1つの因縁の終わり
血の跡はまるで少し時間を置いた絵の具のようになっており、粘着質だ。歩くために足を持ち上げるとぬちゃっと音がする。どれだけ出血から時間が経ったか、触ってみると冷たい。そう遠くない位置には居るが角を曲がったらすぐレベルの近さにはいないだろう。歩きながら話しかける。
「なぁ。」
『なに?』
「今、俺はどんな顔してる?」
少しの沈黙があった後。
『貴方の思ってる通りの顔してるわ。』
「覗き見したか?」
『してないわ。』
出来るだけ平静を取り繕っていたが、感情が滲んでいたらしい。自分の敵という特異な立場の奴には一言では言い表せない複雑な思いがある。復讐心───いやリベンジ精神と表すべきか───、痛みと死への恐怖、戦いの決着への高揚、討ち果たした先への期待。
「もう一つ聞いていいか?」
神は無言だった。俺はさっさと言えという意思とくみ取った。
「俺がここで死んだら、俺をお前の人生──神生の間、覚え続けてくれるか?」
先ほどの質問とは対照的に神は即答した。
『覚えるわけないじゃない。どれだけ長く生きてると思ってるの。この程度で死んだのなら、この話自体失敗だったってすぐ記憶から抹消するわ。』
「そうか。──あんたはいつも俺の望んだ言葉を言ってくれるな。」
『そりゃそうでしょ。私を誰だと思ってるの?貴方の神様よ?』
「…そうだったな。感謝しとくか俺の信じるべき神様に。」
『できれば何時でも何処でも常時感謝してくれないかしら。』
「なかなか厳しい提案だな。」
俺が元々は無神論者だからか、いつもどこでも神に感謝する感覚がない。
「今まで考えてなかったが、神様はどんな視点で俺や周りを見てるんだ?」
『基本的に銛を中心にして世界を見てるわ。たまに貴方視点でも見てるけど。信者視点で世界を見ると、感覚が違って違和感だからあまり見ないのよね。』
話をしていたら、濡れた靴のように重たかった歩みが軽やかになった。ただ、それと同時に地面に付いた血は鮮やかさを増し、粘度が落ちている。迷宮の薄暗い通路の先にうつ伏せに倒れているものが見えた。
「うげ」
『肩から脇腹まで綺麗に引き裂かれてるわね…』
あのボス部屋にいた豚人より、少し小さめの個体が倒れていた。削られた時に飛び散ったであろう、血飛沫の跡が壁を斑模様にしている。足に負傷を負いながらも、たったの一撃で豚人を沈めたのだろう。爪痕以外の傷跡は見当たらなかった。豚人は非常に耐久力に優れている。筋肉の上に脂肪があり、骨が太い。急所の首元や鳩尾は脂肪が厚く、心臓や肺を守る肋骨は非常に太くて硬い。攻撃を当てやすい胴体への攻撃は、致命傷になりづらく、四肢は筋肉と丈夫な骨と厚い脂肪で守られている。その豚人を胴体への一撃だけで殺害する、あの腕は正に殺人級だ。
死体の観察が終わり、また歩を進める。迷宮の狭くて薄暗い通路を歩く。
「…これからどうなるだろう。」
自然に漏れた一言だった。
『その「これから」の範囲も、「どうなる」の想定も知らないけどね。貴方の行く先、流れた先は貴方だけの景色よ。』
俺は口を開けなかった。
豚人の死体からそう離れていない所で、遂に3回目の相対となった。しかし、今回は戦いは起きなかった。
ぐったりと倒れている熊。今思えば血があれだけ地面に流れ続けていたのだから当たり前だ。石晶棘は石の棘が歩くたびに内部で折れて、肉を抉り止血を遅らせる。今も血が少量流れている。
『湧水』
保健として水を生成しておく。
こちらに気づき、ぐらつきながらも立ち上がったが随分辛そうだ。濁った金色の目がこちらを見ている。今までの殺意も、殺したはずの敵が生きていることの驚きも、恨みも、何もかもが濁ってしまって見えない。痛みに耐えかねて膝を折った。
遂には倒れた。だがまだ、こちらを見ている。小さく、唸り声のような鳴き声を出した。以前の底冷えするような声ではなく、「重さ」のない、空っぽの鳴き声だった。それは長く続いた。────鳴き声がきこえなくなった。
