第64話 番(Side:Rayshield)
右手を前に、左手を後ろに構え、大女に半身を向ける。
「名前を教えてくれ。知っているとは思うが俺はライシールドだ。これだけの腕前の相手に名乗らないのは、武人に対して失礼だった」
大女は油断なく斧槍を構えながら、嬉しそうに歯を見せて笑う。
「良いね、ライシールド。男前過ぎて思わず惚れちまいそうだよ!」
後ろで「ちょっと! ライ様はわたくしの……!」と焦った声を上げるロシェに意地の悪い顔を向けると、大女は名乗りを上げる。
「我が名はバーリー! この集落の副女王第三席にして女王親衛隊隊長! ライシールドよ! いざ参るぞ!」
大分聞き捨てならないことを言いながら、バーリーが突進してくる。問い質したい気持ちをひとまず封印して彼女の突進を迎え撃つべく身構えた。
突き出された斧槍を右手の長剣で弾き上げ、斧槍の柄に当てて滑らせるようにしてその下を掻い潜りバーリーに接近する。
バーリーは無理に押さえつけようとせず穂先を上げると石突きで下から掬い上げるようにライシールドの右手の剣を下から跳ね上げようとするが、事前にそれに気づいたライシールドが左手の長剣を下から迫る石突きを上から押さえつけ、そのままさらに接近する。
焦ったバーリーが一旦退こうと後ろに跳ぶが、左手の長剣を斧刃に引っ掻けてバーリーの後退を阻害する。そのまま左手を後ろに引き、その勢いも乗せて後退も許されぬバーリーにまた一歩接近する。右手の長剣をバーリーの喉元目掛けて突き出し、勝負がついたかに見えたところで彼女は賭けに出た。
退けないならば進むまで、と首を捻りながら強引に前進する。ライシールドの長剣はバーリーの左頬に裂傷を付けながら通過していく。
身体ごとライシールドにぶつかり、双方その勢いで弾き飛ばされて距離が開く。バーリーは左頬に傷を受け、ライシールドは吹き飛ばされた衝撃で右腕を強く打ち、痺れて力が上手く入らない。
しかし、見えないところで勝負はついていた。
「……私の敗けだ。これじゃあ斧槍は振れないねぇ」
斧槍を左手で掴んで、崩折れそうになる身体を支えている。右手は脇腹に添えられており、隙間からボタボタと血が流れ落ちる。
「治癒薬だ。効果が薄いやつだがそのくらいの傷なら十分だろう」
銀の腕輪から薄い色の治癒薬を取り出すとバーリーに差し出した。バーリーは疑うことなく薬瓶を受けとると一気に飲み干す。
「ほう、多少痛みは残るけど、この程度なら問題ないな」
右腕を回し、傷の具合を確かめる。多少の引き攣れはあるが、特に動きを阻害されるほどではない。
「あそこから引き際に当ててくるとは思わなかった。あれは流石に避けきれんよ」
バーリーと激突した際、当たる寸前に斧槍を押さえつけていた左の長剣を横に払い、彼女の右脇腹を切り裂くことに成功した。その時無理をしたせいで姿勢を崩し、右手をおかしなぶつけかたをしてしまった。あそこで傷が浅かったら、もしくはあの傷を押して攻撃を続けられたら、苦境に立っていたのはライシールドの方だったかもしれない。
「まあ、あれは運が良かっただけだ。外していたら敗けは俺だったかもしれない」
「運も実力ってやつなんだろうな。こんなことを言う日が来るとは思わなかったが、実際体験するとそれも真理だとよく解る」
バーリーがニヤリと笑い、ライシールドは肩を竦めて返した。短い一戦の間に、二人の間には奇妙な空気が流れていた。
「あんた本気で私と番になる気はないかい?」
「ちょっ! 待ってください、バーリー姉様! 何を仰ってらっしゃいますの!?」
事も無げにとんでもない事を言い出すバーリーに、ロシェが思わず声を上げる。彼女は豪快に笑うと冗談だよ、と言うが半分本気のような目をしている。
