表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/127

第55話 見られた夜の波紋

翌朝、アリアは目を覚ました瞬間から、妙な胸騒ぎを覚えていた。


 何かが起きる。

 そんな確信めいた予感がある。


 夜の庭園で交わした言葉と、触れた指先の温度を思い出した瞬間、頬がまた少し熱くなる。

 あれはほんの一瞬だった。

 けれど、一瞬で十分すぎるほど大きかった。


 だからこそ――見られていたとしても、おかしくはない。


 そう思った次の瞬間、自分で自分の考えに少しだけ息を呑んだ。


 まさか。

 でも、王宮だ。

 夜の庭園が完全な二人きりの場所であるはずもない。


 その予感は、学園へ着いてすぐ現実になった。


 正門をくぐった瞬間から、いつも以上にざわめきの質が違う。

 昨日までの“次の立場”を探る空気ではない。

 もっと生々しい。


 親密だ。

 かなり。

 そういう方向の熱。


「見た方がいらしたらしいわよ」

「夜の庭園で、二人きりだったとか」

「回廊の奥で、すごく近い距離で……」

「本当に、そこまで?」


 アリアの足が一瞬だけ止まりかける。


 やはり。

 完全に見られていたのだ。


 しかも、どこまで見られたのか分からない。

 手に触れたところか。

 それとも、もっと手前からずっとか。


「……最悪だわ」


 思わず小さく呟くと、すぐ横から明るい声が飛んだ。


「いいえ、最高ですわ」


 振り向けば、エレノアが満面の笑みで立っていた。


「何を言っているの」


「だって、皆様もう“親しい”では済まないと分かっていらっしゃるのですもの」


 それはそうだろう。

 だが当事者としては、朝からそんなふうに言われて平然としていられない。


「かなり恥ずかしいのだけれど」


「お顔が赤いですわ」


「言わないで」


「でも、今朝の噂は本当にすごいですのよ。“王宮内でかなり親密らしい”“殿下がもう隠していない” “ルーヴェルト様も受け入れていらっしゃる”……等々」


 受け入れている。

 その表現に、アリアの胸がまた騒ぐ。


 否定はできない。

 でも、そんなふうに他人の口から言われるとやはり落ち着かない。


 教室へ入ると、空気が一段濃くなる。

 数人の令嬢たちは明らかに目を輝かせ、別の何人かは嫉妬を隠しきれず、さらに別の子たちは困惑したようにアリアを見ている。


 昨日までの“公の関係かもしれない”から、今朝は“私的にも近いらしい”へ。

 その差は大きかった。


「ルーヴェルト様……」

「昨夜、王宮で」

「その……」


 何人かが声をかけようとして、結局言葉を選びきれずに止まる。


 アリアは席へ着いてから、深く息を吐いた。


「これは、予想以上だわ」


「見られたのが王宮の女官か令嬢か分かりませんけれど」


 エレノアは声を潜めて言う。


「どちらにしても、意図して広げたのではなくても、この早さですもの。かなり“意味のあるもの”として受け取られております」


 意味がある。

 その通りだ。


 夜の庭園で二人きり。

 しかも、ただの立ち話ではなく、近い距離で。

 王宮の噂としては十分すぎる燃料だろう。


「……殿下は、意に介されないのでしょうね」


 アリアが小さく言うと、エレノアは少しだけ唇を尖らせた。


「その“意に介さない”ところが、余計に皆様をざわつかせるのです」


 たしかにそうだ。

 慌てて火消しをすれば、“何か誤解があるのかもしれない”となる。

 だがレオンハルトは絶対にそうしない。

 それどころか、むしろ“見られて困るなら最初からしない”とでもいうような顔をする人だ。


 午前の授業が終わり、昼休みに入る頃には、噂はさらに形を変えていた。


 令嬢用サロンで、アリアが席に着くや否や、遠くの輪からわざと聞こえるように囁きが飛ぶ。


「やはり、正式な発表は近いのではなくて?」

「だって、夜の庭園ですもの」

「公の場ではなくて、私的な距離でしょう?」

「もう本命なのは明らかですわよね」


 その“本命”という言葉に、アリアはカップへ伸ばした手を一瞬止めた。


 本命。

 噂としてはあまりに俗っぽい。

 けれど、その俗っぽさが今はひどく現実味を持つ。


 エレノアがその様子に気づき、小さく言う。


「気にしては駄目ですわ」


「分かっているわ」


「本当に?」


「……少しは気になる」


「でしょうね」


 そこへ、今度はあからさまに面白くなさそうな顔をした伯爵令嬢が近づいてきた。


「ルーヴェルト様」


「何でしょう」


「少々お伺いしたいのですけれど」


