第25話 Road to koubaibu
4月27日 水の日 11時55分 錬金学校マテリア 錬金科教室
「で、あるからして。南区の開拓には火薬を一切使わず行われてきたわけですね。破壊の力は使い方を誤れば長い期間残留し動物も寄り付かない可能性も高いのです。現在は立派な酪農地帯となっていますが、そういった苦労があってこそ今の光景があることを忘れないように――」
錬金科の生徒達の授業は錬金術だけではない。普通科の生徒が学ぶ『一般知識』も含まれている。ちなみに一般知識とは言語学、数学、地理、歴史、化学、魔術と言った六つの学問の事を呼ぶ。錬金術だけでなく様々な知識を持ってこそ立派な錬金術士。
無論、一般知識のテストも存在し成績が酷ければ評価は下がる。
(まさかこんなに早くチャンスが訪れるなんて思ってもみなかった……!)
そんな大事な授業であるがアンナの頭はヤキソバパンの入手で頭が一杯となっている。
アンナが購買部でヤキソバパンを手に入れるには複数の条件が必須となる。
まず当たり前だがヤキソバパンが購買部に卸される事。これはセクリという使用人によって何時卸されるか調べてもらい念話で知る事ができた。
もう一つは、お昼休み直前の授業は調合関連では無く一般知識の授業であること。
調合はお昼休みを過ぎることが多く、休憩に入る時間がズレてしまう。そうなっては人気商品で休憩開始五分以内に完売するヤキソバパンは絶対に手に入ることは無い。
(確か、予約とかはできなくてとにかく12時販売開始と同時に手に入れないと……! テツにも念話しておきたいけどお仕事中だったら意味無いし……まさかこんなギリギリにならないとわからないなんて……!)
マテリアの購買部は毎日8時に開店はしている。しかし、限定ヤキソバパンは12時きっかりに販売開始。
昼休憩前の授業中に卸される。セクリも自分の仕事があって常に食堂を見張れる訳ではない。偶然運搬を任されたから念話ができた。
なにより利用できるのはマテリアの関係者のみ。外部の人間や騎士の人間も利用することはできない。生徒と教師がここでの買い物を許される。
筆記用具の価格も他と比べて3割近く安価に購入ができる。平民が多い普通科の生徒にとってはありがたい場でもある。
(でも、本当に競争みたいなことって起きるのかな……? 普段見てないだけでいつも起きてたのかな?)
アンナが疑問を持つのは無理はないが、競争者達は目立たず静かに容赦無く狙う。
早退のふりをして手に入れようとする者、終了間近にこっそり抜け出そうとする者。あらゆる手段を用いられてその手にしようと足掻く者が後を絶たない。
だからこそ何時卸されるのかは不明にされている。授業中に寮の使用人が運ぶと噂されているがその姿を確認できた者はいない。
故に予想をする者が多い。ある者は窓から仄かに香る豊かな香りで判断し、ある者は占星術で、また毎日10キラ片手に確認に行く者もいる。
現時点でアンナは情報戦という意味では一歩先に進んでいる。
これは欲しがりや達の小さな戦争。なにせこのヤキソバパンの前では身分の差は覆ると言われている程の逸品。
(あともう少し……緊張してきた……!)
時計の針の音が大きく耳に届きそうな程、時に意識を持っていかれていた。
改めて位置関係を説明しよう。
アンナがいる錬金科の教室は二階の西側。普通科の教室は三階全体に広がる。
上下を繋ぐ階段は校舎の中央に位置する。
購買部は一階西側。
アンナが向かう場合、教室を出て東に進み、階段を降りて一階、西へ向かい、購買部へと到着する。
普通科の生徒の位置と比べても階段一階分の距離が有利。
競う相手は普通科のみ。初速をどうにかできれば負けは無い。
キーンコーンカーンコーン――!
(来た……!)
12時を告げる鐘の音が響き渡る。すなわちスタートの合図。
「午前はこれまでですね、皆さん食事をしっかりとって午後に備えますように」
「「ありがとうございました!」」
全員が礼をした瞬間、下げた頭のまま方角を廊下へ向けて、足に溜めた力を爆発させ駆け出した。
教室に吹く一つのそよ風。
最低限扉をスライドさせすり抜けるように脱出する。
(嘘!? もう降りてる!?)
廊下を出た瞬間、視界の先には欲に塗れ階段を下る生徒の姿。その数は刹那の間にも増えていく。
(このままじゃ間に合わない! このまま真下にいけたら……そうだ!)
天啓の如き最短距離を閃く。そう、このまま真下に下りれば購買部の扉の目の前。
右手を伸ばす先は廊下では無く窓だった。
(ここを開いて飛び降りれば、1番乗りっ!)
窓を開き迷わず飛び降りる。背後から聞こえる「ええっ!?」というどよめき。
風を切る音と、迫る緑の草地。雄々しく響き渡る着地音。
(よし、このままここの窓を開ければ――!!)
