第9話 焚火の熱は心を脱がす
4月21日 水の日 20時10分 天然の慰安所
月の輝きが目立ち触れる空気が肌寒さを感じる頃、食事を終えた三人は明日に向けての相談を進めていたが、朝から荷物を持った移動に安全とは言い切れない野営、タフな肉体といえど疲労は溜まり普段寝る時間が近づいてきたアンナの頭はゆっくりと船をこぎ始めていた。
「アンナは休んだ方がいい。夜の番くらい俺達がやっておくから」
「でもテツは貧弱じゃない……わたしよりもテツの方が限界近いと思うけどぉ……」
「貧弱に返す言葉もないけど、限界はまだまだ先だ。セクリと交代しながら番をするから安心してくれ。そこまで意地っ張りじゃあない」
「そうそう、1番大事なのは大主人なんだから。元気がないとボク達も困っちゃうよ。主らしくここはボク達に任せて」
「それなら仕方ないかな……何かあったらすぐに呼んでよ」
元々アンナは陽が落ちたら床に着くような超健康優良児。灯りが広がるライトニアに来ても就寝時刻はあまり遅くなっていない。
テントの中に入るとそこから仄かな光が漏れて野営地を照らす。
「俺が先に見張ってる。セクリは中でアンナを休ませてくれ」
「わかったよ。遠慮しないですぐ呼んでいいからね。あと、寂しくなったらでもいいから!」
「はいはい、こんな近くじゃ寂しさなんて湧かないけどな」
セクリもテントに入る事で、火の前に佇むのは鉄雄一人。静止するだけで人の声などまるで届かない静寂が訪れる。時折響く熱せられた薪が弾ける音と木々が風に揺れて擦れる音。
(本当に静かだな……自然の音しか聞こえない。前の世界でこんな環境に身を置こうと思ったらどこに行けばいいんだ……? 自動車の音も飛行機の音も何にもない……)
腕を背後に伸ばして支えにして星空を見上げる。
周囲を見渡すと星月夜の輝きによって照らされる草原と木々が薄闇越しに見えていた。
焚火の肌に伝わる温かさと明るさ、それをすぐに冷ます夜の風。自然が織り成す寒暖の間に身を委ね遠き星に手を伸ばす。届かないと頭で理解しても手に落ちて来そうだと感じていた。
時折枯れ枝を投入し、炎が枝を喰らい黒く、灰色に色が変わっていく揺らめきを目に焼き付ける。
(こんな穏やかな時間は久々だな。余計な事を考えずに研ぎ澄まされていくような……)
前の世界では常にパソコンやスマホといった電子機器と向き合い、与えられた娯楽を貪ることしかない日々。
今この場には本も無い、スマホも無い、ゲームも無い。退屈を紛らわすために自然と考えることが増えていく。
(随分と堪能しておるのぉ)
暇に釣られたのか『破魔斧レクス』に存在する霊魂『レクス』が念話で声を掛ける。
(久しぶり。最近は夢にも出てきてなかったのにどういう風の吹きまわしだ?)
(へそを曲げるのにも飽きた。現状お主を乗っ取ったところでどう足掻いても天下無双には成り得んことに気付いての、なら平和ボケしそうな現世を楽しむ方が得だと思っただけじゃ)
自らを神だと傲慢に高言する少女。事実それに見合った実力を有し、鉄雄を乗っ取り圧倒的な力でライトニア王国の精鋭達を地に伏せたのは記憶に新しい。
夢であったり危機的状況でしか口を出さなかった彼女が何もないこの状況で声を掛けてきた。向こうから歩み寄ってきたことに警戒心も湧くがそれ以上に安堵の気持ちもあった。
乗っ取られ暴れた事実もあれど、そのおかげで命を救ってもらった事実もある。頼もしい存在であることに変わりは無いのだから。
(……そんなに前の世界は生き辛かったか?)
(お前には隠し事なんてできないよな……悲しむべきなのか喜ぶべきなのか分からないけど、生きてきた中で今が一番心地いい。本気で生きてるって気がするよ)
無気力に死んだように生かされていた過去とは違い、生きようとしなければ死んでしまう現在。身を持って体験していながらも元の世界に帰りたいとは微塵にも思いついていない。
(わらわは否定も肯定もせん。ただ、それが力を欲する理由となるならいつでも力を貸してやろう。お主の身体を借りる形でな)
(暴れたりしなければたまに身体を貸してもいいだぞ?)