 やはり、来た。


「昨夜のこと、いろいろな噂がございますでしょう?」


「ええ」


「もし本当だとしたら……あまりに早すぎるのではなくて? 王宮の内でそのような親密さをお見せになるのは」


 口調は丁寧。

 だが、本質ははっきりしている。


 妬ましい。

 羨ましい。

 そして、“それは少しはしたないのでは”と形を変えて刺したい。


 アリアは相手を見つめながら、ゆっくり答えた。


「噂には、事実と誇張の両方が混じるものです」


 伯爵令嬢の眉がわずかに動く。


「では、否定なさらないのですか」


「全てを、とは申しません」


 そこまで言うと、サロンの空気が一段揺れた。


 完全否定しない。

 その一点だけで、もう十分すぎる意味がある。


「でも」


 アリアはカップを置き、静かに続ける。


「それが不謹慎かどうかを決めるのは、噂を面白がる周囲ではないと思っております」


 伯爵令嬢が言葉を失う。


 エレノアは横で、いかにも満足そうな顔をしていた。


 今のアリアは、もうただ逃げるだけではない。

 切り返し方も、少しずつ変わっている。


 その日の放課後、レオンハルトからの呼び出しは予想より早く来た。


 小会議室へ入ると、彼は開口一番こう言った。


「朝から騒がしかっただろう」


 まるで当然のように。


 アリアは小さくため息をつく。


「……ご存じだったのですね」


「予想はついた」


「意に介さないどころか、最初から読んでおられたと」


「そうだ」


 あまりにも淡々と認められ、今さら怒る気にもなれない。


「では、昨夜あの場所を選ばれたのも」


「完全に見られない場所は、最初から選んでいない」


 その一言に、アリアは言葉を失った。


 見られない場所は選んでいない。

 つまり、どこかで誰かの目に触れること自体は折り込み済みだったのだ。


「……殿下、本当に」


 ようやく声を絞り出す。


「そういうところが、ずるいです」


「何度目だ、その評価は」


「何度でも申し上げます」


 アリアがそう返すと、レオンハルトの口元がかすかに緩んだ。


「今朝の反応は」


「かなりでした」


「困ったか」


 その問いに、アリアは少しだけ考える。


 困った。

 もちろん困った。

 恥ずかしかったし、落ち着かなかった。

 だが、それだけではない。


「……少し」


「少しか」


「はい。少し、困りました」


 わざと強調すると、レオンハルトは短く息を吐く。


「それなら、まだましだな」


「どういう意味ですか」


「完全に嫌なら、君はもっと怒る」


 その指摘があまりに正確で、アリアは返す言葉に詰まる。


 たしかに、もし本当に嫌だったなら、自分はもっと強く拒んでいたはずだ。

 困る。恥ずかしい。落ち着かない。

 でも、それでも昨夜のことを後悔してはいない。


 むしろ、どこかで大事に抱えてしまっている。


「……それを、本人が言ってしまうのですね」


「君も本人の前でそういう顔をするだろう」


「どういう顔でしょう」


「今のような顔だ」


 まただ。

 この人は本当に、こちらがどんな顔をしているかばかりよく見ている。


「殿下は、火をつけるだけでなく、そこを見るのもお好きなのですね」


「好きというより、必要だから見ている」


「必要」


「君がどこまで耐えられて、どこから支えるべきかを見ている」


 その返答に、胸の奥がじんと熱くなる。


 ただ面白がっているのではない。

 見せつける夜を作る一方で、その反動で自分がどこまで揺れるかも見ている。


「……本当に、かなわないわ」


 小さくそう漏らすと、レオンハルトは静かに言った。


「かなわなくていい」


 アリアはゆっくり顔を上げる。


「そうやって、すぐ逃げ道を塞ぐのはおやめください」


「塞いでいるつもりはない」


「では何ですか」


「君が戻る場所を作っている」


 その言葉は、昨夜庭園で言われたことの延長だった。


 余裕をなくした時、戻る場所はここにある。

 その約束を、この人は言葉の形を少しずつ変えながら、何度もこちらへ渡してくる。


 見られた夜の波紋は、朝からアリアをひどく揺らした。

 だがその揺れの中で、自分がどれだけこの人の言葉に救われているのかも、またはっきりした。


 王宮も学園も社交界も、きっとこれからもっと騒がしくなる。

 それでも、もう引き返したくはない。


 そう思ってしまうほどに、アリアは少しずつ深く、この関係の中へ足を踏み入れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