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甘味と制圧

四月の午後の風は、少しだけ湿り気を帯びていた。

 駅前の広場。放課後の開放感に浸る学生たちの群れの中で、良太は自分の「耐久13」の低さを改めて呪っていた。

「……なぁ、結衣。見てくれよ、この青空。絶好の『ダンジョン日和』だと思わないか?」

「思わない。今日は『絶好のクレープ日和』。それ以外は認めません」

「……はい」


良太は、腰にない同田貫の重みを思い出して、空いた右手を無意識に握り込んだ。

 本来なら今頃、二層のひんやりとした冷気の中でアイアンビートルの装甲をどう対処するか、実戦を通して検証しているはずだった。一昨日、筋力を29まで上げた。その「馴染み」を確認するのに、今日ほど最適な日はなかった。

 それなのに、今自分の目の前にあるのは、甘い香りを漂わせる行列と、ピンク色のエプロンを着た店員さんだ。

(くそっ……。この行列に並んでいる三十分で、あと二匹はビートルを狩れたはずだ。甲殻二つ。換金すれば千円ちょっと。クレープ代を払ってもお釣りがくる……)

 良太の脳内は完全に「レベリング脳」に侵されていた。周囲から見れば、美少女と放課後デートを楽しんでいる幸運な男子高校生にしか見えないだろう。しかし、本人の内面は、効率を最大化できないストレスでギリギリと軋んでいた。

「……良太、また変な計算してるでしょ」

 結衣が、ジト目で見上げてきた。

「えっ、いや、そんなことは……」

「顔に出てる。ダンジョンの敵の事とか考えてる顔。……あんた、最近ちょっとおかしいよ。二週間前までは、あんなに『学校で目立ちたい』とか『センターに立ちたい』とか、痛い中学生みたいなこと言ってたのに」


結衣の言葉に、良太は言葉を詰まらせた。

 確かにそうだ。十八歳の誕生日を迎えるまでの自分は、選ばれし探索者になって、クラス中から「四条様」と崇められる未来ばかりを妄想していた。醜いまでに肥大化した承認欲求。それが、自分の原動力だったはずだ。

 だが、実際にダンジョンに足を踏み入れ、鋼の重みを知り、命のやり取りを経験した。

 筋力29、俊敏21。

 その数値の裏側にあるのは、何万回と繰り返した「面」の残像と、折れた剣への悔しさ、そして自分の「非才」を埋めるための泥臭い反復だった。

「……目立ちたくないわけじゃないよ。でも、なんて言うか……。ダンジョンの中は、嘘がつけないからな」

 良太は、自分のまだツヤツヤと輝く前髪を無意識に掻き上げた。

 「赤木みたいに『期待』を語るだけじゃ、ネズミ一匹殺せない。自分がどれだけ積み上げたか、それだけが結果になる。……それが、意外と心地いいんだよ」

 結衣はしばらく無言で良太を見つめていたが、やがてふっと、柔らかく微笑んだ。

「……ふーん。まあ、そういうストイックな良太も、嫌いじゃないけどね。……あ、次、私たちの番だよ!」

注文したのは、例の『限定チョコバナナスペシャル』。

 手渡されたそれは、良太の想像を絶する代物だった。

 何重にも巻かれた生クリームの塔に、キャラメルソースでコーティングされたバナナ、そしてこれでもかと散らされた砕きチョコ。

「……重い。これ、刀より重いんじゃないか?」

「大げさ。ほら、溶けないうちに食べる!」

 ベンチに座り、良太は意を決してその「山」に食らいついた。

 瞬間、脳を直接殴りつけるような強烈な糖分が全身を駆け抜けた。

「……っ! 甘い……。なんだこれ、美味しい……」

 一週間、湿った土と鉄の匂いに囲まれていた鼻が、今は甘いバニラの香りに包まれている。良太は、自分がどれだけ神経を尖らせていたかにようやく気づいた。

(……そうか。俺、思っていた以上に『詰めて』たんだな)

 非才だから、一秒でも早く。その焦りが、知らず知らずのうちに日常の感覚を麻痺させていた。結衣がくれたこの時間は、再び戦いへ飛び込むための、最高の休息だった。


――その平穏が、一瞬で切り裂かれた。

「泥棒! ひったくりよ! 誰か止めて!!」

 悲鳴。

 広場の向こうから、黒いフルフェイスヘルメットを被った男が、女性のバッグを抱えて猛烈な勢いでこちらへ走ってくるのが見えた。男は人混みを強引に掻き分け、良太たちの座るベンチのすぐ横を通り抜けようとする。

 周囲の学生たちが呆然と立ち尽くす中、良太の意識は、クレープの甘い霧を突き抜けて、一瞬で「戦闘モード」へと切り替わった。

(……来る)

 男との距離、およそ五メートル。

 逃走する男の速度、歩幅、重心の移動。

 一週間、ネズミより速く、スライムより鋭く動くことを叩き込んできた良太の網膜には、犯人の動きが驚くほど「遅く」見えていた。

 筋力29、俊敏21。

 それは、一般人の限界を遥かに超えた、人外の領域に足をかけた数値だ。

 良太……っ!?」

 結衣が声を上げる暇すらなかった。

 良太はクレープを左手に持ったまま、右足一本で地面を蹴った。

 ――バンッ!