「ライでいい。悪いが俺には目的がある。バーリーの事は嫌いじゃないが、ここで旅を終える選択肢はない」
「そうかい。振られちゃったねぇ」
少し残念そうに肩を竦める。ロシェはほっと胸を撫で下ろすと、ライシールドの側によって右手をとると訊いた。
「先程から見ていましたら右腕をお痛めのご様子。この程度の打撲と痛みなら、わたくしの癒しの術でもどうにかできそうです。使わせていただいても宜しいですか?」
「大したことはないんだが、そうだな。せっかくだからお願いしようか」
この後アティ達と合流した後、腕に痛みが残っていては剣を降るときに支障が出る。治して貰えるのならやってもらった方がありがたい。
「痛痒緩和、打撲治癒」
痛みが和らぎ、右腕の内側が微熱を発して温かくなる。
「これでほぼ完治したと思いますわ。念のため今日一日は無理なさらずに」
「ああ、助かる。ありがとう」
ライシールドが感謝を口にすると、ロシェは完爾と笑った。同期中のレインはその笑顔を見て、アティ達に強力な恋敵が現れた事を感じ取る。当のライシールドがどう思っているかはともかくとして。
「蟻地獄殺しの勇者よ。そなたの力、しかと見させて頂いた。我が自慢の娘をああも見事に下されては納得せざるを得んな」
いつの間にか闘技場内に降りてきていた女王が、護衛を連れてライシールドの前までやってきた。更に少し離れた後方には、山のような大男が数人の護衛とともに待機している。
「ロシェ、蟻人種に男は産まれないんじゃなかったか?」
後方の大男を見ながら、横のロシェに訊いた。
「基本的にはですけれどね。女王が次代の女王の為に産む事はあります。ですが、あの方は違いますわよ。そもそも蟻人種ではありませんし」
確かに、体格もそうだが蟻人種の外見的特長である鎧骨格を装着していない。爬虫類と思しき鱗を繋ぎ合わせた鎧に身を包み、両腰には一メルはある戦斧を一本ずつ下げている。
「あれは我が愛しの伴侶だ。見ての通り蟻人ではない。無論人族でもないぞ」
心なしか得意げに女王が胸を張る。ライシールドはその伴侶の力を計りかねていた。強いのは間違いない。恵まれた体躯に圧倒的な気配。女王の伴侶足るに相応しい力を持っているのは確実だ。だがその底がまったく見えない。
(あれは……ちょっと今は勝てそうに無いな)
あれと戦うならまだ女王と戦う方が楽そうだ。いや、楽ではないが。と言うか勝てるかは微妙だが。
「さて、我と我が伴侶の話はいい。して蟻地獄殺しの勇者よ。どちらを所望だ? お前ならどちらでも条件には合致しておる」
「あー、バーリーはさっき断った。ロシェについてだが、誤解があるようだから先に言っておくが、別に俺はあいつが欲しい訳じゃないぞ。ロシェが連れて行ってくれと言うからそれを許可しただけだ。そこに問題があるなら置いていく。後はそちらで説得なり監禁なりしてくれ」
取り合えずまずは誤解を解くことから。ライシールドは真実をそのままに女王に伝える。
「何? クロシェットの報告とは随分と話が違うな。どういうことか説明せよ」
女王はロシェに鋭い視線を向ける。彼女は若干怯みながらも、目を逸らさずに返答する。
「わたくし、ライ様と行くと決めましたの! どちらにしてもわたくしはこの地を出る身。ならばこの身を預けるに相応しい者が現れた今を逃す訳には参りません!」
「別にここを出るのは構わんが、要らぬ誤解を招いたお陰でバーリーが若干その気だがどうするつもりだ?」
ロシェは慌てて対面の姉を見る。悪いことを思い付いたと言わんばかりの黒い笑みを浮かべると、つつ、とライシールドに近寄り耳打ちする。ライシールドが頷くのが見えた。
「私がここを出てライと一緒に行こう。ライもそれで良いと言ってくれている」
「そ、そんなっ!」
衝撃に固まるロシェに、ライシールドが止めの一撃を放つ。
