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『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第76話 守られるだけの女ではない

 歓迎の夕べ本番の朝、アリア・フォン・ルーヴェルトは、鏡の前でいつもより少しだけ長く自分の顔を見ていた。


 緊張はある。

 それは否定しようがない。


 王宮の正式な歓迎の席。

 北方貴族の若い子弟たち。

 限られた規模とはいえ、王宮の内側と外側、両方の目が集まる場だ。

 しかも今の自分は、ただ招かれるだけの公爵令嬢ではない。

 皇太子レオンハルト・エーヴェルシュタインの隣へ立つことを前提に、席次補助と来客応対の一部を担う役目を持っている。


 そして、分かっている。

 今日もまた、誰かは自分の失敗を待っている。


「お嬢様」


 背後で髪を整えていたリナが、小さく声をかける。


「本日は、お顔が昨日までと違いますわ」


「どう違うの?」


「怯えていらっしゃるというより、決めていらっしゃるお顔です」


 その表現に、アリアは鏡越しに少しだけ口元を緩めた。


「そう見えるなら、少しはましね」


「はい。とても」


 守られるだけではない。

 ただ見つけてもらうだけの女ではない。

 そうありたいと願ってきた。


 なら、今日こそ試されるのだろう。

 王宮の毒が静かに回るなら、自分も静かに返すしかない。


 馬車の中、アリアは前夜に書き込んだ確認事項を頭の中で繰り返していた。


 控え札の照合。

 席表本体と侍従側写しの一致。

 女官の動線。

 来客名簿の敬称。

 若い令嬢側の待機列。

 予備の装飾品。


 ひとつずつ、落ち着いて確かめる。

 誰かが仕掛けてくる前提で考える。

 疑いすぎず、だが信じすぎない。


 王宮へ着くと、空気はすでに張りつめていた。


 表向きは静かだ。

 だが、控えの間を行き交う女官たちの足音も、侍従たちの囁きも、どこか一段速い。

 公式の場前特有の緊張に混じって、今日は別の熱もある。


 ルーヴェルト嬢がどう立つのか。

 そして、何か起きるのか。

 そういう気配が、目に見えぬまま漂っていた。


「ルーヴェルト嬢、おはようございます」


 女官長補佐が近づいてくる。

 その顔はいつも以上に引き締まっていた。


「おはようございます。本日の最終確認をお願いいたします」


「ええ」


 さっそく席表本体を受け取り、アリアはその場で侍従側写しとの照合を求めた。

 周囲の女官が一瞬だけ目を見開く。

 たぶん、ここまで細かく初動から確認を入れるとは思っていなかったのだろう。


「こちらを」


 侍従が紙を差し出す。

 アリアは自分の控えと三つ並べ、目を走らせる。


 最初の二列は問題ない。

 三列目。

 四列目――。


「……ここです」


 アリアは静かに指先を置いた。


「北方のリーゼン侯家の令嬢付き添い位置が、外側になっております」


 女官長補佐が身を乗り出す。


「本来は内側ですわね」


「はい。外側ですと、給仕動線と重なります。しかもこの席順ですと、隣席の若い伯家令嬢が主位のように見えます」


 場の空気がぴんと張る。


 露骨ではない。

 だが十分に悪質だ。

 若い侯家令嬢へ無礼を働かせ、しかもその原因を“補助役の確認不足”へ落とし込める配置だった。


「すぐに直します」


 女官長補佐が言う。


「いいえ、待ってください」


 アリアはすぐに止めた。


 今ここでただ直すだけでは足りない。

 また同じことが別系統で残っているかもしれない。


「この列だけの誤りではない可能性があります。席次に関わる家格順と動線優先の両方を、もう一度全体照合しましょう」


 その声は落ち着いていた。

 感情を乗せず、しかし迷いなく。


 女官長補佐は一瞬だけアリアを見つめ、それから力強く頷いた。


「その通りです。全体、もう一度見直します」


 周囲が一斉に動く。


 その最中、端にいた年長の侍女の一人が、ごくわずかに顔色を変えたのをアリアは見逃さなかった。


 ――やはり、誰かはいる。


 だが今は追わない。

 今はまず、場を崩させないことが先だ。


 全体照合を進めると、案の定、あと二箇所に小さな不自然さが見つかった。


 一つは給仕順の札。

 本来なら先に下げるべき皿の順が一組だけ逆になっている。

 これでは給仕が一瞬もたつき、主卓側の視線を集める可能性がある。


 もう一つは、アリア自身の控え位置だ。

 半歩ずれて書かれており、そのまま立てば来客側から“皇太子の前へ出すぎる”形になる。