 コンクリートが爆ぜるような乾いた音が響く。

 良太の体は、まるでスプリングを解放したかのような勢いで加速した。

 五メートルの距離が、瞬き一つの間に消失する。

 逃走する犯人が、ヘルメットのシールド越しに目を見開く。何が起きたのか理解できていない。自分の真横に、さっきまでクレープを食べていたはずの少年が、音もなく現れたのだから。

「やあ。逃げるならもう少しレベリングしてからのほうがいいぞ」

「ひぇっ……!?」

 良太は、同田貫の抜刀術の要領で、右手を最短距離で突き出した。

 犯人の襟足を掴み、そのまま「筋力29」の出力を調節して引き出す。

「ぐえっ……!?」

 良太は流れるような動作で犯人の腕を捻り上げ、地面へと押し倒した。

 ズダンッ!

 圧倒的なパワーで押さえつける。

「あ、がっ……離せっ! このガキ……っ!」

「動くなよ。……これ以上暴れると、手首、折れるぞ」

  良太は犯人の腕をロックしたまま、左手のクレープを優雅に一口食べた。

 周囲の静寂が痛い。広場全体が、何が起きたのか分からず静まり返っていた。

 そこには、フルフェイスの男を足蹴にして完璧に制圧しつつ、西日に輝くツヤツヤの美髪をなびかせ、クレープを味わう謎の高校生がいた。

「……え、今の、何?」

「速すぎない……? 探索者かな?」

 良太は内心でニヤついていた。

(……これだ! これだよ! 全員が俺を見てる! 注目ヘイトが俺に集中している! これこそが主役の特権……!)


承認欲求モンスターが歓喜の咆哮を上げる。良太は無駄にかっこいいポーズを取りながら、駆け寄ってきた警察官に犯人を引き渡した。

「……ふっ。市民の安全を守るのも、探索者の義務ですから(キリッ)」

「…………バカじゃないの?」

 冷ややかな声がした。

 見ると、結衣がベンチで、顔を真っ赤にしながら自分の顔を両手で覆っていた。

「あ、結衣! 見た!? 今の俺の『縮地』ばりのステップ! 筋力と俊敏が噛み合った完璧な――」


「いいから黙って! 恥ずかしい! クレープ持ったままドヤ顔するのやめて! ほら、行くよ!」

 結衣に強引に腕を引かれ、良太は広場から連行されることになった。

 駅の改札前。

「……良太、あんたねぇ。あんな目立つことして……」

「いや、でも助かったって言われたし。……それにほら、俺、強くなっただろ?」

 良太が少し自慢げに力こぶを作って見せると、結衣はふっと毒気を抜かれたようにため息をついた。

「……まあ、確かにすごかったけど。……なんか、一週間前とは別人みたい。……あんまり、変なところへ行かないでよね」

 結衣の少し寂しそうな、でも安心したような声。

「…………せっかくの、デートだったのに」

 結衣が、ボソッと呟いた。

 それは、駅の喧騒に紛れて消えてしまいそうな、消え入りそうな小さな独り言だった。

「……え? ごめん、なんて言った?」

 良太は聞き返した。

 「……なんでもない! ほら、もう帰るよ! 置いていくからね!」

 (こえー…けどなんていうか覇気がない……怒らせたかな。……守ったつもりだったんだけど、難しいな)

 良太は、未だにツヤツヤと輝く髪を一度だけ掻き上げた。

 明日、二層に。

 今日得た「日常」の余韻(と、ちょっとしたモヤモヤ)を糧に。

 四条良太の「積み重ね」は、どこか切なさを孕みながら続いていく。

(とりあえず帰ったら、SNSで『駅前の美髪ヒーロー』って検索して……いや、それより結衣に謝りのLINEを送るか……なんて言えばいいんだ?)

 四条良太、レベル17。

 最強への階段を登る一方で、彼はまだ、隣にある日常を守る方法を模索していた。

読んでいただいてありがとうございます! まだまだ頑張るのでよろしくお願いします!

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