、寝室に入る時ノックをする習慣などとうの昔に忘れていた。殿下はこちらに背を向けたままベッドに腰掛けていて、動こうとはしなかった。


「いや。気にしなくていい」


 殿下の声がいつもと違う気がする。私より先に寝室にいる事など今までなかった。きっと何かがあったのだろう。しかし殿下が腰掛けているのは私が寝る側。そこに座られていると私が寝られないのだけど、殿下はそれを承知で腰掛けているのだろうか? もしかして私に何か話したい事でもあるのだろうか?


「どうかなさいましたか?」

「いや。気にせず寝てくれていいよ」


 そう言われても私が寝る場所に腰掛けているのは殿下なのだけれど、もしかしてそこまで気が回っていないのかしら? 確かに大きなベッドだし、枕を変えたら逆でもいいのかもしれないけど、三年も同じ場所で寝ていたから逆というのも落ち着かないし、そもそも殿下が腰掛けている横で寝るのもおかしい気がする。私は抱えていた本をベッドの脇机の上に置いた。


「もし宜しければお話を伺います。話して楽になる事もあるでしょうし、決して他言しない事をお約束致します」


 殿下の顔を覗いてはいけない気がして私は背後から声を掛けた。殿下が無言のまま重い沈黙が寝室内に漂い始めた頃、弱々しい声が私の耳に届いた。


「誰にも言わない? 私の側近にも君の侍女や実家にも」


 何故そこに殿下の側近や侍女が出てくるのかわからないけれど、噂話になるとよくない話なのだろうか? だけどシルヴィやデネブに言えなくて、私にだけ言えるという事なら喜んで聞きたい。殿下と秘密を共有出来るなんて夫婦みたいだから。


「殿下が望まない事は致しません」

「それはつまり私が望めば、ナタリーが望まない事でも受け入れるという事?」


 また難しい質問が来た。その質問に正解はあるのですか? 何と答えても機嫌を損ねるような気もするけれど、殿下が機嫌を損ねているような顔をしたのは見た事がない。


「殿下が望むのでしたら、私が受け入れられない事はないと思います」


 出ていけと言われると辛いけれど、殿下が望むなら仕方がない。殿下に辛い思いをさせるのは本望ではないから、私の顔が見たくないのなら去るしかない。


「シェッドでは夫の言いなりになるのがいい妻なのか? レヴィは違うよ」


 答えを間違えた? だけど普通は夫を立てるのが妻の役目ではないの? 勿論私は殿下を立てられる程の事は出来ないけれど。もしかして私が役立たずだと言われているのかしら?


「申し訳ありません。指摘して頂ければ直すよう努力を致します」

「いや、私は君に期待をしていないから好きにしていい」


 はっきりと期待をしていないなんて言わないで。背中を向けているからといって、言っていい事と悪い事があると思うのだけど。一応私なりに頑張っているのに、殿下に認めて貰えてはいなかったのか。三年もあったのに距離が縮まらないはずだ。殿下の理想は何だろう? 期待されていないという事は、私では到底届かない程に高い理想なのだろうか?


「今日チャールズに会ったそうだね」


 急に話題が変わった。しかもチャールズに会ったと何故知っているの? それをもしかして追及に来たの? 勝手に関わった事を怒られる、もしくは機嫌を損ねて文句を言われるの?


「はい、少しだけお話をしました」

「何を話したの?」

「ルジョン教の事などです」


 別に口止めされていないから何を話したか全て言っていいのだろうけど、それで兄弟間が余計に拗れても困るし、ここは当たり障りのない事で誤魔化そう。嘘は言ってない。言わない事は嘘ではない。


「そう。チャールズは亡くなったそうだよ。表向きは病死になるけど、毒を呷ったらしい」


 私は目を見開いた。昼間会った時は死にそうな感じはなかった。儚そうだとは思ったけれど、自殺をするような人には見えなかった。


「原因は私だ。私は人殺しになってしまった」


 兄の事を宜しくお願いしますというチャールズの言葉はこういう事? 自分を責めるであろう殿下を助けろと言う意味? 私には荷が重い。初対面の義姉に何て役目を押し付けるの。


「そのような事はありません。殿下は何もしていないではありませんか」

「そうだ。何もしなかった。救済出来たであろうに放っておいた。関わらなかった。少しでも兄弟らしく接していたら違う結果になったかもしれないのに、何もしなかった」


 殿下の声はまるで自分を責めているみたいだった。もしかしたら泣いているのかもしれない。それか泣けなくて苦しいのかもしれない。私はベッドに乗ると膝立ちの状態で殿下を後ろから抱きしめた。


「兄弟でもわかりあえない事はあります。私は兄とはわかりあえません。どうかご自分を責めるのはよして下さい」

「ナタリーは侍女ともわかり合えていなさそうだよね」

「それは異母姉なのでまた別です。血が半分違えば遠いのです」

「私とチャールズも血が半分違う。父親が違うから」


 驚いて殿下を抱きしめる手の力が緩んだ。母が違うならわかる。父が違うなんて事は許されない。チャールズ第二王子が国王陛下の息子ではないなんて、そのような事はあっていいはずがない。


「チャールズの父は大叔父だ。母は自分の叔父と関係を持った。そのせいか病弱でね。私はこの異父弟にどう接していいかわからず避けてきた」

「殿下は何故その事実を御存知なのですか?」

「私が五歳の時そう母に言われた。聞いた時は意味がわからなかったし、私に嘘を言っているのかと思っていた。しかしチャールズの遺言状を読んで事実だとわかった」


 殿下の母親は頭がおかしかったのだろうか? 悪口は言いたくないけれど五歳の子供に言うべき事ではない。確かにそのような母親なら殿下を育てられるはずがない。側室の方が育ての親になるのは仕方のない事だったのだろう。