最後の直線に差し掛かっている生徒はまだ十人に満たない。間に合うと完全に理解し窓に手を掛けようとした瞬間。
「こりゃああああああああああ!!!!」
「ひゃっ!?」
耳をつんざくような怒声が直撃する。声の主は作業着に庭師道具を装備した老人。その瞳はアンナをがっちりと睨みつけていた。
「そこの嬢ちゃん何をしとるか!? 折角整えた芝生を踏み荒らすような真似をしおって!」
「え、わたし急いで――」
「だまらっしゃい!! 逃げようたってそうはいかんぞ! わしは普通科だろうが錬金科だろうがマナーを守らない子供には注意をすると決めておるんじゃ。それが老人の役目でここを任された庭師の役目じゃい! ここで嬢ちゃんを注意せんと真似する悪ガキが増えるかもしらんのじゃ!」
雷の如き一喝に体が縮み上がり逃げられなくなる。
「その制服を着た生徒は自分が偉い人間だと思い上がった者が多くていかん。横暴な振る舞いを注意する大人もおらんのが何とも情けないことよ! だがわしは違うぞ、丹精込めて育てた子達を足蹴ににされて黙ってられるほど軟弱者ではない! いつまで踏んでおる! さっさとこっちにこんか!」
確かに容赦無く踏み抜いた芝生は凹みが目立ち、美麗に整えられた校舎の庭に欠点を生み出してしまっていた。
「はい……はい……」
こうして、アンナの初戦は大敗に喫した。背後の窓からは流れるようにヤキソバパンを手にした生徒が流れ出て、目的の物が手に入らなかった生徒達も他のパンを手にして出て行く。
ヤキソバパンがダントツなだけで他の商品の評価が高いことも忘れてはいけない。
同日 16時20分 マテリア寮 アンナの部屋
「お腹空いたぁ~」
庭荒らしの罰なのか、長々とした説教を浴びせられ結局お昼を食べる事が叶わなかった。振り返れば自身もなりふり構わな過ぎたと反省はしていた。
「珍しく不機嫌な様子だな?」
「ちょっと失敗しちゃってね……まぁ、わたしが悪いんだけどね……」
ただ次の手を考える必要があった、もはや最初に思いついた廊下をぶち抜いて下の階層にショートカットする方法。ただし脳内会議ですぐに否決される。お偉い人がやってきて捕まってしまう想像が簡単に浮かんでしまったからだ。
「まあ、そんな日もあるさ。お腹空いてるならこれなんかどうだ? アンナにも食べてほしくて半分残しておいたんだ」
そう言って一つの紙袋が顔の横に置かれる。
「くんくん……おいしそうな匂いしてるね。え~と……見たことないパン……パスタみたいなのが挟まってる?」
「俺の世界でもあったパンなんだ。見た目は不格好かもしれないけど美味しいぞ」
袋を開けると半分に切られた麺の挟まったコッペパン。若芽色混じりのパンに濃い紅に染まった麺、それに絡まる細かく刻まれた野菜と肉。食欲を直接引きずり出すような香りに抗うことなく迷わず口に運んだ。
「あむ……っ! おいしい! おいしいってこれ! なにこれ!?」
一口二口三口と、止まらぬ勢いで一気に食べ尽くしてしまう。不機嫌な顔もどこへやらと言った輝くほどの笑顔で満たされていた。いや、まだ満たされていない。空っぽになった紙袋を惜しそうな瞳で見つめておりもっと食べたかったという欲が隠せなかった。
「ふぅ、おいしかった……テツの世界にもあった食べ物なのね。なんて言うの?」
「焼きそばパンって言うんだ。炭水化物の暴力と思ってたけど、この世界のは全然違ったよ。細かい工夫がされてあって最初に半分に切って無かったら全部食べてたかもしれない美味しさだったな」
「へえ、やきそばぱん……ヤキソバパン!? えっといちおうだけど……これどこで買ったの?」
その名を理解した瞬間背筋に寒気が走った。
自分がおいしいおいしいと食べていた物が交換に必要な食べ物なのではないかと思ってしまったから。同じ名前で別の場所で買ってきた物であればよいと願うが。
「ん? 学校にある購買だな。調査部隊の先輩がさ、美味しいパンがあるって言ってたから現物だけ見ようと寄ってみたんだ。生徒以外は買えないって話だったけど生徒の使い魔は普通に買えるみたいで驚いたよ。でもお一人様一個だから半分だけ食べたんだ」
現実は厳しかった。
そんなことつゆ知らず、喜んで食べたアンナの様子に気を良くした鉄雄は意気揚々と購入に至った経緯を話す。
「…………わたしのあの時間はなんだったの…………」
「どうしたそんな落ち込んで? もっと欲しかったのか?」
スタートダッシュをどうするかと悩む時間。長々と説教を受けている時間。
急にお願いするのも良くないと気を使ったら、そんな心遣いが全て関係無しに鉄雄は悠々と件のヤキソバパンを入手し食していた事実。
「もぉ~~~!! 今度卸されるのわかったら教えるからテツが買ってきて!! 半分ことかじゃなくて1個まるまるで!」
行き場の無い感情が八つ当たり気味に爆発したが。
「はいはい。気に入ってくれたなら良かったよ」
微塵も気にすることなく穏やかな表情で受け止めていた。
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