なぜだが、俺は開かれたままのその金色の目から目をそらせなかった。
沈黙が流れる。自身の目を閉じる。目を開いて、熊に近寄り目を閉じさせる。
どれだけ時間が経ったか分からないが、その沈黙の帷を破ったのは、あの偽宝箱だった。
「…思ったより早かったな。」
触手には小鬼の死体が数体と首のない豚人が取り込まれている。恐らく新しい獲物を探すために徘徊していたら血の跡があり、それを辿ってきたのだろう。
「ちょうどいいか。」
静寂を打ち破られたとき、なぜだか少しイラッとした。だからちょうど今まで、対熊用に取っておいた最大火力をぶつける。
『呼び水』
水が消費される。今回の増加倍率は相当高い。だから長い間、神法に頼れない。しかしただの銛だと貫いてもダメージが少ない。だからこその形態変化だ。
今回変更するのは、ガス銛だ。ガス銛は、内部にあるガス線を点火させることにより銛を加熱し、肉を焼く。再生されるのは承知の上、火傷を負わせることにより再生時間を長くさせる。
前回の戦闘で触手を『潮流彩断』で斬りまくったからか、不用意には伸ばしてこない。ジリジリと距離を詰めてくる。
全力で銛を投擲する。肉塊に深く突き刺さり肉が焼ける。更にダメージを与えるために、ガスを噴出させて小規模の爆発を起こす。銛が爆発の衝撃で触手から抜ける。
やはり火傷は治せない、または治しづらいのか粘液が集まって、色が濃くなっても黒く変色した跡が残っている。
火傷の跡があるところに、再び銛を突き刺すと火傷した部位から、再生した肉が綺麗に剥がれ落ちた。再生を諦めたのか今度は粘液が集まらない。
触手を地面に這わせるように伸ばしてくるが、その悉くを突き刺し、焼く。偽宝箱は焼けて使えなくなった触手を自ら切り離し、触手を再生させる。
更に、新たに触手を生成して、地面に這う触手とサイドからの触手、更に上からの触手で苛烈に攻め立てる。
「ふん!」
後ろに下がりながら、銛を薙ぎ払うと上からの触手を断ち切り、焼く。サイドの触手は伏せで避けて、地面の触手は回し蹴りの要領でまとめて蹴り飛ばす。しかし、地面にあった触手の1本が足首に絡みつく。
「うわ!」
蹴った姿勢で、触手に引っ張られたので体勢を崩す。多くの魔物を取り込んだその巨体がゆっくりとこっちに近づいてくる。
だが、こちらのほうが一歩早かったようだ。今までで一番の大きさを持つ、水球が再生成される。
「最大火力で吹き飛ばしてやるよ!」
『ちょっと!』
『蒸噴泉砲』
巨大な水球が爆発し、衝撃波のような暴風と、高温な蒸気を出しながら偽宝箱を飲み込んだ。神様が何か言っていた気がしたが気のせいだろう。
時間が経ってだんだんと視界が明瞭になってくると、生き物として偽宝箱はそこにおらず、背中にある疑似餌の役割をした宝箱の部分を除いて綺麗に吹き飛んでいた。
「はは…」
威力に笑うしかなかった。迷宮の壁すら削れている。
1発で霊素を使い切った。少し休もう。
そうしてしゃがんだ瞬間、足に力が入らなくなった。同時に目眩と吐き気がくる。立ち上がれない。神様が説明するように叱ってくる。
『貴方は自身の死体を器にして使徒となった。人間として復活したわけじゃないわ。霊素を失えば────』
途中から声がノイズのように乱れ、消えていく。復活した時、使徒化に関して、話を最後まで聞かなかった自業自得だ。死んでもしょうがない。
だが生を諦めたわけでも無い。
霊素が少ないということは、魔素と霊素の摩擦による発熱がないはずだ。今なら魔導を使ったって大丈夫だろう。
『石壁』
石の厚い壁が生成されて、俺の周りをドーム状に囲う。余程の馬鹿力持ちでない限り破られないだろう。
真っ暗になった壁内で意識が混濁し始め、そのまま気を失った。
これにて第3章を終わります。遂に迷宮編が終わりました。牛歩の歩みですがよろしくお願いします。
間幕を2、3話と設定を1話挟んで第4章に入ります。