「巻き込んで悪い。だが吐き出さないと気持ち悪くて」

「いえ。この事は決して誰にも話しません」


 話せるわけがない。いくらもう亡くなったと言えど、このようなありえない話を他人の私がしていいはずがない。だけどこのような秘密を私にだけ打ち明けてくれた事が嬉しいと思ってしまうのだから、私もありえない神経をしているのかもしれないけれど。


 殿下は優しく私の腕を解いた。振り返った殿下の顔にいつもの笑顔はない。


「戻るよ。寝るのを邪魔して悪かったね」


 立ち上がろうとする殿下の腕を私はとっさに掴んでしまった。殿下が不思議そうな顔をしている。


「そのような状態では仕事が捗らないと思いますので、今夜はもうおやすみになられた方が宜しいと思います」

「仕事が捗らないのはわかっているよ。君が寝た後で戻ってくる」


 どういう意味だろう? 私が起きていると都合の悪い事でもあるのだろか?


「私はすぐ寝ますから。不都合でしたら私はソファーででも寝られますし」


 この高級なベッドで寝る事に慣れてしまったけれど、シェッドの部屋にあったベッドよりはソファーの方が柔らかい。一晩くらいならきっと問題なく寝られる。


「王太子妃はソファーで寝ないよ。気にしなくていいから先に寝て」


 殿下の表情がいつもと違い過ぎる。作り笑顔をする余裕がないのだとしても、あまりにも辛そうだ。そんな辛そうな殿下に私は何も出来ないの?


「その辛そうな表情を見てしまったら寝付けません。何も出来ないかもしれませんけれど、私は殿下の妻です。殿下の苦しみを和らげる為に、何か私に出来る事があれば仰って頂けませんか?」


 殿下の表情が歪んだ。私の言いたい事が伝わらなかったのか、余計なお世話だから黙っていろと思われているのか。それでもそのように辛そうな表情の殿下を、一人にしてはいけない気がする。


 殿下は私の腕を払うと私をベッドへと押し倒した。そして覆い被さってきた。顔が近い。こんな時だというのに近過ぎて恥ずかしいとしか考えられない。どうしよう、頬が赤いかもしれない。おかしい女だと思われないだろうか?


「今私の精神状態は普通ではない。君を傷付ける」


 そう冷たい眼差しで告げると殿下は起き上がった。私は慌てて起き上がり、部屋を去ろうとする殿下の腕を再度掴んだ。


「私を傷付ける事で殿下の苦しみが少しでも和らぐなら、いくら傷付けて貰っても構いません。私は痛みには結構慣れていますから、何をされても耐える自信があります」


 私は必死に殿下の腕を掴む手に力を入れた。蹴られたり虐げられたりするのには慣れている。殿下の中のやるせない何かが少しでも和らぐのなら何をされてもいい。どうせ三年も殿下の役に立たなかった。今、役に立たなければきっと一生役に立たない。


「そのように生易しいものではない。君の心に深く傷が残る。一生後悔する」

「何もしない方が後悔します。殿下は何故ここにいらっしゃったのですか? 私に何かを望んでおられるから、この時間にいらっしゃったのではないのですか?」


 殿下が自嘲気味に微笑んだ。作り笑顔ではない微笑が、不謹慎ながら綺麗だと思う。


「そうだね。ナタリーなら私の望む事を何でも受け入れてくれるだろうと思って来た。だが君の顔を見て考え直したから腕を離してくれないか?」

「それは、私では何も出来ないという事でしょうか?」

「いや、無関係の君を巻き込むのは違うと思ったから」

「無関係ではありません。私は殿下の妻です」


 悔しくて殿下を睨んだ。わかっている。殿下にとって私の存在など何の意味もない事くらい。それでも悔しかった。私の顔を見て考え直すなんて、私がそれほどまでに無能だとでも思ったのだろうか。確かに何も出来ないけれど、言ってくれたら何でもするのに。


「ナタリーは愚かだね。政略結婚の妻というものはもっと冷めているものだ。そのように感情を晒してはいけない」

「殿下も愚かです。お辛いのでしたら私を気遣う必要などありません。政略結婚の妻くらい利用されたら宜しいのです」


 どうしよう。必死だったから言い過ぎた。愚か呼ばわりして許されるはずがない。このまま追い出されるかもしれない。だけどもういいか。殿下が自殺は困ると言うから生きていただけで、殿下に不要と言われてまでここに残っても仕方がない。チャールズ、折角声を掛けてくれたのに何も出来ない残念な義姉でごめんなさい。


 殿下に手首を強く掴まれて私は殿下を掴んでいる手を離した。あぁ怒らせた。私は何故こんなに人の気持ちがわからないのだろう。普段怒らない人を怒らせられるとか、どうしてこんなに役立たずなの。追い出されて当然だわ。


 そんな事を考えていると殿下に再びベッドへと押し倒された。そして殿下が私を跨いで左手を私の顔の横についた。


「挑発したのはナタリーだから、傷付けられたと後で訴えても聞かないよ?」


 あれ? 怒ってない? よかった。追い出されなくて済むなら何でもいい。


「大丈夫です。私は結構頑丈に出来ていますから」

「色気も何もないね。まぁ、期待はしていないけど」


 色気? 殿下は私に何を求めているの? 色気なら私に求める事が間違っている。私は蹴られたりするのは慣れているけれど……

 殿下の唇が私の唇に触れて思考は遮られた。そのまま何も考えられず、ただ殿下を受け入れた。

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