「そうだな。腕も良いし変な小細工は使わなそうだ。バーリーとなら旅も楽しくなるだろう」
がっくりと膝をつくロシェの肩に手を置いて、バーリーは晴れやかな笑顔で「冗談だよ」と告げた。
「回りくどいことをせずに、きちんと正面から行く方が良さそうだぞ。あの男は」
こっそり耳打ちして「頑張れよ」と肩を叩く。
「悪かったな。試合前の話の意趣返しのつもりだったんだが、ちょっとやりすぎだったか」
悪戯が成功しすぎてばつが悪くなったライシールドが謝る。ロシェを連れていくと言う約束は守るから安心してくれと続け、彼女はようやく安堵の吐息を漏らした。
「わたくしこそ申し訳ありませんでした。おかしな事を考えずに正面から向かい合うべきでした。お母様、少々宜しいでしょうか」
ロシェはライシールドに謝罪し、次いで女王に向き直った。
「なあライ。本気で私も行くっていったら、連れていってくれたかい?」
ロシェが女王と話をしている間に、バーリーが訊いてきた。ライシールドは当然といった風にその問いに答える。
「俺は嘘を言ったつもりはない。バーリーは強く真っ直ぐで、共に旅をすれば良い相棒になっただろう。番がどうとか言うのは俺の事情で無理だが、一人の同行者として見ればバーリーを拒む理由はないな」
ライシールドに真っ直ぐ答えられて、バーリーは面食らう。女王に正式な許可を出してもらうために奮闘中のロシェを見て、深く溜め息を吐いて脳内に沸き上がった“一緒に行きたい”と思う気持ちを追い出すように首を振った。
彼女の立場はそんなに軽くない。親衛隊の隊長にして第三位の副女王と言う立場は、一時の感情で棄てられるほど安くはないのだ。お母様が許しても自分自身がそんな無責任な行為を許せない。その辺り末席の責任が薄いロシェが羨ましかった。
「そうか、これが普段からロシェが言っていた“不自由の自由”って事なのか」
権力も地位もない事をなんとも思わず、寧ろその方が好きに出来ると嘯いていたロシェをただの強がりだと思っていたが、今こうして地位に縛られる自分を思うと、その自由さが羨ましく思えた。
「ライ、ロシェをよろしく頼むよ。あの娘はしっかりしてるが世間知らずだ。蟻人自体も外の世界をよく知らないしな」
「ああ、その辺はどうとでもするさ。俺もレインに頼りきりだから偉そうなことは言えないがな」
「レイン?」
バーリーは問う。レインなる者は一体誰なのか。
「ご挨拶が遅れました、バーリー様。私が先程の話に出ましたレインと申します」
同期を切って懐から出てくると、レインはライシールドの肩の上で会釈した。
「妖精憑きだったのかい。ますます勇者様だねぇ」
バーリーはライシールドの肩の上のレインに「妹をよろしく頼むよ」と軽く頭を下げた。
「ライ様! 正式にお母様の許可を頂きましたわ!」
ライシールドの下に戻ってきたロシェの手には一振りの長剣があった。ロシェはそれをライシールドに差し出す。
「ライ様の倒された蟻地獄の牙を削り出して作った長剣です。折れたシミターの代わりが必要かと思い、作らせていたそうです。お納めください」
ライシールドの為に作らせていたらしい。折れたシミターの代わりとしては申し分ない。有り難く頂戴した。
その後女王にロシェの同行を正式に依頼され、ライシールドはそれを受けた。目的を達した後、気が向いたら番になってやってくれ、と言われたときは流石に言葉に詰まった。返事はせずとも良いと言われてほっとしていると、バーリーに背中を叩かれて「しっかりな」と激励された。
闘技場を出て水路に移動する。船で水聖の杯を目指す。
アティ達は無事に辿り着くだろうか。それだけが気掛かりだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。