表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/127

第53話 弱音を吐ける場所

 弱音を吐きたければ、今のうちに吐け。


 その言葉は、アリアの中でしばらく意味を持たずに漂っていた。


 弱音。

 そんなものを、自分が人前で、しかもこの人へ向けて吐けるだろうか。


 悪役令嬢の汚名を着せられた時でさえ、最初はまともに泣けなかった。

 婚約を切られた時も、痛みを言葉にするより先に、立っていなければと思った。


 そんな自分にとって、弱音はいつも“吐く前に飲み込むもの”だった。


 だから、すぐには何も言えない。


 廊下の窓から入る午後の光が、二人の間に静かに落ちている。

 王宮の奥の回廊は静かで、遠くで女官たちの足音が小さく響くばかりだ。


 レオンハルトは急かさなかった。

 ただ待っている。


 その“待つ”という姿勢そのものが、アリアにとっては大きかった。


「……少しだけ」


 ようやく声にすると、自分でも驚くほど小さな音だった。


「少しだけ、ではないかもしれません」


 レオンハルトが視線を向ける。


 それでも、何も言わない。

 だから、続けられる。


「今日のあの場は……正直に申し上げますと、とても疲れました」


「そうだろうな」


「皆様、笑っていらっしゃるのに、ずっとどこかで切られているようで」


 言葉にするごとに、自分の中の重みが少しずつ形になる。


「若い令嬢たちに嫉妬されるのは、まだ分かります。ですが、今日は違いました。私は、好かれたいわけでも媚びたいわけでもないのに、それでも“認められなければいけない”ような気がして……」


 そこで初めて、アリアは自分が何に疲れていたのかを理解した。


 認められたいのではない。

 だが、認められぬままでは、次の場に立つたびまた同じように測られる。

 その終わりのなさが、重いのだ。


「……怖いのです」


 その言葉が出た瞬間、胸の奥に詰まっていたものが少しだけほどけた。


「また何か足りないと言われるのではないかとか。傷のある令嬢はやはり駄目だと思われるのではないかとか。そういうことばかり考えてしまいます」


 情けない、と一瞬思う。

 せっかく自分の足で立つと決めたのに。

 それでも、言わずにはいられなかった。


 レオンハルトはそれを最後まで黙って聞き、やがて低く言った。


「当然だ」


 その一言に、アリアは少しだけ目を上げる。


「当然、ですか」


「君はいま、社交界の噂の中心から、王宮の目の中心へ移ろうとしている」


 淡々とした声。


「疲れない方が不自然だ」


 その返答は、慰めではない。

 だが、慰めよりもずっと救いがあった。


 平気でいられないのは弱いからではない。

 むしろ当然だと、この人は言う。


「私は」


 アリアは少し迷い、それでも言葉を続ける。


「強くありたいのです」


「そうだろうな」


「でも、強い人になりたいのと、平気なふりをするのは違いますよね」


 その問いは、自分自身への確認でもあった。


 レオンハルトはごく小さく頷く。


「違う」


 短い。

 だが、確かな肯定。


「君は一人で立てとは言った」


 その声が少しだけ低くなる。


「だが、一人で耐えろとは言っていない」


 胸の奥が、じんと熱を持つ。


 一人で立て。

 自分の意志で選べ。

 そうやって前へ押し出してくる人だと思っていた。


 でも違う。

 押し出すだけではない。

 そこに立つために、どこで力を抜いていいかも教えてくれる。


「……ずるいお言葉です」


 思わずそう漏らすと、レオンハルトの目がわずかに細くなった。


「何がだ」


「今のようなことを、何でもないようにおっしゃるから」


 そう返すと、彼はほんの一拍だけ黙った。


「何でもないわけではない」


 その返答に、アリアは息を呑んだ。


「君が潰れると困る」


「それは、役目の上で……?」


 わずかに意地悪な問いだった。

 だが聞きたかった。


 レオンハルトはすぐには答えない。

 その沈黙だけで、胸が少し騒ぐ。


「役目だけなら、ここまで気にしない」


 ようやく返ってきたのは、そんな言葉だった。


 役目だけなら。

 それはつまり、今この瞬間もまた、義務だけではない何かが含まれているということだ。


 アリアは視線を伏せる。


 嬉しい。

 ひどく。

 そして、その嬉しさを自覚するたび、もう引き返せないのだと分かる。


「……弱音を吐いて、少しだけ楽になりました」


 小さくそう言うと、レオンハルトは当たり前のように答えた。


「ならよかった」


「殿下は、こういう時も淡々としていらっしゃるのですね」


「泣きそうな顔をしている相手に、私まで慌てても仕方がない」


 その返しに、アリアは思わず目を見開く。


「泣きそうに、見えますか」


「見える」


 即答だった。


 あまりに迷いなく言われて、少しだけ頬が熱くなる。


「……本当に、よくご覧になっているのですね」


「そうだな」


 その一言が、なぜか妙に甘く聞こえた。


 王宮の女たちの視線は冷たい。

 社交界の目は計算高い。

 誰もが立場と価値を測ってくる。


 けれどその中で、たった一人、この人だけは“今の自分”を見てくれている。

 そこが違う。

 その違いが、自分をこんなにも救うのだ。


「今夜は、もう何も考えるな」


 レオンハルトが言う。


「難しいお願いですね」


「難しくてもそうしろ」


 また命令口調。

 でも、その強さが今はありがたい。


「代わりに、明日また立て」


「はい」


「今日の疲れを、明日まで引きずりすぎるな」


「努力いたします」


 アリアがそう返すと、レオンハルトの口元がかすかに緩んだ。


 ほんのわずかな変化。

 けれど、それが見えただけで、胸の重さが少し軽くなる。


 弱音を吐ける場所。

 それは今のアリアにとって、何より大きな意味を持ち始めていた。


 守られるだけではない。

 甘やかされるだけでもない。

 それでも、ちゃんと立てるように息をつける場所がある。


 悪役令嬢にされた頃の自分には、そんな場所がある未来など想像もできなかった。


 回廊の窓の外では、夕方のやわらかな光が庭の木々を照らしている。

 その光の中で、アリアはようやく自分の肩から力が抜けるのを感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