第42話 声に耳を傾ければ
5月22日 風の日 9時00分 アンナの部屋
「ご飯も食べて体調よし! 素材も揃って準備よし!」
「ふぅ……よし、こっちも準備万端だ!」
錬金釜の近くにテーブルを寄せ、その上にはこれまで苦労して集めた六つの素材が並べられる。
鉄雄はアンナの近くでどっしりと椅子に腰を掛け、傍らには二つのマナ・タンクがありそこから伸びるケーブルと破魔斧は繋がっていた。
「ぼくもいるとはいえ、不安要素は排除すべきだろうから部屋の外で待っているとも」
「ボクも来客が来ないように扉の前に立っているから」
「あ、そうだ! ユールティア、錬金液ありがとね。わたしが気付けなかったことを教えてくれた上に用意してくれて助かった、これが終わったらぜったいお礼するから」
「ふふん、これは先輩たるぼくの施しにすぎないから気にしないでくれたまえ。ただ、どうしてもというのなら後で話を聞かせてもらおうかな?」
「わかった」
「期待しているとも」
玄関の扉が閉められ、沈黙が部屋を支配する。
呼吸音だけが耳に届く静けさは異音や敵意、排除しきれてない失敗要素を索敵する役目もある。
二人の想いは同じ。この特殊状況下における調合を成功させること。警戒しすぎるぐらいで丁度よかった。
「まずは黒霧で素材に付着した魔力を取り除く、同様に釜や棒にも残っていたら吸収……」
口に出しながら指差し確認。ゆるがせな確認作業は絶対にできない気持ちが行動にも反映される。
部屋の中が破魔斧レクスから放たれる魔力吸収の黒霧が足元からゆっくりと水没していくように薄い黒で視界が満たされ始め、アンナも角の先まで沈められる。
そして、多くの人に害なす空間であってもアンナは修行の成果により平然とその場に立っていた。
「う~ん……? 前に黒霧を受けたときと違う気がする……」
「ん? 特に変化とか意識してないはずだが? こうして魔力を吸えてるし気のせいじゃないか? というか虚を使ってるなら感じ方も違うだろ?」
「違う違う、虚を使ってるから余計に感じるの。何て言うのかしら……そう! 毛布で肌を撫でられてるような心地よさなの! 前みたいに噛みついてくるのとは全然違う!」
黒霧の中、得意顔で堂々と胸を張る。
そう口にした表情に鉄雄は安堵を覚えた。なにせ術者本人には黒霧の感覚など分かりようもない。自身の技が余計な負担となっていると分かれば精度は大きく下がり、申し訳なさで精神的負担も跳ね上がっていただろう。
「まあ、居心地が悪くないなら良かった……室内の残留魔力も殆ど吸い取れたはずだ。そして、範囲も……これぐらいで平気か?」
部屋を満たしていた霧の範囲を狭め、釜とアンナを薄い繭のように無駄なくムラなく包み込み安定させる。
「うん、問題無い! そっちも辛くない?」
「ああ、問題無い。いつまでもできそうだ」
鉄雄の返事に一つ頷き、ゆっくり息を吸い、長く吐く。
高鳴る心臓を落ち着かせながら、走馬灯のように思い出される修行の日々を振り返り。覚悟を決めた。
「ふぅ……じゃあ開始よ! まずは魔光石を入れて、底の方に移動したらゆっくりと回転を始めて……熱炎石、冷結晶、エアロストーン、ゴーレムコアを等間隔になるように投入……最後に光飲石を投入……このままゆっくりとかき混ぜ続ける」
一つ一つの動作を丁寧に、間違えないように口に出しながら素材を投入していく。
素材の乗った皿が全て空になると残りは先の見えないかき混ぜ作業。
変化全てを見逃さないように目を皿にして確認し、かき混ぜ棒に込められる力も強くなる。
失敗か成功か、もう二つに一つ。
ここから先はアンナの体力が尽きるか、鉄雄の精神力が尽きるか。どちらかが崩れれば終わる二人三脚が始まった。
「…………」
「…………」
部屋を支配するのは呼吸音と釜の水面が回る音。会話も無ければ、足でリズムを取るような音も無い。
(大丈夫、大丈夫だ……信じてる。後は走り抜ければゴールに到着する! 落ち着けよ、俺……!)