 どちらも、大事故にはならない。

 だが、“感じが悪い”“分をわきまえない”“王宮の流儀を知らない”と思わせるには十分すぎた。


「本当に、丁寧ですこと」


 思わずアリアの口から漏れたその言葉に、リナが小さく息を呑む。


「お嬢様」


「大丈夫。怒ってはいないわ」


 怒りはある。

 でも、それを見せる必要はない。


 その代わりに、アリアは女官長補佐へ向き直る。


「確認表の最終版を三系統ともここへ集めてください。今この場で、私も立ち会って署名の前に照合します」


 女官長補佐は少しだけ驚いた顔をしたあと、すぐに頷いた。


「承知いたしました」


「それと、控え札の差し替えは侍従側の前で行ってください。口頭ではなく、書面で残したいのです」


 周囲の空気が変わる。


 ただ防ぐだけではない。

 今後同じことがあった時に“今回は偶然だった”と逃げられぬよう、痕跡を残す。

 それが王宮向きの静かな反撃だと、アリアはもう理解していた。


 歓迎の夕べ本番は、そうして整え直された流れの上で始まった。


 若い北方令嬢たちは緊張しつつも礼を保ち、若い貴族子弟たちは王宮の静かな圧に少しだけ背筋を伸ばしている。

 その中で、アリアは過不足なく自分の位置へ立った。


 出すぎない。

 しかし引きすぎもしない。

 必要な時だけ半歩前へ出て、女官へ合図を送り、席の乱れを整える。


 給仕順は乱れない。

 控え札の混線も起きない。

 若い侯家令嬢の案内も、最初から最後まで自然だった。


 途中、以前なら揺れただろう場面もあった。

 北方伯家の夫人が予定外に娘を伴って主卓側へ近づこうとした時、アリアは静かに角度を変え、女官の動線と視線誘導で無理なく待機位置へ戻させた。

 誰も恥をかかない。

 だが、場は崩れない。


 それを遠目に見ていた王宮側の年長女官が、ほんのわずかに目を細めたのを、アリアは感じた。


 会が終わる頃には、朝から張っていた神経がようやく少し緩んだ。

 けれど同時に、自分の中にある種の静かな手応えも残っている。


 ただ耐えたのではない。

 整えた。

 そして、相手の毒を飲まずに返した。


 控えの間へ戻る途中、女官長補佐が小さく声をかけてきた。


「ルーヴェルト嬢」


「はい」


「本日、非常に助かりました」


 それだけ。

 だが、それ以上の言葉は要らなかった。


「皆様が動いてくださったからです」


 アリアがそう返すと、女官長補佐は少しだけ口元をやわらげる。


「いいえ。場を読む目は、教えてすぐ身につくものではございません」


 それを聞いた瞬間、胸の奥がひどく静かに満たされた。


 守られるだけの女ではない。

 その実感が、今日ようやく自分の中にも形を持ったのかもしれない。


 小会議室へ入ると、レオンハルトはすでに待っていた。


「どうだった」


 いつもの短い問い。

 アリアは少しだけ息を吐く。


「静かな毒は、今日もありました」


「だろうな」


「でも、今回は先に気づけました。しかも、一箇所ではなく複数」


 レオンハルトは黙って聞いている。

 その視線が、続きを促していた。


「だから、ただ直すだけではなく、照合と差し替えの流れを残しました」


 そう言った瞬間、ユリウスが隣でわずかに目を上げた。


「……なるほど」


 その一言が、評価の色を帯びていた。


「相手に“次も簡単には崩せない”と示したのですね」


「はい」


 アリアは静かに頷く。


 レオンハルトはしばらく何も言わなかった。

 やがて、低くはっきりと言う。


「それでいい」


 その言葉だけで十分だった。


「君はもう、“守られるだけの女”ではない」


 胸が、ひとつ大きく鳴る。


 言われたかった言葉だ。

 きっと、ずっと前から。


 悪役令嬢として裁かれた時、自分は何もできなかった。

 婚約を切られた時も、ただ耐えるしかなかった。

 でも今は違う。


 守られている。

 それは確かだ。

 けれど、それだけではない。


「……ありがとうございます」


 声が少しだけ熱を帯びたのが、自分でも分かった。


 レオンハルトはわずかに目を細め、それから続けた。


「今後、相手はもっと巧妙になる」


「ええ」


「だが今日ので分かったはずだ。君は、ただ立っているだけではない」


 その一言が、今日一日の疲れを報いるようだった。


 歓迎の夕べの夜。

 静かな毒を、静かなまま返した夜。


 アリアはようやく、自分がこの場所で“共に立つ側”へ近づきつつあるのだと実感していた。

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