(ふん! 施されるのは性に合わんわ! ……ん? どうやら話したい者が来たようだな――)
「今少しいいかな?」
「どうした? 交代にはまだ早いと思うけど」
灯りの消えたテントから出てきたのはセクリ。エプロンとカチューシャを外し、使用人としての自分は終了したと装いで示していた。
「寂しくしてないか気になっただけ」
焚火の上に置かれるケトル。炎に照らされる横顔は普段のような柔和な笑顔ではなく憂いを帯びた色気を出していた。
「――ううん、本当は夜の自然を見ておきたかったから。それに1人だとボクが寂しくなりそうだから君と一緒がいいかなって」
「そうか」
日の届かない地下で生まれ、この時代まで封印されていたセクリ。今日初めて夜の自然を目の当たりにする。王都は高い城壁に囲まれ空しか見えない。夜は寮の地下にある使用人室で眠る。体感できる自然は寮に併設されている温室の中の植物達の世話すること。
何にも縛られずセクリとして自然を満喫できるのはこんな機会しかない。
「今更だけどさ、本当にアンナの使用人になって良かったのか? ずっとやりたいことがあったんじゃなかったのか?」
「急だね。ひょっとしてボクがいるのは嫌だった?」
同じアンナの従者という立場。互いに競い合う存在でもある。主人と共にいる時間が減ってしまったのは事実だが、男でしかない鉄雄にはできない女性の面を持つセクリにできる話もある。少なからず嫉妬している部分があることは鉄雄も理解している。それでも――
「そんなわけない、俺もアンナもセクリがいることに感謝してる。試験に集中できるのはセクリのおかげなのは間違いないと思う。でも、同時に考えてしまうんだ。俺と違ってセクリには色々な才能があって別の道も歩むことができて、俺達が枷となっているんじゃないかって」
どうしても考えてしまう『もしも』。自身には無力すぎて選ぶ権利すら与えられなかった過去。鉄雄はアンナが選ばなければ破滅していた可能性が高い。だが、セクリには代え難い技能がある。別の出会いがあって別の誰かと一緒となっても活躍していただろう。
「う~ん……そこまで難しく考えなくてもいいよ? 新しく役目をくれたことが嬉しいのは確かだけど。ボクはボクが楽しいから2人の使用人をしているよ」
香りや味を整える気の無いケトルに直接投入される茶葉、湯気を出し沸騰し泡立つ音が耳に届く。
「こうしてお茶を入れるのも好きだし」
上品さの欠片も無い無骨な金属のコップに透明感ある黄緑色のお茶が注がれる。
あまりにも雑な仕事、使用人が出すお茶としては0点、でも野営地で飲むお茶としては飾り気なく野性味を感じさせ満点であった。
「誰かと夜景を見ながらお茶を飲むのも悪くないと思ってるよ」
二つのコップに立ち昇る湯気が夜気の風に揺られて散っていく。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありが――」
「主にないしょで2人して楽しそうなことしてるわ! 混ぜなさい!」
寝転がるよりも外の空気の楽しさに我慢できず飛び出し、鉄雄に渡されるコップを横取りして飲み始めるアンナ。
「今は大人の会話中だ。無理して起きてこずに寝てなさい」
「ならせめてお酒とか飲んでないと説得力ないよ。体に良さそうな薬草茶じゃ威厳なんてないって。それにこれ部屋にあるのと同じじゃない!」
「同じ茶葉でもシチュエーションが違えば味も変わるもんだ。そもそも見張りで酒飲んでたら全く機能しなくなるだろ。この判断力はやっぱり大人じゃないか? というわけでアンナはゆっくりと眠ってなさい」
「体力的にはテツの方が子供だって……わたしよりもテツの方がねむいんじゃないの?」
「はいはい、テントに戻るぞー」
「こども……あつかい、しないでよ……」
アンナのツッコミも糠に釘の如く受け流し体制を崩しそうになるのを優しく支え、テントの中に戻す。アンナは二人の様子が気になり無理して這い出てきたようなもの。本人も夢の中にいるような感覚だろう。
(羨ましいなぁ……)
鉄雄がセクリを羨むように、セクリも鉄雄を羨んでいた。それは二人の距離感。遠慮が無い、けれど互いのことを想っている。主人と使い魔で括るのは節穴と言い切れる絆が感じられた。
「また起きて来られるのも良くないし、黙って見張ってるか」
「ちゃんと寝かしつけておくね」
「よろしく頼む」
再びテントに戻る直前、一度振り返り。
「2人との繋がりは枷なんかじゃないよ。もっと大事であったかいものだとボクは信じてるよ」
背中に声を掛けて中に入る。その言葉が全てであるかのように灯りが消えた。
(そうか……)
焚火の灯りが揺らめき、鉄雄の綻んだ顔が照らされる。
満足気に星を眺め、自然の音を聞いていくうちに夜は更けていった。
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