(だいじょうぶ。反応が全然ないけどこれは想定内。魔力反応はない、属性エネルギーは発生していない。だからひたすらかき混ぜるだけ!)
変化の薄さは織り込み済み。
だが、分かっていても緊張は続く。先駆者がいない道を進むということはどこに失敗が潜んでいるのか分からない。
何が起きても初見の情報。自分達の持てる知識を駆使して切り抜けなければならない。
けれど、張り詰めた警戒心とは裏腹に不測の事態に襲われることなく穏やかに進み、時計の長針が一回りする頃には緊張も薄れ両者の心に変化もあった。
(ふぅ……調合が順調かどうかはわからないけど、この調子ならまだまだ余裕がある……タンクの残量もまだ3分の1も減ってない。アンナも綺麗に虚を会得しているから魔力を吸うこともない)
修業の成果が形となっていた。長時間破術を行う為に鍛えたのは体力だけではなく精神も同じ。
変わらない光景に心を乱さないメンタルトレーニングも同様に行われていた。その甲斐あって肩肘張っていた無駄な力が抜け落ち、思考にも余裕ができて見える範囲も広くなる。
優秀な師の下で正しく努力し積み重ねた時間は嘘を吐かない。
(…………)
対するアンナはただひたすらに無心。虚の影響もあり、剥き出しとなった感覚器官により五感に届く全てを受け入れていた。そのおかげか。
「あぁ~いい感じに溶けるぅ~」「働かなくていいのは楽でいい」「魔力が届く限りずっと光続けなきゃならないからな」「これが噂に聞く釜の中か良い暗さだ」「コイツキレイニカイタイシタ」「さて、どんな姿になるのやら」
普段は聞こえないような声が頭に直接響き届いていた。
(……ん? 話し声? テツは……穏やかそうにのんびりしてる。どこから? 念話も違う……)
ペースを崩さず周囲を見渡すが、台所にもベランダにも人はいないことを確認する。
なのに会話は続く、右、左、上と視線を移動させ探索すると自然と発生源は絞られていき、不可思議不可解が予想に挙がる。
(……まさかだけど。釜から? いやいやそんな……いくら物に魂が宿ると言われてもそれは……)
「もう少し早く回してくんねえかな~」「ワカル」
(──っ!? いや、まさか本当に……?)
半信半疑に望みを叶えるように回転速度少し上げると。
「すごい一体感を感じる」「これが1つになるということか」
(!?)
しっかりと反応が返って来た。自分の行動に対して明確な応対が。
「テ、テツ……こっちにこれる?」
「何か問題でもあったか? それとも喉が渇いたか?」
未知の体験によって引き起こされる冷や汗と震え声、鉄雄にはアンナの考えていることは分からずとも表情で何かが起きたことだけは読み取っていた。
故に焦りと不安の連鎖が起きないように落ち着いた言葉でレクス片手にゆっくりと近づく。
「わたしの頬を痛くなるぐらいつねって」
「アンナがそうしたいってことは、本当にやっていいことだよな。少し失礼して……」
剥きたて卵な褐色肌を指で摘まみ、ゆっくりと力を入れる。どこまで強くして良いのか? という不安を胸にナメクジが這うような速度で親指と人差し指の距離を縮め。
アンナの表情が歪んだ瞬間に力を抜いて指を放し、内心で安堵の溜息を吐く。
「いたた……夢じゃないんだ……ついでに少し水ちょうだい」
「わかった……よし、口開けて」
予め用意しておいた水筒にストローを刺し、動きの邪魔にならないように口元に持っていく。ストローの先端を咥えて、ほんの一口吸い上げ渇きを癒し心を落ち着かせる。
頬の痛みは本物、自分は夢に落ちておらず、耳に届いた言葉は紛れもない真実だと理解させられた。
「ふぅ……ありがと」
「他にも何かあったら遠慮なく言ってくれ」
(……アンナのほっぺた初めて触ったけど、あんなに触り心地って良い物なのか? 俺と比べたら砂場とお饅頭ぐらいあるんじゃないか?)
