第59話 王宮で与えられる責任
数日後、アリア・フォン・ルーヴェルトは再び王宮の小会議室に呼ばれていた。
今日は茶会でも晩餐でもない。
室内の空気はいつも以上に実務的で、机の上には複数の資料が整然と並べられている。窓から差し込む午後の光も、どこか冷たく見えた。
レオンハルトはすでに席についていた。
その隣にはユリウス。
さらに王宮側の女官長補佐らしき女性が一人いる。
ただならない、とアリアはすぐに察した。
「来たか」
レオンハルトが言う。
「はい」
「今日は、次の公式行事についてだ」
やはりそうだ。
アリアは静かに席につく。
胸の奥で、緊張が少しずつ形を持ち始める。
レオンハルトは無駄な前置きなしに続けた。
「来月初め、北方貴族の若い子弟を交えた歓迎の夕べがある」
「はい」
「規模は大きくない。だが、内々に今後の王宮行事へ関わる家を見極める場でもある」
つまり、ただの社交ではない。
将来の人脈と立ち位置を測る場。
「そこで君に役目を持ってもらう」
アリアは息を呑む。
また“同席”ではない。
今度はさらに一歩進むのだと、言葉の響きだけで分かった。
「役目、とは」
女官長補佐が資料を一枚、アリアの前へ滑らせた。
「若い令嬢側の席次補助、女官との連携確認、ならびに一部来客応対の補佐です」
アリアは紙へ視線を落としたまま、一瞬だけ言葉を失った。
思っていたより重い。
ただ立って微笑むだけではない。
席次補助。連携確認。来客応対。
それはもう、“皇太子の隣にいる令嬢”という見た目の問題を越えている。
実務だ。
「私に……務まるでしょうか」
思わず出た言葉は、思っていたより小さかった。
レオンハルトはそれを聞いても表情を変えない。
「務めてもらう」
静かな断定。
だが、無理を押しつける響きではない。
「もちろん最初から完璧は求めない」
今度はユリウスが補足する。
「ただ、今回はかなりはっきりと“役割を与えられた立場”として周囲へ認識されることになります」
認識される。
その重さを、アリアは紙の文字より先に胸の方で感じていた。
ここまで来ると、もう“皇太子が気にかけている令嬢”では済まない。
王宮側が、自分を一つの歯車として使い始める。
それがどういう意味か、貴族社会で育ったアリアには分かる。
「……本格的ですわね」
小さくそう言うと、レオンハルトが頷いた。
「そうだ」
「失敗すれば」
「失敗しても終わりではない」
即答だった。
けれど、その直後に彼は続ける。
「だが、見られる」
その一言が現実だった。
甘やかしはしない。
失敗しても終わらない。
でも、見られる。
その冷静さが、この人らしい。
アリアは資料を見つめながら、ゆっくりと呼吸を整える。
怖い。
もちろん怖い。
だが、ここで尻込みしたくない気持ちもある。
悪役令嬢として切られた自分。
噂に振り回された自分。
そのどちらでもない、自分の役目を持った立場へ進みつつあるのだ。
「やります」
気づけば、言葉は口から出ていた。
女官長補佐の眉がわずかに上がる。
ユリウスは横目でレオンハルトを見る。
そしてレオンハルトは、ほんのわずかに目を細めた。
「そうか」
短い返答。
だが、その中には小さくも確かな肯定があった。
「では詳細を詰める」
そこから先は、ほとんど実務の時間だった。
どの位置に立つか。
誰と誰の間に女官を入れるか。
若い令嬢たちへの目配りはどの程度必要か。
無理に全員を覚える必要はないが、最低限、絶対に取り違えてはならない家はどこか。
聞けば聞くほど、これは“ついていくだけ”の役ではないと分かる。
王宮で生きる女たちは、こういう細かな積み重ねで信用を作るのだろう。
失敗しないことではなく、失敗を減らし、立て直し、周囲を乱さぬこと。
それは意外なほど、アリアの性分に合う気がした。
派手に笑って空気をさらうことは得意ではない。
だが、細かな意味を読み、整えて立つことなら、これまでずっとやってきた。
説明が一段落したあと、女官長補佐が席を外し、ユリウスも資料整理のために別室へ移った。
部屋にはアリアとレオンハルトだけが残る。
静かな沈黙のあと、アリアがぽつりと言った。
「少しだけ、意外でした」
「何がだ」
「もっと華やかな役目なのかと思っておりました」
レオンハルトはわずかに目を細める。
「華やかなだけの役なら、君を使う意味がない」
その言葉に、アリアは息を呑んだ。
使う意味。
冷たいようでいて、今の彼から言われると不思議なほど冷たくは感じない。
「君は目立つことより、場を崩さず整える方に向いている」
レオンハルトは淡々と続ける。
「だからそこから入る」
その評価は、アリアにとってひどく正確だった。
自分は可愛らしく誰かの注意を引くタイプではない。
派手に場をさらうことも得意ではない。
だが、空気の流れを読み、必要な位置へ自分を置くことなら出来る。
「……殿下は、本当に人の見方が容赦ありませんね」
「そうか」
「ええ。でも」
アリアは小さく息を吸った。
「ちゃんと見ていてくださるのですね」
その言葉に、レオンハルトは一瞬だけ黙った。
「当然だ」
返答は短い。
けれど、その“当然”は以前よりずっと重い。
アリアはその場で少しだけ視線を落とす。
怖い気持ちは消えない。
でも、それ以上に、認めてもらえたことが嬉しい。
ただ隣に立つだけではなく、役目を与えられる。
それは責任であると同時に、信頼でもある。
「……失敗を待つ方も、いらっしゃるのでしょうね」
ふと、そんな言葉が口をついた。
レオンハルトは否定しなかった。
「いる」
「やはり」
「特に王宮の中はな」
その現実もまた、この人は隠さない。
「だが」
レオンハルトは低く続けた。
「君はその程度で潰れるように見えない」
その一言が、アリアの胸へ深く落ちた。
潰れるように見えない。
それは期待でもあり、信頼でもある。
そして何より、自分の傷ごと見た上での言葉だ。
悪役令嬢にされたあの日から、少しずつ、少しずつ積み上げてきたものがある。
それがようやく、王宮の中で“役目”という形を持ち始めた。
王宮で与えられる責任。
それは甘くない。
だが、逃げたくもなかった。