黒霧を維持したまま邪な考えを持ったり別の行動もお手の物。この触れ合いにより心の余裕は大きく広がり、精神的疲労感はリセットされた。少女の肌に触れただけで高揚する何とも単純な男である。
「ふぅ……」
(この声に従ったら反応が大きく変わった……わずかだけど素材同士の繋がりも感じられる……もしかしてこの声に従えば成功する?)
声に従い得た小さな成功、ただ闇雲に回転し続けるだけではダメだと考え、藁にも縋る想いで釜から届けられる声に従い動き始める。
「何か寒いなぁ~」と聞けば釜の温度を少し上げ「ユックリシタイ」と聞けば回転速度を下げる。
まるで素材の従者にでもなったかのように指示に従いかき混ぜていく。
長針が再び一周する頃。大きな変化が訪れようとしていた。
「調合は上手くいくでしょうか?」
「後は2人の問題さ。ぼくらができるのは無事に成功できることを信じて待つだけ。後何時間かかるのかぼくにもわからないが、まあ大丈夫だろうね」
ルティは椅子に座り、セクリは直立不動の姿勢で玄関の前で待機する二人。調合が始まってから状況が状況なだけに進んで会話することはしない。
不安に耐えきれず安心を求めるかのように言葉が漏れる時だけ。そんな緊張を持った心だからこそ、この階層に到着したエレベーターの音がやけに耳に届いた。
「あ、思った通りやってるのね」
「これはキャミルさま。いかがいたしました?」
「ちょっと気になってね。私もここで待たせてもらうわね」
抱えてきた紙袋を床に置いて、二人に連なるように壁に背を預ける。
「作る物にも興味はあるけど。ま、師匠として弟子の成果を確認しに来たところよ。それに魔力が無くなる事態になれば私でも役に立つでしょ?」
「ふむ、中々の手練れとみた。纏ってるのは練り上げられた高密度魔力。抑えていてもそこまで膨れ上がるとはまず見ないね。そんな君が魔力の無い彼の師を名乗るのは中々面白いじゃあないか」
「生徒は授業中じゃないの? ――ああ、あなたが例の天災錬金術士なのね。騎士団にもその噂は届いているわよ」
「ぼくも有名になったものだ……」
キャミルの言葉を賛辞として受け取り得意顔で悦に浸る。ただし決して手放しで褒めた訳ではない。
騎士団は錬金術士全てを把握している訳では無く、優秀な者もしくは危険度が高い者が対象となり覚えられる。ユールティアは後者の側面が大きい。
「どれくらい時間が経ったの?」
「大体2時間過ぎた辺りだね。日が暮れる頃に終われば早い方だと――」
「できたっ!! できたできたできたぁ~!!」
「あうっ!?」
勢いよく開けられた扉、10階全体に届きそうな鈍い衝撃音。まさに予想外の不意の一撃に背中に受けて思わず膝を突いて悶絶するセクリ。
息も荒く興奮し、達成感に満ち溢れたその顔が繰り出した一撃に遠慮なんてものは無い。
「あ、ごめん!? でも、できたの! ちゃんとできたの!」
「早すぎないかい!?」
「タイミングが良かったかしら?」
頭から湯気がでそうな程の高揚状態。完成したと誰もが信じるが、想定以上の早さに自分の目で見ないと納得できない欲求が高まり、前のめり気味に扉からアトリエを覗き見た。
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